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2014年5月17日土曜日

ネズミ騒動

一週間ほど前に、我が家に大きなクマネズミが進入した。
居間で夜テレビを見ていると、かさかさと音がする。
ふと、棚の上に目をやると、体長20cmほどの茶色の大ネズミ、一瞬目を疑った。
ネズミも動きを止めたが、こちらに悟られたのがわかったのか、おいている箱などの隙間に隠れた。
置いているものをどけて、捕まえると大騒ぎになるのでしばらく様子を見た。
すると、カーテンレールを伝っているのが分かったので、粘着性のねずみ取りを通り道に仕掛けた。

翌朝、ネズミはかかってはいなかった。
そこで、テレビの裏側が、一番物陰になって潜みそうなのでそちらに仕掛け直した。
その翌朝、居間に入ってみると、「チュー チュー」と鳴き声がする。
しかし、明らかにか細くて高い声、ハツカネズミである。
クマネズミを捕るつもりが、ハツカネズミがかかってしまった。
ほかにも侵入者がいたことで、また別の不安も生じた。
鳴き声を聞きながら、朝食をとるのはあまり気持ちのいいものではなかった。
クマネズミの方は、別の座敷の部屋でタンスの上を走り抜けるのを発見した。
ますます不安が増す、服を食い破って巣を作るかのせいがあるからだ。

どうしたらいいものか、思案しながらねずみ取りを増やそうと考えていた矢先の夜。
なんと、クマネズミは食器棚の中にいるではないか。
真ん中で仕切っている食器棚の右側に這い込んだので、片方にガラス戸を寄せて出られなくなるように粘着テープで封をした。
これくらいのテープは食い破られると思ったので、上からちょうどいい寸法のアルミの物差しがあったので、それに補強した。
こうすれば、ネズミは何日か後に飢え死にすると安心した。

翌朝、ハツカネズミが掛かったまま放っておいたねずみ取りが妙である。
なんと、でかいクマネズミが掛かっている。
もう一匹いたのかと、とりあえず散歩に出かけた。
戻って来て、家内に掛かっていることを告げると、戸棚から逃げて掛かったのだという。まさかと思って、戸棚を見ると見事に隙間を空けている。
もっと、しっかり貼り付ければよかったのである。
しかし、せっかく脱出できたのに、ねずみ取りに掛かるとは運の悪いやつだと思った。
火箸と肥料袋を用意してきて、まだ動いているネズミを仕掛けまま入れて、結束バンドで封をした。
本当は、掛かったままゴミに出しておかなかったことを、前日に家内に文句を言ったのだった。
捨てなかったのがかえって、いい結果を招いた。
これで、やっと平和な日常が戻って来た。
しかし、小者はまだいる可能性は十分ある。
家内はまた新しい仕掛けを買ってきた。

2014年5月11日日曜日

好きは上手の元

教えてもらう人によって、成績や特技が伸びたり、伸びなかったりする。
特に私は、その傾向が強くて、この歳になってもそれが続いているようだ。
40過ぎて教えてもらった水泳も、コーチを気に入ったので頑張れた。
そのコーチは30代の男性で、人の気持ちを汲むのが上手だった。
小学校の時も、好きな担任の先生の時には成績も伸びたが、嫌な担任の時にはわざと学校を休んで悪かった。
中学校の時には、好きな数学の教師の時には学年で一番の点数を採れたが、高校になって嫌いな教師の時に理系から文系に変わった。
絵も小学校から習いに行った先生も好きで画家になりたいと思ったが、中学校の美術の先生が嫌いで絵は描かなくなった。
教師になった多くの人は、好きな教師に憧れてなっている人も多い。

ということは教師である自分も、生徒から嫌われると教えている科目も嫌われるし、好かれれば好きになってもらえると言うことである。
ただ、好きになってもらう努力をしても、空回りすることもあるし、逆に嫌われたりもする。
自然に振る舞いながら、生徒から好かれるのはなかなか難しい。
ただ、恋愛と違って、年齢はあまり関係ないようだ。
どこの学校へ行っても、年配の先生で生徒から大変慕われている人がいる。
逆に若くて美人なのに、生徒と上手くいかない人もいる。
教師としては、教える人と関係なく勉強やスポーツをがんばって欲しいと思うが、それは言い訳なのかもしれない。
容貌や年齢に関係なく、生徒にとって魅力ある教師を目指さなくてはいけないのだろう。

