『写真アルバム 赤穂・相生・上郡・佐用の昭和』樹林舎が出版された。
この出版に際しては、宮崎素一氏より写真説明やリード文(解説文)の依頼があった。
私は赤穂に関しては、生まれ育ちでありながら、あまり地域研究には関わってこなかった。
原稿の依頼は市の市史編さん室にあったようだが、対応が難しくて宮崎さんの方に依頼されたようだった。
執筆には自信も時間も無かったが、恩義のある宮崎さんから頼まれたら引き受けざるを得なかった。
過去の写真集をあたってみると、赤穂における郷土研究の重鎮が関わっているのが分かった。
そして、前回の出版されたこのシリーズは、赤穂に関しては故西畑俊昭氏が中心となっていた。
西畑氏が生きていたなら、今回もその役割を担っていただろうと思う。
つくづく、赤穂にとっては大切な人を亡くしてしまったのだと、改めて思わざるを得なかった。
写真集の風景は昔を思い出してくれるのだが、物心つく前の風景はまるで別世界である。
おそらく今の若い人がこの写真集を見たら、殆どがそうなのだろうと思う。
今の赤穂の職場に赴任してから、赤穂市内を出歩く機会が増えた。
赤穂市内の様子は、昔の姿を断片的に残してはいるが、ずいぶん変わってしまった。
私は今57歳だが、50年という年月の流れを改めて思い知らされた。
竜宮城へ行かなくても、もし50年前に赤穂を離れていきなり戻って来たら、その変化に驚かされるだろう。
そう言えば以前50年ぶりに行った金比羅さんは初めて行ったのと同じ感覚だった。
そして、浦島太郎同様に自分は白髪頭の老人になってきている。
昭和という時代ほど日本が激変した時代は無かっただろう。
変わることが良いことだ、美しいことだと思ってきた世代でもある。
本当は良い物を大切に残していく方が難しかった時代なのだ。
私たちが幼い頃に神社や寺であふれていた子供の遊ぶ姿はもう見かけない。
土曜の昼によく行った近所のお好み屋。
寒い中を父親と一緒に行った近所の風呂屋。
その他、八百屋、豆腐屋、駄菓子屋、酒屋、魚屋、散髪屋などの多くが消えていった。
そこにはお金と品物のやりとり以外のものがあった。
写真アルバム集もいずれ過去の洛中洛外図のように歴史公証の材料となるのだろう。
その時代に生きた人がどう思い、どう感じていたかは、想像の域を出ない。
ただ、時代の記録は自分たちの体の中、そして子孫の体の中にはDNAとして残り続ける。
この頃よく思うのは、DNAが自分たちの体や心を借りながら時代を超えて生き続けているのだということである。
生物の先生は命を繋ぐことの大切さをよく強調される。
確かに子孫を残して命を繋ぐことは大切である。
しかし、地球上に生命誕生以来、DNAは人以外にいろんな姿で生き続けている。
写真アルバム集は確かに人の営みを中心に掲載されているのだが、そこには別の生き物との関わりもしっかりと写されている。
そういう風に見れば単なるノスタルジーに浸るためだけのものでは無いようにも思える。
播磨の西外れにある私の生まれ育った赤穂や、今暮らしている上郡に関すること、農作業,山野河海の恵み、趣味の水泳、音楽、専門である有機農業や、教育、文化人類学、民俗学に関することなどを、きままに記してみます。
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2016年12月10日土曜日
2016年12月4日日曜日
鳥の楽園と愚犬騒動
コウノトリがやってきて以来、愚犬クロとの散歩にはそれを撮影しようとする人や車に会うことが多くなった。
近所の知り合いの人も、常に追いかけて写真を撮っているので、密かにパパラッチ○○と呼んでいる。
この頃散歩に出かける時には、コウノトリも朝食を済ませて、高い高圧電線の鉄塔の上で日向ぼっこをしている。
写真を撮る人は、午前中殆どその近くで、動きの無いコウノトリを見張っている。
見張られていたら、地上に降りられないと思うが、日向ぼっこして諦めているのかも知れない。
先日の金曜日は、道端の普通の電信柱に止まっていたので、その大きさを身近に感じられた。
追いかけなければ、そばまで近づいても逃げることはあまりない。
そのコウノトリもさることながら、この季節になると猛禽類が沢山訪れている。
何という種類名なのか分からないが、鳶より少し小さなものが、電信柱や田んぼの中でいるのを何羽か見かける。
また、カラスよりも小さなものもよく飛んでいて、今日もカラスと空中戦をしていた。
皆総称して鷹というのかも知れないが、普段いる鳶やカラスなどと違って、秋から冬にしか見られない。
また、ケリも集団で田んぼを舞っている。
大型のサギもコウノトリに負けないくらい、おおらかに舞っているが誰も見向きもしない。
小鳥も沢山の種類がいて、美しい鳴き声を聞くのが楽しみである。
小川のそばに行くと、美しいカワセミも普通に見ることが出来る。
ただ、千種川の下流にかけている、川鵜に関しては、不気味である。
つい最近も大群が川の上を移動しているのを見たが、大群のカラス同様不快な感じがした。
自然が多く残っていると言いながら、自然そのものよりもこうして里のそばに人と共存している。
人の住んでいるそばの方が、食べ物が多くあるということなのだろうか。
私がよく訪れた奄美の与路島では、猛禽類の餌となったのは、野生化した山羊の子供だった。
この上郡では何が餌になっているか分からない。
ただ、我が家にはハツカネズミが多く住み着いているくらいだから、外にも多くいるのだろう。
