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2014年11月9日日曜日

雨に歩けば

このところ週末に雨が多い。
昨日は曇りながら、何とか降らずに済んだので、一日農作業にいそしんだ。
弁当を持って赤穂の畑に行って、玉葱を300本植えた。
施肥して耕耘し畝をたて、マルチを張って穴を開けて、一本一本植えた。
おかげで、今日は体中が午前中痛かった。

今日は朝から雨、赤穂で開かれる市民マラソンは三年連続雨である。
今年は出ようかなと思った時期もあったが、出なくて良かったと思った。
その代わり、血糖値を下げるために、ポンチョを着て散歩に出かけた。
去年までは雨の日には、エアロバイクをしたりしたが、今年はその気にはなれない。
エアロバイクはどうしても飽きてしまうので、モチベーションが低いと出来ない。
その点では散歩は景色を楽しむことも出来るので、雨の日でも出かけようと思う。

安いポンチョなので、ごわごわして、しわになってしまっている。
足下を濡らさないように、手で前に押しやりながら歩く。
途中でフードの部分が汗で顔にひつきだしたので、持ってきた手ぬぐいで頬被りをした。
これはれっきとしたお百姓さんである。
靴は防水の登山靴を履いてきたので、全然問題は無い。
雨の日は当然誰も散歩していないし、農作業もしていない。
鳶も電信柱の上で、羽を休めている。
いつもの山羊も小屋の中で、じっとしている。
カモだけは元気に飛んで、池に舞い降りてきた。

唯一の欠点はフードで横が見づらいことである。
それを考えると、透明のポンチョか、フードは被らず防水帽子を被るかである。
雨の日の散歩にポンチョが最適なのは、カッパのように蒸せないことである。
要するに、首から下が傘と同じような仕組みになるので、風通しが良い。
手で前を押して開かなくて済むような工夫が、できればとも思う。
しっかりと1時間歩いたので、血糖値も低くて済んだ。
赤穂マラソンはポンチョ着て走るわけには行かないだろうから、さぞかし大変だっただろうと思う。
来年こそはと思うが、こういう雨を考えると二の足を踏んでしまう。




2014年11月3日月曜日

デーションだけ残った?

赤穂でデーション祭りがあるというので、授業で方言についてとりあげた。
赤穂以外の生徒も少なからずいるで、意味を言うことから始めた。
「でー」は「どない」と同じ意味で、「でーなんね」とか「でーしょんならいぇ」とかも使う。
以前は二人称は「おまはん」とか「われ」、西の地区では「おんし」「おんしゃ」。
一人称は男は「わい」とかを使った。
生徒にゲームなどの仲間に入れてもらう時は、何というかと聞くと「入れて」であった。
私は「よしてっけ」を使ったので、姫路の中学校で笑われた話をした。

標準語では無い言葉も紹介して、「ごねる(死ぬ)」「めげる(壊れる)」、「ずつない(腹一杯でしんどい)」「いっこうぇ(行きましょう)」などなど
小学生の頃は、柄が悪いと言われて、方言を授業中に使うと怒られた話をした。
結局、いくら叱られても無くならなかった方言だが、テレビの影響で無くなったとも話した。
私がショックだったのは、生徒から「おじいさんが使う」と言われたことだ。
そうか、私が使っていた(る)言葉は、もう既に生徒らにとっては、おじいさんの言葉だと言うことを認識した。
ついさっきも、近所の人が携帯電話で「おまはん」(上郡でも使う)という言葉を使っているのを聞いた。
若い世代には、そういうのも年寄りの会話として聞かれていると言うことである。

自分が小さい頃、お年寄りが「ほうだはーん(そうなんです)」とか、「おせになって(成長して)」とかの言葉に世代の違いを感じた。
もし、生徒と話をする時に標準語を用わなければ、れっきとした私はおじいさんなのである。
しかし、私は兄弟などと話をする以外は殆ど方言は用いない。
職場でも赤穂出身と分かっていても、用いることは無い。
家内は広島弁混じりの相生弁や標準語なので、夫婦の会話は混乱状態である。
方言が忘れ去られるのは時間の問題だと思うし、自分自身もつかえなくなっている。

生徒たちは播州弁のイントネーションで関西弁や、標準語を話す。
生徒は出かけた先で関西弁だと思って話したら、おかしいと言われたという。
生徒自身イントネーションの違いを、理解していないのである。
いずれそのイントネーションも標準語化するだろう。

