この4月1日付で定時制に異動となった。
私も今年57歳になるので、最後の異動ということになるだろう。
ただ、定時制は前任校と同じ敷地内にある。
いわば、お隣に引っ越しということだが、意外と隣づきあいは少なかった。
もともと、定時制か通信制への異動を希望していた。
一番の目的は研究にもう少し時間を費やしたいこと。
二番目の目的は、年老いた母親の万一に備えること。
三番目の目的は、本来は一番であるべきなのだが、苦学生の力になることである。
定時制・通信制を希望しながら全日制に赴任したのは、学校が親元の近くなので二番目の目的が叶うこと。
そして、もう一度進学指導やクラブ指導もやってみたいとも思った。
また、55歳の免許更新をせずに転職するのが、本来の目的でもあった。
つまり、担任した生徒と一緒に巣立つのが夢だったのである。
しかし、それは果たすことが出来なった。
私は初任が知的障害の特別支援学校、当時は養護学校と言っていた。
二校目が職業高校、三校目が肢体不自由の特別支援学校、四校目は農業科もある全日の総合高校。
五校目は総合科学の進学校、六校目は知的障害の特別支援のマンモス学校、そして七校目が全日の普通高校だった。
正式採用されて、今回の定時制で八校目と言うことになる。
これに加えて、臨時常勤講師として、姫路の中学校で英語、赤穂の中学で数学、尼崎の普通高校で現代社会を教えた経験を持つ。
そうすると、学校で教えた経験は11校ということになる。
また、特別支援学校では小学部の児童も指導しているので、小中高はすべて経験した。
経験できなかったのは、通信制、聴覚、視覚の特別支援学校などである。
多くの学校を経験していることはあまり自慢にはならない。
それだけ同じ学校に長くいなかったことだからだ。
さらに私の場合は途中の二年間、兵庫教育大の大学院に研修に行っている。
だから、平均すれば今までは一校あたり4年ほどしかいなかったことになる。
異動の理由は様々だが、研究を続けるために教師になりながら、それができなかったことも大きい。
単に、時間が無かったということでは無く、例えばクラブの指導などにのめり込んだこともある。
教師の仕事に夢中になって、研究なんかどうでも良いように思えたときもあった。
ただ、理想と現実はいつも乖離したままであった。
だから、本質は青い鳥症候群なのかもしれない。
今回は希望が叶ったことは嬉しいが、その責任の重大さも感じている。
3月まで関わった生徒には、それなりに思いはある。
ただ、どちらかというと裏方やサポートの仕事が多くて、十分に関わることができなかったのが心残りでもある。
本来はクラブや学年集団の中で、もっと親密に関わることができれば良かった。
この全日制は初任校とおなじ最短3年であり、担任が1年間のみというのはかつては無かった。
ただ、担任した生徒と一緒に北海道に修学旅行へ行けたのは、楽しい思い出となった。
礼儀正しくまじめな生徒が多かった。
私は最後の1年間は、毎朝の校門立ち番で、おはようの挨拶をし続けた。
すべての生徒ではないが、返事を返してくれると嬉しかった。
今度は定時制働きながら、そばで応援したい。
そして、私の生き様も視てもらいたいとも思っている。
現役生とも、卒業生も顔を見せてくれたら、うれしいんだけどね!
