過疎地である私の村では、子どもが都会で暮らしていて殆ど戻ってこず、親が亡くなっても、お骨は49日までお寺に預けなくてはならない家もある。
夫婦で暮らしている間は良いのだが、特に男性は妻を亡くすと周りとの関わりも少なくなって孤立してしまう。
伴侶外に親しく関わることができない人は、いったい伴侶以外の誰と生きてきたのかと考えさせられてしまう。
子どもも近くに住んでいれば一緒に買い物に行ったり、食事をする機会もあるが、遠くに暮らしている子ども家族とは殆ど行き来が無い。
田舎の人間にとって子どもは共に生きていける相手ではなくなってしまっている。
特に大学まで進学させた自慢の子どもがそうであり、高卒の子どもの方が近くにいる場合が多い。
また、事情があって結婚できなかったり、結婚しても離婚してひとりになった子どもが一緒に住んでいる場合も少なからずある。
この場合は親は老後の不安は軽減されるが、その子どもが不安となる。
とにかく田舎では、大学まで進学したり、高卒でも大企業に入った場合は、親の傍や近くに住めるのはほんのわずかである。
大学に進学させて生活費を削って高い授業料や仕送りを工面した親には、孤独な老後しか待っていない。
ただ、子ども夫婦に子どもができて孫を連れて帰省する時までは、幸せと感じられる月日が何年か続くが、それも孫が小学校くらいまでだ。
子どもが帰省しなくなった夫婦は、仕事仲間や地域の人と仲良く暮らし行くしかない。
しかし、田舎も地縁関係が薄れてしまって、形だけの付き合いになりつつある。
そして、付き合いの下手な人は親戚がいても、家に引きこもってしまう場合も出てきている。
移動する狩猟採集民は、その移動について行けなくなると、老人はそのキャンプ地に残って死を待っていた。
現代に日本では年金があるので、しばらくは一人でも生きていける。
近代化された狩猟採集民は国から年金が支払われて、若者がたかりに来て逆に大切にされたりした。
日本の年金暮らしにたかりに来るのは、若い詐欺集団くらいだ。
さすがに田舎だから、孤独死のケースはまだ出ていないが、誰にも看取られずに亡くなるケースは増えている。
これはかつて移動型狩猟採集民や、姥捨、ないし出小屋に隠居した過去の貧しい地域の日本とあまり換わりが無い状態だと思う。
それは若い人がその老人の負担で生存が危ぶまれるという事情があった。
現代も家業を持たない家族にとって、田舎で若い人が暮らすことは永存に関わることと考えた方が良いのだろう。
だから、もう老後に子どもを当てにすることはなく、孤独死も覚悟の上で老後を生きていくしかあるまい。
これが、学校教育で子どもは高学歴となりながら、移動型狩猟採集民と同じ老後を強いられる現代日本人の実情なのだと思う。
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