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2016年7月10日日曜日

クロのプチ家出

クロが我が家に来ておおかた一年になる。
先日そのクロが家出した。
以前も庭の檻から何度も脱走を繰り返したが、いつも帰ってきていた。
今回も一度近くまで帰ってきたが、捕まえようとして再び逃げてしまった。
今までに逃げ通せたことは無かった。

その日の朝、散歩の時に、狢を見つけて追うので紐を放したのがいけなかった。
長いリード紐でつないでおいたので、何とか捕まると思ったが、山の中に入ってしまった。
私は一度家に帰って山に入れる格好をして、探しに行った。
鳴き声がして、どこかに引っかかっていることが分かった。
声をかけると鳴き声はやんでしまった。
捕まるのを懼れたのだろう。
以前、紐が切れて脱走したときに捕まえて、こっぴどく叩かれた経験がそうさせたのだとだと思う。
山に入って探してみたが鳴き声がしなくなったので、見当が付かなくなった。
家に帰って家内と車でもう一度来たときには、もう紐から放れていたのか鳴き声はもう全く聞こえなかった。
クロはリード紐くらい食いちぎれることは分かっていた。

腹が空いたら帰ってくると思っていたが、案の定夕方になったら近くまで戻って来た。
近所の奥さんがわざわざ知らせに来てくれたのだが、家内が息子にに頼んだのが悪かった。
一番の適役は、普段クロをかわいがっている家内なのである。
当然自分には無理だが、クロは息子から呼び寄せ用のジャーキーだけもらって逃げてしまった。
私も駆けつけて、田んぼの土手にいたので、挟み撃ちにしたが、田んぼの中を走って逃げた。
必死で跡を追いかけたが、今回は全く追いつけなかった。
その後息子に追わせて、自転車を取りに戻ったが、自転車で戻ったときには姿が見えない。
家に戻って携帯電話で連絡を取ったら、高田台の池だと言うので、軽トラで出かけた。
ようやく見つけて溝に入っているのを見つけて挟み撃ちにしようとしたが、ワンと吠えて逃げていった。
高田台の坂道を上り、崖の森に入ってしまったので諦めた。

考えてみれば前回紐が切れたときに捕まえられたのは、真剣に逃げていなかったと言うことだったのだ。
切れた紐が付いていたこともあるが、本気で逃げる気では無かったことも確かである。
それを思いっきり、叩いたことが悪かったようだ。
クロとしては遊んだつもりだったのだろう。
今回は本気で逃げている。
猟犬は訓練した後に放さなければいけないことは分かっていた。
訓練もさることながら、クロとは信頼関係が築けてなかったように思う。
それはなんといっても遊んでやってなかったからだろう。
力尽くで従わせようとしたところもあった。
以前飼っていた犬とクロとの違いは、遊んでやっていたかどうかが大きいと思う。
シェルティーの雌犬モモは常にそばにいようとしたのも、かわいがってもらえたからだろう。
ただ、雄犬はじゃれ方が半端ではないので、かわいがることも面倒だった。
せめて遊んでやることを考えれば良かったと思う。
そう思いながら、帰ってこないクロを一晩待った。

翌朝、クロは戻って来て檻の中にいた。
さすがににいつもいる縁台には座れなかったのだろう。
そこには家内が餌を入れて置いていたのだが、食べてもいなかった。
その日は餌だけやって散歩には連れて行かなかった。
家内は「散歩に連れて行ってやって」といったが、「是々非々で行く」といっていかなかった。
今回は当然叩かなかったし、怒りもしなかった。
そんな不気味な態度の私に対して、上目遣いで見ながらクロは一日しおらしく檻の中にいた。
うっかりと檻の扉に隙間を空けていたのにも関わらず、外出して戻って来ても逃げてはいなかった。
夕方は散歩に出たそうにしたが連れて行かず、翌日から普通の散歩に戻った。