播磨の西外れにある私の生まれ育った赤穂や、今暮らしている上郡に関すること、農作業,山野河海の恵み、趣味の水泳、音楽、専門である有機農業や、教育、文化人類学、民俗学に関することなどを、きままに記してみます。
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2016年4月2日土曜日
2016年3月27日日曜日
心遣いに感謝
3年生が卒業してから1ヶ月。
3月は入試や、次年度の準備でゆっくり振り返る余裕がなかった。
春休みになって、余裕ができて、やっと3年生からの贈り物を手にして、その心遣いに心が目覚めることができた。
生徒会の執行部が、卒業式の日に、プレゼントしてくれた。
わざわざ、姫路まで買いにいってくれたらしい。
3月は入試や、次年度の準備でゆっくり振り返る余裕がなかった。
春休みになって、余裕ができて、やっと3年生からの贈り物を手にして、その心遣いに心が目覚めることができた。
生徒会の執行部が、卒業式の日に、プレゼントしてくれた。
わざわざ、姫路まで買いにいってくれたらしい。
私は彼らのために、余りしてやれなかった。
むしろ、彼らのほうがどんどんと前向きに仕事をこなしてくれた。
贈り物をされるなんて、後ろめたい気もするが、ありがたく活用しようと思う。
きっと彼らは、どこへ行っても、執行部で活躍した力を発揮してくれるだろう。
ありがとう。生徒会執行部
むしろ、彼らのほうがどんどんと前向きに仕事をこなしてくれた。
贈り物をされるなんて、後ろめたい気もするが、ありがたく活用しようと思う。
きっと彼らは、どこへ行っても、執行部で活躍した力を発揮してくれるだろう。
ありがとう。生徒会執行部
2016年1月28日木曜日
すばらしい贈り物
今日で三年生の授業は終わった。
去年の三年生はは担任した学年と言うことや、朝補習などで深く関わった
特に朝補習や受験指導で多く関わったクラスでは、最終授業で花束をもらってお礼の挨拶を受けた。
感激のあまり涙が出て、ありがとうとしか言えなかった。
今年の三年生は朝補習もしなかったし、センター受験生徒の多いクラスは週二時間だけだった。
そのセンター受験の多いクラスは、最終の授業もセンター試験の前で終わり、その後は午前中授業になった。
センター試験前では最終授業という思い入れは、どちらも起こらなかった。
その後、午前中にある一般クラスの授業があった。
当然一般のクラスからは、最終授業に花束などもらうことも無かったし、お礼の言葉もなかった。
こんなものだろうなと思って、欠席を確認するために三年の学年団席の黒板を見に行った。
あるクラスの担任の先生が昨日Aさんが来ていたのを知っているかと言った。
当然一番前の席だったので知っているというと、彼女は私の4時間目にあった最終授業を受けるためだけに出てきたという。
その前も休んでいたし、今日も休んでいるという。
そう言えばしばらく休んでいたので、昨日も「久しぶりやね」というと、にこっと笑っていたのを思い出した。
調子が悪いのかなと思っていたので事情を聴いてみると。
登校しても意味が無いと言ってずっと休んでいるそうである。
その生徒が私の最終授業の一時間だけのために出てきたという。
実は最初言われた時にはピンとこなかった。
担任の先生は私の授業だけのために来たと言うことを言いたかったのだ。
私は調子が悪いと決めつけていただけに、自分の授業だけのために出てくる意味を理解できないでいた。
後でその意味が飲み込めて嬉しくなった。
たとえ花束をもらわなくても、こんな嬉しいことは無いと思った。
自分の授業だけは特別に学校へ出てきてくれることは、どんな花束よりも、素晴らしい贈り物に思えた。
長く教師生活しているが、こんな素晴らしい贈り物は初めてのように思えた。
去年の三年生はは担任した学年と言うことや、朝補習などで深く関わった
特に朝補習や受験指導で多く関わったクラスでは、最終授業で花束をもらってお礼の挨拶を受けた。
感激のあまり涙が出て、ありがとうとしか言えなかった。
今年の三年生は朝補習もしなかったし、センター受験生徒の多いクラスは週二時間だけだった。
そのセンター受験の多いクラスは、最終の授業もセンター試験の前で終わり、その後は午前中授業になった。
センター試験前では最終授業という思い入れは、どちらも起こらなかった。
その後、午前中にある一般クラスの授業があった。
当然一般のクラスからは、最終授業に花束などもらうことも無かったし、お礼の言葉もなかった。
