我々日本人は平和ぼけだと言われ続けてきた。
しかし、それは武器を用いた戦争を平和憲法によって避けてきただけで、実際は経済という戦いを続けてきた。
エリック・アリエズ&マウリツィオ・ラッツァラートは次のように述べている。*1
戦争と経済の可換性は資本主義の土台にあるものだ。すでにずいぶん以前に、カール・シュミットが、経済と戦争の連続性を指摘することによってリベラリズムの「平和主義的」欺瞞を暴いた。経済は戦争の目的を戦争とは別の手段によって追求するということだ(「信用取引の停止、原材料の輸出禁止、外貨の毀損」)。 [ É,アリエズ&M,ラッツァラート2019(2016):11]
今回のトランプのイラン奇襲攻撃で軍事的に痛手を被ったイランの戦術は、石油に関わる経済を最大限に用いることだった。
それを考えると、中国は既に日本に対して経済という戦を仕掛けているのだ。
その発端は高市総理の不用意な台湾有事発言であり、これは中国が経済戦の宣戦布告をするきっかけとなった。
日本は既にアメリカとは貿易戦争という経済戦を行ってきたが、ドルを基軸としたアメリカの金融政策の前に屈服してきた。
そして、IT、AIという最先端の経済戦でも苦戦を強いられているし、トランプの違法な経済戦の前に隷従している。
企業はいわばその経済戦の最前線で戦ってきたのであり、そこで雇われるビジネスマンはまさしく傭兵と同じだった。
バブル経済期にリゲインのCMで流れた「二四時間戦えますか ジャパニーズ・ビジネスマン」は、明治維新から続いてきたものだ。
そして、学校はかつては立派な軍人や企業の傭兵を育てたが、戦後はもっぱら立派な傭兵たるビジネスマンを育てるのに寄与してきた。
今回、日本人の多くがその立場に置かれていることを知るのは、ウクライナ戦争での経済制裁、イラン攻撃での経済封鎖を目の当たりにしているからだろう。
ふと、振り返ってビジネスマンや公務員の過労死や過労自殺、精神疾患、生活習慣病も戦死や戦傷、戦病と言えるのだ。
地方の企業が衰退し、農林水産業では生活が成り立たず、地方から都会に出てビジネス傭兵にならざるを得ない状況は戦国時代と変わらない。
近年は正規雇用の侍では無くて、足軽のような非正規雇用がまかり通っている。
そんな中で、子どもを産み育てる生きがいとと喜びを失ってしまう実情に目をつぶって、一部の富裕層のために政府は動いている。
我々日本人は決して平和な時代を謳歌してきたのではない。
経済戦の中で戦い一般家族は疲弊してきたのだという自覚が必要に思う。
*1エリック・アリエズ・マウリツィオ・ラッツァラート 杉村昌昭十信友建志訳 2019『戦争と資本―統合された世界資本主義とグローバルな内戦』 作品社 [ É,アリエズ&M,ラッツァラート2019(2016)]
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