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2026年8月31日月曜日

那岐山麓の魅力

 私たち夫婦の日曜ドライブは夏には必ず涼しさを求めて那岐(なぎ)山麓の麓から智頭に向かう国道53号線をよく通り抜けていた。

その境界の黒尾峠あたりの標高は652mもあり、真夏でもけっこう涼しかった。

また、そこまでにある馬桑ループ橋や峠をこして智頭町の那岐あたりの展望も素晴らしかった。

以前から那岐山麓の山の駅があることは知っていたが、既に三咲町の道の駅「菜々茶屋」で買い物をしていたりしていたので、わざわざ立ち寄ることはなかった。

ところが、先日の地元案内のテレビ番組で、この山の駅と那岐山麓の魅力が放映されて行ってみたいと思っていた。


いつものように自宅から千種川沿いの国道373号を北上して、上月の三叉路で姫新線沿いの

国道179号の山越えの道を西に向かう。

県境である万能峠を越えて岡山県作東町に入ると、田んぼの景色は黄金色に変わりつつあった。

そして、梶並川に合流してそれを上流に向かい、川沿いにある「道の駅彩々茶屋」があってそこでトイレ休憩と買い物を今回もした。

今はブドウのシーズンでそれを求めるお客さんがいっぱいいた。

この道の駅を出ると、しばらくは梶並川沿いの道を北上するのだが、途中の三叉路で美作奈義線(県道51号)を使って奈義に向かう。

その県道は細い山道だが、既に稲は色づいて稲刈りをしていたり、刈ってしまっている田んぼもあって驚いた。

南国の早場米はよく知られているが、こういう山奥の田んぼでも早生米が作られているようだ。

しばらくすると那岐山麓の裾野が広がってきて、広大な田園風景に出会う。


那岐山麓は中国山地が長い間の風雪によって侵食された後で、固い花崗岩が浸食されずに残った残丘という地形だという。

標高1255mの那岐山は、神話の伊邪那岐命(イザナギノミコト)・伊邪那美命(イザナミノミコト)の降臨伝説が残る、中国山地神聖名峰といういことだ

奈義町の観光案内には名所や歴史・伝承が紹介されていて面白いが、信仰の場所という意識は当初なかった。

しかし、那岐山麓 山の駅でそこから見渡せる風景を見た時にその理由がよく分かった。

その素晴らしい景色を見たら、心が洗われるように感じる



レストランが開く11時より30分ほど早く着いてしまったので、レストランの前にあるテーブル付きベンチに腰掛けて待った。

そこのベンチにはバイクなどのツアー客もいて、楽しそうにおしゃべりをしていた。

私はじっとして待つのも嫌なので、少し下にあった公園から山に入る谷にいくと、そこには細い橋が架けてあって、そこを少し渡るとその高さに足がすくんだ。

橋を渡る勇気が無かったのでレストランに戻って、時間が来るのをベンチで待った。

しばらくすると案内があって中に入ったがまだ11時までには時間が少し有ったけど注文だけ訊いてくれた。


レストランのメニューはネットであるような特別なものではなくて、ハンバーグやソーセージ、カレー、そしてステーキなど、どこでもある洋風のものだった。

普段はあまり食べないが、二人はソーセージのランチを頼んだ。

このあたりはソバも採れるのでソバが食べたかったのだが、メニューには無くて残念だった。

味としては悪くないし、デザートの小さなケーキも美味しかったが、また食べに来たいとは思えなかった。

それよりも、涼しくなったらベンチや公園で弁当を広げて食べたいと思った。

いつも立ち寄る「道の駅彩々茶屋」には鯖寿司や、ちらし寿司など美味しい手作りの弁当が売ってあってたまに買って、風景を見ながら車中やベンチで食べたりする。

加西のフラワーセンターでは途中のJA直売の旬菜蔵で弁当を買ったのをいつも持って行って食べているが、ここでもそうしようと思った。

この施設は食事や買い物をするには物足りないが、景色を見ながらゆっくりと過ごしたり、良い季節になったら山に登っても良いと思う。

観光地としては人気はなさそうだし、自衛隊の演習所もあって興ざめのところもあるが、雄大な山を望んだり、広大な景色を眺めると気が晴れると思った。

今までは道の駅や農産物の直売所の賑やかなところで過ごすことが多かったが、夏には涼しくゆっくりと過ごせる場所を発見できた。


今回は和気のスーパーで買い物をする予定が合ったので、三咲町に引き返して川沿いに和気まで行った。

本来は国道53号線で智頭まで行って、しばらく下道を通った後で鳥取道に上がって、途中西粟倉の道の駅などに寄って帰ることが多い。

このルートはもっと探せば面白いところも発見できそうである。

今は暑いので散策するのは辛いが、涼しくなったら是非やってみたいと思う。






2026年8月30日日曜日

世界温暖化大戦による犠牲者

 世界で熱中症の死者がどれくらいなのか調べた

熱中症死者、世界で年55万人 90年代から6割増加―国際研究

(2025年10月https://www.jiji.com/jc/article=2025102900299&g=int)

という記事があった。
今年はヨーロッパだけで約1万9千人が犠牲になっているというから、55万人で済まないかもしれない。
ウクライナ戦争でもロシア軍は4年半で最大53万人の死者というから、たった一年でその数を上回っていることになる。
ただ、熱中症を病気と捉えたら年間1000万人を超える癌には遙かに及ばない。
しかし、癌は生活習慣などを改善をしたり、治療に力を入れれば生存率も高くなる。
熱中症を逃れるにはエアコンしかないが、それはまた温暖化を進めて犠牲者を増やすことになる。

そして、今回のネパールの大水害は氷床の崩落が温暖化によるものと推定されているが、その死者は1000人を超え行方不明者をいれると1万人を超えるとされている
地震や津波などは人間がどうやっても防ぎようにないものだが、人間の活動によって引き起こされていて、対策として可能なものなのだ。
しかも、トランプ率いるアメリカはパリ協定からも離脱して温暖化を加速させている。
アメリカは堂々と温暖化戦争を戦っているのだが、日本なども暮らしを豊かにするという名目で同じように温暖化戦争に暗黙で参戦している。
殺戮兵器で戦った世界大戦も自国民の幸福を思って戦争を行ったのと決定的な違いはない。
救いようがないのは、同じように一般市民を犠牲にしながら、殺戮意識を持たないと言うことだ。
今回のように石油などの化石燃料の恩恵をそれほど得ていない人々が犠牲になることも悲劇である。

我々はウクライナ戦争やイラン戦争を憂慮する前に、この自国の温暖化戦争を終わらせることにもっと力を注ぐべきなのだと思う。
殺戮兵器でしていた世界大戦当時も、戦いたくないと思っても戦わざるを得なかったように、現代の生活では化石燃料なしではまともな文明生活はできない。
通常の戦争は降伏や停戦で終わらせることが出来るが、温暖化戦争はそれさえできない。
考えてみれば核兵器による戦争の如く、人類滅亡の可能性を秘めた戦争なのに、その危機感があまりにも少ないということだ。
そして核兵器と石油増産で人類の生殺与奪の権をアメリカが握って横暴に振る舞っていることに目をつぶっているのが現状だろう。
その安保条約の同盟関係で従属国としての日本は、一緒に戦うつもりでいるのだから同罪と思うしかないのかもしれない。