こんなものだろうなと思って、欠席を確認するために三年の学年団席の黒板を見に行った。
あるクラスの担任の先生が昨日Aさんが来ていたのを知っているかと言った。
当然一番前の席だったので知っているというと、彼女は私の4時間目にあった最終授業を受けるためだけに出てきたという。
その前も休んでいたし、今日も休んでいるという。
そう言えばしばらく休んでいたので、昨日も「久しぶりやね」というと、にこっと笑っていたのを思い出した。
調子が悪いのかなと思っていたので事情を聴いてみると。
登校しても意味が無いと言ってずっと休んでいるそうである。
その生徒が私の最終授業の一時間だけのために出てきたという。
実は最初言われた時にはピンとこなかった。
担任の先生は私の授業だけのために来たと言うことを言いたかったのだ。
私は調子が悪いと決めつけていただけに、自分の授業だけのために出てくる意味を理解できないでいた。
後でその意味が飲み込めて嬉しくなった。
たとえ花束をもらわなくても、こんな嬉しいことは無いと思った。
自分の授業だけは特別に学校へ出てきてくれることは、どんな花束よりも、素晴らしい贈り物に思えた。
長く教師生活しているが、こんな素晴らしい贈り物は初めてのように思えた。
2015年11月30日月曜日
10年ぶりのレース
きっかけはちょっとしたことだった。
本校の水泳部の主顧問が、別件の校務のために生徒引率できなかった。
私は代行を頼まれたのだが、今回の相生コスモスのレースは選手登録の必要が無かった。
私は10年前までは、マスターズの選手登録をして上郡のチームからレースにたまに出ていた。
本校の水泳部は男子の正選手が3人、女子が一人、そしてマネージャーが女子二人である。
そして、肢体不自由の選手が一人いるが、選手登録はしていなかった。
男子3人の内の一人は開催者の相生コスモスの選手でそちらから出場し、私が入らないとリレーは組めなかった。
どうせ引率するなら自分も出場し、リレーも参加しようと思った。
私は生徒と練習に普段付き合ったり、自分でも気が向いたら泳ぎに行っていた。
しかし、ここ数年は肩を壊したり、腹部を手術をしたりでまともな練習が出来ていなかった。
そこで、このレースに向けて練習を頑張りすぎたら、3週間前に痛風発作を起こしてしまった。
練習を積むどころか、まともに歩くことさえ出来なかった。
やっと一週間前くらいから泳げるようになって、今日の日を迎えた。
いつものことながら、レース前の朝は逃げ出したくなった。
特にリレーがあると、プレッシャーが倍増した。
それでも会場について、多くの人が集まってくると自然に気持ちが入ってきた。
ちびっ子や初心者が多いかと思ったら、意外と現役の選手も多く来ていた。
アップの練習で早くもM君が鼻血を出してしまった。
彼は肢体不自由なのだが、練習を頑張って全国の強化選手にも選ばれていた。
しかし、脚力が弱いのと、飛び込みの練習不足で苦手だった。
水面で顔面を打って鼻血が出てしまったのである。
彼は一般の人に交じってのレースで、リレーに出るのは初めてだった。
それでも200mメドレーリレーは何とか上手くいった。
しかし、自分のバタフライのタイムを知って情けなくなった。
M君がフリーしか泳げないので、私がバタフライを泳いだのだが、このリレーの結果では一番遅くて足を引っ張ってしまった。
リレーは周りは速いチームで気後れしたが、個人種目になると同じ年齢層でほっとした。
今まで滅多に出なかった50mフリーに出たのだが、やはり哀しい結果だった。
それでもM君より少しだけ速かったので、ほっとした。
彼には申し訳ないが、彼が出場してくれていなかったら私も出場していなかった。
顧問が生徒の足を完全に引っ張って、しゃしゃり出るわけにはいかなかった。
M君には56のジジーに負けたことに発憤して、世界を目指してくれることを願っている。
体のハンディーと年齢のハンディーでは、体のハンディーの方が厳しいことは分かる。
ただチャンスと言うことでは、彼の方が余程開けているのである。
私はどうあがいても世界で活躍できそうには無い。
昼休みに食事をとっていると、懐かしい人が挨拶に来た。
親子三人なのだが、父親は直ぐに分かった。
しかし母親は旧姓を名乗られても分からない。
話をしていてようやく、分かった。
この家族は前に勤めていた学校の水泳部の卒業生だったのだが、結婚していたとは知らなかった。
母親は近畿大会にも出場する選手だったが、体型も容貌も変わっていたので分からなかった。
可愛い子供を連れて挨拶してくれたのに、午後からのレースが気になってゆっくりと話が出来なかった。
