先日の朝(10/31)犬と散歩していたら、大きな気球が遠くで見えたので驚いた。
そう言えば、家内から小学校で催しがあると聞いていたのだが、これだったのかと思った。
ロープで繋がれた気球の籠の中に何人か乗せて、小学校の3階くらいまでの高さまで昇らせて降りてくるの繰り返しをしている。
小学校は水田地帯の集落の外れにあって、小学校が一番高い建物である。
広い運動場で気球を上げて、小学校の近くにある専用の広い駐車場に、売店などのテントが張ってある。
遠くの小高い山から小学校に上がる気球を眺めたり。スマホで撮影しながら、近くまで歩いて行った。
近寄るに従って、気球に備わっているバーナーの大きい音が響き渡っていた。
いつも静かな村に、大勢の人が集まってきて賑やかで楽しげであった。
私は気球というと忘れられないことがある。
私は大学院の修士過程の時に、博士課程のあるM先輩に色々とお世話になっていた。
そのM先輩は大学は東京の有名私学、大学院修士は南山大学で、博士課程から都立大学で研究していた。
既に、南山大学の大学院時代には結婚して子どもも産まれていた。
私は南山大学に在籍したことがあったよしみで、可愛がってもらい、自宅にも招かれてごちそうを頂いたり、渋谷などで一緒に飲むことが多かった。
修士論文の清書も手伝ってもらったが、そのM先輩からも仕上がりの悪さを指摘されて、もう一年かけて書き直すように言われた。
しかし、私は心身とも限界がきており、自暴自棄のまま修論を提出して受理してもらい、進学を諦めることになった。
その時に私は自分をそばで支えてくれた人まで失って、生きる望みさえ失っていた。
M先輩も私の様子を感じ取ってか、それを思い留ませる意味だと思うが、M先輩が大学時代に所属した探検部の仲間の話をしてくれた。
その探検部の仲間は気球に乗って旅することが命を賭けた夢だった。
そして、ついにその念願の夢を果たした時に、もうやることは無いと言って自殺してしまったそうだ。
M先輩は私が、その仲間のようにまだ夢が叶ってないので、自殺できないだろうという意味のことを言った。
その話を聞いた時には、死にたい気持ちの慰めにはならなかったが、夢を果たせないまま自殺することは、ただの野垂れ死だと気づかせてくれた。
M先輩はあえてその経験した話をして、自殺を思いとどまらせてくれようとしたと思う。
私は博士課程に進んで研究者になる道は捨てたが、研究者になる夢は高校教師になって追い続けようと決心した。
また、私の大きな夢ではなかったけど、築こうとして果たせなかった普通に家庭を築いて、子育てをしていくことが細やか夢にもなり、それを実現することが出来た。
教師生活を続けて、論文を書いたり、出版もしたけれど、大学院時代からの念願の研究職に就くことは未だに出来ていない。
年齢を重ねた今は、研究職に就くことが最大の夢では無くなっている。
私たちが失ってしまった家族や親戚、近隣お人などと心を寄せ合って生きていくにはどうすればいいのか。
何がこれ程までに人々を追い詰めているのかを問い続けていきたいと思っている。
論文発表や出版だけに拘らず、こうしてブログを通して訴えていくのも一つの手段だと思っている。
私の夢の気球は世に飛び立たないかもしれないが、飛び立とうと炎を燃やし続けていることは確かだ。
M先輩がかつて予見したように、飛べない私はしばらくは死ねそうに無い・・・・・
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