私が生まれ育った赤穂では、昔は町の中でも山羊や羊を飼っていた。
生まれたのは鷆和という田舎だったが、育ったのは尾崎という町だった。
町と言っても、元々は塩田に関連する地主や浜子が住み始めたところだったのだが、引っ越しして来た頃には医院、商店や散髪屋などがあって不自由は無かった。
その住んでいた尾崎の家の向の家には山羊が飼われていて、たまに乳を貰って飲んでいた。
牛も友達の家の隣で飼われていて、草を摘んで食べさせるのが面白かった。
今の時代に町で家畜を飼うと、臭いや蠅などの虫が出るので苦情が出て、とうてい飼うことなどできないだろう。
私が村落調査で訪れていた奄美の与路島では、豚、牛、山羊が普通に良く飼われていた。
豚や牛はちゃんとした小屋で飼われていたが、当時はけっこう集落の中にもいた。
その中でも山羊は家の柵の中で飼われたり、家から連れ出せれて海岸などの木のそばに紐で繋がれているのをよく見かけた。
山には放たれた山羊も棲んでいて、持ち主は耳に刻みを入れて分かるようにしていた。
山羊を飼う目的は肉を食べることなので、子ヤギの飲む乳を人が飲むことは無かった。
子ヤギは道ばたで遊んでいるのをよく見かけたが、ペットのように可愛がることはされていなかった。
ただ、指を口に持っていくと、チューチュー吸うと言って地元の人は面白がっていた。
乳をとるのが目的なら可愛がっても良いだろう。
山村を舞台にした映画の「Wood Job」でも、山羊に紐を付けて散歩する人が描かれている。
しかし、奄美・沖縄では肉が目的なので、そのように可愛がると自分で屠殺できなくなってしまう。
私は奄美に行き始めて、山羊の肉を初めて食べたのだが、その強烈な臭いと独特な味のトリコになってしまった。
東京でも山羊汁は郷土料理店で食べられるが、値段が高い上に肉も大して入っていなかった。
調査中には肉を買って自分で山羊汁にして食べたりしたが、八月祭りの相撲を取る前に区長さんの家で大鍋で炊かれた山羊汁の味が忘れられない。
与路では塩味なのだが、区長さんが青年のために1頭を潰して、庭先で振る舞ってくれたのだ。
私も頂いた以上は本番の相撲でもまわしを締めて頑張ったが、あっけなく負けてしまった。
また、仲良くなった地元の友達の家で、屠殺したばかりの山羊の一頭全部を一輪車に積んで持って帰ってきていたのには驚いた。
その晩は私もご馳走にあずかった。
そんな思い出深い山羊なのだが、上郡にに引っ越ししてきて再び巡り会うことができた。
近所の山ぎわの休耕田で山羊の夫婦が飼われていた。
おそらく、休耕田の草を食べてもらって、草刈りの手間を省くのも兼ねていたのかもしれない。
そこの山羊夫婦には子どももできたが、やがてどこかに引き取られ、雌山羊も亡くなって雄山羊だけになってしまった。
ひとり残された雄山羊はときどき悲しそうな鳴き声で鳴いたりしていた。
その雄山羊に必ず散歩の時に草をあげるおじいさんもいて、私からも貰えるのかと思って近づいてきたが、連れている犬が過剰反応するので近づけなかった。
やがて、その雄山羊も亡くなっていなくなってしまい、草だらけの休耕田だけが残った。
また、大規模に農業を行っている人の中には、山羊を使って農地の草を食べさせる人もいたが、山羊の世話が却って手間なのか、数年で止めてしまった。
可愛い子ヤギも誕生して、与路島の子ヤギを思い出したりもした。
確かに、草刈りは草刈り機や除草剤を使った方が手間はかからない。
奄美沖縄のように肉を食べる習慣も本土にはない。
昔のように山羊の乳を飲んだり、ヨーロッパのようにチーズに加工したりすれば、山羊を飼う価値も出てくるかもしれない。
山羊は草だけで無く、木の葉も食べてくれて飼いやすい家畜なので、今後活用を考えても良いのではないかと思う。
情緒豊かな農村のバイオエネルギーとして考えることもできるようにも思える。
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