2026年8月29日土曜日

鳥取因幡路2026年夏~きらりの海鮮丼etc~

 毎週日曜は相変わらず家内とドライブして昼食をとっている。

ふたりとも平日にでも行けるようになったのだから、平日に行った方が空いているし、平日のみの安いメニューもある

だけど、結局日曜にじっと家に居ること自体が面白くないので、ドライブに出かけてしまう。

今回は朝に岡山の蒜山を特集した「小さな旅」を観たので、蒜山に行こうと思った。

毎年夏には避暑をかねて蒜山にそばを食べに行くのだが、今回は鳥取道を使って楽に行こうと思ったのだ。

ところが、鳥取道に上がるまでの国道373で初心者の車がいて速く進めなかったし、鳥取道でも車が多くて時間がかかった。

休憩と思っていた道の駅西いなば気楽里に着くころにはら11時になっていたので、そこで昼食を済ますことにしてしまった。


この道の駅はだいぶ以前から利用していたのだが、昼食メニューがイマイチのところがあった。

いつも利用している「きなんせ岩美」にある海陽亭の海鮮丼を食べてきたので少々不満気味であった。

ただし、岩美のほうは値段が上がったのに、内容が乏しくなってきたので最近は行かなくなっていた

新しくできた「道の駅ほうじょう」には6月頃に雨の中に寄ってみたが、利用者がいっぱいすぎて、食堂には入れず弁当を買って食べなくてはならなかった

今回も寄ってみようと思ってはいたのだが、「気楽里」の食堂が時間的に空いていたので収まってしまった。

あまり内容は期待していなかったのだが、メニューが大きく変わっていて、海鮮丼が岩美より安くて美味しそうだった。

そこで家内と一緒に1700円の海鮮丼を注文することにした。


テーブルが多くて、お客さんが多いので注文してから時間が多くかかった。

ウエイターやウエイトレスは若い人が多くて、女性は研修のアジア系の外国人であった

しばらくして持ってきてくれた海鮮丼は、かにの甲羅にワサビとかに味噌を載せて、かにの小さな爪も添えてくれていた。

海陽亭でも以前はそうしてくれていたのだが、最近はついていなかったので二人で喜んだ。

海陽亭では地元で朝に獲れた海産物という触れ込みだけ合って、確かに新鮮で独特の種類の魚介類で美味しいのだが値段が1000円ほど高い。

普段は回転寿司で満足している夫婦にとって、オーソドックスな刺身ののる「気楽里」食堂の海鮮丼で充分なのである。

それでも、地元の白いかの醤油漬けはついていた。

家内と「美味しいね」と言いつつ私は先に平らげてしまった。

いつもは海鮮丼を残すことがない家内も、ここの海鮮丼はご飯の量が多かったらしく、少し残したので私が手伝った。


道の駅の売店にも立ち寄ったが、岩美の道の駅のように魚は本格的ではないが、以前よりは品数が増えている。

野菜にしても土産物にしても、やはり見劣りすることは否めない。

ただ、店内で軽く食べられるものが売ってあって、自由に座れるテーブルの用意されてあるので、小規模なフードコートのようになっているの利用しやすいと思う。

入り口には足湯もあるし、駐車場の北側には子供が遊べるビニールプールも用意してくれている。

子供を連れた家族連れにはゆっくりと過ごせる道の駅になっているように思えた。

ただ、私ら老夫婦がゆっくり過ごすには物足りなさを感じた。


当初の計画では蒜山まで行く予定だったが、道の駅西いなば気楽里から下道を引っ返して帰ることにした。

自動車道からの景色は面白みがないのだが、国道9号線の下道は海岸沿いにあって景色は抜群だ。

前回来た時は海が荒れていて、サーファーがいっぱい海で楽しんでいた。

今回はそれほどの波がないし熱いので、サーファーは殆ど見かけなかった。

そして、たまに釣りをする人や、海水浴をする人などを白兎海岸で見かけたが、あまり人はいなかった。

酷暑では海岸に出る気がしなくて当たり前のように思えた。


来る時に入道雲が見えていたのだが、家内は日本海の上の雲だと言ったが、実は日本海には雲がかかっていない。

とすると、智頭あたりで曇っていたのが、ちょうど入道雲の真下だったことになる。

必ずしも入道雲の真下では雨が降っているとは限らないなと家内と話した。

そして、海岸線からいつものように29号線の山道に向かう。

目指すは若桜の道の駅である。

今回は珍しく若桜鉄道の列車と並行して走ることになって楽しむことが出来た。

道の駅若桜では毎回大山乳業の牛乳モナカを一つ買って、二人で食べている。

一つずつ買わないのは値段が高いのと、家内には量が少し多いからだ。

地元のスーパーにも置いてあるしそちらの方が安いのだが、ドライブの途中で食べるのが美味しい。

しかも、家内の好きな小豆入りは地元では売っていない。

今までは車の中でドライブしながら食べていたが、店の縁台で食べ始めて、前回からは暑いのでエアコンのついたベンチのある観光案内室で食べている。


若桜からいよいよ山越えで、急な坂道となるし、ラジオやネットも使えなくなる。

途中にある新戸倉トンネルでは、気温が下がって24℃にもなり、下界とは10度近く違う。

窓を開けて冷気を入れたりするが、トンネルを抜けると徐々に暑くなっていく。

音水湖は前回来た時はカヌーマラソンのイベントで賑やかだったが、今回はかなり水位が落ちてささやかにSUPで楽しんでいる人がいるだけだ。

そのうち雨が降ってきて、やはり入道雲が峠の山の上にあったことが証明された。

久しぶりの雨で喜んだが、波賀町の町に入ってくる頃は止んできて、やがて山崎付近では晴れ渡っていた。

峠の山沿いでは雨がそこそこ降っているようで、農作物も生き生きとしていたが、やがて平地になると干からびているのも目についた。

上郡の家に帰ってきたのは夕方の4時前で、高い太陽の灼熱の現実の前に急いで家のエアコンで涼まねばならなかった。


今回のドライブは安くて美味しい海鮮丼と日本海、そして峠の久々の涼しい風と雨であった。

泊まりがけで遠くまで行くことがない二人にとっては、良い気晴らしドライブになった。

今の乗っているシエンタはこういう道では20km/L位なので、300kmほど走ってもガソリン15Lで2500円程度である。

これを電車とバスを使えば二人で優に1万円は超えるだろう。

少々高い昼食をしてリッチな気分にさせてくれる一日旅である。


2026年8月27日木曜日

トランプ米大統領が仕掛ける温暖化戦争

 現在、酷暑の原因は地球の温暖化であるのだが、テレビの天気ニュースでは高気圧や熱帯からの高温多湿の空気の流入としか表現されない。

起こっている酷暑の現象を温暖化の原因と絡めて報道するのは手間だからだ。

そして、対策としてエアコンを使いましょうと言うことになるのだが、日本では家庭由来のCO2排出の第4位で総量の15%を占めている。

この電力の発電方法は日本では火力が約65%を占めているので、この発電によるCO2の排出の割合が高い。

温暖化の責任を負いたくないとエアコンを切ってしまえば熱中症で死に至ってしまう。

だから、温暖化を加速させるエアコンを使うことは、火に油を注いでいるのと同じだが、その場を生き残るための方策である。

つまり、我々は車中泊でエンジンをかけてエアコンをかけ続けている震災の被災者と程度の差こそあれ同じなのである。

自分でガソリンをつぎ足したり、マフラーから排ガスが出るのを見ないで済んでいるだけなのだ。


世界的にCO2排出量を見てみると、1位中国、2位アメリカ、3位インド、4位ロシア、5位日本となっている。

この5カ国の中で一人あたりのCO2排出量の1位はアメリカ、2位日本、3位中国、4位インド、5位ロシアということになり、日本人は一人の出すCO2は中国人よりも多い。

温暖化と関連が考えられる自然災害では、中国がやはり一番深刻で中国全土で最高気温50度を観測するなどの猛暑や、豪雨・洪水・干ばつの大きな被害を受けている。

アメリカは山火事も温暖化と関連は考えられるが、大洪水に見舞われたり、大寒波に見舞われたりしている。

温暖化と寒波の関連は北極の気温上昇が偏西風に影響を与えることから起こるとされている。

日本は西日本は水不足だし、東日本は台風などによる洪水の被害が出ている。

米・中・日とも明らかに温暖化によって自然災害が起こっていることが分かっておりながら、それを根本的に対処できていないのが現状だ。


アメリカのトランプはパリ協定から離脱し、産業優先で石油を掘って掘って掘りまくれといっている。

確かにアメリカでも自然災害は生じているのだが、それに対する対処の方法が違うという*1。

アメリカはハリケーンが来たり、山火事が起こると非常事態宣言を出して避難する、危険な地域には強制避難命令が出されて州兵が配置されるという。

これは日本の戦時中の強制疎開を徹底したようなもので、日本では考えられないことだ。

日本ではどちらかというとできる限り自分の家を守ろうとして家に残り、強制的に避難させられることは、よほどのことがないとない。

私が村落調査で通っていた奄美は猛烈な台風の常襲地帯だが、わら屋根の頃は台風には家を木材などを使って補強して備えた。

島だから逃げようがないということもあるが、本土は現在では高速道路などを使えば逃げようと思えば逃げられるが逃げない。

日本では自衛隊や警察は災害救助が中心で、強制退去のためには動いていない。

アメリカのまるで戦時下のような動きとは対照的であることが分かる。


アメリカは自然災害も戦争と同じように対処すると考えれば、温暖化で生じる自然災害という戦争を戦い抜く覚悟があるとも考えられる。

自国の被害よりも他国の被害が大きければ、アメリカの世界支配は続けられる。

自国も被害が出しているので、責任を追及されれば自分たちも被害者で、温暖化とは無関係とうそぶける。

今回の日本の米騒動も温暖化と関係していると思われるが、それによってアメリカからの米の輸入は増えて、それが突破口となってこれからも増えそうだ。

何よりも高温化した海に囲まれている影響で、日本は他の国よりも温暖化は速く進んでいることもあり、台風や豪雨の被害で苦しんでいる。

アメリカとライバルともなっていて、EV化を推進しているヨーロッパは熱波で多大の被害が生じたし、大河が干上がって発電にも影響している。

そして、何よりも中国は大洪水などの被害で苦しんでいるし、得意のEVの弱点が洪水や寒波で露呈した。

いくら中国が、自国のために巨大な太陽光発電施設を作っても、温暖化に国境は無い。

温暖化はロシアにとっては有利なのだが、実際にウクライナとの戦争をしていて経済封鎖をしているのでそれほど警戒する必要はない。

とすれば、アメリカでは自国の被害があっても、ライバルとなる国よりも対処できていて有利だとトランプ大統領が考えても不思議ではない。

われわれはそういうトランプ大統領が率いるアメリカと戦っているのだと思うべきなのだろう。

日本一国だけではアメリカと戦えないので、パリ協定に入っている国が連携し合って戦うべきだろう。

我々自身もアメリカとの温暖化戦争の渦中にいることを自覚しなくてはならないと思う。

これからは温暖化によって被害を受けている発展途上国からの賠償だけでは済まないだろう

干ばつや洪水で行き場を失った難民で溢れかえるおそれが出てきた


*1 日米で全く異なる防災・避難行動 https://www.us-lighthouse.com/life/point-of-view-america-japan/disaster-prevention-in-japan.html





2026年8月25日火曜日

自業自得の自民党を勝たせてきたJA・米農家

 私が上郡の村に転居してきた時に、印象的だったのは米農家の倉庫などには必ず自民党や総理大臣のポスターが貼られていることだった。

近所の米農家はまだ退職前で、土木会社に勤めていて兼業農家だったが、政治とは無関係に見えてもしっかりとポスターを貼っていた。

また、国政選挙などでは自民党応援のはがきがそこから来たりしていた。

自民党を支えてきたのはJAや医師会などの圧力団体であることはよく知られている。

このごろ、米の問題や食糧自給率の問題を農学者が指摘するが、そもそも農家は政権側の自民党と共にあったのであって、それでそのような結果になったのは政権側の失策である。

あたかも、米農家が被害者であるかのように言うのは誤魔化しである。


自民党を勝たせてきたことの、教育現場への影響は大きい。

以前は野党と組んだ組合を中心として教師が守られていたのだが、それの弱体化を図ったのは自民党の政権側であり、それで教育現場が荒廃してしまった。

あまりにも酷いので廃止されたが、教師の免許更新制が大きな転機だったと思う。

それを単に教師の質の低下とか家庭の指導力低下とするのはお門違いである。

自民党が新自由主義の路線を堅持し、非正規雇用を多くだし、組合員の組織率を低下させ、労働環境を悪くし、実質賃金が下がっていった。

そういう政策をとる自民党をしっかりと支えてきたのが米農家と言えるのである。

アメリカが米の輸入に関しては大目に見てきたのは、アメリカの傀儡政権の自民党を支えているのは米農家であることも知っていたからだと思う。

その米農家がJAとともに自滅していく事の危機感を煽るより、その原因となった自民党とJA、米農家との癒着をちゃんと検証すべきである。


米農家は当然、今のままでは先行きがやばいと知っていたから、自分の子供には米農家を継がせなかった。

親の世代までは何とか自民党と仲良くして協力してきて、生活が成り立っていたけれど、気候変動やグローバル化で先が見通せなくなったからだ。

今回の令和の米騒動で、あたかも米農家が被害者として国民から同情されれば、政府はしっかりと備蓄米の買い戻しによる救済策を講じるだろう。

農学者やマスコミが食糧の危機を煽ってくれれば、米農家を助ける大義が立つ。

ネットでは政府が無料で米券を配れば良いということが共感されたりしているので、それに便乗するかもしれない。

それでは同じ事の繰り返しになるし、米離れをした消費者を呼び戻すには思い切った価格設定も必要だ。

消費者は政府、JA,米農家の癒着を断ち切る形で動くべきで、できれば直接米農家と関係を、直接購入ないし生協などを通して持った方が良いと思う。

戦後のように着物を持って農家を訪ね歩かねばならなくなる前に、自分たちの将来を生活を守る気持ちを持つべきだと思う。

一方、米農家と水田を支える村民は、自民党ではなくて市民と共に生きていく覚悟を持って、食糧を確保する道を選ぶべきだと思う。


家内の従兄弟はミカン農家であるが、JAとは関わりを絶ったそうである。

父親もミカン農家でJAとの関わりは強かったようで、地域の農家の組織の役員までしていた。

しかし、その父親は肝臓を患い若干60歳で亡くなってしまった。

おそらく、農薬を多用してきた影響があったのだろうと思われる。

近隣の太子町のハウストマトの農家でそういう被害を聞いたことがあるからだ。

彼は家内の父母の葬式にわざわざ広島から相生まで軽トラに乗って来てくれていた。

その時に話を聞いたりしていたが、軽トラで高速道路を走るのは慣れていると言うので驚いた。

彼はJAを通してミカンを出荷していなくて、直売所に持って行って買ってもらっているという。

米の輸入自由化は阻止しながら、オレンジの輸入自由化は阻止しなかったJAに不信感が募っていたのも原因があるように思える。

彼はそのために遠くまで軽トラで出かけなければならなかった。

彼の息子も農業を志して農業高校に入ったが、ミカン農家は継がずに実習先で知り合ったタマネギ農家を継ぎそうだと言っていた。

彼自身温州ミカンだけに拘らずレモンの栽培などに新しく挑戦してきたが、やはりタマネギの方が底堅いと思い、敢えてミカン農家継承に拘ってないようだった。

米農家以外の農家はJAだけに頼らず、何とか活路を自力で開拓している人もいる。

米農家もそれを見習うべきだと思うし、消費者もそういう農家を応援しなくてはいけないと思う。

一方で考え方を大転換して、この機会に米の輸入自由化を認め、その代わり補助金を認めさせて、他の国際競争力をもった農産物のように変革するのも手である。


2026年8月24日月曜日

ヒト本来の分割睡眠

 睡眠に関しては個人的にも色々悩むところがあって、完全退職する前は睡眠時間を確保するために医師から睡眠導入剤を処方してもらったりしていた。

というのも、今でもそうなのだが夜中に寝酒を飲む習慣が出来てしまっている。

自分自身糖尿病なのに夜中に飲食をしてしまっている。

酒に関しては芋焼酎をレモンなどの柑橘類を入れて炭酸で割って飲んでいる。

水泳や農作業で身体を動かしているのに、夕方の晩酌時につまみとおかずだけでご米飯を食べないせいもある。

そして夕食後そのまま寝てしまい、夜の九時前後に起きて机に向かって本を読んだりネットを観たり、ブログを書いたりしている。

そして、夜中の11時に切り上げて飲食してうとうとしながら過ごしてから、風呂に入って夜中の2時前後に床について眠ることが多い。

起きる時間は冬と夏とで大差なく、朝の5時前後に目が覚めてしまい、冬は机に向かい、夏は散歩と農作業に出かける。

その日によって睡眠時間は違うが、夜には合計6時間ほどしかとれていない。

ただし、机に向かっていて眠くなったら軽く10分ほど仮眠したり、昼食後も15分程度眠ってしまい、仮眠の合計は30分くらいになると思う。


睡眠導入剤は糖尿病の数値が悪い時に寝酒をしないのが主な目的で、現在は悪くないので眠剤は飲まずに寝酒をしている。

働いている時は昼間の仕事に応えると思うので、眠剤を飲んでいたこともある。

世の中に流布する必要な睡眠時間が8時間とか7時間という以外にも、睡眠ゴールデンタイム午後10時から明け方の3時までという拘りもあった。

若い頃は子供を寝かしつけているうちに自分も眠ってしまって朝だったと言うことが多かった。

また、朝の10時くらいまで寝坊したり、逆に徹夜も平気でできていた。

それが徐々にそういう睡眠に変わっていたのだった。

こういう途切れ途切れの睡眠に不安を感じていたのでネットで調べてみたら、次の記事が目にとまった。


人類はかつて「睡眠を1晩2回」に分けていた、その習慣が消えた理由とは?」『ナゾロジー』

この記事はhttps://www.sciencealert.com/humans-used-to-sleep-twice-every-night-heres-why-it-vanishedを参考にして書かれたもので、原文も同じような内容である。


