赤穂の実家には父が買った田んぼが2枚、畑が1枚かつては有った。
60年近く前ではまだ田植えは手で植えていて、父は本家の田植えの手伝いに行ったし、うちの田植えにも父の親兄弟などが手伝いに来てくれた。
はじめは稲刈りも手刈りをしていたが、バインダーが登場した後でも、脱穀作業には親戚が来て手伝ってくれていた。
それは田んぼでよく見られた風景で、田植えや稲刈りは賑やかなものだった。
今は機械が殆どやってくれるので、ひとりかふたりでやっているのが普通だ。
田んぼが賑やかになる風景はほとんど見られなくなった。
もう、親戚や労働仲間と協力し合って農作業をする機会が無くなってしまった。
ただ、上郡の村では草刈りや溝掃除を協力し合って頻繁に行っている。
草刈りに関しては便利な機械ができたので、いずれそちらにかわるように思われるし、用水路も配管施設に変わるだろう。
農作業以外でも、私の父は元船乗りで自分の100tほどの木造船を持っていて、その兄夫婦も同じような船を所有していた。
それで船の積み荷の上げ下ろしや船体の管理作業には兄弟同士で協力していたようだ。
その関係は父が船を辞めても続き、私は幼い頃にはその作業に連れられていっていた。
憶えているのは伝馬船に乗せられて、父が伯父の船体のペンキ塗りをするのをながめていたことだ。
また、父の弟が内職の仕事をし始めたので、私の母はそのその内職の仕事のとりまとめ役などをうちで行ったりしていた。
最近はそういう内職の仕事も機械化されて、家で内職をしている人はあまり見かけない。
とにかく便利な機械が無かった頃は、親戚や仲間で協力し合って手伝うのが当たり前で、仲良くするために盆正月や祭りは一緒に祝うことが当たり前だった。
それに対して家内の実家は街にあって、農作業をすることも無かった。
もともと、義母の家はミカン農家であったのだが、一時趣味で家庭菜園を夫婦で行ってはいたがあまり長く続かなかった。
それでも、義父は会社を早期退職後に、その義母の実家のミカンの収穫を手伝いに泊まりがけで行ったりもしていた。
農家ではなかった家内の義父の兄弟姉妹関係は希薄であったが、義母の方の兄弟姉妹関係は親しいものであったが、皆遠方に住んでいたので助け合うことは少なかったようだ。
みかんは稲作のように機械化は進まなかったようだが、稲作ほど協力し合って一度に済ませてしまう必要がなかった違いもあったようだ。
確かにまだ職場などでは協力してやらないといけないことが多く残ってはいる。
しかし、家族や親戚、近隣や友達と協力しあう関係が乏しくなってきたと感じる。
そのことで、その関係は希薄となり、それが結局職場の関係にも影響を及ぼしてきているようにも思える。
人間関係の希薄さを補うために、会社で運動会での催しを復活させる動きもあるようだ。
ただ、子育てや介護などの協力関係の基盤は家族・親戚や地域にある。
特に子育ては夫婦にとっても親戚においても協力し合える良い機会になる。
以前のように夫は子どものことを妻に任せきりも問題があったのに、今では学童保育に任せきる夫婦もいる時代になっている。
そして、子どもがいない夫婦が増えて、子育てを通しての協力関係が築けない場合も多い。
かつては、生業や子育て、介護と人間関係は一体化されていたのに、現代は分離されてしまったのだ。
これからは肉体労働だけで無く知的な作業もAIにとって換わられてしまうので、職場の協力関係ももっと希薄になってくるだろう。
人類は協力する力で進化してきたと言われている。
協力し合えなくなった現代日本人が人口を減らしているのは当然の結果と言えるのかもしれない。
沖縄の人口が増えているのはそういう協力し合える社会を維持しているからだと思っている。
その代わり、協力関係を大切にしている移民の人が新たなる日本人を形成してくれるだろう。
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