ある先生は、中学校も行けず、高校も全日制は中退して、通信制を卒業したという。
ただ、全日制の担任の先生がすごく良くて、憧れて頑張り、国立の教育大に見事合格した。
その担任の先生がいたから、教師を目指したという。
不登校の生徒も、関わる教師によって、教師にさえできることを証明している。
残念ながら自分が担任した生徒は教師になっていないので、教師としての魅力に欠けるのかもしれない。
それでも、教えている歴史が好きで、そのコースに進んだ生徒や、今も進もうとしている生徒がいるのは少しは救いである。
ただ、この道はなかなか食っていけないぞと、言い続けてはいる。
何でも良いから自分で学ぼうとする姿勢が少しでも育ってくれたら、私は それだけで嬉しい。




2014年5月7日水曜日

思考は休みに作られる

この五月の四連休は、ほとんど農作業に明け暮れた。
毎年、夏物の野菜の植え付けに追われるのだが、それでも一日くらいはレジャーを行った。
四月に家内が入院したこともあって、農作業が手つかずにいたので、そのつけがこの連休にまわった。
去年までは家内と二人で作業が出来たが、今年はほぼ一人でしなくてはならない。
そうなると、一人でもやれるように工夫をする。
例えばマルチを使うのは以前は控えていたが、活用せねばならなくなる。
一人で設置する時も、うまく土をかけながら作業して、以前よりも手際よく出来るようになった。
ジョギングで鍛えているせいか、農作業そのものもそう苦痛ではなくなった。

出かける予定が無いと、時間の余裕が出来て、今までしていなかったことも出来た。
例えば、今年からニンニクの芽を摘んで食べ始めた。
畑の横に生えている、蕗を摘んできた。
今日は山に登って、馬酔木を採るついでに、ワラビも採ってきた。
当然一日中農作業というのではなくて、買い物にも出かける。
それも遠くには出かけられないので、姫路とか備前とかである。
初日は千種まで水くみに行った。
それらは、普段の週末にもやっていることで、四連休ならではのことは無い。

取り立てて何も無かった連休だが、ふと振り返ると気持ちが変わっている。
年度末から年度始めと慌ただしく、仕事や雑用に追われて考える余裕など無かった。
この連休も、夜になると疲れて眠ってしまうことの方が多かった。
最終日の午後はさすがに、虚しく感じることもあったが、こうして夜になると、不思議とすがすがしい。
間延びした連休の時間のおかげで、気持ちの余裕が出来たのかもしれない。

子供の頃は夜に、体が成長した。
女性は夜にお肌が作られるという。
運動や、勉強も夜の過ごし方が大切である。
それと同じように、忙しく過ごす毎日に必要なのはこういう休日だと思う。
本当は旅行にでも出かけて、大きく気分転換できれば良いのだろう。
得てして、休みにはクラブの練習とか、受験勉強とか普段以上に求められることもある。
近年は宿題などを出すように、保護者から求められたりもする。
確かに夏休みなどの長い休日もあるのだが、五月のこの連休はそれとは大きく違う。
年度替わりや、季節などの環境の変化に、対応するための調整期間となる。
だから、ゆっくりと過ごせる時間も必要に思える。
気持ちの余裕が出来たところで、これからどう仕事や、勉強や運動をしようかと考えることが出来る。
私にとっても、もやもやしていた思考が、不思議と何となく晴れた良い休みとなった。



2014年5月4日日曜日

自家製豆乳

毎年黒大豆を栽培して、枝豆以外の食べ方としては、甘い煮豆か酢大豆しか無かった。
煮豆は糖分が多いので、正月以外にはほとんど食べない。
枝豆にしても、酢大豆にしても、食べ過ぎると酷い便秘になって苦しんだことがあるので、ほどほどにしなくてはいけない。
何とか消費したかったので、たまにご飯に混ぜて炊いてもらったりしたが、結局去年は余らせた。

以前から、自家製の豆乳を作る電気製品があることは知っていた。

手間をかけて、普通のミキサーで作る方法もあるが、めんどくさくてしなかった。
そこで、少々値が張るが(約8000円)、毎日でも手軽にできる豆乳製造器をネットで買った。
初めて作った時は、豆が十分に粉砕されていなくて、薄い豆乳になった。
そこで水に浸す時間をしっかりかけてやると、濃いい豆乳ができた。
黒大豆なので、灰色がかって見た目は良くないが、癖の少ないおいしい豆乳になった。
冷蔵庫に保存すれば数日は持つので、毎日作る必要は無い。
何よりもおからがおいしい。
市販のおからは、成分を絞りきってまさしく残り糟という感じだが、幾分成分が残っていておいしい。
今流行のおからダイエットではないが、色んなものに混ぜて食べることもできる。