要するに我々が当たり前だと思っている現代の睡眠は産業革命以降に身についてきたもので、それまでは分割睡眠が当たり前だったということだ。

一回眠りについて、夜中に目が覚めて1から2時間ほど起きていて、また眠りにつくという睡眠である。

現代のように電灯や時計などがなかった時代は、夕食は暗くなる前に済まして、暗くなると寝てしまっていた。

朝も明るくなって起きてくるので、夏と冬とでは床についている時間が違うのが当たり前だった。

明かりがないからと言って夜は単に眠るためのものではなく、若者は夜遊びで出かけたし、夫婦にとっては大切な営みの時間でもあった。

夜の明るさが違ってくる月齢を昔の人は非常に意識していたのもそのせいである。

狩猟採集の時代からつい最近の農耕中心の時代まで、分割睡眠が当たり前であったことは不思議ではない。

むしろ、現代は未開人を除いて、労働のために睡眠を管理されてしまったと言った方が良いのだろう。

人類学者はそういう分割睡眠のことはあまり民族誌に書き残していないのは、夜の過ごし方は聞きづらかったこともあるかもしれない。

また、睡眠はあまりにも個人的に柔軟に季節や出来事で変化して、決まったスタイルがなかったので一般化して著せなかったかもしれない。

そもそも、活動をともにする昼間と違って夜の過ごし方は個人の自由で、決まり事などなかったからだと思える。

この睡眠時間の事からも分かるように、現代の医学などは現代のライフスタイルの枠の中で研究されたもので、ヒト本来の心身のあり方とは別物である。

そして、医学的に推奨されることと違うと不安を感じてしまい、時に薬やサプリに頼ってしまう。

その方が病院や薬局、製薬会社には都合が良いのかもしれないが、われわれ庶民にとっては余計な心配と出費となってしまう。

労働管理されている時は仕方ないところもあるが、退職して自由を得たらヒト本来の睡眠方法に戻っても悪くはない。

ただ、昔と違って電灯もあるし、テレビなどの娯楽もあるし、日常的に酒も飲める。

むしろ睡眠そのものより、それとの付き合い方に気をつけるべきなのだろうと思っている。

と書きつつ、非常に後ろめたい気持ちになってしまう・・・・・


2026年8月23日日曜日

仕事優先が生むDV(家庭内暴力)