こういうことがあると、クラブ顧問をやっていて良かったと思う。
彼らも子育ての余裕が出来たら、きっとまた泳いでくれるだろう。
そしたら、このコスモスで一緒にレースを楽しめそうだ。
午後からは25mバタフライに出場した。
当然、若かりし頃のタイムには遠く及ばなかった。
以前のマスターズチーム仲間は60代で14秒台で泳いでいた。
それよりも4秒も遅いタイムで、まだまだ頑張らねばと思った。
いよいよ、最後のフリーリレーとなった。
トータル年齢で区分してあるので、社会人チームと同じ組になった。
中学・高校生と同じ組より、私としては気分的には楽なのだが、周りは断然速かった。
結果はどうあれ、やっと無事終わってほっとした。
万一気分でも悪くなって、生徒に心配を掛けるようになってはいけないと思っていた。
老若男女、色んなハンディーを持っている人も一緒に楽しめる良いレースだった。
圧巻は全国大会に出場している赤穂の中学生だった。
こんな田舎の片隅で、全国レベルの泳ぎも見せてもらった。
単に競走だけで無く、応援やレクレーションのある楽しいレースだった。
頭が下がるのはコスモスプールのスタッフである。
休憩時間も殆どとらずに、レースを運営してくれた。
こういうレースがあるから水泳は楽しい。
私は久しぶりに、爽快な気持ちになれたことを、水泳仲間皆に感謝したいと思う。
なお、メドレーリレーで2位になっていた。
後日、表彰状がと届いた。
一生の宝物である。
職員室で他の教師に見せびらかしてやった!
本校の水泳部の主顧問が、別件の校務のために生徒引率できなかった。
私は代行を頼まれたのだが、今回の相生コスモスのレースは選手登録の必要が無かった。
私は10年前までは、マスターズの選手登録をして上郡のチームからレースにたまに出ていた。
本校の水泳部は男子の正選手が3人、女子が一人、そしてマネージャーが女子二人である。
そして、肢体不自由の選手が一人いるが、選手登録はしていなかった。
男子3人の内の一人は開催者の相生コスモスの選手でそちらから出場し、私が入らないとリレーは組めなかった。
どうせ引率するなら自分も出場し、リレーも参加しようと思った。
私は生徒と練習に普段付き合ったり、自分でも気が向いたら泳ぎに行っていた。
しかし、ここ数年は肩を壊したり、腹部を手術をしたりでまともな練習が出来ていなかった。
そこで、このレースに向けて練習を頑張りすぎたら、3週間前に痛風発作を起こしてしまった。
練習を積むどころか、まともに歩くことさえ出来なかった。
やっと一週間前くらいから泳げるようになって、今日の日を迎えた。
いつものことながら、レース前の朝は逃げ出したくなった。
特にリレーがあると、プレッシャーが倍増した。
それでも会場について、多くの人が集まってくると自然に気持ちが入ってきた。
ちびっ子や初心者が多いかと思ったら、意外と現役の選手も多く来ていた。
アップの練習で早くもM君が鼻血を出してしまった。
彼は肢体不自由なのだが、練習を頑張って全国の強化選手にも選ばれていた。
しかし、脚力が弱いのと、飛び込みの練習不足で苦手だった。
水面で顔面を打って鼻血が出てしまったのである。
彼は一般の人に交じってのレースで、リレーに出るのは初めてだった。
それでも200mメドレーリレーは何とか上手くいった。
しかし、自分のバタフライのタイムを知って情けなくなった。
M君がフリーしか泳げないので、私がバタフライを泳いだのだが、このリレーの結果では一番遅くて足を引っ張ってしまった。
リレーは周りは速いチームで気後れしたが、個人種目になると同じ年齢層でほっとした。
今まで滅多に出なかった50mフリーに出たのだが、やはり哀しい結果だった。
それでもM君より少しだけ速かったので、ほっとした。
彼には申し訳ないが、彼が出場してくれていなかったら私も出場していなかった。
顧問が生徒の足を完全に引っ張って、しゃしゃり出るわけにはいかなかった。
M君には56のジジーに負けたことに発憤して、世界を目指してくれることを願っている。
体のハンディーと年齢のハンディーでは、体のハンディーの方が厳しいことは分かる。
ただチャンスと言うことでは、彼の方が余程開けているのである。
私はどうあがいても世界で活躍できそうには無い。
昼休みに食事をとっていると、懐かしい人が挨拶に来た。
親子三人なのだが、父親は直ぐに分かった。
しかし母親は旧姓を名乗られても分からない。
話をしていてようやく、分かった。
この家族は前に勤めていた学校の水泳部の卒業生だったのだが、結婚していたとは知らなかった。