地域の特性を活かそうとか、個性を持とうとか言いながら、どんどん均質化が進んでいる。
書き言葉ではない方言は、話す機会や発信する機関が無いと失われる運命にある。
以前、名古屋の祭りで子供が神輿を引きながら、「元気を出して、わっしょい」というのを聞いて違和感を感じた。
しかし、もう近所の子供会でも「わっしょい」を普通に使っている。
因みに私の知っている神輿(屋台)のかけ声は
「おうー おうー まかせ あら えいいやー まかせーっせ」
「えいこらさ あーよいやさのせ こらさ あー よいやさのせ」である。

実はデーション祭りは、行ったことが無い。
生徒に行くのかと聞かれて、「デーッション祭りの日は、たいがい玉葱を植えている」と言って笑われた。
今年は雨が降ったので、祭りが出来たかも知らないし、当然玉葱も植えられなかった。
新しい踊りの祭りに方言を冠するのも、面白そうと思いながら、つい行けていない。
近所の人の中には「エイサー」踊りを頑張って。祭りに参加する人もいる。
新しい時代は地域を越えて魅力あるものを、それなりに地域性を出して表現するのが良いのだろうと思う。
そんな中で、「デーション」という方言は、赤穂を特徴付ける象徴的な言葉になっているのだろう。










2014年10月26日日曜日

磯釜の家

学校で試験監督をしていると、やることが無いので窓の外を見たりする。
4階からは遠く小豆島が見えるし、海浜公園の高い椰子の木の向こうに海が光っている。
市街地の方はどんどん家が建っていて、幼い頃に山から見下ろした風景とは一変してしまっている。
そんな中で思い出すのは、私が小学生頃まで過ごした尾崎磯釜の家である。
福崎町出身の柳田国男は生家を卑下したが、その写真に載っている家よりも貧しい作りだった。
父親は出物の家を購入したのだが、当初は風呂も無くて、向かえの家に入れてもらったり、風呂屋に行った。
父親は何でも節約する方で、家の改造は自分で行った。
トタン屋根で家を拡張して、風呂場も作ったし、納屋も作った。
ただ、当時はサッシが無かったので、風呂や便所は縁側の外にあって外気にさらされ、冬場はすごく寒かった。
今の作りでいえば2DKなのだろうが、押し入れが多くあったので、そのふすまを外して勉強部屋にしたりした。
平屋だったが、屋根裏があったので、時々はしごで屋根裏に上がった。
屋根の上にも、はしごで簡単に上がれたので、上に登ってよく叱られた。
隙間だらけの家だったので冬場は寒くて、電気ごたつを真ん中に布団を敷いて、家族六人が足を突っ込んで眠った。
山上憶良は囲炉裏を囲んで家族で寝たようだが、こたつの回りに同じような風景が展開された。

隣の家は蔵を改造したもので、別の持ち主の借家だったが、どういう訳か壁一つでくっついていた。
中学受験のために父親は、隣との壁際に勉強できる場所をこさえたのだが、声は筒抜けであった。
隣の人に私が英語の練習で発音している時には、黙って皆で聞いていると言われて恥ずかしかったを憶えている。
そんな貧しい家から引っ越しできたのは、父親が買っていた田が高校の用地買収で売れたからだった。
つまり、私はその田んぼを買ってくれて建てられた高校に今勤めているわけである。
その磯釜の家はしばらく知り合いに貸していたが、その親戚の人が買ってくれた。
そして、いつの間にか誰も住まなくなっていた。

数年前に懐かしくて、その家の側を通ってみた。
作りは殆ど昔のままで、玄関の南京錠をかける鍵もそのままだった。
ところが、屋根の一部が落ちて、中の容姿が見えるくらいになっている。
どういう過程で空き家になったのか知らないが、カレンダーもそのままであった。
幼い時代を過ごした家が無くなるのも寂しいが、荒れ果てるのを見るのも哀しい。
たぶん、大人の親にとっては、人生の一過程にしか過ぎないのだろうが、幼年期を過ごした自分達には思い出の凝縮した家である。
そういう私も親たちの昔の話を聞いても、別世界と考えていたから、今の世代の者にとっても同じだろう。
近くで暮らしているのに「思えば遠くへ来たものだ」と感じてしまう今日この頃である。






