ページビューの合計

2025年10月6日月曜日

私を活かしてくれたロック

 2013年NHKの「病の起源」第3集は「うつ病」であった

人類は進化の過程で「うつ病」原因を得たのだが、「平等」であることで未然に防いだという。
しかし、文明社会は格差をますます広げている。
学校こそ偏差値によって格差を助長する場所であることは疑いないだろう。
そんな中で、うつ病にならずに済んでいるのは、格差を顕在化させる競争の中にも、平等を作り出す仕組みがあったからのように思う。
受験勉強と関係のない授業科目もそうだし、クラブや学校行事がそうだろう。
私は進学結果が絶対の学校に私立中学・高校にいたので、その悲劇も知っている。
ただ、当時は現役の上級生が自殺する意味が、あまりよく分かってはいなかった。
文学青年よろしく「死への憧れ」と解釈していたようにも思う。
しかし、大学に入ってから、不本意な大学(同志社大学)に入ったことを恥じて自殺した先輩を知って、自分で自分を追い詰めてしまう学校であったことも自覚した。
ただ、私はその大学より偏差値の低い南山大学に入ったが、高校時代にロックバンドをやっていたことで、妙に開き直れていた。

中学生の頃の私は、小学校の時に経験があった剣道部に入ったが続かなかったし、授業も面白くないし、満たされない気持ちで勉強への意欲を失わせていった。
そんな中で夢中になれたのはロックであった。
と言っても、最初は気の合った友達とフォークギターを使って教室や公園で一緒に歌うのを楽しみにする程度だった。
高校の文化祭でステージに立ちたいと、エレキギターも買ってもらってバンドを組んで練習した。
そのオーディションにも落ちて、野外ステージで演奏させてもらったが、観客は数人だった。
でも、バンド活動を通して先輩とも仲良くなり、一緒にバンドを組んで体育館ステージにも出演して盛況だった。
高校三年生でも同級生や下級生ともバンドを組んで、野外ステージに立って多くの仲間に見て貰ったし、それをきっかけに隣の女子校にいた留学生とも仲良くなれた。
どんどんと成績が落ち込んでいく中で、唯一の救いがロックであり、バンド仲間だった。
文化祭でのステージは唯一の見せ場でもあり、誇りでもあった。
50歳も半ば過ぎた同窓会で、東大に行って弁護士になった同級生が、もう一度聴きたいと言ってくれた時は、本当に嬉しかくてカラオケを喜んで歌った。

大学受験を失敗したときには、もっと勉強もまじめにやれば良かったと後悔もした。
父親にもバンド活動でまともに勉強しなかったからと、私ばかりかエレキギターを買ってくれた母親まで責められた。
しかし、考えてみれば強く関心のある学問は無かったし、男子校で彼女もいなかった自分としては、精神的に何とか高校生活をロックで持ちこたえていたようにも思える。
ミュージシャンになることを夢見ていたので、不本意な大学でも開き直れた。
ただ、大学では軽音部に入りながらも肌が合わずミュージシャンへの夢も失い、学問に関心が持てるようになって大学院に進むことになった。
研究者になるには博士に進学せねばならなかったので「良い修士論文」を書かねばならないという現実の重圧に、自分を見失って失敗してしまった。
その時にはロックもそれに代わるものはなかった。

研究者への夢も失い、高校教師になってからの自分を救ってくれたのはやはりロックだった。
同じ職員とバンドを組んだり生徒と一緒に演奏するなど、ロックを中心とした音楽活動を通した楽しみを見いだした。
研究者への未練が断ちきれず、教師を辞めたいと思い続けながらも、30年ほど教師を続けられたのはロックのお陰かもしれない。
結局、研究者への道も断念してしまったので、中途半端な生き方となってしまった。
でも、その中途半端な人間を活かしてくれたのがロックだったように思う。
また、母親は歌手になりたかったがなれなかったので、子どものバンド活動に理解をしてくれていたのだが、父親も老いてからはカラオケや民謡に凝りだした。
親兄弟、そしてその家族が集まってカラオケを中心とした歌でみんなが楽しめるようになった原点は兄弟が皆バンド活動をしていたお陰である。

私はロックに対してはそれだけの思い入れがある。
自民党の首相になった高市早苗さんも大学時代はロックバンドのドラマーをつとめたという。
ハードロックやメタルロックが今でも好きだそうだが、同じ世代として共感をおぼえる。
その人がロックに馴染まないことを政策に掲げているのを聞くと非常に悲しい。
アメリカでは独裁的なトランプ大統領に先頭になって批判を行っているロックのミュージシャンもいる。
きっと、高市さんも総理大臣になったらロック魂を復活させて豹変してくれるものと期待している。

0 件のコメント:

コメントを投稿