母親は近畿大会にも出場する選手だったが、体型も容貌も変わっていたので分からなかった。
可愛い子供を連れて挨拶してくれたのに、午後からのレースが気になってゆっくりと話が出来なかった。
こういうことがあると、クラブ顧問をやっていて良かったと思う。
彼らも子育ての余裕が出来たら、きっとまた泳いでくれるだろう。
そしたら、このコスモスで一緒にレースを楽しめそうだ。
午後からは25mバタフライに出場した。
当然、若かりし頃のタイムには遠く及ばなかった。
以前のマスターズチーム仲間は60代で14秒台で泳いでいた。
それよりも4秒も遅いタイムで、まだまだ頑張らねばと思った。
いよいよ、最後のフリーリレーとなった。
トータル年齢で区分してあるので、社会人チームと同じ組になった。
中学・高校生と同じ組より、私としては気分的には楽なのだが、周りは断然速かった。
結果はどうあれ、やっと無事終わってほっとした。
万一気分でも悪くなって、生徒に心配を掛けるようになってはいけないと思っていた。
老若男女、色んなハンディーを持っている人も一緒に楽しめる良いレースだった。
圧巻は全国大会に出場している赤穂の中学生だった。
こんな田舎の片隅で、全国レベルの泳ぎも見せてもらった。
単に競走だけで無く、応援やレクレーションのある楽しいレースだった。
頭が下がるのはコスモスプールのスタッフである。
休憩時間も殆どとらずに、レースを運営してくれた。
こういうレースがあるから水泳は楽しい。
私は久しぶりに、爽快な気持ちになれたことを、水泳仲間皆に感謝したいと思う。
なお、メドレーリレーで2位になっていた。
後日、表彰状がと届いた。
一生の宝物である。
職員室で他の教師に見せびらかしてやった!
2015年10月18日日曜日
御座候
先日、備前海の駅からの帰り、家内が大判焼きという看板を見つけて、「御座候のことやろう」という。
「そうや、御座候は商標名で、太鼓焼き言うたり、自分らは回転焼き言うとった」
家内は子供のために御座候を10個買って帰って、兄妹二人が3ヶずつ食べて、夕食もしっかり食べたことを思い出して語った。
幼い頃は姫路の御座候は本当に特別な物だった。
一年に一回姫路に行く時とか、父親がたまにお土産で買って帰った。
たいてい兄弟で赤餡を食べるか白餡を食べるか争いになった。
赤餡の方が子供には人気があったからである。
姫路近辺の人は御座候が何か分かる。
看板に「姫路の名物御座候」と書いてあるのを、何が御座候(ございます)なの?
と、遠くから来た人は電車から見て言っていたと聞いたことがある。
普段は赤穂(加里屋)の回転焼きを母親に買ってもらっていた。
本当は回転焼きよりも鯛焼きの方が好きだった。
神姫バスの営業所は、当時は旧駅(赤穂鉄道)とも言った。
そこの付近には回転焼きや鯛焼きを売る店があった。
今でも時々思い出すのは、病気になった我々兄弟を、母親が二人乳母車に乗せて医者に連れて行った時のことだ。
兄弟はすでに幼稚園には行っていたが、お多福風邪を患っていた。
病気でもはしゃぐ、やんちゃな私をじっとさせるためでもあったのである。
尾崎から赤穂大橋を渡って行くのだが、当時の私らには橋の向こうは別世界だった。
その時のことを、重い乳母車を押していくのは大変だったと良く聞かされた。
私が思い出すのは、帰りに店によって、買ってくれた回転焼きや冷やし飴だ。
夏の暑い盛り、それが格別に美味しかった。
こういうおやつのつながりは、母子の間での日常のものだ。
何気ない日常は思い出せないが、こういうことは思い出せる。
父子の関係ではおやつの思い出は殆ど無い。
だから家内が話した御座候は自分には記憶が無い。
父子の間で日常で思い出すのは、子供と散歩したりしたことなどである。
私はもう戻らないそういう親子の日常に感傷的な気分になった。
一方、隣の家内は、美味しい御座候が食べたいと車中で何度も言い続けた。
「そうや、御座候は商標名で、太鼓焼き言うたり、自分らは回転焼き言うとった」
家内は子供のために御座候を10個買って帰って、兄妹二人が3ヶずつ食べて、夕食もしっかり食べたことを思い出して語った。
幼い頃は姫路の御座候は本当に特別な物だった。
一年に一回姫路に行く時とか、父親がたまにお土産で買って帰った。
たいてい兄弟で赤餡を食べるか白餡を食べるか争いになった。
赤餡の方が子供には人気があったからである。
姫路近辺の人は御座候が何か分かる。
看板に「姫路の名物御座候」と書いてあるのを、何が御座候(ございます)なの?
