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2025年1月8日水曜日

想い出のフォトグラフ

リンゴスターの「想い出のフォトグラフ」は、明るくさりげなくリンゴが歌うので切ない歌詞であることに気づかない。

発売当時、中学生だった私は、英語のLL授業で流されて聴いていたが、歌詞の内容まで深く考えなかった。

残されたたった1枚の写真に、去って行った彼女への断ち切れない思いを歌ったものだった。

リンゴの歌の中では一番好きな曲だが、今の自分には学生時代の断ち切れない想い出と重なってくる。

かつての私は学生時代の写真を、研究で使う資料以外は殆ど顧みなかった。

子どもが出来るとそちらの写真やビデオに力が入っていたし、教師としての仕事上、生徒たちと次々の想い出が作られていたので、振り返る余裕など無かった。


実は、私は南山大学の卒業写真は、写真を撮って貰ったけど買わなかった。

といのも、金が無かったし進学を決めていたので、最後の学生時代という意識が無かったからかもしれない。

だから、ユーミンの「卒業写真」と違って、自分がどんな顔で写っているのかも知らなかった。

その後、学生時代を思い出す時はわずかに残っている同じゼミ生や研究サークル仲間との写真や、仲の良かった友人との卒業式の写真だけが手がかりだった。

私は、関わりの深かった多くの友人や仲間、彼女を記憶以外に思い出す術が無く、しかも、年々記憶も薄れてきている。

そこで、思い切って友人にラインで見せて欲しいと頼んだ。

私の関係箇所だけ添付されたライン上の写真で、久しぶりに人類学科と文化人類学研究会の仲間と40年ぶりの再会を果たすことができた。

ただ、研究サークルの全身が写っているTシャツ姿の自分の写真を見て、この時から腹が出ているのが情けなかった。


今までは懐かしく見る写真やビデオは我が子の幼かった頃のが中心で、デジタル化して何度も見飽きるくらい見てきた。

学生時代の写真を見ようと思ったのは、57歳で早期退職した後の還暦を迎えた年だった。

臨時で色々と仕事はしていたが、人との関わりが薄れていって、その穴を埋めるように過去の写真などを繙いていった。

そして、それらを見ながら自分の研究と次の出版への強いモチベーションにしようと思った。

手元に残されていた物だけでは限界があって、実家に残してきた写真も探したが、タンスの奥を探したりしても殆ど見つからなかった。

それでも、15年ほど前に名古屋・東京・横浜で撮ってきた学生時代のなじみの景色と併せて、工夫を凝らしたスライドショーは当時に戻った気持ちにさせた。


先日、弟に手伝って貰って実家を片付けていた。

その時に、多くの写真とネガフィルムを弟が屋根裏物置から見つけてくれた。

私はまさか夏場は高温になる屋根裏物置に置いてあるなど思いも寄らなかった。

中を見てみると、学生時代の仲間との写真だけでなく、調査記録写真も混じっていた。

調査記録写真はどうもわざと実家に置いてきたのではなく、結婚して引っ越しする際に忘れてきただけで、私は紛失したと思い込んでいた。

私は見つけてくれた弟に感謝するとともに、両親が屋根裏物置に保存しておいてくれたことが、子どもの新しい生活への配慮をありがたく思った。


最近の文化人類学では、「情動(affectus)」という言葉をよく使うようになった。

人々の生き生きとした様子を描くのが重要で、その手段の一つとして映像などもあげられている。

映像ほどではないが、画像も多くの情景を伝えてくれる。

当時の学生による村落調査では聞き取りが中心で、村の人々の暮らしぶりをあまり写真に撮らなかった。

今と違い、フィルム代や現像・プリント代が負担になったことが理由でもある。

その換わり一緒に行った仲間の学生を写真に残していて、その中にはかつての恋人の姿も残っている。

将来も分からず夢を追い求めていた頃の、自分や仲間の姿は今の私にひたむきに生きる力を思い出させてくれる。

昔の写真をたんなる懐かしさだけに留めるのではなくて、心まで老いぼれかかっている自分への気付け薬としている。

ただ、リンゴスターの歌のような未練が無いと言ってしまったら、情動としての価値を失うだろう。

調査仲間(愛知県豊根村1980)



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