私の両親が顕在で、兄弟家族の子供も小さかった頃は、ゴールデンウィークに必ず赤穂の実家に集まった。
一緒にドライブしたり、夜にはみんなで近くのカラオケに出かけて楽しんだ。
それが、当たり前のゴールデンウィークの過ごし方で、海外旅行など考えてもみなかった。
ところが、両親も亡くなり、子供も成長して独立すると、兄弟家族は集まらなくなった。
私は完全退職して初めてのゴールデンウィークなので、旅行も考えたが家内の体調が良くないこともあって、計画しなかった。
いつでもできる農作業なのだが、渋滞の中を出かけなくて済むように、このところ農作業に励んでいる。
先日の雨の日は、農作業もできなくて、再開した泳ぎにプールへ行った。
いつもの日中に会うことが無いスイマーが来ていて、ゴールデンウィークを実感した。
忙しく農作業をしていている時は、寂しさも忘れているのだが、夕方から晩酌をし始めると、賑やかだった昔を思い出す。
元気だった頃の両親のことも思い出した。
もし、自分たちの子供に孫などがいたら、同じようなことが出来たのにと、せんないことを感じたりする。
人口減のことで、色々問題が指摘されているが、賑やかで楽しめる機会を失うことが、重大に感じる。
昔は貧しくても、家族や親戚が色々集まって楽しむことができた。
これからは、旅行や食事などに出かけて、個人や夫婦で楽しむしかないのだなと諦めている。
そういえば、奄美の与路島で仲良くなったツッユオーウジは一人暮らしで、淋しいものだから近くで私が若い人と飲んでいる声を聞くとやってきた。
若いシマの人も邪険にはしないのだが、気まずい雰囲気になるので、私はウジの家に連れて帰ったりした。
かつてその青年団は、ウジが初めて飲む炭酸の缶ジュースをわざと振らせて、びっくりさせてかららかったりした。
一方で、ウジの家に呼ばれてご馳走された塩漬けの豚肉を食べて、青年団の全員腹を下したりした。
ウジは冷蔵庫があったのに、電気をつながず、豚肉も漁網に使うプラスティックの浮きをくり抜いた容器で塩漬けして常温保存していた。
当然、ウジはいくら食べても平気だったから、ご馳走したのだ。
もうシマの若い人には、そういう豚肉への抵抗力が失われていたのだ。
シマに残されたお年寄りが、農作業をしたり、海で魚介類を獲ったりして、ひっそりと暮らしていた生活と私の生活も似てきた。
40年前の超過疎のシマのお年寄りの気持ちが、実感として分かってきた。
話を伺いに家に訪れた私をとっかかりに、若い人とも関わって夜の寂しさを紛らわせたかったのだろう。
ただ、当時のシマのお年寄りのように、大学生や研究者に話すべき昔話も暮らしぶりも私には無い。
単に時代に流されて取り残されて、淋しいゴールデンウィークを過ごしているだけの老人だ。
まあ、来年は寂しさを誤魔化すために、遠くまで旅に出かけても良いと思っている。
それこそ、奄美や先島に行ってみようかな・・・・
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