ネットで「寒くなるにつれ外国人がうらやむ日本独自の「アレ」とは―香港メディア」という記事の中で、1位にこたつ、2位にコンビニ、3位に庭、4位多機能トイレが上がっていた。
とすると、我が家は4位までを満たしている。
食事はいつもこたつでして、コンビニも歩いて行ける距離にあり、庭も広く、多機能トイレも愛用している。
過疎の田舎暮らしで、どちらかというと魅力が無いと思っていたが、過密な都市に住む香港の人には魅力があることを知った。
今日も姫路のモールに買い物に出かけたが、その近くの新しい家には殆ど庭が無い。
家内の「庭が無いから、草を抜かなくて良い」という言葉には同意したが、自分はこういう家にはあまり住みたいとは思わなかった。
庭は確かに世話をするのは重労働伴うことが多い。
業者にやって貰うと、かなり高額になってしまう。
しかし、夏場の暑さは庭木によってずいぶん和らいでいるし、冬場は風よけにもなっている。
当たり前になってしまったから、そこから得られる安らぎはかけがえのないものだと思う。
これは自分の赤穂の実家ではすごく感じていた。
一番思い出すのは、大学院の受験勉強を夏休みに実家でしていたのだが、庭の見える座敷の座卓でやっていた。
というのも、かつての自分が使っていた部屋は弟に明け渡してしまっていたからだ。
実家の庭は池もあって、当時は周りに家も建っていなかった。
風通しが良いので、冷房も必要なくて落ち着いて、初めてのフランス語の論文を読む勉強をしたのを憶えている。
かつては父はこの庭の手入れで苦労していたが、今は自分が苦労している。
しかし、実は一番残したいのは、家屋ではなくて庭だ。
というのも、受験の時の想い出ともに、庭を造る時に庭材を商っていた祖父と一緒に、庭師の人を手伝ったからだ。
また、庭に面した縁側は雰囲気があったので、高校時代にギターを弾きながら歌を歌ったりしていた想い出もある。
何よりも、祖父が父に形見として、庭を残そうとしたことが分かっているからだ。
今の上郡の庭は、単に生け垣があったり、クリスマスに買った樅の木とゴールドクレストの大木になって生えているくらいだ。
そして、生け垣兼用の梅とゆずは、あまり実はならないのに手間はすごくかかっている。
実家の庭は美術作品だが、我が家の庭は実用品である。
たぶん、町家と農家の違いなのだろうが、近所の地元の農家では、立派な見栄えの良い庭を持っている家も多い。
近所に比べても見栄えの悪い我が家の庭だが、殆ど庭木や草花の無い若い人の家よりは趣があると思っている。
若い人はエアコンをがんがんかけて暮らしているし、手間がかかるので、その価値を見いださないようだ。
自然との共存は普段の生活の中にあることも、分かって欲しいとは思っている。
そして、鳥や虫たちも訪れて来てくれる。
そのせいか、いつのまにか植えてもいないシュロの木が大きくなっている。
庭はしっかりと時代と季節の移ろいを感じさせてくれる場所なのだ。
都会では一部の富裕層しか持てない庭は、田舎では普通に持てる豊かさも知って欲しい。
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