豆乳と言えば子供の頃に、豆腐屋の豆乳を体に良いからと飲まされた。
当時の豆乳は臭いが強くて、無理矢理飲まされているという感じだった。
それが大学生の頃、スジャータの豆乳に出会って、牛乳代わりにおいしく飲んでいた。
調製豆乳も出てきて、飲みやすくなったが、私は何も加えていない豆乳の方が好きである。
牛乳は知識として、日本人には消化できない糖質があることも知っていたし、脂肪分が気になった。
前任校では給食の牛乳は飲まずに持って帰ると、息子が飲んでくれた。
ただし、ヨーグルトは毎日食べている。
以前から、中国では豆乳を家庭で作ってよく飲んでいるということを知り、日本人もその習慣ができれば、もっと健康になるように思っていた。

大豆は枝豆、煮豆や豆腐以外にあまり食べられていない。
近年では家畜の飼料のような扱いもされる。
家庭栽培では米や麦よりも簡単だし、米麦同様長く保存できる。
炊飯器同様に、どの家庭でも豆乳製造器が普及すれば、大豆の消費も上がるだろう。
そうなれば、無理して外国がら飼料を買って牛を多く飼う必要が少しでも減る。
そもそも、省エネにできているアジア人の体質に合っているような気がするのである。
日本人は食事の欧米化によって、多くの生活習慣病を生じるようになった。
そもそも、大豆は豆腐を加工して、色んな食べ方がなされてきた。
あげ、がんもどき、高野豆腐以外にも、精進料理にいたっては何でもありである。
アジアに食料革命をもたらした大豆を、もう一度見直すべきだろう。
学校給食にも、是非豆乳を用いて欲しいと思うのだが・・・



2014年4月26日土曜日

朝ジョグの再開

冬場は夜明けが遅くて、目覚めが遅かった。
この頃は、日が開けるのが早くなって、5時半には目覚める。
ジョギングの用意をして、走り始めてしばらくすると、陽が昇り、やがて6時を知らせるお寺の鐘が鳴る。
このところ、家内が入院したり、仕事が忙しくて2週間程ジョギングできていなかった。
そうすると、背中や腰が凝って辛くなってしまっていた。
運動不足であると思い、ジョギングを再開した。
朝補習のある木曜日などは、5時に起きて外に出た。
冬眠から目覚めたかのごとく、多くの人が散歩を楽しんでいる。
おそらく、真昼よりもたくさんの人が歩いているのだろうと思う。

実は私は高校生の頃からも朝型人間で、勉強するのも早朝が多かった。
たまに定期考査中など、朝起きて勉強しようと思い、結局起きられず、そのまま学校に行ったこともあった。
たまには、家の近くの唐船まで朝早く走ってくることもあった。
年をとったから朝早く起きるようになったわけでは無い。

冬場は夕方に、夕陽を見ながらのジョギングも確かに気持ちいい。
それ以上に、朝日を浴びながらのジョギングも、すがすがしいものである。
「早起きは三文の得」とは、この快適さを言うのだろう。
そして、慌ただしく過ごす一日は、この時間のおかげで潤いを与えられる。
ジョギングをせずに、仕事だけで一日を過ごし眠ってしまうと、空しさを感じる。
30分のジョギング、その前後の歩きの30分、合計一時間でのおかげで、心身ともリフレッシュできる。

歩くだけでも確かに良いのだが、ジョギングによって体を揺さぶられるせいか、背中の筋や筋肉がほぐれるような気もする。
走る前のストレッチも良いのだと思っている。
一番良いのは、歩いている時は色々と思い巡らすが、走っている時はあまり考えない。
景色を見ながら、無理の無いように、それでいて時間を気にしながら走る。
自分より明らかに若い人が歩いていると、「どうだ俺の方が若いぞ」と、密かに思えるのも良い。
逆に自分より年配の人に追い抜かれたりすると、まだまだこれからがんばるぞと思う。
仕事もがんばれて、食事やお酒がおいしくいただけるのも、このジョギングのおかげだと思っている。



2014年4月20日日曜日

急旋回の怖さ

先日来、韓国のフェリー事故で多くの修学旅行の生徒が、安息不明となっていることが報道されている。
このフェリーは、日本で就航していた時の船の名前は「波之上丸」
私が奄美諸島の与路島に村落調査に行く際に、何度か利用した船である。
初めて奄美に行った時の船が、 3000トンほどで波が高く、立って歩くのにも苦労した。
それが、倍以上の大きさを誇るこの船が、簡単に沈没するなど今でも想像できない。
どちらかというと、揺れが緩やかなので、港に降りてもその揺れが続いている感じがしたのを憶えている。