 私は大学院時代(1984年)に家庭教師派遣センターからの紹介で高校浪人をしている生徒A君の指導を任された。

そのA君の実家は大阪にあったが、中学時代に不良グループと問題行動を多く起こして、高校にも入れなかった。

その父親は年齢が高く単身赴任で東京に来ていた。

母親は不良グループから引き離す意味も込めて、単身赴任をしている夫を頼って子供と一緒に上京してきていた。

私が家庭教師として選ばれたのはおそらく見た目ががっしりしていたし、剣道も少しかじっていたことも有ると思う。

A君は確かに見た目はいわゆるヤンキーぽかったが、話をすると非常に明るくて素直な感じだった。


ところがある日、家を訪れるとふすまがズタズタに破けている。

どうしたのかと尋ねたら、どうも父親と一戦やって暴れた後らしい。

本人は父親に暴力を振るうつもりは無かったが、もみあいになって引き倒して馬乗りになってしまったという。

そしたら、父親が驚いて息を詰まらせてしまったという。

A君はそんな父親を観て却って動揺したようだが、母親から「死んだらどうする」と酷く叱られたのが不満でもあったようだ。

手を先に出してきたのは父親のほうだったからだ。

おそらく父親は自分の力を過信していたのと、まさか抵抗するとは思っていなかったのだろう。

父親は妻子のために働いて尽くしてきたつもりでも、家庭より企業を優先してきたことは確かであった。


実は私は父親には何度も殴られたことがあったが、元船乗りで職工をしていた父に一度もやり返そうとは思わなかった。

私は幼い頃から父親とは色んな場面での関わりが非常に深かったこともその理由だと思う。

ところが弟は父親と取っ組み合いの互角の喧嘩をしたことがある。

父も年齢のせいで弟を圧倒できる体力と気迫が欠けていたのだと思うが、弟とは私に比べて父親との関わりが少なかった。

それは子供が増えるし、生長するのでて仕事優先の生活になっていたからだ。

A君の父親は息子に手を出せるくらいの親密な信頼関係ができていなかったのだと思う。

私はA君とは高校入試前まで付き合って、勉強以外にも一緒に釣りをしたり、受験勉強合宿として父親の会社の伊豆の温泉保養施設で過ごしたりした。

A君は私には反抗的な態度をとることもなく、色々と話をしてくれたが、大人に対する反抗心は持ち続けていた。

それでも大阪に戻って私立高校を受けて合格したと手紙をもらって安心した。


こういう未成年の子供が親に行うDVは、子供が大人になるにつれて行われなくなるだろうが、男女間のDVは大人になってから生じるようだ。

教師をしていると卒業生が恋人からDVで苦しんでいる話も聞くこともあったが、こればっかりは救いようがなかった。

恋人関係は関わり方が一面的で、互いにわかり合うには時間が少なすぎるからだと思う。

そして、一番聞くに堪えないDVは子供が老いた父親に対するものである。

最近聞いた話として、離れて暮らしている50歳代の一人息子が80歳をこえる一人暮らしの父親に対して行っているDVだった。

息子はたまに実家に帰ってくるのだが、父親をこき使って、腹が立つと顔などを殴っているという。

その父親は現在入院しているのだが、退院後には自宅では一人で暮らすのは無理なので施設などに入ることを検討しているが、その息子が反対しているという。

息子にとって父親はDVをして鬱憤晴らしをする相手であるようだ。

そういう状態を近くに居る親戚が知っていても、なかなか対処できないのが現実だ。

その息子は高学歴で非常勤ながら研究職についている。

一人っ子として甘やかされて育ったのかもしれないが、本当に大切なことを学んできていない人格破綻者としか言い様がない。

ただ、彼自身も人格を形成する上で、大切な家庭や地域、学校との関わりに問題を抱えさせられていたのかもしれない。


私が家庭教師をしたA君の場合は父親が当時単身赴任だったが、それ以前も船舶関係の仕事をしていたので留守がちであったという。

A君とのしっかりとした親子関係が築かれなかった可能性が高い。

高齢の父親にDVを行う息子は大学に入ってからは家で両親と関わる機会が少なかったようだ。

どちらかというと母親からは溺愛されていたようにも思えたが、その母親が昨年亡くなったのも原因となっているのかもしれない。

母親が亡くなったことの責任を父親に負わせていることも考えられる。

親の介護に関しては、遠くに離れて暮らしてきた子供にとっては、他人とかわらない感覚ではないかと思えたりする。

大人になってからも血縁関係の希薄さはDVや介護放棄に結びつく可能性を感じる。

それは特に地方にとって仕事優先しなくては生活が困難な状況が根本原因である。


最近は父親だけで無く、母親も勤めに出て子供と接する機会が乏しくなっている。

学童に勤めている家内から学童に預けられっぱなしの子供の話をよく聞かされる。

一般的にDVが原因で学童にきている児童もいるようだが、暴力をふるわなかっても、育児から逃げている親はDVに準ずるように思える。

いじめにも暴力行為と無視行為あるように、育児逃避は無視行為に近いと思われる。

親子関係だけで無く祖父母や親戚との関係が希薄に育った人は、自分の父母や祖父母の年齢の人に対しての詐欺行為に罪意識は感じないかもしれない。

日本人はみんながそろって貧しくなってきていると言われている。

家で農林水産業や商業を行っていた時代は貧しくても、親子や祖父母、親戚と助け合いながら生きていけた。

今は、学童やゲームに任せて働かなければならない時代になってしまっている。

「親はなくとも子は育つ」のは血縁地縁がしっかりした時代ならばこそである。

失った地縁血縁に代わるのが学童やクラブになっているのなら、その充実を国が責任をもって政策として果たすべきだと思う。


2026年8月21日金曜日

大成成就に欠かせない真の図太さ

朝(8/8)にスマホでNHKAMラジオの「マイあさ」を聴きながら犬の散歩をしていると、 “図太さ”を手に/伊達公子(テニスプレーヤー) の話が耳に入った。

そう言えば自分が大学院の修士時代に何が欠けていたかと言って、図太さであったと思い知らされた。

スポーツマンにしろ研究者にしろ「真の図太さ」がなければ一流には慣れないのだろうと思う。

私は大学院のひとりの教官から「君は修士だけのつもりでとったのだ」と言われても、「見返してやる」と修士論文に必死で取り組む図太さはあるにはあった。

しかし、教官の見立ては当たっていたのだろう、大した論文に仕上げることはできなかったのでやむなく去らざるを得なかった。

本当に研究を続けたかったなのなら、もう一年の残れたし、指導教官や先輩からそう勧められたのだから、図太く残って良い論文に仕上げ直せば良かったのだ。

要するに底の浅い図太さでは逆境になった時に、逃げたり潰れてしまうのだろう。

真の奥の深い図太さであったなら、最後まで挑み続けて、場合によっては見返すこともできた。


伊達さんはセルビアのジョコビッチ選手が戦時下でも干上がったプールで練習していたことを例に挙げていた。

ただ、ジョコビッチ選手は幼い頃から世界レベルのテニス選手から天才と褒められていたそうなので、真の実力と自信がその図太さを支えていたのだろう。

小学校の時には「神童」と言われたこともあったが、中学校で私立の淳心学院に入ると、本当の天才が同級生や先輩にいて自信を失っていった。

本当の天才の先輩は大した努力などせずに、遊びながら簡単に東大に合格していた。

なら、努力することをするべきだったのだが、私は好きなことを徹底的できるが、好きでもないことを我慢して行う能力に欠けていた。

せっかく文化人類学という好きな学問に出会えて徹底的に研究しようとしていたのだから、図太く続けていくべきだった。

結局、能力があるかどうかも大きいが、やりたいことに拘り続ける図太さが重要なのだと思う。


本来は努力をし続ける根気強さが一番大切なのだとは思う。

ただ、そういう真面目で根気強い人は自分の身体の健康を顧みずに努力し続けるので、命に関わる病気や難病を持っている人も多い。

それほど好きでもない仕事などをやらざるをえないとストレスが貯まって、自分を自分で壊してしまうことになる。

私が教師をしていて大病を患ったのも、その追い込まれた仕事によるストレスからであった。

今は、その持病とも付き合いながら、図太く生きようと心がけているが、もう一流にはなれそうにない。

本当は大学院の時に図太く研究を続けていればと悔やみだけが残り続けている・・・・・



2026年8月20日木曜日

「食の戦争」のゲリラ戦農法には充電式農具

一般には家庭菜園と言われる農作業や自然農法は大型農業機械を用いることはない。

アメリカ型の大規模粗放農業ではトラクター、コンバイン、農薬散布用のリモコンヘリやドローンの以外にも、穀物の乾燥、脱穀、貯蔵など機械や施設が必要だ。

それを用いない農法は、いわばアメリカとの「食の戦争」*1でのゲリラ戦の農業で、金銭的にも時間的にもあまり負担せずに参加できるゲリラ戦農法と言うべきかもしれない。

本来なら従来の手作業の農具を使うべきだろうが、トレーニングの一環としてできる若いうちはともかく、歳を重ねるとそれはかなり難しくなる。

 私はもう3ヶ月以上前に右の肘から手首までにある腕橈骨筋を痛めてずっとその痛みから逃れられないでいる。

原因は米糠と粉砕した竹を使った肥料を箱プラで作っている時に、無理な力でこね続けて炎症を起こしたからである。

この筋肉は農作業をする時などや、重い物を持ち運んだりする時によく使うので、だんだんと酷くなって医者に診てもらって痛み止め注射などを打ってもらった。

痛み止めの薬を飲んだり、痛み止めの塗り薬や貼り薬を施しても、痛みは消えること無く現在も続いている。

このところ夏草対策で草を削るホーをよく使う関係で、腕だけでなく、腰まで痛み始めた。

そこで身体力の限界を感じて、充電式の小型耕運機(カルチベータ)をネット通販で買うことにした。


しっかりと耕すための管理機は持っているのだが、ちょっとした畝の草を削り取るには大きくて小回りがきかず不便であった。

その管理機はガソリンエンジンで動くものであったが、自然農法的な栽培を始めてから殆ど使わなくなっていた。

最近収穫以外で農作業で使っていたのはスコップや備中鍬、ホー、ノコギリ鎌が中心で補助的に充電式草刈り機を使っていた。

一番身体的に負担があるのは実はホーで、この時期のヒメシバは根の張りが非常に強くて広く伸びている。

地面に張り付いていて、作物の根元にあるヒメシバは充電式草刈り機では刈りづらかった。

そこで小回りのきく小型充電耕運機を使うことにしたのだ。

この小型充電耕運機はネットで購入して組み立てたのだが、部品のネジが足らなくて連絡したが、盆休みも重なってなかなか送ってこない。

しかたないので自分で100円ショップで合いそうなネジを買ってつけたら、問題なく使うことができた。


私は充電式の農機具として草刈り機を持っていたが、マキタの充電池は高額だが優れているので今はマキタの充電池が使える器具を主に買っている。

今回の小型充電耕運機もマキタの充電池に対応していたので買ったのだが、18V、6.0Aの充電池で非常に強力で持続ある作業をしてくれた。

農作業だけで無く、家の周りや畦の草木を刈るのには、充電式のチェーンソー、ノコギリ、バリカンなどを用いてきた。

太さが4cm程の枝などを切るには剪定バサミのほうが効率が良いのだが、今までは手作業で行っていた。

これも今回からマキタ充電池対応の充電剪定バサミをやはり通販で購入した。

充電式のバリカンと剪定バサミを使えば、作業効率も上がって、身体的な負担も少なくて難なく作業をこなすことができた。


まだ、充電式よりエンジン式でないと難しい作業があるので、エンジン式の機械も持っている。

荒れ地や村作業ではエンジン式の背負い式草刈り機でないと、充電式では時間が持たない。

ただ、最近は40Vの充電式草刈り機もマキタから出たので、今後はそれを購入して使う手もある。

同じく広い面積の草刈りにはエンジン式の小型自走草刈り機を用いている。

これを用いたら時間的に3分の一以下になるし、身体的に楽である。

そしてどうしても欠かせないのがエンジン式の水ポンプである。

充電式の物も出ているが、やはり性能的にはかなり劣ってしまう。

電動式のポンプも持っているが、リール式電気コードの負担が大きくて畑では使えない。

エンジン式の農業機械もいずれ優れた充電式にかわっていくと思う。


今後の見通しとして太陽光発電を利用して家庭用のポータブルの蓄電池を購入すれば自前の電力を活用することができる。

肥料としては無料で手に入る米糠以外に、刈草、落ち葉を用いた堆肥も作っていくつもりである。

落ち葉の回収はこれからは充電ブロワーを用いれば楽になるだろう。

米糠と粉砕した草竹木を混ぜ合わせるのには充電耕運機が最適だ。

私の父は農具に金をかけると採算が合わないと行って、機械などは全く買わなかった。

確かにこれだけ農機具に投資するくらいなら農産物はよほど買った方が安くつく。

しかし、私は農作業を金儲けとしてしているつもりはない。

自分や家族の健康を守るためでもあるが、「食の戦争」のゲリラ百姓として闘っているつもりだ。

金の事だけ考えるなら、アルバイトをした方がよほど楽である。

それでは、せっかく完全退職したのに、結局金銭で使われ続けることになる。

農作業は唯一金銭で使われずに、暮らしに役立つ食料を得ることができる仕事である。


*1 『食の戦争―米国の罠に落ちる日本』  鈴木宣弘 2013 文藝春秋









2026年8月18日火曜日

水田は「食の戦争」の生命線

 このところ米離れが進んだりして、在庫の米がだぶつき始めて、新米が出始める前に値を下げて売り出し始めた。

JAも農家からの買い取り価格を提示しなかったり、去年よりも安くしてしまったので、大規模農家でも採算割れを起こして廃業を考えたりしている。

現在、私は近所の農家から玄米を30kg12000円で分けてもらっている。

先日量販店でコシヒカリが税込み5kg2500円で販売されており、30kgに換算すると15000円となり差があまりないので驚いた。

もし、白米が2000円以下になると、糠分を考えれば買っている玄米より安くなってしまうのだ。

近所の農家はJAの買い取り価格を参考にして価格を決めているので、もし、買い取り価格が下がれば安くしてくれるだろう。

しかし、このところ肥料や燃料費のの値上がりなどでコストが上がっているので、赤字になってしまう可能性がある。

農業機械の維持費を考えれば、廃業を考えなくてはならなくなってしまうかもしれない。


私は昨年度の米騒動の時には米依存からの脱皮を唱えた。

それは農家とJA、政府の癒着による米価格の消費者への負担増からである。

しかし、農家はJAや政府から突き放されてしまったら、個人経営では立ち行かなくなってしまう。

そもそも、大規模機械化農家以外は、農村の住民の農道管理、水管理に依存している。

水田は農村地帯のダムであり、環境保存と災害対策にとって重要な役割も果たしている。

水田が荒廃して、荒れ地になったり、太陽光発電所になったら、その役割を果たせなくなってしまう。

規模の拡大でアメリカ並みに米価を下げることなど不可能だ。

アメリカの食糧戦略は環境破壊の上で成り立っているのであり、アメリカとの「食の戦争」*1には「ゲリラ戦」で持ちこたえるしかない。

そもそも、そのアメリカも地下水の使い過ぎで枯渇が心配されているし、このところ干ばつでダムや川の水量が減り、取水制限が計画されている地域もある。

アメリカの粗放農業が崩壊するまで、農村の「ゲリラ部隊」を維持して何とか水田を維持し続ける方が食糧戦略的に有利だと思う。

この「ゲリラ戦」を戦い抜くために、農家を支援して水田を国民全体で維持できる政策が必要不可欠だろう。


問題はアメリカが米に対して国からの補助金を禁止しているのだが、米そのものに補助金を出さずに、水田の維持管理や裏作の麦等に補助金を出せば良いと思う。

江戸時代は米は年貢や祭事用として農家はそれほど普段は食べておらず、麦などの雑穀やら芋を中心とした食事だった。

つまり、農家の暮らしは米では無く、裏作や畑地からの得られる農産物によって支えられていた。

米で採算が採れないとなれば、裏作の作物でそれを補えるような補助金を政府が支給すれば良いと思う。

米用の農業機械は麦や雑穀に転用がしづらいそうなので、農業機械の購入に補助を与えるのも重要だろう。

また、高騰する輸入肥料や燃料対策としての、国内で賄えられるように本格的な事業も行っていく必要があるだろう。

今は山は林業だけになってしまっているが、かつては燃料だけで無く肥料や飼料を得る場所であったし、焼き畑で食糧をえる重要な場所だった。

山をもう一度肥料や飼料を得る場所として見直すゲリラ戦法をすべきだろう。


もう既に、食糧危機が始まっている。

日本では水田を守らなければ国民の命を守れない。

水田で作られる米は、品種改良で温暖化にも対応できる優れものである。

水田のダムのお陰で気温の上昇もいくぶん抑えられる。

そして、アメリカとの「食の戦争」で全滅しないためには、水田を死守せねばならないと思う。

私は米依存脱皮から、水田活用のための米活用に転じたいと思う。


*1 『食の戦争―米国の罠に落ちる日本』  鈴木宣弘 2013 文藝春秋




2026年8月17日月曜日

現代は中世にも勝る近代戦乱時代

少し日は経つがニチレイがサイバー攻撃を受けて全国の食品サプライチェーンが混乱に陥った。

サイバー攻撃の目的は業務妨害と恐喝だが、今回犯行声明を出したのはロシア系のハッカー集団だった。

海外のハッカー集団からの攻撃で日本の企業は多くの被害を出していてこの5年間でその損失は115億円という。 

一方、企業だけでなく民間人に対しての特殊詐欺が横行しており、警察を装った特殊詐欺も横行しており、被害額も億を超えるものまでになっている。

この特殊詐欺の被害額は桁外れで、2026年の上半期で約1816億円を超えるというから驚きである。


国家間の破壊殺傷戦争は兵器によって相手を屈服させて賠償金を得たり、植民地を得たりして勝利した国家が敗北した国家を支配することが目的だった。

プーチンやトランプの戦争も旧来の破壊殺傷戦争を行って泥沼に陥っているのだ。

しかし、最先端の世界戦争は旧来の破壊殺傷兵器による戦争に留まらない。

そもそも金融や為替を使って国家の財政を破綻させたり、弱体化させてしまう時代なのだ。

金融や為替を使っての国家間の支配や駆け引きがずっと続いている。

また、日本人は大企業や国家間の金融やサイバーによる世界戦争しかて意識していない。

しかし、特殊詐欺もネットをうまく利用した組織的な略奪戦争で、中世の倭寇のように日本に留まらず国際的でもある。

違うのは、武器を用いて殺傷したり拉致しないということだけれど、それよりも巧妙に個人の暮らしの中に侵入して金銭などを略奪することだ。

また、匿流などは詐欺行為以外にも強盗殺人にまで攻撃が及んでいる。

これだけ被害が広がっているのに、警察は詐欺にむしろ利用されているのだから内乱状態に陥っていると言われても仕方ない。

我々は決して平和な時代に生きていると勘違いしてはいけないのだ。

こういう時代の背景は行きすぎた資本主義による極端な格差社会が、内乱の原因だということも知っておかねばならないと思う。


八月は日本では破壊殺傷戦争に関する平和教育キャンペーンがマスコミなどを中心に行われる。

NHKラジオでは識者が戦争被害だけで無く加害のこともしっかりと伝えるべきだと述べていたが、全くその通りだと思う。

この平和教育も負けて被害を受けた戦争は否定しているが、戊辰戦争、日清戦争、日露戦争のように勝利した側の立場に立てるものは否定していない。

そして、何より破壊殺傷戦争は確かに今の日本では行われていないが、破壊殺傷を伴わない世界戦争には巻き込まれているし、殺傷を伴う特殊詐欺や匿流の内乱状態だと認識すべきだ。