と、遠くから来た人は電車から見て言っていたと聞いたことがある。
普段は赤穂(加里屋)の回転焼きを母親に買ってもらっていた。
本当は回転焼きよりも鯛焼きの方が好きだった。
神姫バスの営業所は、当時は旧駅(赤穂鉄道)とも言った。
そこの付近には回転焼きや鯛焼きを売る店があった。
今でも時々思い出すのは、病気になった我々兄弟を、母親が二人乳母車に乗せて医者に連れて行った時のことだ。
兄弟はすでに幼稚園には行っていたが、お多福風邪を患っていた。
病気でもはしゃぐ、やんちゃな私をじっとさせるためでもあったのである。
尾崎から赤穂大橋を渡って行くのだが、当時の私らには橋の向こうは別世界だった。
その時のことを、重い乳母車を押していくのは大変だったと良く聞かされた。
私が思い出すのは、帰りに店によって、買ってくれた回転焼きや冷やし飴だ。
夏の暑い盛り、それが格別に美味しかった。
こういうおやつのつながりは、母子の間での日常のものだ。
何気ない日常は思い出せないが、こういうことは思い出せる。
父子の関係ではおやつの思い出は殆ど無い。
だから家内が話した御座候は自分には記憶が無い。
父子の間で日常で思い出すのは、子供と散歩したりしたことなどである。
私はもう戻らないそういう親子の日常に感傷的な気分になった。
一方、隣の家内は、美味しい御座候が食べたいと車中で何度も言い続けた。
2015年10月10日土曜日
犬力アシスト自転車
最初は犬と一緒に走っていた。
しかし、自分のペースで走れないのでつらい。
そこで、自転車を使って運動させることを思いついた。
というのも、うちの愚犬クロは明らかに体力を持て余しているからだ。
最初用いたのはママチャリ。
ハンドルの部分に付けると前カゴが邪魔になるし、オフロードに弱い。
そこで、MTBを用いることにした。
オフロードでもいけるが、坂道の下りはブレーキを掛けっぱなし。
たちまちブレーキはすり減って効かなくなった。
効きの悪いブレーキで不意に前を横切るので転けそうになった。
そこで子供が使っていたキックスケーターを用いた。
オフロードでは無理だが、運動にもなるし楽しい。
ある朝、犬に引いてもらって、近くの山の麓まで出かけて気持ちよく朝の運動をしていた。
キックスケーターのハンドルにリードを付けてまさしく犬ぞりである。
緩やかな坂道を降りていた時に、急にクロが立ち止まった。
キックスケーターから私は投げ出されて転倒してしまった。
起き上がる私を見るなり、クロはキックスケーターを引いたまま逃げ出した。
カラカラとスケーターが引き摺られる音が谷間にこだまする。
必死で追いかけた。
当然追いつかない。
クロは脱兎のごとく、来た道を引き返す。
心配なのは国道である。
そこは上手く車がいなくて、横切れた。
こちらは全速力は止めてジョギングに切り替える。
田んぼに逃げていけば、きっとスケーターが引っかかると思ったからだ。
案の定、田んぼに逃げ込もうとして、スケーターが溝に引っかかっていた。
その後はしっかり反省してもらい、朝食抜きで一日静かだった。
このことでクロへの信頼は大きく失ったが、逃げ出した先が大好きな山では無く、家の方向だったのが慰めだった。
元野良犬も我が家が一番良いらしい。
そのこと以来、キックスケーターは諦めた。
ネットで色々調べたら、自転車を犬にひかせるギグレースなるものもあるという。
それなりの自転車に道具は必要なのだが、MTBを整備して使うことにした。
ブレーキの遊びを少なくしたので、直ぐに止まれるようになった。
ハンドルにつなぐ位置も工夫して、リードしやすくした。
相変わらず人や犬に過剰反応するので、その時にはじっと待たせることが大変なことに変わりは無い。
それでも歩く時より短時間でかなりの距離を進むことが出来る。
引っ張ってもらう時間も多く楽だが、こちらは少し運動不足。
