先日、職場でカブスカウトやボーイスカウトと関わる機会があった。
そこで思い出したのは、小学生の頃入っていたカブスカウトである。
実はボーイスカウトにも入ったが、中学受験のために辞めざるを得なくなった。
カブスカウトでは、廃校を利用して宿泊訓練をした。
思い出すのは、相生の榊という所の小学校廃校での宿泊である。
夜は蛍狩りにみんなで出かけて、虫かごいっぱい獲ってきた。
夜中には付き添いの仲間のお母さんに頼まれて、懐中電灯代わりにしたくらいである。
ただ、楽しい宿泊訓練とは言いずらかった。
それは、夜中には校舎の外れにある便所に行かねばならない。
どうしても行きたくなって、デンマザーに言うとデンマザーも行きたかったらしく、一緒に行った。
そして、用が済んで出てくるまで、待つように頼まれた。
デンマザーも別の意味で怖かったのかも知れない。
思い出せば、昔の学校の便所はどこもくみ取りで、校舎の外れにあった。
また、夏には海岸近くにあった赤穂の御崎小学校で宿泊した。
当時はまだ廃校になっていなかったように思う。
御崎の小学生が尾崎の小学校前を通ると、
「御崎の学校おんぼろ学校、突っ張り学校」とからかったりした。
古い学校に鉄製の突っ張りがなされていたからである。
御崎小学校は直ぐ下に海水浴場があって、そこでカブスカウトは泳いだ。
デンマザーがセミビギニーを着ていたのを見とれていたので、友達にからかわれたのを憶えている。
今回のカブスカウトには保護者や兄弟が多く付き添っていた。
宿泊するところも、立派な施設である。
自分たちの頃は付き添う保護者は少なく、代わりに若いデンマザーが多かった。
思い出せば、私の父親はついてきたのを思い出した。
自分としては、父親はあまりついてきて欲しくはなかった。
人付き合いが下手なのに、どういう訳かカブスカウトの付き添いや、世話役をしてくれた。
考えてみれば、私も子供の水泳の付き添いなどをしたので同じである。
どちらも無骨な父親として、それが一つの愛情表現だったのだ。
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