破壊殺傷を伴うアジア太平洋戦争中でも、対外的に侵略攻撃をしている時は国内では平穏で、侵略攻撃され始めて国内は悲惨な状態になった。

現在はハッカー攻撃などされている様子が破壊殺傷戦争のように映像化されないし、匿流に殺傷されるのがどちらかというと富裕層なので身近に感じづらい。

破壊殺傷戦争を経験して戦争反対を唱えている高齢者も特殊詐欺のターゲットにもなっていることは確かだろう。


しかし、一番深刻な戦争は人や国家、企業などへの攻撃では無く、自然への攻撃である。

地球環境は破壊されて気候が破綻して、結果的に酷暑という反撃に遭って多数の死者をこの夏に生じた。

かつて、日本の中世の戦国時代も戦乱などで自然が破壊されて、それを江戸時代になって回復させた歴史をもつ。

今我々の生きる近代戦乱時代はかつて殺戮も酷かったが、現代でも地球規模の自然破壊で生物全体で生存の危機が迫っている。

日本人は平和ぼけなのではなくて、現状認識不足だけなのだと思う。

こんな危機的な状態でも、破壊殺傷戦争ができる国家に戻そうとしているのだから、救いようがないだろう。











2026年8月16日日曜日

若き少年兵士戦死者の親の悲しみ

 先日夜に、テレビを何気なく見ていたら戦死した特攻隊員の妹さんのことが特集されていた。

強く訴えたかったのは戦死した哀しみだけで無く、その攻撃で戦死したアメリカ軍兵士に対する侘びる気持ちであった。

戦争は死を覚悟した殺し合いと言ってしまえばおしまいなのだが、兵士の家族の哀しみは割り切れるものではない。

今回の番組で特に心に残ったのは、母親が息子を少年兵として送り出した後悔であった。

お兄さんが少年兵として予科練に入隊するのに父親は強く反対したが母親は賛成してくれたので入ることができた。

ところが、特攻隊員となって戦死してしまった後は、母親は食事がまともにとれないくらい心が傷ついてしまい、翌年亡くなってしまったということだった。

自分の息子が強く熱望したことに後押ししたことが、結果的に死に追いやってしまったことの母親として耐えがたい苦しみだったのだと思う。


それを思うと海軍に志願して若くして戦死した伯父のことが気にかかった。

それで、伯父の軍人墓に刻まれている墓碑銘を墓参りした時にスマホで写して文章を読んでみた。



「昭和十八年十八才ニテ海軍機関兵に志願ス 同年四月二十二日 大竹海兵團に入團 同年十月 山彦丸ニ乗船太平洋戦争ニ参加 昭和十九年一月十二日 本州南方方面ニ於テ戦死」

とあった。

大竹海兵団とは広島県大竹市にあったは主に新兵に基礎教育をする機関で、大竹海兵団に入団したのは、延べ約15万4千人といわれている。*1

そして山彦丸は太平洋戦争時に日本海軍の特設工作艦となりました。南方へ伸びて多くの損傷艦船の応急修理にあたりましたが、1944年1月に米潜水艦の攻撃により八丈島沖で沈没しました(AI Overview)

山彦丸は昭和十九年一月二日に小笠原付近で機関室に被雷し、航行不能で八丈島まで曳航されたが、一月十三日に後半部が沈没し十四日に完全に沈没している*2。

伯父の戦死は十二日となっているので、最初の魚雷攻撃で亡くなったことになる。

その時伯父の母親は36歳、父親は43歳だった。


伯父が海軍に志願した理由については「家業より軍隊を選び戦死した伯父と祖父」で私にとって祖父である父親への反発であることは書いた。

伯父が戦死した当時は私の父は十三歳だったので、どれだけ伯父と深い話ができていたか分からない。

私は当時の戦意高揚の風潮から伯父の海軍への憧れもあったように思う。

十六才から父親と稼業であった運搬船に乗って仕事をしていたが、当時の船は機帆船で小さなもので石材を運んでいた。

父親との厳しくて地味な仕事よりも名誉と誇りが持てる海軍に入隊したかったようにも思える。

伯父が任務についた山彦丸は総トン数が6、800t程の損傷艦船の修理を担っていたが、艦砲や機関銃も装備されていた。

父親と一緒に100tにも満たない機帆船で働くのとは雲泥の差の勤務で、使命感と誇りを感じていただろうと思う。


戦死した伯父のことは盆や正月に親戚が集まっても語られることは無かったので、どんな思いで任務に当たっていたかを知ることはできなかった。

私も祖父母には伯父のことをあえて聞くことは無かった。

ただ、伯父が戦死した当時はまだ六才だった五男の叔父が、長男である戦死した伯父を非常に慕っていたことは叔父本人から聞いていた。

そして、その五男の叔父は自分の長男に戦死した伯父と同じ名前をつけた。

同じ名前をもらったいとこも叔父からそのことは聞かされていたと聞いていた。

だから戦死した伯父は甥っ子の名前として甦って、記憶され続けていることになる。

その点で言えば戦死した母方の祖父の名前を継いだ者はいなくて、孫の殆どは記憶していなかったと思う。


実は伯父が戦死してその石原家で初めて生まれ育った男子は私だった。

今考えれば祖母が私のことを非常に可愛がってくれたのがよく分かる。

祖母の口からは聞いたことは無かったが、戦死した息子を重ねてみていたのだろうと思う。

確かに同じ名前の孫もいたが、一番祖母と関わりが多かったのは私だった。

祖母は私が大学や大学院で金銭面で苦労していることを知っていて、ことあるごとに1万円を母に託してくれた。

そして、私の結婚式にも無理して出席してくれた。

祖母の葬式にはなんの恩返しもできなかったと、三十才過ぎの私は人目もはばからず泣いてしまった。


祖母はあまり感情を孫の前では表さなかったが、子供の戦死や事故死、病死などで3人も失っていた。

祖父は昔ながらの頑固一徹だったので祖母は苦労したこともあり、やはり母方の祖母と同じように信仰に救いを求めていた。

精神的に不安定な時期もあったようだが、晩年は多くの子や孫に囲まれて平穏な日々を過ごすことができた。

テレビで特集された特攻隊員の母親のように戦死の原因を負わなかったことも救いだったのだろうと思う。

一方で、祖父は子供から戦死の原因とされて辛かっただろうと思うが、最期まで泣き言や恨み言を言う人では無かった。

ただ、盆や正月で自分の子や孫と一緒に飲食をして楽しむことが無かったのも、伯父の戦死も原因の一つだったのかもしれない。

ただ、私には普通のおじいさんで、盆正月以外は飲食も一緒にして普通に話をしていた。




*1 大竹海兵団と海軍潜水学校の歩みhttps://www.city.otake.hiroshima.jp/soshiki/kyoikuiinkai/shogai/rekishibunkazai/1453512491368.html