戻ったクロにはハーネスは着いていたが、引き綱の留め金は着いていなかった。
これは人が外さないと無理だと思う。
誰かが引っかかっているクロを外してくれたのかもしれない。
それにしてもまるまる一日の脱走劇ではあった。
思う存分外を逃げ回ったのは良いが、結局帰らざるを得なかった。
殴られる覚悟はしていたと見えて、私の姿におびえていた。
今回は殴れなかった。
もし、昨日捕まえていたなら思いっきり殴っていただろう。
それがクロにはよく分かっていたのだと思う。
いわゆるほとぼりの冷めたところで戻って来て、反省の意志を示すことまでした。
私はクロは二三日家出して、やせ細って帰ってくるかと思ったが、それほど外の世界を望んではいなかったようだ。
食い物をもらえて安心して眠れるところが、どれほどありがたいか元野良犬のクロは知っているのだろう。
逆に言えば出て行って帰ってこないということは、外で生きていく術を知っているか、一緒にいるより、のたれ死んだ方がましというわけだ。

世間でよくある離婚や家出というのもそういうことかなと思ったりした。
自分たち夫婦がやってこれたのは、子育てという共同作業があったからだ。
昔、鳩を飼っていたが、鳩は子供がいると必ず小屋に戻ってきた。
その子育ての中で夫婦ができあがってきたのだろうと思う。
とにかく、今回の逃走劇は色々考えさせられたが、クロが他の人や物に危害を及ぼさなくて良かったと思う。
クロが危害を加えそうな雰囲気では無いので、周りも騒がずにいてくれているのだろう。
それなりに地域に馴染んでいることも確かである。
クロともこれを機会に新たな関係を築かなくてはいけない。
もう力尽くではだめだと分かったからだ。
そしてこのことは人との関わりも遊びの部分が、必要なのだということも学んだ。

2016年6月19日日曜日

キラーストレスに思う

昨夜と今晩(6/18 19)のNHKの特集番組の「キラーストレス」は非常に興味深いものだった。
ストレスが病気や死に繋がることは漠然とは意識していた。
しかし、そのメカニズムまでは分からなかった。
ストレスが体や脳に与える影響がいかに大きいかを説明してくれていた。
過剰なストレスにさらされている人が癌や心筋梗塞になりやすいことも分かった。
以前職場で現役で心筋梗塞や癌で亡くなった人は過剰にストレスを抱えていたことも確かである。
ストレスは自ら招くものや、人から与えられたりするものもある。
問題なのはそれをはっきりと意識できないことだ。
ライオンの攻撃ははっきりと意識できるが、満員電車のストレスは毎日のことで意識しづらい。

管理職との人間関係もそうである。そもそも仕事のために我慢せねばならないことなのである。
なまじっか慣れるとか上手くやれるとか思わない方が良いのかもしれない。
脅威を与えるライオンと同等と見做して対処方法を考えねばならないように思えた。
戦うときには戦う。逃げるときには逃げなければならない。
特に長のついた役職などは、使いこなせない権威という武器を手に入れてしまった人もいる。
(どこかの知事を指しているのではありませんが・・・)
役職としての権力を手に入れたのは良いが。まともに使いこなせない場合は始末が悪い。
しかも、虎の威を借る狐に過ぎなかったのに、虎になったと勘違いをしている場合もある。
結局は別の虎の狐になったに過ぎないのだが・・・。
上役で無くても同僚との関係でストレスもあるので、すべて上役が悪いというわけでも無い。
場合によって自分が相手のストレスの原因になっているとも限らない。

ストレスへの対処法として、運動や瞑想、楽しいことを考えたり行ったりしたら良いという。
自分が鬱に近い状態になったときに、できていなかったのは運動だったように思う。
今は仕事が忙しくても何とか午前中の運動の時間を確保している。
楽しみは一時に比べれば減ったが、SUPという新たな楽しみもできた。
座禅は以前自己流でした経験があるのだが、これから取り入れてみようかなと思う。
将来や過去のことを気に病むことが大きなストレスとなるようなので、なるべく気持ちを入れ込むことは避けた方が良いだろう。

食物連鎖の頂点に立つ人間には、自らの社会が生んだキラーストレスという脅威にさらされている。
その餌食にならないように気をつけよう・・・

2016年6月4日土曜日

自家製のヨーグルトと納豆

シャトルシェフでヨーグルトを作った。
ネットではR1の作り方がのっていたので、それと同じ方法でPA-3を作ることにした。
PA-3は体内のプリン体を減らしてくれるというので、毎日1本飲んでいた。
この製品はドリンクタイプで112ml程なのに、安くても100円もして負担を感じていた。
シャトルシェフを買ったのを良い機会に、家内に作ってもらうことにした。
作り方はシャトルシェフの鍋で無調整の牛乳1.6Lを45℃にし、そこに砂糖を40gとPA-3を一本入れる。
鍋をセットした後は、うちではそのまま12時間放置した。
(ネットでは温度が下がると、鍋を温めるように書いてあった)
12時間後には見事とろみが出てきていて、それをタッパに入れて冷蔵庫にしまった。
しゃぼしゃぼのヨーグルトになるのではないかと心配したが、ドリンクタイプを使ったのにしっかりとした固さだった。
それ以降は、普段食べているプレーンヨーグルトと同じように食べることができた。

