私の大好きな曲に桑田佳祐の「東京」という2002年に発売された曲がある。
桑田の曲の中では珍しく、重くて演歌のような情感を表現してあって、私自身気分が落ち込んだときにひとりで歌ったりしている。
ただ、最近はニュースで東京の雨が続くと聞くたびに「東京は雨降り」という歌詞だけを軽く口ずさんでいる。
私は大学院時代に東京に住んだ経験があるが、雨に降られて困ったことは記憶にない。
どちらかというと、冬に雪が積もって困った経験をよく憶えている。
雨はどちらかというと、大学時代に暮らしていた名古屋での思い出の方が多い。
大学時代は付き合っていた恋人とのデートが絡んでいたので、憶えているのだと思う。
そういえば大学生当時流行っていた雅夢の曲の「愛はかげろう」の出だしは、「窓ガラス 流れ落ちていく雨を 細い指先でなぞってみる」であった。
このユニットは名古屋の大学生だったので身近に感じて、それと思いを重ねたりしたが、その時の恋人と別れたのは東京であった。
そして、雨の中で彼女を思い出していたのは、地元に戻ってからである。
桑田佳祐の「東京」に出会うまでは、雨の日には三好英史の「雨」や、カーペンターズの「雨の日と月曜は」をうろ憶えで口ずさんでいた。
雨はどうしても気持ちが落ち込み、別れた人への未練が湧き出てきたりする。
そんな雨の日でも温水プールへ行くと、大きな窓に激しく降っている雨を眺めたり、天井に窓があるプールでは雨粒を眺めながらゆったりと泳げる。
落ち込んだ気分と水の中の気分が合わさり、しかも単純な泳ぎの中で、昔の切ない記憶が甦ったりする。
「東京」の歌詞にある「そして悔やむのは 涙の河に捨てた恋」は、私にとっては横浜の恩田川にだった。
その情景はゴーグルにしみ込んできた水を涙と思いながら、泳ぎのストリームに身を任せた我が身に重ねている。
今年の東京はあまりにも雨が続きすぎたので、そういう感傷に浸っていては何も出来なかっただろう。
千葉県などの災害を見ていると、関東で警戒すべきは地震だけではないと思える。
東京の食糧を賄う大切な場所が被害に遭って、これから都民は食糧不足とそれに伴う物価高が、どんどん続いている物価高騰に追い打ちをかけるだろう。
こんな痛みを抱えながらも、東京の人口は増え続けている。
「都会の隅で 世の痛みに耐えて 咲き続けている」ひまわりのような人が多いのだろう。
私はようやく雨が上がって天気が続いたので、家の裏の畑のサツマイモを一筋掘り上げた。
このところのしっかりと降った雨のお陰で、大きく立派に育ってくれていた。
そんなサツマイモを手に取ると、虚しさなどは感じるはずもなく、蒸し上がった芋が口の中でとろけるのを思い浮かべてとても愉快だ。
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