*2 山彦丸の船歴  https://tokusetsukansen.jpn.org/J/03_TKS/330_002.htm

2026年8月15日土曜日

医師に任せてしまう危険性

 私はこのところ腎機能が低下して、eGFR(推定糸球体濾過量)が49ml/minとなっている。

これは軽度から中程度の腎機能低下で、慢性腎臓病のステージ3aということになってしまった。

一番の原因は農作業で右手の筋を痛めて整形外科に診てもらい、痛み止め注射を打ってもらって痛み止めの薬をもらって飲んだことだ。

その飲み薬はロキソニンだったのだが、それ以前から糖尿病で腎機能が低下していたのをさらに悪化させてしまったと、かかりつけの糖尿病の医師から告げられた。

あらためて毎年行う町ぐるみの健康診断の結果を見たら、去年よりも6mlも下がっていてかなり副作用が出たことが分かった。

整形外科の医師は私の糖尿病治療は知っていたのだが、腎機能の低下との関連を気にかけていなかったようだ。

当時の私はロキソニンが腎機能を低下させるという知識が無かったので、もらった薬が無くなると、家内が以前にもらっていたロキソニンまで飲んでいたのだ。


血液検査であまり数値が良くないけど分かりにくいのがeGFRで、他の検査の数値の多くは正常値の範囲を記載しているが、eGFRには記載されていなかった。

ただ、ネットで調べると蛋白尿で無ければそう心配は要らないと言うが、私の場合は糖尿病で少し高血圧なので十分注意する必要があったのだ。

ただ、ロキソニンなどの非ステロイド性消炎鎮痛薬(NSAIDs)による急性の低下は回復することが多いそうなので、それを期待するしかない。


今回このロキソニンの副作用をきっかけに、腎機能に悪い食生活についても調べてみた。

当然塩分は悪いのだが、それを排出するに役立つカリウム多くとるのも良くない。

塩分対策にと思って食べていたバナナやジャガイモなども取り過ぎると悪いことが分かった。

私には人工透析をしていたオジが二人もいて、一人はやむなく透析を打ち切った後で亡くなっている。

そのオジは若い頃から糖尿病で、晩年は片足を切断までしていた。

そういうオジを知っているからこそ、もっと腎臓には気を遣って知識を得ておくべきだった。

自己防衛のために、痛み止めの薬については医師に自分から腎機能があまり良くないと言うことも言えるべきだったのだ。

今回も痛みが取れないので、糖尿病の医師から腎機能に影響しない痛み止めを出してもらった。


私はこの程度で済んだのだが、家内はもっと深刻で、関節が痛むので整形外科を受診したら加齢だと言われて、ロキソニンを処方された。

そして、色々病院を回って結局分かったのはリューマチだった。

今のところ腎機能の低下は大丈夫なようだが、もし腎機能も問題だったら、重大なことになっていただろうと思う。

家内がかかった整形外科の医師にはリューマチと判断できる能力が無かったのだが、患者の家内も関節の痛みの症状から自分で調べておくべきだったのだ。

私は以前にも書いたように血尿が出て膀胱の病気を疑ったが、総合病院の泌尿器科の医者は多くの検査でも分からなかいとさじを投げた。

そして、自分で色々ネットで調べたら前立腺炎だと分かって、自分なりに対処したら治まった。

私は研究のために椅子に座る時間が非常に多かったのだが、それが前立腺炎の原因になることを知らなかったので、医師にデスクワークのことを強調して言えてなかった。


医師よりも確かな知識を持つことは並大抵なことではない。

ただ、私の同級生には医師が多いが、彼らはまじめで優秀であったとは思うが、万能ではなくそれなりに欠点も抱えていた。

私はそういう同級生を知っているので、医師を全面的に信用することはないが、自分の持病や症状に関して医師を上回る知識を得る努力が足りなかった。

それはある意味で調べることには勇気と覚悟をもって当たらねばならないので、症状を良いように解釈してしまったところもあった。

今はネットなどを使って色々と知識を得ることができる。

血液検査でも色々と数値がでているので、ちゃんと自分なりにどういう状態なのかを知っておく必要があった。

健康診断でも医師の問診はあるのだが、通り一辺倒で済ませられてしまう。

自分の身を守るのは自分でしか無く、医師は手助けをしてくれるだけだ。

また、多くの患者を診る効率を上げる必要のある医師は、問診に多くの時間をかけようとしない。

血尿で診てもらった総合病院の医師もそういうタイプだった。

そういう医師は高額の精密検査で解決しようとする。

我々患者もそれなりの知識を持っていなければ、見当違いの高額の医療費を負担せねばならなくなる。

知識は健康と金銭のための力なのだと思い知らされている。




2026年8月14日金曜日

耐暑・節電にどこでも空調服

 この殺人的な酷暑で家屋内では冷房は欠かせない。

我が家では時間によって、エアコンを三台同時に稼動していることがある。

恐ろしいのはこれから請求される電気代だが、命には替えられない。

このところエアコンをつけず、つけられずに死んでいく高齢者が後を絶たない。

また、我が家では冷房以外にも散水のための電動ポンプも長時間使用している。

そこでなるべくエアコンの設定温度を高くして、その代わりに屋内でも空調服を着ることにした。

実はペルチェベストも持ってはいるのだが、背中の一部だけが冷たく感じるだけで涼しくて快適というわけではない。

冷房の効いた部屋で空調服を着た時の快適さは、屋外で着る時の比では無い。

服の中だけで無く、吸い込まれた冷気が噴き出す首筋なども心地よい。

朝などの涼しい時はエアコンも扇風機もつけないで済ますことができる。


以前は買い物に出かける時も空調服を着ていたのだが、どうしても車のシートにファンが当たって邪魔になったので車内では脱いでいた。

今までディスカウントストアで安い空調服だけ何も考えず買っていたのだが、中には横付の穴が開いていて、そこにファンを付ければ邪魔にならないのもあった。

そこで、その横付ファンの空調服を着てデスクチェアーに座ることもできるようになった。

それでデスクワークをする時にも空調服が使えるので、屋内でも使うことにしたのだ。

そうすると、これまで暑かった二階のトイレでも、汗を流さずに用を済ますことができるようにもなった。

また、農作業の時みたいにインナーを特別素材にする必要がなく、普段着ている下着やTシャツなどで十分である。

最大の欠点はやはり音であり、話しかけられても聞こえづらくて、大きな声で聞き返すことが増えた。

だから、充電を節約することも込めて、なるべく弱風で使用している。


これからは買い物や通院などに出かける時も空調服を使うようにしている。

たまにそうしている人も見かけるのだが、やはりファッション的にあまり格好良くない。

また、病院などでは音が気になるし、病気の感染も気になる。

これからはファッショナブルで低回転の静音で済ませられる空調服やアンダーウェアーを手に入れようと思う。

現在農作業で用いる空著服は最新式の優れものだが、役に立たなくなった旧式の空調ファンセットは使わずにおいていた。

そこで旧式で風力や持続時間の少ないファンを、屋内用の空調服に取り付けて使用すれば充分活用できている。

持続時間は強風で使うから持続が短いのであり、弱風で使うとそこそこ保ってくれる。

また、ペルチェベスト用の容量の多くて重い充電池も空調服ファン用の変換ケーブルを買って、空調服でも使えるようにした。

今や一人扇風機ならぬ、どこでも空調服の時代になったようだ。

学校や病院でも使えるようにするにはファンの音をもっと静かにしてもらわねばならない。

そういう所ではペルチェベストの方が適しているようで、使う場所で工夫せねばならないことも確かだろう。

これまでのように服を脱いで薄着になって、肌を露出すれば涼しくなる時代は終わった。

アラブの人たちが頭から足先まで服で覆うのと同じ感覚で、これからは空調服などで身体を守らねばならない時代になったのだと思う。


2026年8月13日木曜日

ニートと学歴戦争社会

 現在、主中学校の不登校数は過去最多の35万人あまりだそうだ。

割合は39人に一人、中学校では約15人に一人となっているという。

不登校者に関する追跡調査は平成18年度(2006年)のものしかネットで確認できない。

文部科学省の追跡調査によると、中学校3年生で不登校だった生徒の5年後(20歳時点)の状況は以下のようになっている。(Google AI Overview)
正社員:8.8%  非正規就業:33.2% 就学(進学):約27~30% 
非就学・非就業(ニート等):18.1%
現在は高卒者の進学率が約85%だそうなので、かなり進学が少ないことが分かる。
ただ、正規社員は少ないけれど4割以上の人が仕事をしており、高卒者がニートになりやすいのと比べると悲観的には思えない。
むしろ、子どもが不登校になって、母親が離職せざるを得ない状況が深刻な問題になっているようだ。
家族に重い負担とはなっているが、ニートにならずに社会参加していることはそれほそ深刻な状況とは思えない。
むしろ、高卒以上の学歴者のニートが多いことの方が大きな問題だろう。

2020年のキャリアゲ「ニートの割合 | ニートと就職率の関係も徹底考察」によれば、ニートの最終学歴は次のようになる。
中卒:16.3% 高卒:29.1% 専門卒:18.2% 大卒:29.7%
高卒者の85%が進学することを考えれば、就職等が15%しかいない高卒者が非常に高い割合になっていることが分かる。
中学で不登校になった人は自分なりにあった勤め先を見つけ自分なりの働き方で働いているのだろうと推測できる。
それに対して、高卒者で就職する場合は家庭の事情で進学できなかった場合は不本意な就職と言える。
また、高卒は意外に大企業に入れるが、そこで大卒者との待遇の違いや賃金格差を目の当たりにして退職してしまう可能性もある。

私の身近なところで知っているニートは、高卒で大学受験に失敗して引きこもってしまった。
何度か勤めに出たのだが長く続かなかった。
中学校時代は野球部でキャッチャーとして活躍したスポーツマンだった。
成績が優秀だったので、高校は地元の公立進学校に入って良い大学を目指してクラブにも入らず勉強に励んでいた。
ところが現役では志望校に受からず、浪人して予備校に入って相部屋の下宿をしているときにトラブルとなり引きこもるようになった。
その人は結局死ぬまでニートで引きこもったまま一人で亡くなった。
彼は不遇な生い立ちであったが、中学から母子家庭になって家には成人の男性はいなかった。
親戚の叔父叔母には高卒どころか中卒が多くて、いとこにも大学進学者はまだいなくて、いわば親戚の中で大學を目指す初めての者となった。
だから、彼を理解しサポートやアドバイスができる者はいなかった。
むしろ、野球を辞めさせて受験勉強に打ち込むようにまわりは指導したようだが、それが却って彼を追い込んでしまったと思っている。
実は私は父方母方を通して初めての大学進学者だったので、彼の置かれた立場がよく分かる。
私は彼のように真面目でなくてまわりの言うことも聞かず、仲間とロックバンドで気晴らしをしていた。

学歴社会とは進学でそのグレードを競うまさしく受験戦争を土台に成り立っている。
そして、卒業後もその学歴に応じた仕事の上で競争させられるので、学歴戦争状態だとも言える。
大卒や院卒も大学のグレードによって将校になったり、下士官になったりする。
地方自治体の首長は将校と言えるだろうから、大学のグレードに拘るだろうし、もし卒業できていなかったら詐称してしまうのだろう。
受験戦争に勝利して大卒以上の将校になれなかった高卒は、本来は下士官として働くのであろう。
しかし、中卒があまりいないので兵卒なみに働かされたりもしている。
中卒の場合は兵卒であるが、戦争機械のおかげで臨時の軍属扱いとなっている。
受験戦争で傷ついた学徒がニートになってしまう場合もあるだろう。
また、大卒者が企業に就職できても、猛烈な仕事に戦い続けられなかったり、高卒並み仕事で自信や誇りをなくしてニートになってしまう場合もあるだろう。
今まではその学歴戦争社会は男性中心だったが、女性も加わって苛烈さを増してきている。
また生成AIの活用は高学歴者とてもニートになる危険性を孕んでいる。
ニートを生まない社会とは学歴不問の仕事で誇りとやる気を持ってできる社会だ。
かつての日本にはそういう仕事がいっぱいあった。
だから、そういう仕事をこれからもう一度作り出すのが最も大切なのだと思う。









2026年8月12日水曜日

獣(しし)との遭遇と護衛犬

 最近はうちの近辺では明るくなるのが遅くなって午前5時ではちょっと薄暗い。

朝の農作業にかかる前に犬(クロ)の散歩を済ませているのだが、近くの水田の農道を通り、山際まで行ってそこの農道を歩くのが日程となっている。

すこし以前に散歩で行こうとする先の農道を大きなイノシシがウロついているのを見かけていた。

その時は向こうがこちらを見つけ、一目散に民家の庭を突っ切って山のほうに逃げていっていた。

今回もクロと散歩をしていると一頭が山際の道をウロついているのを遠くから見かけていた。

そのうちこちらを見つけて逃げていくだろうと思って進んでいき、そのうちにイノシシを見失ったので、山に入ったと思い込んでいた。

ところが、イノシシはまだ山際の道に残っていて、私はそれを気がつかずに逃げていける道を塞いでしまった。

焦ったイノシシは山際に張られている鉄柵の下に張られていたトタンに体当たりを数度して、駄目だと分かると山とは反対の方向に逃げていった。


それと同時ぐらいに田んぼの稲が動いて道筋ができてこちらに向かってくる。

すぐ目の前に大きなイノシシが現れたが、こちらを見るなり引き返して、二本の電気柵の間を通って用水路のほうに逃げていった。

イノシシは一頭だけで無く二頭いたのだが、田んぼの中のイノシシは全く気がつかなかった。

ほんの数分の出来事で、もしイノシシに体当たりされていたら、大けがをしていたかもしれない。

ただ、連れている犬が中型の猟犬だったので、イノシシも逃げていってくれたのだと思う。

その翌日も同じような時間にクロと散歩をしたが、前日ようなことは起こらなかった。

おそらく懲りて来なくなったか、暗いうちに引き上げたのかもしれない。


明け方にイノシシに遭遇するのは、明るくなると電気柵の電気が切られるからだとも思う。

以前に薄暗い夕方のクロと散歩の折り、誤ってクロが電線に足をひっかけて感電して痛い思いをしたことがあって、それ以来クロは電気柵には自分から近寄らない。

イノシシも電気柵は恐いと思うだろうが、明るくなると電気を切られたり、線の隙間が見えるので平気で田んぼの中に入ってこられるのだろうと思う。

また、うり坊のように小さいイノシシは易々と電気柵の下をくぐって入ってきたりしている。

電気柵によってだいぶイノシシの被害は減ったといっても、万全とは言えないようだ。

ただ、同じ町内でも熊が目撃されており、これが熊となれば今回のようにはいかない。

熊スプレーなどを持って散歩する必要があるようにも思えてきた。

以前は用心のためにゴルフのパターを散歩には持ち歩いていたが、これからは必要かもしれない。


そういえば、この村に引っ越してきた当時には、夜は放し飼いにされる紀州犬がいて、それはそれで物騒だった。

しかし、考えようによれば、その紀州犬のお陰でイノシシの襲来はま逃れていたのではないかと思う。

古くは里犬とか村犬として、集落の中で放し飼いにされていて、誰の犬とも分からない犬がいたそうだ。

また、私が小学生の頃までは赤穂の尾崎には野良犬が多くいて、人には危害は加えなかったが、その後駆除されてしまった。

江戸時代などは犬をつないで飼うことが逆に禁止されたようなので、犬は町や村の一員としてそれなりの役割を果たしていたのだろう。

私は隣の部落(地区)の放し飼いの犬に追いかけられた経験がある。

それは飼い犬だったが放し飼いにされて、部落に入ってくるよそ者を見張っていたのように思える。

そう考えれば放し飼いの町犬や村犬は警備員の役割も果たしていたのかもしれない。

近くの村には猟犬を飼っている人がいるが、犬舎の中で吠えるばかりで、その近くで平気でイノシシや狐が走り回っている。

むしろ、散歩をしっかりしているクロの方が護衛として役に立ている。

以前にクロとの散歩のお陰でイノシシが来ないと感謝されたこともあったが、実はそのころクロは脱走して放浪していたので効果があったのだ。

これからはAIロボットを巡回させたり、同行させて熊やイノシシなどの警備に当たらせる必要があるかもしれない。


2026年8月11日火曜日

核兵器は抑止力という欺瞞

 このところ広島・長崎の原爆に関する平和式典が行われてきた。

広島の平和記念式典で横田美佳知事は核抑止力について次のように述べられた。


核抑止力への依存が、今なお、世界の安全保障政策において大きな位置を占めていることに、悲しみと怒りを感じざるを得ません。核による脅し、先制攻撃も厭わない考え方、それによる核武装の強化が核兵器使用のリスクを高めています。核抑止は核兵器を使用することを前提にしない限り成り立たず、各国の不信や軍拡競争を助長し、世界を不安定化させるという根本的な矛盾をはらんでいます。核抑止力を求めること自体が新たな戦争を引き起こしている現実を直視し、核抑止から脱却すべきです。