実は定時制高校の仕事は夕方に小腹が空くので、炭水化物の少ない食品を探していたのでもってこいの食品である。
職場にもチアシード入りのPA-3を保冷容器に入れて食べた。
売っているPA-3のドリンクタイプは甘いし量も少ないが、自家製はちょっと酸っぱいが量はふんだんにあった。
家内は最初自分は通風では無いので必要ないと言っていたが、結局朝の普通のヨーグルト代用で一緒に食べた。
計算すれば普通のプレーンヨーグルトより安くついている。
次は豆乳でチャレンジするつもりである。
自家製の黒大豆が沢山有るので材料費の節約になるからである。

次に納豆を作ることにした。
家で黒大豆を作って保存していたので、それを用いることにした。
これもネットで調べたのだが、お湯にタッパを浮かせるやり方は面倒であり、そこで自分なりに考えた。
分量はネットと同じ乾燥大豆200g、これを12時間水につけてふやかす。
家内に頼んで圧力鍋で40分蒸してもらい、火を止めて30分ほど蒸らし、それをタッパの容器に入れた。
その後はネットでは市販の納豆を10粒と書いてあったが、面倒なので1パックをお湯にといてタッパの大豆に混ぜ込んだ。
そして、タッパは密閉せず軽く蓋をしてシャトルシェフの鍋の中に入れた。
そして手で熱いくらいの温度のお湯を別のタッパの容器に同じように密閉せずに入れる。
その湯たんぽ代わりの容器を、シャトルシェフに入れた大豆入りのタッパの上にのせて、蓋をして保温した。
ヨーグルトは鍋に直に作ったので放置したが、納豆はタッパの容器を使ったので、上にのせた湯たんぽタッパを途中で温めた。
温めるのは簡単で、中のお湯を給湯器から出る適当なお湯と交換するだけである。
お湯に浮かべていないので、湯たんぽタッパの温度は高めにした。
タッパを密閉しなかったのは湿気が必要かなと思っただけである。

12時間後に見事黒大豆納豆が糸を引いた。
そのまま冷蔵庫に保存して、翌日の朝に見てみると表面が白くなっている。
一粒食べると見事なおいしさ。
朝は買っていた納豆があったのでそちらを食べて、昼に食べた。
市販の納豆のたれと辛子を混ぜて食べたが、大きな粒が口の中で溶けて本当に美味しい。
口の中で溶けるのが、煮豆と違うところである。
少々多めに食べても、胃にもたれず満腹感もあった。
これならつまみや小腹が空いたときの軽食にもなりそうだ。
まさしくシャトルシェフは我が家に食の革命を起こしつつある。

2016年5月30日月曜日

らっきょうと梅

この土曜日にらっきょうを掘って処理してつけた。
今年のらっきょうは植えてから二年目の物で小ぶりである。
らっきょうは世話のいらない作物で、草も抜かずにほったらかしでできた。
ただ、掘り起こすときに草が絡まって邪魔にはなった。
まずは植え付けたらっきょうの半分の量だけ掘ることにした。
掘ったらっきょうをそのまま持って帰り、まずは茎を切り落とした。
この後の根の部分と茎に近い頭の部分を食感を考えながら、包丁で切り起こさねばならない。
ここからは家内が中心になる。
二人で庭に腰掛けてその作業を黙々とこなした。
その後は家内が水洗いをしたり、湯通しをしたりして瓶につけ込んだ。
らっきょうは非常に体に良いことが「ためしてガッテン」でやっていたので、作付けを増やしていこうと思っている。
生でも酢味噌で食べたが、あまり辛くなく美味しかったので少し食べ過ぎた。

