はじめは少し右下奥歯の歯茎が痛む程度だったのが、痛みが増してきたので歯肉炎だろうとそれを抑える軟膏を買って塗っていた。
因みに、私は左下の奥歯は二本失って部分入れ歯を入れており、硬い物などはどうしても右の奥歯でかむ習慣がついていた。
軟膏を塗ったお陰でいくぶん効いたように思えたのだが、痛みは治まらなかった。
その軟膏以外にシュミテクトというそれ用の歯磨き粉を買って使ったら、一時的に痛みは治まったが痛みは以前よりも増してきた。
それは痛みが治まったので右奥歯を使って悪化させてしまったようだった。
とうとう我慢の限界が来て、友達の歯医者に電話したら1時間後に診てくれるというので、急いで支度をして出かけた。
どうも、原因は右下奥歯よりもその上の右上奥歯の詰め物にあったらしく、それを削ってくれて下の奥歯への負担を無くしてくれた。
要するに長い間のかみ合わせの悪さが原因となり、それで歯肉炎、歯周病を起こさせていたようだった。
歯医者から帰ってからも痛みは強いので、出してもらった痛みのみを飲んだ。
痛み止めの薬には炎症を抑えると書いてあったので、そんなに酷い痛みで無くても飲むように心がけた。
徐々に痛みは経験されていき、一週間後に歯医者に行った時には、取り除いていた上の奥歯の詰め物を作るための処置をしてくれた。
そして詰め物を入れてもらって改善した。
もっと早く歯医者に行っておくべきだったと、今は反省している。
この歯科医とは中学校からの同級生で、休日に一緒に遊んだこともある友達でもあった。
ただ、私と違って真面目でおとなしくて、私がロックバンド活動仲間と付き合うようになってからは、疎遠になっていた。
彼は私のように女の子と付き合うことも無く勉強に励んだので、優秀な成績でもって国立大学の歯学部に入って歯医者になった。
私が大学院を出て地元に戻ってきてから、歯はずっと彼に診てもらっていた。
歯科医は自分の育った地元で開業したが、住んでいるのは少し離れた都市部のマンションだった。
奥さんと二人暮らしで子どもはいなかった。
一緒に飲みに行こうと言ったりしたが、結局一度も行っていない。
また、彼はおとなしくてあまり交友関係が無かったので、同窓会には一度も来ずに誘っても嫌がった。
私は既に年金生活を送っていてあえてもっと金を稼ぐより、自由な時間を過ごしたいと思っている。
彼は開業医なので国民年金で、年金をあてにできないという。
貯金があるだろうと訊くと、遊興費で使ってしまって無いという。
彼の唯一の楽しみが京都の祇園などの高級料亭などで飲むことらしくて、泊まりがけで飲みに行くという。
以前は頻繁に行っていたが、今は回数が減ったという。
私には全く分からない世界に彼は生きていたことが分かった。
病気になっても滅多に休めない開業医にとっては、一番の生きがいでありモチベーションに高級料亭やクラブがなっていたということらしい。
特に歯科医は老人の治療が多いので、若い人との関わりを金を使ってでも持ちたいということもあるという。
私のようにひとりの部屋でひとりカラオケや弾き語りをするのと違い、若い人と楽しく歌う生きがいを持っている
彼はその家業があるので、そのモチベーションで倒れるまで仕事ができると言うことだ。
彼の生き方を知って、研究者になることにしがみつかなかった意味が分かったように思う。
もし、私が研究者になっていれば、大学や研究機関で長く勤められたし、執筆などで収入を得られたかもしれない。
それこそ、文系なので東大の医学部教授ほどではないにしろ、高級料亭などでのお付き合いができたかもしれない。
しかし、私は親が築いていた家庭を見本として、子育てや親戚づきあいを大切にする暮らしを求めた。
だから、生活の安定が見込まれる教育公務員になった。
ただ、自分の親の頃のように、親兄弟の家族が集まる盆正月の楽しみはもう無い。
仕事を続けるという意味では開業医の友達の方が、社会の役に立って立派だし充実した暮らしだと思う。
一方の私は現在社会役立つ仕事はしていないけれど、仕事に縛られず無理のない愉快な生活が送れている。
私が研究者になることへの拘りを持ちながらも、しがみつかなかったことは決して間違っていたとは思っていない。
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