知事の言われるように、既にロシアがウクライナに対して核で脅しながら戦争を仕掛けたのだから、通常の戦争に対する抑止力など無いことは明白である。

日本が「アメリカの核の傘で守られている」というのも、裏を返せば核兵器で「アメリカに脅されている」のと同じ事である。

一般市民への無差別な殺戮は戦争犯罪とされるべきなのだが、アメリカが広島・長崎の市民に行った行為は戦争犯罪とはなっていない。

それは総力戦というのは戦闘員と非戦闘員の区別が無い近代の戦争である*1

広島長崎のアジア太平洋戦争で日本軍の総力戦に参戦する戦闘員と同等に見做されていたと解釈すべきなのだろう。

実際に新聞などでは国民に参戦を呼びかけていた。

聖戦へ 民一億の体当たり  聖戦だ 己殺して国生かせ (以上 昭和14年 読売新聞社)」

現代行われているウクライナやイランでの戦争も総力戦になっているが、核を持っている国の市民を攻撃することは避けられている。

その一方で核を持っていない国の市民はある意味で無差別に攻撃されている。

抑止という言葉を都合よく使うなら、核を持たない国からの攻撃を抑止できると言うことなのだ。

そして、反撃して逆に攻めてこられないように、核で脅威を与えて威嚇している。

北朝鮮やイランが核開発に拘り続けた理由は、核兵器さえ保っていれば攻めてこられないということであり、戦争自体を抑止するためではない。

私はそれを脅力(きょうかくりょく)と呼ぶことにしよう。

ただ、総力戦は兵站を含む経済的な戦略が重要で、核を持っていない国は持久戦に持ち込んで核保有国の経済にダメージを与える戦略が有効のようだ。

ロシアは民間人の被害は少ないが、兵員の多大の消耗と石油施設を破壊されて、市民生活は被害を多大に受けている。

アメリカは兵員の損害は微少だが、兵器の消耗、物価の高騰で自国の市民のみならず同盟国への被害を拡大させている。

そういう意味ではウクライナもイランも兵員と民間人の人的損失は大きいが、核保有国の嚇に屈せず、総力戦を戦いぬいているように思える。


日本にはアメリカが核を持ち込んでいると言われているが、日本自体は核を持っていないので核を持っている国からの攻撃は抑止できないと言われている。

今回のイランでの戦争では米軍基地への攻撃はなされているので、米軍基地への攻撃の抑止力にもなってもいない。

ということは米軍基地の核は日本を嚇すること以外に役立たないと言うことになる。

だから、日本も核武装すべきだということになるが、アメリカを含む現在の核保有国はその力を独占しないと戦争ができなくなってしまうので許すはずがない。

そもそも核兵器こそアメリカが広島・長崎の殺戮で誇示できる最高の武器で、それを日本に持たせるわけがない。

核兵器が拡散すれば今までのようにアメリカが世界をコントロールすることは不可能になる。

また、アメリカが持ち込んだ核をアメリカの了解で使用させてもらうと宣言しても、通常兵器で攻撃してくればアメリカは核を使うのに同意しないだろう。

アメリカやロシアは定期的に実戦を行っているが、実戦を行わない核保有国も武器開発をして軍事演習という名の嚇を行なう戦争はしている。

核保有国でない日本も軍事演習を行っているので、戦争をしているのとそうかわりは無い。

日本人は実戦を行わないと戦争をしていないと思い込んでいるが、総力戦の本当の意味を理解していないし、自ら欺いている。

現に日本最先端技術は武器製造に役に立っており、ウクライナなどは三菱重工に協力を求めてさえいる。


今後レールガンが完全に実用化されて弾道ミサイルからの攻撃を効率的に防御できるようになれば、核兵器の力は無くなっていくだろう。

その一方で通常兵器やドローン、AIロボットを用いた実戦が頻発するようになるかもしれない。

ただ、それはある意味で狩猟採集民や初期農耕民などが行っていた定期的な戦闘と似たようなものになるようにも思える。

資本主義を中心とした国民国家が存続する以上は、永遠に戦争は無くならないだろう。

人類は戦いから逃れられない生き物のようだから、せめて大量殺戮を行う核兵器の廃絶か無力化を行わねばならないらしい。

被爆国の日本ができるのは直ちに核廃絶では無くて核無力化しか無いように思える。

それがアメリカのからの脱出であり、核廃絶に繋がるものだと信じる。


*1  É,アリエズ&M,ラッツァラート 杉村昌昭、信友建志訳 2019 「総力戦」 『戦争と資本―統合された世界資本主義とグローバルな内戦』 作品社









2026年8月10日月曜日

酷暑での救荒作物オクラ

 江戸時代での旱魃をしのいだと言われるサツマイモだが、この雨不足と酷暑で生育が非常に悪く、場所によっては枯れかけたりしている。

本来、サツマイモは乾燥を好むので苗を植え付けた時以外は水をやるものではなかった。

放っていてもぐんぐん育ち、蔓を切り返して生育を抑制するものでもあった。

このところ用水路からポンプで水を引いてきて、灌水しているので何とか持ちこたえているが、果たして秋にまともに収穫できるか疑問に思っている。

それに対して元気なのはオクラである。


実は去年もオクラがいっぱい採れて、毎日納豆に刻んで入れて食べていた。

霜が降りるくらいまでなり続けてくれたのだが、きちっと栽培方法を勉強していなかったので、手の届かないとこまでならしていた。

このところYoutubeで農法を色々学んでいるが、それによれば高くなったら先を落として止めてやるのだそうだ。

それまでに脇芽が出ていたりするし、摘心で脇芽が出てくるのでそちらから収穫すれば良いとのことだった。

また、取り損なって大きくなり枯れた実になる前に早めに取り除かないと、実がならなくなるそうだ。

要するに種になる前にとられてしまうから、実をならし続けている訳らしい。

本来原産地の熱帯アフリカでは多年草であるので、寒くなるまではそうすれば実がなって採り続けられるのだった。

日本では越冬は無理なのだが枯れた後の切り株もとに空豆を植えてやったらよく育ったし、切り株を高くしておけば空豆の支え木になった。


オクラは苗で買うより、種を植えた方が上手く育つので、毎年直に種を蒔いている。

今年は全く耕しもせず肥料も入れていない場所で草だけ削って種を蒔いた。

芽はしっかり出たが、周りに草が多く生えてきて生長が悪かったので、自家製の液肥を少し撒いてやったり、堆肥にした草を敷いたりした。

このオクラも乾燥に強く水はあまりやらない方が良いようだが、去年から暑さが厳しいのでサツマイモと同じように灌水してやっている。

一番の敵は葉を食べる虫だが見つけ次第潰してきたが、今年もつきだした。

また、以前は葉が多い方が実に栄養が行くのかと思って茂らしていたが、落とした方が実のなりが良いことを知って下の葉は小まめに落としている。

品種も実が大きくなってもあまり固くならない丸オクラを作っている。


毎年いっぱい採れるナスビ、キュウリ、トマトが今年は高温少雨でまともに採れない。

去年はどちらも採れすぎて持て余したくらいで、キュウリなどはたくさん漬物にして冷凍保存している。

ズッキーニや里芋は去年からもう採れなくなっているが、どうも非常に暑さに弱いようだ。

近所の畑を見ても同じような状態で、うちは小まめに灌水しているので何とか持ちこたえているが、多くの作物を枯らしてしまっている畑も見かけたりする。

だから私の今作っている作物で食事をまともに貢献しているのはオクラだけと言って良い。

自給自足などとはほど遠い状態である。


来年の夏作物はもっと手をかけてしっかり生長させ、真剣に暑さ対策をしようと思っている。

去年は高黍を植えていたのが暑さ対策として結果的に良かったらしく、今年は植えてないので作物のできが悪い。

高黍を植えなかったのは、実があまりならなかったからなのだが、来年は暑さ対策や肥料として植えようと思った。

そして、オクラをもっと中心に据えた栽培と食生活をしようと思う。

また、近くで栽培されているモリンガもよく育っているようなので、赤穂の実家の畑にはモリンガを植えようと思っている。

また、家の中で育てているキダチアロエやアロエベラも元気で株も増えているので、こちらも実家を活用して増やしていこうかとも思っている。

もうこの夏は自給農家にとっては、ある意味で食糧危機となっており、今後もこういう気候が続くと思って救荒作物を主力にせねばならない時代になったと痛感している。



2026年8月9日日曜日

優れもののリサイクルショップで買ったデスクチェアー

 椅子は一日で長く座っている家具なのに、間に合わせで使うことも多かった。

夏場は暑いので二階の部屋から一階の座敷に仕事場所を替えている。

その時に使ってきたのが以前に使っていた木製の食卓椅子だった。

私は長時間座って前立腺炎を起こした経験から、円座を用いているのだが、高さ調節もあって座布団の上に置いたので、非常に安定が悪かった。

二階の椅子を持って降りても良いのだが、それはそれなりに使うので、新しい椅子を買おうとネットの通販で探していた。

そこそこ良いのが見つかるのだが、レビューを読むと組み立ての手間や使用時のトラブルが気になって踏ん切りが付かずにいた。

二階の黒椅子も40年以上前の東京暮らしの時にリサイクルショップで買った掘り出し物だったが、今回もリサイクルショップでも探すことにした。


以前に息子がデスクワークで利用していた食卓椅子を壊してしまった時に、そのリサイクルショップで椅子を購入した。

3000円ほどの事務椅子だったが、通気性の良さそうだしカラフルなので買って渡した。

どうも、事務椅子は業者から多く持ち込まれるようで、同じタイプの物が山積みされてもいた。

今回もそれで良いと思って行ったのだが、酷暑の中で陽に晒したまま店の前に展示しているのを見て、中にもっと良いのがあるかもしれないと思った。

中はエアコンが効いて涼しかったので、じっくりと椅子を吟味することができた。

予想通り少し値の張る椅子が3脚ほど有って、一番気に入ったのは6800円もした。

通販でもそれくらいの値段で良いのは買えるが、組み立てる手間などを考えて購入することにした。


それを現在使っているのだが、座面の高さも簡単に調節できるし、リクライニングもできる。

ヘッドレスト、アームレストもフットレストも付いているので、パソコンでのデスクワークだけで無く、動画などをゆったりとみることもできる。

座面も一番下にしたらアームレストが邪魔にならず、机の下に椅子をしまい込むことができて、使わない時にはスペースを空けられる。

難点はアームレストに体重を乗せると、前に背もたれと一緒に動いてしまう。

やはり中古だからストッパーが甘くなっているのか、わざと簡単に背もたれを起こす仕組みにしているのか分からない。

そして、今までの家の椅子とは大きく違うのはキャスターが付いていて、移動が楽にできると言うことで、かつての職場の椅子と同じように使えるようになった。


私は教師になってから職員室や教科の準備室に自分専用の椅子を使わせてもらってきたが、どれも家の椅子よりは使いやすいものだった。

ただ、古いタイプのものは背中をもたれかかると、ビスが外れてひっくり返りそうになってしまうものもあった。

また、特別支援学校などでは職員室の机に向かっている時間はあまりなかったし、普通校でも椅子に座ってゆったりできる時間は無かった。

今回のようにリクライニングできるタイプの椅子など今まで使ったことが無かったので、やっと自家用車並みの事務椅子を使うことができるようになって嬉しい。

起きている時間で一番多くの時間を過ごしている椅子こそ本来は一番気を遣っておくべきだったと思う。

これからは、快適にデスクワークや動画鑑賞をすることができそうだ。


2026年8月7日金曜日

酷暑に打ち勝つ高校女子選手との水泳練習

 私は時々今でも、中学生や高校生の水泳選手と同じコースで泳ぐことがある。

水泳経験者は個人的に練習に来てコースが空いてないと、練習コースを選ぶ時に一緒に泳ぐ相手かどうか考えざるを得ない。

たまに選手などが私が一人泳いでいるコースに入ってきたり、逆にやむを得ず私が練習している女子選手のところに入ったりする。

男子選手とはスピードが違いすぎるし体格や動作が大きいので、どうしようもない時だけ一緒に泳ぐ。

女子選手といえど泳ぐ速度がかなり違うので、コースを半分で使い分けて泳ぐことにしている。

二人で練習していると、たいていは他の人が入ってくることは無い。

私は水泳部の顧問をしている時からフィンをつけて生徒と一緒に泳いでいて、今でも同じようにフィンを付けて泳いでいる。

女子選手ならフィンを付けていればだいたい同じタイムのサークルで泳ぐこともできる。

そうすればクイックターンが無理なくできるから、選手もこちらに合わせてくれてもいる。


先日(8/4)の午前11時頃に泳ぎに行ったら、知っている高校一年の女子選手が泳いでいて、そこしか泳げそうに無かったので入らせてもらった。

その選手は去年から並んで泳ぐこともあって、話をする機会もできた。

彼女が中学3年だと聞いて、私がかつて勤務し、水泳部の顧問もしていた水泳部のあるH高校を薦めていた。

この夏の近畿大会に100m平泳ぎで出場することをプールの前に張られた小さな横断幕で知って、その選手がH高校に入ったことを知ったのだった。

そのことを聞いてみると大阪で開かれた近畿大会はもう終わっていた。

なぜ学校のプールで練習しないのかと聞いたら、すでに緑く濁ってしまい体育の時間でさえ泳げなかったという。

私が顧問している時もプールの温度が上がりすぎるので、大きなブルーシートで水面を覆ったりしていたが、緑色に濁らせてしまうことは無かった。

本来なら夏休みは学校のプールで9月のジュニア大会に向けてガンガン泳がねばいけないのだが、上郡町のプールに来て練習しているという。


昨日(8/7)も同じように来て練習していたのだが、先日と違っているのはその選手の横を平気で歩いている年配の男性がいる。

このコースには25m泳げる人と書いた立て札が置いてあるのに、全く平気なのだ。

因みに泳いでいる人が無ければ、そういうコースでも歩いても良いのだが、もっぱら女性のお年寄りはたいがい歩くコースで仲良く並んで歩いている。

どうも、男性はそういう女性に交じって歩くのが嫌らしく、マナーに反して平気で泳ぐコースを歩き続けるのだ。

他にコースが空いてなかったので、その歩く男性をよけながら女子選手と泳ぐ練習を続けていた。

隣の相生の市民プールでは泳いでも歩いても良いコースと、泳ぐだけのコースを設定してあってこういうことにはならない。

その男性は25mは泳ぐ力があるから良いだろうと、勝手に解釈して歩き続けるのだ。


6コースのうち3コースが水泳教室が使い、1コースが歩き、1コースが遊泳、1コースが泳ぎと朝の10時から11時半まで続く。

やっと、水泳教室が終わって空いたコースに行くのも大変で、それを待ちかまえて入ってくる男性がいて、やはり同じように25mや50mの泳ぐコースで歩いたり泳いだりする。