日曜日には庭になった梅の実を採った。
昨年までは梅の実は殆ど採れなかった。
採れなかったと言うよりも、とっても仕方なかった。
というのは毛虫が多量に発生したので、殺虫剤を散布したので実を利用しようと思わなかったからだ。
今年は春先に根元に多量の消石灰を撒いていた。
害虫は冬の間は根元の土の中にいるそうなので、それを駆除する目的だった。
その甲斐あって、毛虫は多少は発生したが、去年までのように食い荒らされることは無かった。
もう一つ梅の成育に役立ったのは、愚犬クロである。
クロがやってくる雀などに吠えて、幾分追っ払ってくれたので、花がついばまれることが少なかった。

梅は手の届くところは手で取っていたのだが、そのうち面倒くさくなった
そこで木の下に百円ショップで買った小さな寒冷紗を敷いて、棒でたたき落とすことにした。
梅は四方に飛び散ったので、あまり寒冷紗は役に立たなかった。
あちこちに落ちて、草花の下になったのを拾うのも手間だった。
クロが落ちた青梅をかじるので、叱りながら拾った。
直径30cm高さ40cmほどの収穫籠一杯になるほど採れた。
採った梅のへたの処理をするのは、私の仕事になってしまった。
竹串でへそのごまをとるように、へたの部分をほじくっていった。
私の要望はかりかり漬けなのだが、家内に後は任せることにした。

自家製のらっきょうや梅は売っている物とはひと味違うし、農薬や薬品処理をしていないので体に良い。
手間と言えば大きな手間ではあるが、夫婦での共同作業としてやれば負担は少ない。
庭先でやるのも楽しいし、夜なべ仕事でテレビを見ながらしてもいい
この日曜はシャトルシェフも買ったので、ヨーグルトや納豆にも挑戦しようと思っている。
こちらは経済効果も期待できるようにも思えるのだが、成功するやいかに・・・

2016年5月29日日曜日

SUPならぬSDP

昨日は二度目のSUPの練習を行った。
初めての練習は海で、波があったので二度目は川で波の無いところを選んだ。
天気は曇りで気温は低めであったが、風が無いので問題なかった。
私の住む村から少し離れた千種川の河原に、軽トラで水際まで降りていった。
家からは水泳パンツをはいてきて、上は半袖のウェットスーツを着た。
このスタイルはまだ水温が低いときの水泳練習のスタイルである。
違うのは今回はマリンシューズを履いたことだ。
また足とボードを結ぶゴム紐(リーシュコード)は、犬の首輪を足首につけ、カナビラに結んで外れないようにした。

水に浮かべて座って漕いで向こう側の中州に着くのは簡単だった。
ところがいざ立ってボードの乗ると、バランスを崩して何度も転倒した。
水温は少し低かったが、アウトプールの練習よりましだった。
前回は波があるから難しいと思っていたが、波が無くても立つのが精一杯。
少しでもバランスを崩すと簡単に転倒してしまった。
まるで氷の上に立っているようだった。
ボードが水面を簡単に滑っていく感じである。
川底は石ころだらけだったので、思いっきり手を打ちつけてしまった。

立つ練習だけでは面白くないので、まずは膝をついての正座スタイルで漕いだ。
自分は海に関してはあまり恐怖心は無いのだが、川は何となく不気味な感じで落ちたくは無かった。
水の流れはたいしたことは無いのだが、時々浅瀬があってそこにフィンが接触した。
方向転換は一方を前にかくより、後ろにかいた方が簡単にできた。
膝立ちしたりしても波は無いので、問題なく進めた。
正座スタイルは時間が経つと膝が痛くなる。
そこでボードの上であぐらをかいた。
ボードはゴム製でおしりは暖かく感じた。
ただ時折水が上がってくるのでお尻を冷やされた。

漕ぐのに余裕が出てくると、川の様子を見ることができるようになった。
殆どが石ころだらけの河原だが、一カ所に砂地を見つけた。
そこにボードを寄せて、そこで立つ練習を繰り返した。
わざとバランスを崩したりして、ボードになれるようにした。
勢い余って、頭から水中に落ちて紙が砂まみれにもなった。
立つことに慣れてきたが、漕いですすむことはまだ自信が無かった。
立って漕ぐ練習は、波穏やかな日に遠浅の海岸でしようと思った。