家内が言うには、クロは昼間ぐっすりと眠っているそうである。
これで悪戯が少なくなれば一挙両得である。
慣れてくればギグレースも良いが、これで山野を駆け巡るのもいいかも・・・
しかし、自分のペースで走れないのでつらい。
そこで、自転車を使って運動させることを思いついた。
というのも、うちの愚犬クロは明らかに体力を持て余しているからだ。
最初用いたのはママチャリ。
ハンドルの部分に付けると前カゴが邪魔になるし、オフロードに弱い。
そこで、MTBを用いることにした。
オフロードでもいけるが、坂道の下りはブレーキを掛けっぱなし。
たちまちブレーキはすり減って効かなくなった。
効きの悪いブレーキで不意に前を横切るので転けそうになった。
そこで子供が使っていたキックスケーターを用いた。
オフロードでは無理だが、運動にもなるし楽しい。
ある朝、犬に引いてもらって、近くの山の麓まで出かけて気持ちよく朝の運動をしていた。
キックスケーターのハンドルにリードを付けてまさしく犬ぞりである。
緩やかな坂道を降りていた時に、急にクロが立ち止まった。
キックスケーターから私は投げ出されて転倒してしまった。
起き上がる私を見るなり、クロはキックスケーターを引いたまま逃げ出した。
カラカラとスケーターが引き摺られる音が谷間にこだまする。
必死で追いかけた。
当然追いつかない。
クロは脱兎のごとく、来た道を引き返す。
心配なのは国道である。
そこは上手く車がいなくて、横切れた。
こちらは全速力は止めてジョギングに切り替える。
田んぼに逃げていけば、きっとスケーターが引っかかると思ったからだ。
案の定、田んぼに逃げ込もうとして、スケーターが溝に引っかかっていた。
その後はしっかり反省してもらい、朝食抜きで一日静かだった。
このことでクロへの信頼は大きく失ったが、逃げ出した先が大好きな山では無く、家の方向だったのが慰めだった。
元野良犬も我が家が一番良いらしい。
そのこと以来、キックスケーターは諦めた。
ネットで色々調べたら、自転車を犬にひかせるギグレースなるものもあるという。
それなりの自転車に道具は必要なのだが、MTBを整備して使うことにした。
ブレーキの遊びを少なくしたので、直ぐに止まれるようになった。
ハンドルにつなぐ位置も工夫して、リードしやすくした。
相変わらず人や犬に過剰反応するので、その時にはじっと待たせることが大変なことに変わりは無い。
それでも歩く時より短時間でかなりの距離を進むことが出来る。
引っ張ってもらう時間も多く楽だが、こちらは少し運動不足。
家内が言うには、クロは昼間ぐっすりと眠っているそうである。
これで悪戯が少なくなれば一挙両得である。
慣れてくればギグレースも良いが、これで山野を駆け巡るのもいいかも・・・
2015年10月4日日曜日
運動会での交流
この10月3日土曜日、赤穂にある特別支援学校と本校の生徒会の五人が交流した。
参加といっても、運動会の来賓扱いで、最初のラジオ体操と午前の玉入れに加わる程度であった。
私は教員に正式採用されて、初任校であった上、特支での勤務は11年で知り合いも多い。
どちらかというと私にとっては同窓会気分でもあった。
最初に歌った校歌もほぼ歌えたが、「養護学校」が「特別支援学校」になっていた。
知っている職員は以前勤めていた学校の職員の場合もあるし、今の勤め先の伴侶であったりした。
旧知の教員は特支だけで無く、職業高校の教師も数人いた。
運動会自体も私にとっては馴染みの風景でしか無かった。
しかし、本校生徒にとっては初めての経験で、新鮮であり歓声を上げたり、拍手で応援した。
特支では確かに運動場が新たに芝生のグラウンドになってはいたが、内容はあまり変わりは無かった。
おそらく普通高校の体育祭も、同じような競技の繰り返しなのであろう。
