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2026年3月11日水曜日

太陽光発電へのくいの残る散歩道

 私が犬と毎日歩いている山裾の散歩道の傍には、太陽光発電パネルを設置するための杭が刺さったままの空き地が多く残っている。

昨年に、放置されていた山の裾野の廃屋を取り壊し草木を伐採し、きれいに整地してそこに杭を打ち込んでいた。

もともと、家の周りには畑を作っていたようだが、特に廃屋になると放置されて草木が生い茂る荒れ山になっていた。

要する里山の畑だったものを、太陽光発電として利用していこうとしたのである。

こういう里山だけで無く、急斜面にも太陽光パネルは設置され、見た目も悪く雨が降ると危険だとは思っていた。

ただ、元は宅地や畑の場所などは崩れる心配は少なくて、見た目だけの問題で済んでいたし、イノシシなどの出没の危険性も減ることになった。

ある意味では、これからはこういう風に、荒れ地を活用できる方が良いのかなと思っていたのだ。


ところが、1年経っても工事が進まない。

地元の人に聞いたら工事を行っていた業者が別の業者に売ったということだった。

どうも、政府の補助金の改正が原因らしい。

これからイラン情勢によって電力が不足する事態も考えられるのに、逆の方向に向かおうとしている。

今日(3/11)も羽鳥慎一のモーニングショーで再生エネルギーの電力のバックアップの問題を懸案事項としていた。

この問題は急速に低下している蓄電池のコストによって、解決できる方向に向かっているという*1[飯田2026:136]

こういう中間産地の村は太陽光発電を安全に設置できるところがいっぱいあるのだから、太陽光パネルと蓄電池をちゃんと設置すれば電気自給できるはずだ。


民間業者はどうしても利益を上げるための資金繰りが大変だろうから、自治体が水道事業と同じ感覚になって電力供給に取り組むべき時代になってきている。

羽鳥慎一のモーニングショーで玉川氏も指摘していたが、地震大国の日本は揺れや津波だけで無く、断層隆起の問題を抱えていて原子力発電は危険極まりない。

そして、災害で孤立した町や村には電気がすぐに必要だ。

戦争と災害に備えられない日本はまさしく平和ぼけと言うべきなのだろう。

くしくも、今日は東北大災害があった日だ。

ドイツが原発廃止を決めたのも福島原発事故からの教訓だという。

とうの日本人がこの事故を過小評価すること自体が、愚かであるし恥である。


*1 飯田哲也氏の『Ei革命―エネルギー知性学への進化と日本の針路』集英社インターナショナル(2026)[飯田2026]



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