以前、上郡の地元育ちの人と話していた時に、昔は鯉とか、鮒、鯰を食べることのほうが多かったと聞かされて驚いた。
その人は、私より6歳年上だったので、生きておられれば71歳である。
私は赤穂の海辺育ちなので、食べる魚介類は殆ど海産物で、何度か鮒の濃く煮付けたのも食べさせられたが、臭くて余り食べなかった。
鮭はすごく塩辛い塩鮭は食べたが、鮎やモクズガニなどの川の魚介類は食べることは無かった。
そもそも、幼少期には冷蔵庫など無くて、毎日来る行商の魚屋さんで買ったのがその日のおかずだった。
安いので、シャコやイシガニ、ダイチョウ、カレイなどは鍋いっぱいにゆでて、嫌というほど食べた。
また、穴子は夏には毎日のように七輪で焼かれて、骨までカリカリに焼いて食べさせられたのでうんざりしていた。
一方で、マグロや鰹などの遠洋で捕れる魚は小さい頃には食べたことは無かったが、鯨だけはよく食べさせられ、そんなに好きではなかった。
今のように新鮮でおいしい海の魚介類が普段から食べられるようになったのは、冷蔵技術が確立されてからである。
家庭にも冷蔵庫が普及して、スーパーでも普通に買えるようになった。
それまでは、海から遠いところでは、新鮮な魚介類は淡水魚で、海のものは乾物、缶詰、塩漬けや発酵させたものだったようだ。
ということは、日本人が海産物をよく食べるようになったのは、一家に一台冷蔵庫が普及した1970年代以降だと思う。
そして、以前は女性は魚がさばけて当たり前だったのが、それができなかったり面倒に思う人が多いようで、要するにパック詰めの魚食文化でしかない。
日本人全体の海産物の魚食文化は、できあがって50年ほどしか経っていないのである。
半世紀も経てば伝統文化といえるのかもしれないが、その伝統食文化は魚介類の乱獲の上で成り立っている。
そして、漁獲高が激減して日本の伝統食文化が失われるとニュースでは嘆かれているのだ。
私が子どもの頃は、近くの千種川で蜆がよくとれたが、あまり人気がなくて採っていなかったのが、健康ブームで乱獲されて今は採取禁止になっている。
海岸に行けばアサリなどは普通にとれて、よく友達や父親ととりにでかけた。
遊びの一環で釣っていたハゼやテンコチも、夕食のおかずに重宝された。
天然のウナギやカレイなどもヤスで突いて捕っていた。
今はそれらの殆どが、海岸や河口では簡単にはとれなくなっている。
趣味・娯楽としての釣りや貝掘りの乱獲で、資源が枯渇してしまったようだ。
森林で捕っていた動物から家畜に換えていったように、この創られた伝統食文化は養殖をして維持しなければならない時代になったということだ。
TVニュースでは、海水温のデーター分析で漁獲量を上げることを特集していたが、ますます乱獲されて漁獲量は減ってしまうだろう。
また先日、人新生の時代を明確にするものとして、地質に含まれる核実験に使われたプロトニウムが上げられていた。
おそらく、原発廃棄物やマイクロプラスティックも、海底に積もるだけでは無く、魚介類を通して我々人体に蓄積されていくだろう。
このところ、PFASが問題になっているが、隣の岡山県では山間地でも深刻になっている。
人新生における安全な食文化は、海に頼るのでは無くて、浄化された地下水を利用した養殖にあるのかもしれない。
すでに実験プロジェクトは始まっていて、養殖で出る糞や汚水は肥料に使われているようだ。
これからの安全な食文化を、自然が守られた山間地に求めていく時代が来ているように思える。
ところが、昨日千種町に水くみに行ったら、いつもの水くみ場の給水器が閉じられていて、少し値段が高いが別のところで汲んできた。
閉じられていた給水器に書かれていた説明によれば、水が涸渇してしまったという。
これは推測でしかないが、南海地震予測パニックで大量に水をくんだ影響かもしれない。
リニアモーターカーの建設で地下水の涸渇が問題になっているが、大切な山間地の地下水の保全も真剣に考えるべきだろう。
産業廃棄物を山間地に処分するなどもってのほかだ!
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