このところ、奄美研究から、アイヌ、蝦夷研究に跳び、今はアマゾンのヤマノミに至っている。
それは縄文人のゲノム研究から、アイヌ人が一番ゲノムが近いことがわかり、その比較によって奄美の人の縄文的文化を知る必要に迫られた。
そこで、奇しくも大林太良氏の研究をもう一度紐解いたのだが、念のためにゲノムに立ち戻って調べた。
すると、アイヌに近い北米インディアンの前に、アメリカ大陸には別の人がいたことを忘れていたことに気がついた。
それが、どうもアマゾン奥地に住み続けている先住民の人々にちかいということなのだ。
琉球には縄文人よりもっと古い旧石器人の様子が分かっており、それと比較しようと思った。
そうなると、ピエール・クラストルの読みかけをもう一度読み直し始めた。
その『政治人類学研究』の「第4章 民族文化抹殺【エスノサイド】について」に行き当たった。
この翻訳者の原毅彦氏は、大学院の大先輩で、研究会で厳しいご指摘を受けたこともある。
その先輩は、エスノサイドを民族文化抹殺と訳されていが、アイヌ協会の「国連総会演説」(1992年)では「民族根絶政策(エスノサイド)」というように使っている。
つまり、文化を失わせることは、民族を失わせるのに等しいということだ。
そもそも、学校は幼稚園から大学まで、エスノサイドの最前線だ。
大学の研究者がエスノサイドを批判しても、その論法は西洋の科学思想のパラダイムでしかない。
近代化といいう西洋化の枠でしか、もう日本では学術的に語れなくなっている。
古来の文化を失っても、豊かな生活に希望がもてていた頃は、別段不満も疑問も持たなかっただろう。
ただ、アイヌの方々は、土地を奪われたり、差別を受けたからエスノサイドを問題にしたのだと思う。
現代において、環境崩壊や、経済格差、それにともなう犯罪や自殺が増えてきているなかで、エスノサイドを自ら自覚する時が来ているように思えた。
クラストルは国家が大きな原因としているが、宗教も思想・哲学もしかりだろう。
日本もせっかく戦国時代が終わって、300年間は比較的平和だったのに、近代化のおかげで大規模な戦争をし始めた。
その戦争を支えたのが学校教育によるエスノサイドだった。
現代も、開発発展、技術革新の目的のために、エスノサイドはしっかりと進行中だと思う。
ご老人はレジが自動化されて、買いものさえ恐がっている。
もう田舎では昔ながらの対面販売で買いものをする機会など殆ど無い。
奄美の与路で、どんどん若者が減っている状況を目にして、今度は上郡で同じことが起こっているのを目にしている。
琉球やアイヌの人たちほど、歴史教育などに見られる学校文化との文化的な大きな差が無かったにしろ、自分たちの地域文化を失ったことは同じだろう。
それでも、教師としては生徒達が社会的に生活できることを優先してきた。
しかし、どんどん地域や貧しい人の生活が崩壊していくのを目にすると、何のために教育に携わってきたのかを疑問に感じている。
まさしく、エスノサイドの加担者として、自覚せねばならないのだろう。
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