2014年10月18日土曜日

半袖自慢

私は未だに半袖のポロシャツで出勤している。
いわゆるクールビズのままで、10月半ばにかかったのである。
同じ職場には、もう一人半袖の方がいるが、その方はちゃんとベストのウィンドウブレーカー着ている。
以前勤めていた特別支援学校では、絶対勝てない人が二人もいた。
要するに冬場もずっと半袖で通される人がいたのである。
私はせいぜい頑張っても、11月半ばが限界である。
運動する時には半袖になれても、普段の生活では無理である。
普通校でも、上郡高校に勤めていた時に、12月を過ぎても半袖の人がいたので勝てなかった。
やっと一番になれたのである。

私は赤穂生まれで赤穂育ちなので、実は寒さには弱かった。
今でも上郡の近所の人の薄着には勝てないことがある。
寒さに強くなったのは、水泳とジョギングを続けてきたからだと思う。
特に水泳は真冬でも、温水プールに入るので、寒暖の差に強くなる。
ジョギングした後も、汗が引くまでは真冬でもTシャツ一枚ということが多い。
そのおかげか、風邪をひくことが殆ど無い。
風邪で仕事を休んだことがいつだったか、思い出せないくらいである。

生徒は授業中は教室でじっとしているせいか、ドアや窓を閉めていることが多い。
あまり寒がるので、開けられなくて、半袖で授業をしながら汗をかくこともある。
そのくせ、生徒はぽかぽかの教室で睡魔に襲われる者も中にはいる。
その際には、ロックで鍛えた喉をうならせて叫ぶ。
「○○起きろ」
気の毒なのは隣のクラスである。
私はBon JoviのIt's my lifeのフレーズ Shout it out loudが頭の中で流れる。

60近くになっても、半袖を着て私はたぶん叫び続けてるだろう。
起きろ 寝てる間に戦が始まってしまったぞ
君たちはまさしく眠れる獅子ならぬ、わんこちゃんだったんだぞ
と叫ばなくて済むように・・・ It's my life!

2014年10月13日月曜日

イモよあなたは強かった

今日のサツマイモの収穫に、久しぶりに畑仕事の喜びを感じた。
実は先週に次のニンニクを植えるため、二筋をほどサツマイモを掘ってみた。
いくら掘れど、小さいのが少し出てくるだけで、ナイロン袋いっぱいにもならなかった。
ところが、今回は一筋だけでコンテナ一杯にもなった。
掘り上げる今はたわわに蔓にぶら下がり、型もなかなか良い。
大きいのもたまにはあるが、焼き芋にちょうど良い中ぐらいのが多い。
これぞ鳴門金時という感じである。

実は、始めに量販店の店で買った安い苗は、雨が降らなかったこともあって多くが枯れた。
最初掘った二筋は、それの生き残りであった。
雨が降り出した頃には、量販店にはもう苗も売っていなくて、少々高かったが上郡の種苗の専門店で買った。
しっかりした苗で、ちゃんと根付いてくれたが、植えるのが遅かったので、近くの畑より茂りが悪かった。
隣の畑のおばさんは芋が大きすぎて、料理しづらいとこぼしていたが、たぶん育ちすぎたのだろう。
その点では遅く植えたのが、正解だったのかもしれない。
何より、やはり苗はしっかりしたところで買わねばならないと思った。
安かろう悪かろうでは、結局損失になる。

今年は天候不順で、どこでも畑は苦戦している。
先日も上郡の近所の人が、サツマイモが水っぽいと言っていた。
手入れが出来なかった人は、マルチをしていても苗のそばで草が生えて、成長が悪かったという。
その点では何とか、草にも負けずに育ってくれたと思う。
それは苗を植えるために、あまりマルチを大きく切っていなかったせいでもある。
面倒くさいので、スコップで切れ目を入れて差し込むだけなのである。
雨が多い今年はそれが幸いしたようだ。
今年は里芋もしっかり葉を茂らせてくれているので、収穫が期待できる。
破綻気象の中でも、頼りになるのは芋なのかもしれない。

追記
サツマイモ掘りから一週間後、私は里芋を掘った。
こちらも豊作で、 6株ほどでコンテナの半分くらいになった。
さっさく家内が買ってきた里芋と一緒に煮てくれた。
家のは柔らかくておいしい。
買ってきたのはごりごりと歯触りが悪い。
この里芋は、時期遅れで100円ほどに値下げされた種芋を駄目元で植えたものである。
来年もこの手で行こう・・・

