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2026年7月6日月曜日

やはり芋より米飯

 映画「ひまわり」の中で、ソフィアローレンが皮ごと茹でたジャガイモをむいて食べるシーンがあった。

そういう食べ方をしたことが無かったので新鮮に感じて、何度か自分も同じようにして食べてみたのだが、それが長く続くことが無い。

今年も比較的多くのジャガイモが家でとれたので、早速まるごと蒸かして食べてはみたが、やはり続かなかった。

大学時代に友達からアメリカに留学したときにホームステイして、毎日そういう丸ごとのジャガイモが出されてうんざりしたことは聞いていた。

子どもの頃からそういうジャガイモの食べ方をしていたら、日本人が米を毎日食べるように食べられるのかとも思う。

奄美などでも今のように米が行き渡る前は、サツマイモが主食だった。

20年ほど前に奄美の与路島に行った時に、民宿の年配のご主人が夕食時に米飯は食べずにサツマイモを食べているのをみて、その習慣がまだ活きていることを感じた。

私もサツマイモは蒸かしてよく食べるが、酒のつまみとか小腹が空いた時に食べるのであって、天ぷらなどのおかず以外に米飯代わりには食べない。


うちの母は戦時中にサツマイモやカボチャをよく食べさせられていたので、あまり好きでは無いと言っていた。

お米が無い時にはそれを食べるしか無いのだが、米飯の魅力を超えるものでは無い。

米飯の魅力に対抗でできるものは麺類やパン、豚まんくらいだろうと思う。

しかし、米飯なら三食食べられるが、それらを三食とも食べようとは思わない。

米価の高騰に対抗するために一日一膳として、米飯は朝食だけにしてきて、昼食は麺類が多く、夕食は晩酌をするのでなるべく豚まんなどで済ますようにしている。

世間も私のような米離れが進んできたようで、ようやく米価も下がり始めた。

しかし、これを単に喜んではいられない。

米農家は大規模以外では利益を上げるのが難しいのに、これから採算割れして離農していくだろう。

原因の多くは米農家にあるのでは無くて、政府とJA、米取引業者にあることは確かだろう。

しかし、日本の果樹農家が美味しさで力をつけたように、安全で美味しくしたブランド米を作る努力をしていない原因もあるだろう。

また、逆に徹底的にコスト削減によって安くした米を作る努力もあまりなされていないよう思う。

従来の機械を多用するやり方を変えるには、直播きなどの農法の転換や、共同したり委託しての大規模化が必要だろう。


その一方で、水田は地域の経済だけで無く、環境を担うものである。

近所でも水田ダムという幟を立てて、水田の持つ貯水力を訴えているところもあるが、気温の上昇を抑えたり、豊かな生物の生息地になっている。

近年では農業体験やボラッティアも増えてきたと思うが、米をお金代わりにして雇ったり、お礼にしても良いと思う。

農村地帯も自分たちが草刈りや溝掃除をしてできたお米を実際に食べることで、その奉仕作業の実感を得ることができるだろう。

歴史的に日本は貨幣から米に転換したことがある。

食糧の確保と環境保全から現物の米をもっと利用すべきだろう。

昔のように地域の石高のような数値で示すのも面白いかもしれない。

因みに東京都の生産高は約3000石で、消費高は530万石という計算になる。

江戸時代は全国総石高3000万石で江戸人口が100万人で幕府が天領に400万石持っていたのと現在を比較してみるのも面白い。




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