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2024年6月10日月曜日

学校用のバスの必要性

 実は私の子供は小学校の時に、集団登校をしていて交通事故に遭った。

その時は全国ニュースになったが、死者は出なかった。

出勤前の私は連絡を受けて家の近くの現場に駆けつけた。

一緒にいたはずの息子の同級生の女子児童が見つからない。

まさかと思って、そばの田んぼの用水路を探すと、跳ね飛ばされて仰向けに倒れている児童を見つけた。

たまたま顔が上向きで、背負っていたランドセルが高さを確保したために、九死に一生を得た女子を現場の大人と一緒に助け上げた。

また、ある1年生の女子などは、足を切断するかどうかのけがを負い、長期入院した。

比較的軽症だった私の二人の子供も、後に永久歯の治療を余儀なくされ、何よりも長い間そのトラウマに苦しんだ。

通学路での事故は今も後を絶たないし、今回の高齢者の大きく事故が問題になっているのは、通学時の児童を信号無視ではねたからだ。

車社会にいち早くなった、アメリカではスクールバスが普及している。

高校生にもなると、車での通学も許可されている。

日本でも特別支援学校は、スクールバスが普及していて、以前私が勤めていた姫路特別支援学校では多い時で12台以上のバスを神姫バスへの委託を含めて運行させていた。

それは通学生が広域に広がっているからのなのだが、普通の小・中学校でも地方では広域に広がってきているところは路線バスや電車を用いてきた。

ところが、私の場合は高校だったが、普段の授業はともかく、クラブ活動や土日での行事、模擬試験等の時には対応が難しかった。

自由に運行できるバスの経費への支援が欲しいと思っていた。


そもそも、近くの小中学校に行く時に、危険な道を通らなければならないというのが間違いだ。

まずは安全な通学路の整備を行うべきであって、危険な道を大人が付き添っても暴走した車にはねられてしまう。

交通戦争中の私の小学生の頃は通学路に歩道橋を作って、児童生徒に負担を強いた。

児童生徒に負担を強いるのではなくて、車の方に負担を強いるべきなのだ。

私は運動にもなる歩いてでの安全な通学が理想だと思っている。

でも、それができないのならスクールバスを運行させるべきなのだ。

上郡町では、小学校の統廃合が進んで、神姫バスに委託したスクールバスが一校だけ運行されている。

そのお陰で、温水プールでの水泳授業も行われるようになっている。

神姫バスの社長は中学高校の同級生で、苦しい経営で多角化を余儀なくされているようだが、小中学校のスクールバスが普及すれば、地方での経営も安定するだろう。

そして、義務教育を課している国が、その安全のための費用を負担すべきなのだ。

票に結びつかない子供たちの安全への政策を怠ってきた政府の責任は重大だ。

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