能登半島の地震災害から1年目となり、その検証がテレビなどで報道されている。
その中で、災害関連死の問題は、日常の生活にも考えさせられるものがある。
高齢者の場合、普段の生活が出来なくなるだけで、簡単に亡くなってしまう場合があったということだ。
直接の地震での死者よりも、その後の関連誌の方が多いという現実を、深刻に受け止めねばならないだろう。
つまり、我々日本人の寿命支えているのは、高度な医療と豊かな文化的な生活なのだが、災害に際して緊急に補う対策を取っていないということだ。
防衛費予算を増額するのは良いが、災害に際して国民の命を守る方が先決だろう。
高度経済成長以降に、衣食住の物質的な生活が豊かになり、機械化によって過重労働が減り、皆保険制度で普通に医療を受けられる環境が整い長寿となった。
その一方で、貧しかった頃は必要だった家族や親戚、知人と支え合う力を徐々に失っていった。
それは自分のことだけで精一杯の場合もあるが、蓄えた金銭や年金を過信して、支え合う心を見失ってしまった場合もある。
身近な人の中に、「老いては子に従え」という言葉を完全に無視をして、精神科病棟に入らざるを得なかった人も知っている。
金銭的にはむしろ恵まれていたのに、コロナのパンデミックに際して人を頼ることを嫌った結果だった。
人の多い街でもこういう災害関連病も増えているのではないかと気にかかる。
一方で、能登の災害避難所で最も確保できなかったのは、助け合える環境だったのだと思う。
過疎地域では、濃密な人間関係が少子高齢化によってどんどん失われて行っている。
今後、能登半島で起こってきたことが、日本中で起こるだろう。
NHKの番組で「あしたが変わるトリセツショー」で奄美徳之島の人の長寿が取り上げられた。
その中で、「ミキ」と言われる米粉と芋を摺り下ろした飲み物が紹介された。
これは昔は行事に用いられていた飲み物で、今のように毎朝でも飲める物ではなかったはずだ。
そもそも、サツマイモが主食だった沖縄・奄美が、米を主食にするようになったのはそう古くはない。
自然の山菜は昔から食べていたようだが、かつてはそんなに豊かな食生活では無かったようだ。
だから、流行病で多くの人が亡くなった言い伝えも残っているし、長寿になったのはそう古くは無かったと思う。
今は本土より長寿なのは、「人との繋がり」だということが、番組では強調されていた。
本土では豊かになって「人の繋がり」を失っていて、自分なりに「生きがい」を見つけている人が長寿なのだと解釈できる。
ネットでは高齢者の年金の問題を取り上げる記事が多いが、農家の多い沖縄や奄美ではそんなに年金を貰っていないと思う。
老後に備えての年金や貯蓄、投資の方が都市生活者には現実的に見えても、「人との繋がり」を失ったら役に立たないことも知っておくべきのように思えた。
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