私は修学旅行で飛行機を何度か利用したが、その度に「もしも」を想像した。
この1月に飛行機で、北海道への修学旅行に出かけたが、その時もそうだった。
以前の学校で、グァム島へ修学旅行へ行った帰りに、飛行機が落雷に遭って機内に焦げくさい臭いがした時は驚いた。
飛行機が落雷に遭った程度では墜落しないことは分かったが、揺れも酷くて不安に駆られた。
つい一月前程にもマレーシア航空機が消息不明にもなっている。
絶対安全というのは飛行機にも無い。
もし、韓国のこの学校の消息不明者が全員亡くなったとしたら、この学年はどうなるのだろうと思ったりする。
残された生徒も職員も、心に深い傷を負うだろう。

原因は3等航海士の急旋回によって、荷崩れを起こしたのでは無いかと言うことである。
そして、「波之上丸」の上部に船室を拡張して、重心を高くしていたことも、影響した可能性があるという。
しかも、遭難時における対応のまずさや、船長らの無責任さによって被害を大きくした。
やるせない気持ちになるのは、助かった引率の教頭が、呵責の念から自殺したことである。
生徒を助ける行為から、逃げ遅れた教師と自分との違いに耐えきれなかったのだろう。
はたして、自分がその場にいて、命の危険を顧みず対応できたか自信は無い。

この事故の真の責任者は、誰なのだろうか。
急旋回した3等航海士だろうか
事故の対応をしっかりしなかった船長だろうか
船を改造してリスクを生じさせ、人員の配置をしっかりしなかった船会社だろうか
おそらく全てであろう、これらの悪条件がそろってしまったから、史上最悪と言われる事故が起こった。

これはこの韓国の当事者を笑えない。
日本の今の右への急旋回は、転覆の危機を生じさせてはいないのか。
日本内部できしみを起こして、崩壊の危機をもたらすのでは無いのか。
そして、もしそうなれば多くの庶民が行き場を失う。
そんな不安を駆り立てる、事故でもあった。



2014年4月12日土曜日

遠くの自慢の子より、近くの不出来な子

親は子供が努力して、良い大学へ進み、良い就職ができるよう願い支援する。
子供もそれに応えるべく、受験勉強に励み、就職活動をする。
ところが、田舎では結局、親のそばにいるのは、それがうまくいかなかった子供である。
私もその一人である。
東京の大学院にまで進み、結局挫折して地元に帰って教師になった。
一つ下の弟は、良い大学に入り東京の企業に就職した。
当然、親は弟が自慢で、一時は家を弟に継がせようとした。
しかし、弟には地元に帰る意識などなかった。
そして、親の面倒を少しでも見られているのは、できの悪い私と、似たような末の弟である。

今回、家内の入院に際しても、大学院に進学した娘は帰って来れなかった。
大学を中退して、家にいて福祉関係の仕事に就いている息子は、家事をがんばってくれている。
施設のつとめで身につけた、食器洗いや、洗濯物を干したり取り入れをこなしてくれている。
私と息子の二人で、何とか家事をやっている。
私の学生時代だったら、娘と息子は逆の関係だっただろう。
娘を遠くの大学に行かせることなどあまり考えられなかったからだ。
もう少し昔だったら、長男は家を継ぎ、弟が遺産代わりに進学させられた。
今は男女も長男も関係なく、一人で生きていけるために教育を受けさせる。
継がせるべく家業も財産もないからである。
学校では自己実現と掲げて、良い大学へ良い企業へと生徒を送り込む。
そして、親は取り残されるか、それがうまくいかなかった子供と暮らす。

人は狩猟生活から、農業を行うようになっても、家族や親戚、地域の人と互いに助け合いながら暮らしてきた。
一部の群れをなす動物を除いて、多くの動物は子供は成長すると親から離れていく、それと人も同じになったように思う。
国家と企業が戦略上、都合の良い人材を確保するために、厚生福祉政策を行いそういう社会を築きあげた。
最近のニュースで将来に一人暮らしの数の割合が25%を超えると言っていたが、それを仕組んだのが何かを報道していなかった。
夕方、買い物行くと年配の男性の姿が多いのに改めて気がついた。
おそらく、こんな田舎でも一人暮らしの男性だけでなく、女性も多いのだろう。
一人で夕食をとる寂しさを想像してしまう。
国家が福祉政策で老後の面倒を見てくれても、孤独をいやしてはくれない。
家内が入院して、老後の一人暮らしを垣間見た今の実感である。
そういえば、親元の隣に住んでいた祖母が「偉くなんかならなくて良い」とよく言っていた。
それは単に僻みや嫉みではなかったのだなと最近つくづく思う。
だから、生徒にも「そんなに偉くならなくて良いのだよ」言いたいのだが・・・