彼岸花はこんな暑さが続いて、まだ夏が続いていると思っていたのに、ちゃんとお彼岸の頃に咲いてくれた。
でも日照時間に反応して咲くのでは無く、平均気温が25℃を下回る頃に咲くのだそうだ。
ということは、日中は暑くても朝晩涼しくなったことに、われわれの方が鈍感だったのかもしれない。
私は赤穂の実家に住んでいた頃は、周りで彼岸花は咲いていなくて、姫路への電車通学の車窓からきれいなこの花を眺めていた。
今は上郡の農村地帯に住んでいるので、周りは彼岸花で溢れている。
庭先、田んぼの畦、道ばた、川の土手などあらゆる所で一斉に彼岸花が咲いて、景色を一変させてくれた。
ただ、その咲いている期間は1週間ほどで、枯れると幽霊のようになってしまう。
地域によってはわざわざ彼岸花の球根を田んぼや畑の周りに植えるところもあるようだ。
私の知っている人の地元富山では、村作業として道端に球根を植えていると聞いた。
その目的はモグラやネズミの侵入を防ぐためだという。
畦や道ばたに穴を開けられてしまうと、水持ちが悪いだけでなく崩れてしまう。
彼岸花は救荒植物として、饑饉の時に毒抜きをして食べる役割も果たしていたという。
住んでいる人の役に立ちながら、季節の移ろいを実感させ、心に潤いを与えてくれるのが彼岸花である。
ところが、ちょうどこの時期は本格的な稲刈り、村祭り時期に当たってしまう。
そうすると個人的や村作業として田畑の畦や道ばたの草をきちっと刈ることが多い。
先日(9/28)も村作業で道作りがあったので、背負い式の4サイクルの草刈り機をもって参加した。
人によっては咲いている彼岸花を雑草と一緒に刈ってしまうので、咲いている場所にわざと行って花を避けて草を刈った。
雑草も少し残ることになって、作業としては不完全とも言えるが、刈られてしまった彼岸花を観るのは忍びない。
私の作っている畑のそばに咲いている彼岸花が近所の人に刈られているのを見て、その人の心の貧しさを感じざるをえなかった。
私の大好きな桑田佳祐の歌に「東京」という曲がある。
去かないで向日葵(ひまわり)
この都会の隅に生きて
世の痛みに耐えて咲いてくれ
これは女性をひまわりに喩えたものだが、これをもじると
刈らないで彼岸花
この田舎の隅に生きて
過疎の痛みに耐えて咲いている
ということになる。
稲刈りでもコンバインと軽トラが走るだけになっている田園風景だ。
せめて、散歩する人や車で通りかかる人に、美しい田園風景を見せて欲しいと思う。
彼岸花は有史以前の外来植物で、日本人が田畑と伴に守り続けた物だということも知っておきたいと思う。
咲いている場所をコンクリートでかためてしまったり、何年も保つ草抑えシートで覆ってしまったら、過疎の村はもっと殺風景になってしまう。
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