私の父は、私がロックバンド活動にのめり込んで、受験勉強をまともにしなくて失敗したと、バンド活動をずっと否定し続けた。
その父も、子どもが独立して家から離れてからは、民謡やカラオケに母と熱心に取り組んでいて、ずっと叱られていた私には矛盾を感じるところもあった。
ただ、自分もそういう歳になって分かるのだが、子どもの手がかからなくなるとどうしても淋しくなるので、その気持ちを癒やすのに音楽が必要だ。
父は中等学校を無理矢理に父親から家業をやらせるために中退させられた。
それまでは卓球部に入って熱心に練習していたという。
だから、大学受験のための競争に晒される孤独を知らない。
私が中学3年からギターを始めて、バンド活動にのめり込んでいったのは、勉強をサボることよりも、それによって心の救いを求めていたのだと今は思える。
中高一貫の私立の男子校の生徒にとって、運動・文化クラブで励むか自由な音楽活動を楽しむかくらいしか勉強から気持ちを解放されることが無かった。
音楽はひとりで気持ちよく聴くことも多いが、ユニットやバンドのなどのように気の合った仲間と一緒に楽しむことができる。
私は親友と呼べる友達をそのバンド活動から得られたし、ステージなどを通して新しい友達を得ることもできた。
実は、当時でも既に上級生が在籍中に自殺しており、卒業後に自殺したり、精神疾患となったりした例をいくつか知っている。
現在の中学高校生に自殺が増えたのも、当時の自分たちの状況に似ているように思えてならない。
当時はまだ高卒でも良い就職があったし管理職へ昇進できていたので、無理して大学へ行く必要は無かったが、あえて受験中心の私学に入った。
今は、高卒で現業ならそれなりの良い仕事も有るが、管理職への昇進コースにはなかなか進めないので、無理して大学に入ろうとする生徒が多い。
私たちが学生の頃に比べて就職はしやすくなっていても、将来性のある企業に入ったり、個人としての能力を持つ必要が重要となっている。
だから、親は子どものことを考えて、受験勉強に勝ち抜くための支援を行ったり叱咤激励するのだと思う。
しかし、それは一方で子どもにとっては大きな負担となり、場合によって自殺に繋がってしまう。
私が何とかそういう環境でも、生き抜いて来られたのは、音楽があったからだと今は思えるようになっている。
そもそも、音楽は人間にとって古来から癒やしとして、治療にも用いられてきたのだ。
ただ、音楽で進学をしようとしたり、それを職業としようとするものにとっては、癒やしとはならないだろう。
当時はプロのミュージシャンになりたかったが、そのためのレッスンやトレーニングは私は行わなかった。
あくまで、自由なバンド活動の延長でプロになれれば良いと思っていた。
しかし、プロの世界はそんなに甘くは無く実現できなかったが、それはそれで楽しみを残すことができたので良かったと思う。
家内は幼い頃からピアノを習ってきたのに、今は殆ど弾こうともしない。
ピアノ発表会に向けての練習が、私たちの試験勉強とかわりが無かったのだろうと思う。
娘もそういう練習をしてきたので、今はピアノに触れようとしない。
音楽は楽しみながら聴いたり、演奏してこそ癒やしとして薬になる。
一緒にバンドを組んだある若いピアノマンは、ステージに立つとあまりにも緊張するので非常に精神的負担で、一度はドタキャンしたこともあると言っていた。
私もステージに立つ前は胃が痛くなるほど緊張するが、ステージに立つと楽しめるので、またステージに立ちたくなる。
これは癒やしでは無くて、ドーパミンという脳内麻薬の陶酔だろうと思う。
今は、そういうドーパミンを求める音楽では無くて、孤独を癒やすための演奏をしているだけだ。
今は一緒に演奏する仲間はいないが、これから積極的に作っていこうと思っている。
もし、学生・生徒の中で死にたくなるほど追い詰められている人の中には、音楽そのものやそれを通した仲間によって救われる人もいると思う。
ぜひ、試してほしいと思う。
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