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2026年7月16日木曜日

債務強制労働と債務返済労働、徴兵制

 私は長年奄美諸島の家人(ヤンチュ)の問題に取り組んでいる。

今その論文発表に向けての執筆中なのだが、これがなかなか進まない。

現在のところ、ヤンチュは債務奴隷ではなくて、債務強制労働というところで論を進めている。

  ウォーラーステイン,Iは債務強制労働を次のように述べている。

  [「債務強制労働」のような]換金作物栽培のための強制労働に従う労働者とそれに近い形態の者は、雇用主の管理の及ばない土地で、食糧用作物のかたちで自らの「賃金」の一部を生産しており、雇用主にすれば、この分の労働コストを削減することができたのである。したがって、労働の再生産コストは、奴隷労働の方が、[「債務強制労働」のような]換金作物栽培のための強制労働より高かったのである[I.ウォーラーステイン2013(2011):.197]*1


そもそも、江戸時代で遊郭に身売りして売春をしていた遊女が債務奴隷でなく、身売りしたけれど村で普通に暮らしていた家人が債務奴隷というのでは釣り合いがとれない。

詳しくは将来発表する論文で読んでもらいたいのだが、考えてみれば我々は債務を抱えてその返済のために懸命に働いてきた。

住宅ローンはれっきとした債務だし、他に大きなローンは車があり、少額な買い物でも普通にカードローンを使ってきた。

本来はしっかりと貯金をしてローンをせずに支払えば利子もかからなくて良いのだが、住宅が建てられる金額まで待っていたらその子どもは自立するまで借家暮らしになる。

就職してすぐに自家用車がいるのに、学生にはそれだけの現金は支払えない。

ローンを債務と表現したら重く感じるのでローンと軽く流しているのだろう。

しかし、現実には高い金利のローンに手を出して、自己破産してしまう場合もある。

また、ヤミ金に手を出したら、それこそ奴隷並みの扱いを受けることになる。


また、強制労働という点でいけば、兵役がまさにそれにあたる。

戦前の日本や現在の韓国のように徴兵制度があるところは強制労働に等しい。

何が根本的に違うかは、「名誉」である。

これは奴隷研究の大家オルランド・パターソン が『世界の奴隷制の歴史』 (

2001(1982)明石書店)の中で述べている。

つまり、奴隷には名誉がないが、兵士には名誉がある。

しかし、扱われ方は大差なく、むしろ兵士の方が死の危険性が高い。

現代ででは徴兵制のないところでは、高額な金銭目当てであったり、刑務所から出してもらうために兵士になっている。

そして、刑務所での懲役(現代日本では拘禁刑での刑務作業)は奄美の家人よりも不自由な生活を強いられることになる。

しかし、懲役(拘禁)囚には奴隷という言葉は使われない。

そして、シベリア抑留で有名なに近代における強制収容所での労働は奴隷以下と称される。

ほとんど死なせるための労働に近いからだ。


奄美の家人を債務奴隷とあたかもアメリカでの黒人奴隷を連想させる用語で、過去の悲惨な存在として歴史家の中には描く人が少なからずいた。

そして、発展した現代とは違う過去の歴史として現在の社会状況と類似することを隠蔽してきた。

しかし、現実の今の日本の社会はその延長上にある。

奇しくもデヴィッド・グレーバーは『ブルシット・ジョブ―クソどうでもいい仕事の理論』(2020年 岩波書店)や『負債論―貨幣と暴力の5000年』(2016年 以文社) で述べている

「今も昔も、賃労働と奴隷制のあいだには興味深い類似性がある」ことを

だからもし、家人を債務奴隷というのならローンを抱えた我々も奴隷に似てることを述べるべきだ。

しかし、家人も我々も負債を抱えていても、普通の人と同じように祭りに参加できたし、負債を返したり対価を支払ってその立場を解消することもできた。

それがアメリカの黒人奴隷と根本的に違うことなので、私は奴隷という言葉は使わない。



*1 ウォーラーステイン,I 川北稔訳 2013(2011)『近代世界システムⅡ』 名古屋大学出版会 THE MODERN WORLD-SYSTEM II :   Mercantilism and the Consolidation of  the European World-Economy, 1600-1750 (New Edition) 2011 by The Regents of the University of California

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