簡単にできると思っていたSUPは、スキー以上に難しい。
スキーは足の向きで滑ることを止められるが、ボードが足の力だけでは止まらない。
しかも、重心のかけ方でボードが簡単に動いてしまうのである。
ただ座って漕ぐことは大して難しくは無い。
お尻が濡れることを我慢すれば、ゴムボートより扱いやすいと思う。
ゴムボートは風の抵抗や、水の流れの影響を受けやすいからだ。
ボードなら水の流れに逆らっても進んで行けた。
今回はStand Up Paddleではなくて、Sit Down Paddleになってしまった。
SUPではなくてSDPなら日本海でも漕ぎ出せるような気になってきた。
しかし目標は、あくまでも尻をぬらさないで漕いでいけるSUPである。

横浜線と根岸線

先週の日曜日、葉山に住む弟(次男)の嫁の父親の葬儀のために、私の母親の代理として神奈川県の逗子に出かけた。
午後一時に告別式だというのに、家内は相生駅の朝一番の新幹線で行くという。
新幹線駅の新横浜から横須賀線の逗子駅までは1時間程で行くことができる。
関東の土地勘の無い家内は、時間を多めに見積もったようだ。
私はもともと横浜市緑区長津田に住んでいたことがあるので、時間が余ることは分かっていた。
せっかく逗子に行くのだから、少し観光もしてみようと思って、家内の言うに任せた。
家内と新幹線に乗るのは三回目で、一回目は新婚旅行の時に新大阪まで、二回目は子供を連れて結婚式に千葉まで行った時である。
つまり、二人きりで乗るのは二回目であり、家内は20年あまりぶりに新幹線に乗る。

がらがらのこだま号の車中でコンビニで買ったパンや、家内の母親に作ってもらった弁当を朝食にとった。
朝早かったせいか、車中では家内は殆ど睡眠、私はスマホで音楽を聴いていた。
新大阪でひかり号に乗り換えて、富士川の鉄橋を渡る頃に綺麗な富士山が見えた。
頂付近にまだ筋状に雪が残っており、こういう富士山を見るのは初めてだった。
寝ている家内を起こしたが、車中から初めて富士山が見えたと喜んでいた。
新横浜で降りてから、家内は完全にお上りさん状態になり、私に頼り切りになった。
私とても、横浜線を使って鎌倉に行った経験は一度しか無く、私鉄を使う方が多かった。
どこで時間をつぶすか迷ったが、結局切符を横浜までしかかってなかったので山下公園でつぶそうと思った。

根岸線の関内駅から歩いて港までは結構距離があった。
感じは神戸に似ているが、町を歩く人たちが日曜ということもあるが、ゆったりとしていた。
また、ジョギングをする人が多いのにも驚かされた。
山下公園の付近の港では、カッターレースが行われていて、沢山の人だかりである。
これで屋台が多く出ていれば、まさしく相生のペーロンである。
会場付近は屋台では無く、出場チームのタープテントで一杯だった。
日差しは強かったが、風が心地よかった。
ベンチに座って見学しながら、食べ残していたおにぎりを二人で食べた。
カッターレースは面白いのだが、海がまるでどぶ川の色で、自分も加わりたいとは思わなかった。
山下公園はちょうどバラの花が綺麗に咲いていたし、百合の花も綺麗だった。

少し長居しすぎて、東京に単身赴任している弟(三男)と、待ち合わせの逗子駅に着くが30分も遅れてしまった。
私は根岸線の電車がこんなにゆっくりと大船駅まで行くとは思っていたなったからだ。
小田和正が歌っている根岸線、一度だけかつて次男の弟が住んでいた磯子に来たことがあった。
大船駅から横須賀線に乗りかえると、鎌倉へ向かう観光客が一杯だった。
逗子駅では本当は弟と昼食をとる予定だったが、そのまま葬儀場の長運寺にタクシーで向かった。
昼食もとらないまま、一時からの告別式に参加した。
予定では骨揚げまで付き合う筈では無かったが、済んで戻ってから帰ることになった。
斎場で待つ間、ビールとおつまみ、そしておにぎりが出された。
初めての故人の関係者と挨拶や話をした。
告別式でも不思議に思ったのだが、地元のお寺で葬儀をしていながら、近隣の人は殆ど参列が無かった。
聞くところによると、享年81歳の故人は古くから住んでいながら、地元の人とのつきあいはあまり無かったそうだ。

