ビル・S・ハンソン著 『匂いが命を決める―ヒト・昆虫・動植物を誘う嗅覚』 (2023 亜紀書房 2021 DIE NASE VORN Eine Reise in die Welt des Geruchssinns)は、匂いがいかに大切なものか教えてくれる。
著者は次のように訴える
間違いなく言えるのは、わたしたちの嗅覚はけっして取るに足らないものではないということだ。嗅覚は激しい感情を呼び覚まし、記憶を喚起し、病気の診断を助けさえする。匂いを嗅げるからこそ、人は人生や愛の生活を存分に楽しめる[前掲書:77]。
実は父が晩年にアルツハイマー型認知症になり、幻嗅に悩まされたり匂いを失ったりしてしまった。
そのことで父は人と会うことを嫌がったり、食事をすることの楽しみを失ってしまっていた。
誰でも風邪を引いたりすると、匂いを感じなくなった経験があると思うので、いかに食事には匂いが大切かを知っていると思う。
近年ではコロナウィリスに感染して発症して、後遺症として匂いを失ったままでいる人もいるという。
これは生活の楽しみを失うということで深刻な事態だと思う。
匂いは人の感情と深く関係していて、母子関係について次のように述べられている。
いくつかの研究が、赤ん坊は、母乳をあたえられているときに母親の匂いの特徴を学習し、やがてその匂いだけで母親を識別できるようになると結論づけている。母親もまた、自分の赤ん坊をその特別な匂いによって識別している。母親の匂いは赤ん坊にとって非常に大きな意味をもっており、その匂いだけでぐずっている赤ん坊をなだめることができ―そのときお腹が空いていれば乳を飲むよううながすことができる。[前掲書:77]
このことから授乳は免疫や栄養面だけの問題では無くて、母子の愛情を深める重要なことであることがわかる。
たとえ、母乳が出なくても肌と肌の触れ合いで匂いを確かめ合う必要があることが分かる。
以前に特別支援学校で重い自閉症の児童を担当した時に、その生育歴に関して母親が育児を拒んでいたことを思い出した。
これは母子関係だけで無く、父子関係にも重要であり、次のように書かれている。
この研究からわかったのは、一般に男性のほうが幼児と新生児をうまく識別する能力をもっているということだった。男性に、乳幼児の匂いを形容してほしいと言うと、彼らは「ほっとする」とか「落ち着く」、そして「甘い」匂いだと表現する。どれも肯定的な表現で、総じて匂いがもっていると考えられる心を鎮める効果を示す言葉だ[前掲書:57-58]。
私の知り合いに赤ん坊の匂いが好きだから、多くの子どもを奥さんに産んでもらったと言っていた人がいる。
そのことを聞いた時は変わった人だと思ったが、考えてみれば我が子を抱いて安らいだ気持ちになったのはその匂いにも大きな理由があったようだ。
それは次のことが理由だと思われる。
モネル化学感覚研究所のヨーアン・ルンドストレームによると、赤ん坊の頭の匂いは、母親の脳内に報酬回路を作り出す(子どもをもたない女性はその限りではない)。赤ん坊の頭の匂いは、空腹な人が美味しそうな料理を見たときに経験するのとよく似た生理的反応を引き起こす[前掲書:54]。
母親だけで無く匂いに敏感な父親にもそれがあてはまるようだ。
私が村落調査で通った奄美諸島与路島では「乳親(ティオヤ)」という習慣がかつてあった。
それは屋崎氏の報告(屋崎 一 2002 『与路島誌』 (自家版))に詳しく書かれており
授乳は、予め親戚や隣人等を頼んでおき、生まれたらすぐ駆けつけて来て乳を与え、母乳の出るまで続けた。これを乳親(ティオヤ)と称しその子が大きくなっても親子のように双方とも愛情が生まれ交流を深めていたという。[前掲書:345]
赤ん坊に与える母乳は母親から乳が出るまでの単に栄養だけの問題では無く、子どもの性格や将来にも関わるとしたようだ。
そして、実の親以外にも深い関わりをもち続けることは、現代社会で失われてしまった子育ての意味を考え直させられる。
おそらく、母乳をもらった子どもは、その時に感じた味と匂いを深く心の中に刻み続けているのだろうと思う。
そして、母乳を与えた人だけで無く、その赤ん坊と関わった人がその時の赤ん坊の匂いを同じように心に刻み続けているのだと思う。
私自身、自分の息子や娘を抱いていた時の記憶はその匂いとともに鮮明に憶えている。
赤ん坊の匂いが好きで子どもを多くもうけたのと同じように、祖父母が孫と接したいのは昔の感情を呼び戻したいからだと思う。
最近は子や孫の代わりに犬や猫を飼う人が増えたが、私は子犬の匂いが大好きでいつも子どもの頃は抱いて嗅いでいた。
特にお腹のあたりは、暖かくて良い匂いがした。
小型犬をずっと抱いている人は、ひょっとしたら同じ感覚なのかとも思う。
私の子どもの頃は自分の弟と親密に接することはあったが、よその赤ん坊と接する機会はなかったし、大人になっても我が子以外には殆ど無い。
その代わり子どもの頃は雑種の子犬や猫が捨てられていたりして街で接する機会も多かった。
また、ひよこが学校近くで売ったり、祭りで売るテキ屋がいて、それを買ってくることも多かったがそのひよこの匂いも好きだった。
時にツバメや雀の子も拾ってきたりしたのだが、これらの動物の子ども匂いをよく今でもよく憶えている。
動物の子どもには独特の匂いがあって、決して不快には思わない。
オオカミが人間の赤ん坊を食べずに育てたのも、ひょっとして生きものの赤ん坊が放つ独特な匂いのお陰かもしれない。
ただ、虫の幼虫はアゲハチョウなどのように臭くて触る気がしなかったのは、食べられるのを防ぐためだろう。
こう考えると作られた人工的な香りが満ちあふれて、同じ生きものの持つ大切な匂いが失われることは、全ての生き物の命を失うことに通じるのかもしれない。
自然の中でつながって生きていく感覚こそ匂いなのだと思う。
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