変わりが無いと感じさせたのは、自分がいた頃先頭に立っていた教員が、已然と先頭に立っているからである。
ただ、髪の毛が全くなかったが、それが却って年齢不詳で時間を超えさせた。
しかも、採用同期の教師も戻ってきていた、彼も二回りほど横に大きくなっていた。
30年前に戻った気分になり、演技に一緒に参加したくなった。
私は前任校が姫路のマンモス特支だったので、本当にこじんまりとした感じに思えた。
おそらく自分がいた頃も、これくらいの規模だったのだろう。
学校の周りの風景もあまり変わりはない。
むしろ、山々は緑が深まった印象を受けた。
この支援学校も隣接する障害者施設も、施設はどんどん増改築されたり、新築された。
それでも、脈々と優しい教育が育み続けられているように思えた。
特支には知っている若い教員も多いので、しばらくはどこに行っても知り合いに会えそうである。
ところが、せっかく観覧していた一般参加者の教え子に声を掛けられたのに、名前が思い出せない。
顔を見れば教え子だということはたいてい分かる。
特支の担任した生徒は名前を忘れることは無い。
普通校や職業校の生徒は、担任していても名前を思い出せないことがある。
どうか、もし声を掛けてくれるなら、先に名乗って欲しい。
「どこどこにいた○○です おぼえてますか」と
いきなり「先生憶えてますか?」は、教師生活30年の私には酷なのです・・・
参加といっても、運動会の来賓扱いで、最初のラジオ体操と午前の玉入れに加わる程度であった。
私は教員に正式採用されて、初任校であった上、特支での勤務は11年で知り合いも多い。
どちらかというと私にとっては同窓会気分でもあった。
最初に歌った校歌もほぼ歌えたが、「養護学校」が「特別支援学校」になっていた。
知っている職員は以前勤めていた学校の職員の場合もあるし、今の勤め先の伴侶であったりした。
旧知の教員は特支だけで無く、職業高校の教師も数人いた。
運動会自体も私にとっては馴染みの風景でしか無かった。
しかし、本校生徒にとっては初めての経験で、新鮮であり歓声を上げたり、拍手で応援した。
特支では確かに運動場が新たに芝生のグラウンドになってはいたが、内容はあまり変わりは無かった。
おそらく普通高校の体育祭も、同じような競技の繰り返しなのであろう。
変わりが無いと感じさせたのは、自分がいた頃先頭に立っていた教員が、已然と先頭に立っているからである。
ただ、髪の毛が全くなかったが、それが却って年齢不詳で時間を超えさせた。
しかも、採用同期の教師も戻ってきていた、彼も二回りほど横に大きくなっていた。
30年前に戻った気分になり、演技に一緒に参加したくなった。
私は前任校が姫路のマンモス特支だったので、本当にこじんまりとした感じに思えた。
おそらく自分がいた頃も、これくらいの規模だったのだろう。
学校の周りの風景もあまり変わりはない。
むしろ、山々は緑が深まった印象を受けた。
この支援学校も隣接する障害者施設も、施設はどんどん増改築されたり、新築された。
それでも、脈々と優しい教育が育み続けられているように思えた。
特支には知っている若い教員も多いので、しばらくはどこに行っても知り合いに会えそうである。
ところが、せっかく観覧していた一般参加者の教え子に声を掛けられたのに、名前が思い出せない。
顔を見れば教え子だということはたいてい分かる。
特支の担任した生徒は名前を忘れることは無い。
普通校や職業校の生徒は、担任していても名前を思い出せないことがある。
どうか、もし声を掛けてくれるなら、先に名乗って欲しい。
「どこどこにいた○○です おぼえてますか」と
いきなり「先生憶えてますか?」は、教師生活30年の私には酷なのです・・・
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