戯れし蟹

今の職場に替わって思い出した幼い頃の記憶がある。
それは「蟹」である。
校舎の廊下を小さいのが、ちょろちょろしているのだが、トレーニングで走る唐船あたりにはいっぱいいる。
これまでは家や職場の周りでも、また家庭訪問で出かけるところでも殆ど見かけることは無かった。
私は蟹を見ると捕まえたくなる。
幼い頃にバケツと火バサミをもって、近所の溝に蟹をよく獲りに行ったからである。
溝の石の隙間から出てきたのを捕まえるのだが、なかなか上手くいかなくて、何度も近所を回り歩いた。
別に食べられるわけでは無いのだが、友達に大きいのを見せて自慢したかった。
蟹の種類も、赤い爪のアカガニと言っていたのや、背中につぶつぶの模様のある豆ガニ、川にいる紫ガニなど、大きくて珍しいのが自慢できた。
ハサミを避けながら、手でつかんで友達に見せるのも楽しかった。
ご飯などの餌をやってしばらく飼っていた。
それでもいくつか死んだりして臭くなると、母親に溝に捨てるように言われて、渋々逃がした。

私は蟹はどこにでもいるものだと思っていたのだが、海の側しかいないそうだ。
確かに家の近所でもたまに見かけるのだが、それは全て沢ガニである。
小さいのから大きいのまで、色んな種類がいるのは海の近辺だけだと気がついた。
生物の先生に聞くと、蟹は海で産卵して幼少期を海で過ごすので、海の側でないと生息できないそうだ。
私はかつて住んでいた尾崎の家の近くの溝で、一生過ごすのとばかり思っていた。
汚いどぶの中で過ごす蟹たちに、そんな生い立ちがあったとはこの歳になって驚きだった。
先日、笠岡のカブトガニの博物館に家内と一緒に訪ねた。
その時に鳥撫(天和)の海で、カブトガニの小さいのを捕まえたのを思い出した。
夏休みによく祖父母の家に遊びにいったので、その時に海に行って獲ってきた。
当時は珍しくも何とも無かったので、死んだらそのまま捨ててしまった。

カブトガニは赤穂ではいなくなったけれど、こうして蟹が今でもいっぱい残っていてくれるのは嬉しい。
唐船の道ばたでは踏んづけそうになるくらいいっぱいいて、小さい頃にこの場所を知っていたらと思ったりもする。
今は誰も見向きもしなくなった蟹だけれど、まだ赤穂に自然が残っていることを示してくれる大事な仲間である。


2014年9月20日土曜日

里の生き物と人

このところ狐によく出会う。
大人になる前の若狐のようだ。
春にもよく見かけたのだが、それはイチゴを狙っていたらしい。
今は、田んぼの中の獲物や落ちた柿などの果物のようだ。
朝の散歩の時などは、しばらくこちらの様子を見ていて、近づいていくと稲の中に隠れる。
さすがなのは、じっとしているのか稲が揺れない。
北海道に修学旅行で行った時に、キタキツネの話を聞いた。
人が餌をやるのでなついているとのこと。
冬場の雪が人と狐を結びつけているのかもしれない。
ここらでは畑や庭を荒らすので歓迎されていない。

今年は例年に無くカルガモの群れをよく見かける。
夏を田んぼや川で越したのだが、10羽ほどが編隊を組んでよく空を舞っている。
台風が来た時はどうするのか気になったが、蓮の池に待避していたようだ。
これも稲を荒らすので歓迎されていないようだが、猟期では無いので獲る人はいない。
鷺も相変わらず多くて、田んぼや家のそばの溝でドジョウなどの小魚をついばんでいる。
急に飛び立って驚かされることもあるが、道で出会うと一声鳴いて飛んでいく。
そう言えば、散歩の時にいつも出合う山羊も、そばを通る時に挨拶のように軽く鳴いてくれる。
気に障るのは電柱や電線に留まっているカラスで、警戒を示す鳴き声で威嚇する。
それでも、襲いかかってくる(側まで飛んで威嚇する)ケリよりはましである。

だから、家に一人で居てテレビを見ているよりも、散歩に出かけて動物や虫たちを眺めている方が楽しい。
そして、何よりも嬉しいのは、近所で赤ん坊の泣き声も聞こえたり、出産間近のお母さんを見かけることである。
そして、子供が安心して虫を捕っていたり、自転車に乗って遊んでいる。
残念ながら友達が少なくて、一人である事が多いのだが、大人が野良事しているので、寂しくはなさそうである。
たまにおばあさんが一緒に網を持って走り回っている。
ご本人は大変かもしれないが、うらやましくもある。

人と生き物がそこそこ仲良く暮らしていっている里、中途半端な動物園よりも楽しい。