君子豹変するという言葉がある。
君子は間違いに気がつけば、自分を改める力を持つという意味である。しかし、自分の誤りというのはなかなか気がつかなかった。
自分の様に早期退職して、新しい仕事に慣れることに苦しんだ時初めて、今までの自分の色んな誤りに気がついたりする。
今の職場での半年の試練は、学生から社会人になった時に匹敵する試練だった。
当時は心身とも傷ついていたが、若さと夢が自分を突き動かし、親戚や家族の支えもあった。
今の自分には若さも大きな夢もないし、むしろ自分が親や家族から頼られる立場である。
ただ、精神的には家族に支えてもらっていることで、あの当時よりも平穏な気持ちでいられてはいる。
今回の試練で30年間の教師の仕事の積み重ねが、むしろ新しい仕事を身につけるのに邪魔にさえなっていることに気がつかされた。
ただ、仕事が慣れるに従って、教師生活の経験を活かす場も出来てきたことも事実である。
それでも、この仕事を続けたいと思わないのは、老いゆく自分をもっと活かす場を見つけたいと思っているからだ。
自分に残された時間というのは、単に寿命だけを言うのでは無い。
健康で前向きの姿勢をもち、精一杯やりたいと思う力が残っている状態が維持できている時間である。
たとえ寿命があと20年残っていたとしても、あと10年以上そういう状態を保てる補償はない。
今は退職金という貯蓄があるが、もし収入がなくなればどんどん生活に行き詰まっていく不安を抱えている。
しかし、その不安があればこそ真剣に収入を得る道を探る気持ちが維持される。
この先、年金が入る様になったら、それほど追い詰められることもなく、平穏な暮らしを求めていくだろう。
それはそれで年齢相応の暮らしぶりというものだろうが、その時点で自分を変貌させていくのは、ただ老いゆく変貌であろう。
だから、追い詰められている今こそ試練ではあるが、まだ前向きに変貌できると思うべきなのだと思う。
今回の新しい職場への適応という試練で、変貌したのは気持ちだけではなかった。
定期検診では意外にも健康状態は良くなっていた。
忙しくて昼食もまともに食べられなかったり、宿直勤務で疲労困憊したりしたのにである。
7割方肉体労働の勤務で、体重は落ちても体力は付いていた。
ある意味、自分にとってショック療法だったのかも知れない。
以前糖尿病で教育入院した時の生活改善に匹敵するものかもしれない。
同じ職場に新薬を使って糖尿病を克服しようとしている人がいる。
65歳のその人はあと10年生きられればそれで良いと言っている。
そして、デスクワーク中心のその人は、数値を悪化させて薬も増えた。
その人に言わせれば、私はこの職場の勤務が身体には合っているから改善したという。
そうすると、その人にはこの職場は身体に合っていないけれど、心に合っているので薬を使って続けていることになる。
私には確かに身体には合っているかも知れないが、心には残念ながら合っていない。
心身とも合う職場というのはないのだろうから、改善した身体の次は心を優先させたい。
そして、またその次は身体を最優先させる時が来るのだろうとは思っている。
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