葬儀を済ませて、弟と逗子駅付近の寿司屋で遅い昼食をとった。
こぢんまりとしたその寿司屋には、大江千里のサイン色紙が飾ってあった。
弟は京急で帰るので逗子駅で別れて、我々夫婦は今度は本線で横浜に向かった。
周りの風景は自分がいた約35年前と全く違ってはいたが、線路は当然昔のママである。
横浜駅から横浜線に乗り換える時には、そのまま長津田のアパートに戻るような錯覚に陥った。
その頃そばにはいなかった家内に、思わずそうもらしてしまった。
横浜駅は一度だけ大学のゼミに呼ばれて講義をした時の思い出のホームでもある。
その時に呼んでくれた先輩ももう大学を退官されたことを、数年前はがきで知った。

新横浜駅からはやはり自由席は混んでいて、夫婦別々の席に座った。
夕暮れの富士山のシルエットが美しかった。
何度か富士山は見たことがあるのだが、タイムスリップした私の心にぴったりの風景だった。
名古屋駅からは夫婦一緒に座って姫路駅で降り、相生駅にとまるこだまに乗り換えて、相生駅に降りた。

新幹線に往復6時間以上も乗っていた日帰り旅行はこうして終わった。
葬式でも無い限り、こんな無理な旅行はしない。
家内にとっては滅多に無くて、しかも多くが初めての経験。
私にとっては、昔に戻るセンチメンタルジャーニーでもあった。
翌日もその旅の余韻が心に残り、日常の気持ちに戻すことがなかなかできなかった。
小田和正のMY Hometownを一日口ずさんでいた。

2016年5月6日金曜日

教え子の演奏会

この5月4日は前任の全日制の吹奏楽部が定期演奏会を開いた。
2日に昨年度まで授業を担当していた吹奏楽部の生徒たちが、わざわざ定時制の職員室に来た。
小さな紙切れの演奏会の案内を手渡され、是非聴きに来て欲しいという。
ちょうど連休の半ばで、あまり気が進まなかったので、「行けたら行く」と答えた。
そうすると、吹奏楽部の活動に熱心な定時制の先生から
「行けたら行くと言って、ほとんど来る人はいない。」といわれ。
苦笑しながら「絶対に行きます。」と答えてしまった。

当日は天気の良い行楽日和だったが、約束通り演奏会に出かけた。
演奏会場の受付には顧問の先生がプログラムを配ってくれていた。
最初は一階の会場に入って知り合いを探した。
定時制の知り合いは別の知人と一緒に来ていたので遠慮した。
全日制の知り合いはご夫婦できていたので、こっそり後ろに座った。
せっかく夫婦水入らずできているので、声をかけるのも無粋と思い直し、二階の席に移った。
二階席は殆ど人はいなくて、写真屋さんと撮影係の顧問の先生と一緒になった。
一階席も以前担任していた生徒に誘われてきた時よりも、お客さんの数は少ないように感じた。

一部の課題曲や自由曲は練習の成果がしっかりと出て、なかなか完成度が高いと思った。
特に和太鼓などの和楽器を取り入れた「斐伊川流るるクシナダ姫の涙」は心に残った。
二部以降はお客さんを楽しませる趣向が色々と取り入れられていた。
新入部員があまり多くないので、少し迫力には欠けてはいたが、楽しませてくれた。
今回私を誘ってくれたTさんの役者のような奮闘ぶりには、頭が下がる思いだった。
また個人としての高い力量をポピュラーな曲で聴かせてくれたのも良かった。

演奏を聴きながら、以前聴いたときと違う感情を覚えた。
自分が授業を担当した生徒の演奏を聴くのは、今年で最後と思ったからだ。
教室で見かける時とは違う演奏姿を、見られることが良かったのである。
これはある意味、我が子の活躍ぶりを見に来た親と似ているのかもしれない。
演奏が終わって帰り際に、かつての教え子から声をかけられたり、かけたりした。
こういう機会は、もう定時制に移ったので無くなるのだと思うと寂しくも感じた。

もし全日制にそのままいたなら、分からなかっただろうと思う。
教え子たちが教室を離れて活躍する姿を見ることの嬉しさ。
これは私たちが教壇を離れてYouTubeで演奏を視てもらっているのと共通する。
知った人の演奏は、その人の気持ちがよく伝わってくるものなのである。
技術的な完成度とは違う人間くさい温もりや人柄と言うべきなのか
音楽にはそんな大切な表現力もあるのだと気がつかされた。
誘ってくれたり、声をかけてくれた教え子たちに感謝したいと思う。