私は彼女がこんど9月の県大会では表彰台に立ってほしいので、できるだけひとりでしっかりと泳げるように他に歩く人がいる25mコースに移ってあげた。

12時近くになって、やっと人が減って自分ひとりだけで泳げるようになったので、バタフライの練習ができるようになったが、彼女の練習も終わっていた。


本当は相生市民プールの方が泳ぎやすくて行きたいのだが、利用料金が高くかかる上に乗っていく軽トラのガソリン代も馬鹿にならない。

真冬では上郡のプールは寒いし水が冷た過ぎるので、やむなく高い費用を負担して相生にまで泳ぎに行っている。

去年の夏休みは混雑を避けて相生に行ったので、今年もそうしようかとも思ったが、有望な選手が泳いでいる近くで泳ぐほうが、自分のモチベーションも上がる。

彼女にとっても年寄りがハードな練習を近くでしていたら、負けられないと思ってくれるかもしれない。

今の彼女の練習は私が顧問していた時の選手の練習量の半分以下である。

平泳ぎで近畿体系に出場し、全国を目指していたスイミングスクールに行っていない選手が当時のH高校にいたが、自分で考えながらハードな練習を続けていた。

まだ、彼女は高校一年でありながら西播磨では平泳ぎは一番速いので、是非とも全国を目指してほしいと思う。

そういう選手と泳げるのが上郡のプールの良いところでもある。

彼女のお陰で、どんなに暑くてもプールに行こうと思えるようになった。




2026年8月5日水曜日

自由なる私立中高一貫男子校の喪失

 私は幼稚園から小学校までは公立に通った。

中学校から大学は私学で、大学院は公立だった。

そして、就職したのは公立の公務員だった。

大学院の先輩に慶應大学出身の人がいて、幼稚舎から大学院修士まで慶應で、博士は都立大学、結局慶應大学の教員になった人がいる。

その人は学んだ公立は都立大の博士だけということになるが、博士課程は当時の徒弟制的研究室の中では上位であり、下積みなしのブランド強化とも言えるかもしれない。

修士という下積みで潰れていく院生も少なからずいて、他の大学院の修士で力をつけて博士から入ってくる方が合っている人もいたようだ。

先輩の中には学部が都立大で修士は他の大学、そして博士に都立大に戻ってきた人もいた。

そういう意味では私は私学の大学院修士でのびのびしていた方が合ってたかもしれないが、早めに自分の実力を見極められた良い経験だったのかもしれない。

同じ私立大学でもミッション系とそうでないところでは育ちが方が違ったようにも思え、大学院では早稲田や慶應とは肌色が違っているように感じた。

また、同じミッション系でも国際基督教大学出身の先輩や後輩もいたが、私たちのようなカトリック系の学校とは学生のタイプがかなり違っていたように思える。


私は中学から大学までの10年間をカトリック系ミッションスクールの自由な校風で育ったので、それが抜けきれず大学院の修士で挫折したようにも思える。

研究職を目指すなら大学からゼミの先生との師弟関係をしっかり築き、学閥組織で生き抜く覚悟をしていねばならなかった。

ただ、恋愛に関しては大きな失敗もあったが、多くの掛け替えのない経験をすることができた。

実は、こんど出身校の淳心学院が男女共学になるという。

どうも、少子化の影響で経営的に求められているようだ。

これで中学校から校内でも自由に恋愛ができると思うかもしれない。

私は逆だと思う。


家内は大学以外では男女共学であったが、男子を恋愛対象としてで無く、競争相手とみていてもいたようだ。

そして、大学は女子だけの大学にはいったので、女子だけで気楽に仲良く過ごせたようだ。

中学高校での男子校では女子に対して対抗意識を持ちようが無い。

他校の女子生徒やOLと気楽に友だちでいられる者もそういなくて、しっかりと恋人として付き合うのが普通だった。

要するに女性は恋愛の対象であって、進学などの上で競争する相手ではなかった。

私は大学では男女共学だったが、大学院への進学で競う女性はそもそもいなかった。

その点では国立大学に進んだ理系の娘が男性とも競争して大学院に進んだのとは違う。

娘はずっと男女共学で男子とも競争してきたので結婚できるか心配したが、なんとか職場結婚してくれた。


母校が男女共学になるということは、名前が残るだけで母校を失ってしまったようにも思える。

確かに受験勉強という競争に晒されてはいたが、ミッションスクール特有の自由さで仲間とロックバンド演奏で楽しみ、校外での恋愛を謳歌できた。

その延長上に同じカトリック系ミッションスクールの南山大学があったので、次の都立大大学院では挫折したと言えるかもしれない。

一方で、男子校で恋愛関係に無縁で勉強に勤しんで、立派な医者になった仲間も多く知っている。

また、現在は兵庫県の衆議院の小選挙区12区のうち2区で議員として卒業生が選ばれている。

国公立医学部に限らず東大や京大などの有名国公立や有名私学に進学した仲間で、男女交際を派手にしていた者は同じバンド仲間の数人しか知らない。

男女共学になっても志望する大学に入りたいのなら男女交際はほどほどにせねばならないと、身をもって思う。

ただ、淳心学院卒業後の恋愛や結婚することに関しては、むしろ男子校であったことで、女性に対して思い入れが背中を押してくれたように思う。

「男女7歳にして席を同じせず」というのは、切り離すことで異性を強く意識して却って求め合うことになるからかもしれない。

また、在校当時にはベルギー出身の独身神父さんなどを近くに見ていたので、それが却って結婚願望になったようにも思える……








2026年8月3日月曜日

祖父の戦死の事実に向き合う

 私は母方の祖父(川根曻:明治36年生)のことについて、何度かブログに書いてきた。

母の父への思い」(祖父の写真)「祖父の戦死」「家業より軍隊を選び戦死した伯父と祖父

実は祖母、伯母、母から聞いたうろ覚えの知識で書いたのであって、ちゃんと調べて書いていなかった。

今回、私の実家の名義を変更することから、赤穂市役所から戸籍謄本を取り寄せて、祖父の戦死について正確に分かった。

祖父は昭和19年9月17日。南シナ海方面において満40歳で戦死したのであった。

そのことからその日に沈没した航空母艦を調べたら、特設航空母艦雲鷹であることが分かった。

私は雲鷹のよみである「うんよう」を、勝手に「うんりゅう」(雲龍)と思い込んでいたらしい。

しかも、南シナ海を父方の伯父が戦死した東シナ海と混同していたようだ。

そうなると、台湾よりも南の海域と言うことになるが、 シンガポールから北九州へ向かう「ヒ74船団」を護衛中、夜間に被雷して沈没した。

米ガトー級潜水艦「バーブ (Barb)」の魚雷攻撃(雷撃)によるもので、木村行蔵艦長ほか232名が戦死したという。

ネットでは雲鷹が魚雷攻撃を受けた様子や沈没の過程を詳しく書かれており、祖父の戦死を目撃したかのように感じることができた。

場所はの東沙島(プラタス島)の南90浬で、詳細は以下のようである。

雲鷹戦闘詳報による沈没位置北緯19度8分 東経116度33分。海上護衛隊による沈没地点記録北緯19度04分 東経116度36分もしくは北緯19度15分 東経116度33分。アメリカ軍記録北緯19度18分 東経116度26分[257]

雲鷹は広島の呉からシンガポールに行くには東シナ海も通ったかもしれないが、私が研究してきた沖縄奄美とは直接関係は無かった。

むしろ、自分たちの新婚旅行で行ったシンガポールの方が関係していたのだが、当時はそのことに関しては全く知っていなかった。

広島の呉に関しては、祖母や母から聞かされており、招集後、祖父に面会に行ったことも聞かされていた。

娘が広島の大学だったのでついでに近くまで行ったことがあったが、立ち寄ったことは無い。


本当は、祖母が生きている間に祖父のことをもっと聞いておくべきだった。

私が子どもの頃によく行っていた祖母の家(社員住宅)には、祖父の遺影代わりの軍服姿の肖像が鴨居にかけてあった。

その軍服姿の凜々しい立ち姿と容貌を祖父と思い込んでいたのだが、それは祖父のいとこをモデルにして戦死後に描いたものであったことを後で知った。

祖父には招集された頃の正装した軍服姿の写真はなかった。

祖父は戦死して兵曹長(伯母からの情報)となったので、招集時の家族写真に着ていた水兵服の写真ではなく、第一種軍装の肖像にして飾りたかったのだと思う。

因みに父方の伯父は若干17歳で海軍の少年兵として戦死したが、立派な軍人墓が特別に建てられていたが、遺影や肖像画は飾られていなかった。

その年代頃の祖父の和服姿の写真は残っていたので、それとそぐわぬ別人の軍服姿を掲げ続けていた祖母の気持ちは今となってはよく分からない。

まともな遺影も無く、戦死後30年近くも墓さえ無かったが、仏壇では祖母や伯母が懸命に供養し続けていたことは確かだ。

ただ、戦争に対して深く考えて語り継いでいく場をあまり持っていなかったとを残念に思う。


私は今読んでいる文献は、  エリック・アリエズ マウリツィオ・ラッツァラート 杉村昌昭十信友建志訳 2019 『戦争と資本―統合された世界資本主義とグローバルな内戦』 作品社 である。

この本を読んでいると、近代の総力戦になってからは、全てが戦争遂行のために社会が動いていることが分かる。

日本はいわゆる破壊戦争による「植民地戦争」を単に放棄したのであって、自衛のための戦争は想定しているし、アメリカの兵站をしっかりと担わされているようだ。

この本の主旨に従って、私たちが太平洋戦争の延長上に生きていると考える時、祖父の戦死はグローバルな植民地戦争の先駆けの犠牲だったと言うことになる。

私の戦死した祖父以外に父方祖父母も母方祖母、そして私の父母さえ死ぬまで海外に出かけることは無かった。

今から81年前に既に祖父はシンガポールまで出かけていたことになる。

最初に海軍に入隊して退役するまでにも中国での任務についていたことも聞いている。

考えてみれば戦前の日本人は移民や戦争でグローバルな活動をしていた人もいたのであって、「戦争にでもならねばハワイには行けぬ」と言われたりしたようだ。

現在の日本人は経済活動を中心とした<植民地戦争>でグローバルに闘っていると考えれば、その先駆けだったことになる。

現在の日本は祖父が経験した破壊戦争による生の戦争に引き戻されているのは確かだろう。

集団的自衛権を理由に本気で破壊戦争で戦争する気であるのなら、当時の生の破壊戦争をもっと国民に知らしめて覚悟を求める必要があると思う。

それをせずに格好だけつける防衛大臣がまた日本を滅ぼすと思う。

それはアメリカが既に陥っている<内戦>状態に陥るかもしれないと言うことだ。