今日(10/29)は空き缶の回収日だった。
我が家の近辺では、分別回収で定期的に空き缶も回収されている。
我が家から出る空き缶は、私と息子の飲む第三のビールが殆どだ。
先日も家内は第三のビール2ケース買ってきた。
2ケースいっぺんに買うと、ティッシュペーパー5箱がおまけでついてくるからだ。
我が家のティッシュは定期的なその店のおまけセールで殆どまかなわれている。
第三のビールは、季節限定品が結構あって、色んな味わいが楽しめる。
もともと家内も好きな方だったが、コロナワクチンの後遺症でリューマチになってから、お酒は飲むことができなくなった。
それでも私と息子とティッシュペーパーのために、季節遅れのセール商品を重いのに買ってきてくれるのだ。
今日もいつものように、愚犬クロと一緒に朝の散歩をしていた。
たまに通る地区の集会所に併設された公園の入り口に、回収してもらうための空き缶が置いてあった。
「ああ ここも今日は同じ空き缶回収の日なのだ」と思って何気なく見てみた。
なんと、ヱビスビールやビールドライなど、本物のビール缶ばかりが置いてある。
この地区の人の多くが、普段飲んでいる我が家の第三のビールの倍ほどの価格のビールを毎日飲んでいることにショックを受けた。
回収場所に置かれたビールの空き缶が、「すごいだろー 俺たちは」と自慢しているようだった。
さっそく、家に戻ってから、家内にそのことを言うと。
家内「さっき 持って行ったら、缶チューハイばかりやったで」
私「それやったら、うちの第三のビールより安いやつか」
家内「そう 100円そこそこのやつやった」
私「ふん それやったら 恥ずかしないな この地区で良かったな」
私は結婚して以来しばらくは、大瓶の本ビールを飲んでいた。
ビールの値段が上がったことなどで、缶ビールとなり、発泡酒となり、第三のビールとなった。
当初は雑味があって不味いと感じていたが、味も改良されて、最近ではそれほど抵抗はない。
それは第三のビールしか飲んでないので、本物のビールの味を忘れてしまったことにも関係がある。
現役で働いていた頃は、当然しょっちゅうあった飲み会で本物の瓶ビールが普通に飲めた。
退職してからは本物は缶ビールで一年に数えるほどの特別な日にしか飲めない。
村の特別な行事などで本物の缶ビールが出されると、喜んで飲ませてもらう。
今でも本物のビールを飲めない理由は、他にワインや焼酎、最近は日本酒も飲んでいるからだ。
これだけの種類を飲んでいて、本物ビールを飲むのは憚られた。
当然、ワインも安い箱ワインだし、日本酒も焼酎も安い箱入りである。
ワインや焼酎は炭酸で割って薄くしたり、日本酒も少しだけ味わうのが楽しみになっている。
たまに、近所のスーパーで普通のお年寄りが本物のビールを買うのを見かけるが、おそらく晩酌はそのおいしいビールだけなのだろうと思う。
一人暮らしらしい人は、1合瓶の酒とちょっとしたつまみを買うのを見かける。
たぶん、飲み過ぎないように一升瓶で買うのは避けているのだと思う。
人それぞれで飲み方が違うし、単に本物のビールを飲んでいるから裕福であるとも限らない。
健康上の理由からビール類は避けて、缶チューハイにしているかもしれない。
だけど、空き缶の回収ではその隠れた理由が分からないまま、値段の格差だけが強調されてしまう。
かつては誰もが瓶ビールや瓶の酒・焼酎を普通に飲んで、瓶は店に戻していた頃はこういうことは考えられないことだった。
その頃の家庭の経済格差はどの格付けの日本酒やウィスキーを普段飲んでいるかで示されていた。
これも今のビールに通じるのだが、税率の違いが等級に反映されており、貧しい人の飲む等級の税率を下げていた。
就職するまでは2級の日本酒に安いサントリーのホワイトやニッカのブラックだったように思う。
ビールは好みの銘柄だけの違いで、特別に大缶入りの生があっただけだった。
酒や焼酎が等級より銘柄で選ぶようになって、格付けをあまり気にしなくなったように、ビールも普段飲めるような低価格の地ビールなどが増えたら良いと思う。
税率をビール類を全部一緒にすることで、地域に根付いていた日本酒のようになるのか疑問は残る。
日本にも地ビール文化は根付いたら、空き缶に自慢されることはないだろう・・・・