そういう、様々な鳥を眺めながら、散歩を楽しんでいるそばで、クロは相変わらず蝗を捕って食べている。
時々散歩の途中でやるジャーキーよりも、蝗の方が好きなようだ。
蝗はまだ良いのだが、先日はヌートリアの子供が何匹も出てきて、えらく振り回された。
今日も、何か獲物、たぶんイタチだと思うが、それを見つけたのか草むらに飛び込んでしまった。
普段ハーネスに、10メートルほどの太いロープをつけているのだが、引っ張った拍子にハーネスが壊れてしまった。
こうなると、うちの愚犬はこれ幸いに脱走してしまう。
以前は追いかけて捕まえたが、紐が付いていない状態では絶対無理である。
一度帰って体制を整えて、他の人に迷惑をかけないように探しに行った。
クロは自分の好きな、隣村の墓場の近くをうろうろしている。
ここは以前に鎖をつけたまま逃走して、救助してやったところの近くである。
そばまで行って、ジャーキーで釣ろうとするのだが、逃げてしまう。
そんなことをしている間に、戻って来た家内が軽トラでやってきた。
家内は私のように捕まえた後で、叩いたりしていないので、ジャーキーを見せたらやってくる。
今回は見事そのジャーキーを使って、田んぼの中で捕まえてくれた。
私も最近は、捕まえても叩かないようにしている。
その代わり、散歩から戻った後の食事は抜きである。
いつも据わっている庭の縁台で、哀しそうな声を出していたが、無視した。
平和な鳥の楽園を堪能した散歩は、結局クロの脱走劇で乱された。
家の息子はやんちゃでは無かったので、あまり悩まされることが無かった。
その代わりにクロのやんちゃに振り回されている。
子育ての終わった夫婦にとっては、孫以上に手の掛かる存在でもある。
繋いでいる時は私に絶対服従するクロだが、逃げた時は家内の方に心を許す。
思い起こせば、独身下宿時代に電話や手紙のやりとりをしていたのは、母親だけだった。
父親というのはそういう存在なのかも知れない。
近所の知り合いの人も、常に追いかけて写真を撮っているので、密かにパパラッチ○○と呼んでいる。
この頃散歩に出かける時には、コウノトリも朝食を済ませて、高い高圧電線の鉄塔の上で日向ぼっこをしている。
写真を撮る人は、午前中殆どその近くで、動きの無いコウノトリを見張っている。
見張られていたら、地上に降りられないと思うが、日向ぼっこして諦めているのかも知れない。
先日の金曜日は、道端の普通の電信柱に止まっていたので、その大きさを身近に感じられた。
追いかけなければ、そばまで近づいても逃げることはあまりない。
そのコウノトリもさることながら、この季節になると猛禽類が沢山訪れている。
何という種類名なのか分からないが、鳶より少し小さなものが、電信柱や田んぼの中でいるのを何羽か見かける。
また、カラスよりも小さなものもよく飛んでいて、今日もカラスと空中戦をしていた。
皆総称して鷹というのかも知れないが、普段いる鳶やカラスなどと違って、秋から冬にしか見られない。
また、ケリも集団で田んぼを舞っている。
大型のサギもコウノトリに負けないくらい、おおらかに舞っているが誰も見向きもしない。
小鳥も沢山の種類がいて、美しい鳴き声を聞くのが楽しみである。
小川のそばに行くと、美しいカワセミも普通に見ることが出来る。
ただ、千種川の下流にかけている、川鵜に関しては、不気味である。
つい最近も大群が川の上を移動しているのを見たが、大群のカラス同様不快な感じがした。
自然が多く残っていると言いながら、自然そのものよりもこうして里のそばに人と共存している。
人の住んでいるそばの方が、食べ物が多くあるということなのだろうか。
私がよく訪れた奄美の与路島では、猛禽類の餌となったのは、野生化した山羊の子供だった。
この上郡では何が餌になっているか分からない。
ただ、我が家にはハツカネズミが多く住み着いているくらいだから、外にも多くいるのだろう。
そういう、様々な鳥を眺めながら、散歩を楽しんでいるそばで、クロは相変わらず蝗を捕って食べている。
時々散歩の途中でやるジャーキーよりも、蝗の方が好きなようだ。
蝗はまだ良いのだが、先日はヌートリアの子供が何匹も出てきて、えらく振り回された。
今日も、何か獲物、たぶんイタチだと思うが、それを見つけたのか草むらに飛び込んでしまった。
普段ハーネスに、10メートルほどの太いロープをつけているのだが、引っ張った拍子にハーネスが壊れてしまった。
こうなると、うちの愚犬はこれ幸いに脱走してしまう。
以前は追いかけて捕まえたが、紐が付いていない状態では絶対無理である。
一度帰って体制を整えて、他の人に迷惑をかけないように探しに行った。
クロは自分の好きな、隣村の墓場の近くをうろうろしている。
ここは以前に鎖をつけたまま逃走して、救助してやったところの近くである。
そばまで行って、ジャーキーで釣ろうとするのだが、逃げてしまう。
そんなことをしている間に、戻って来た家内が軽トラでやってきた。
家内は私のように捕まえた後で、叩いたりしていないので、ジャーキーを見せたらやってくる。
今回は見事そのジャーキーを使って、田んぼの中で捕まえてくれた。
私も最近は、捕まえても叩かないようにしている。
その代わり、散歩から戻った後の食事は抜きである。
いつも据わっている庭の縁台で、哀しそうな声を出していたが、無視した。
平和な鳥の楽園を堪能した散歩は、結局クロの脱走劇で乱された。
家の息子はやんちゃでは無かったので、あまり悩まされることが無かった。
その代わりにクロのやんちゃに振り回されている。
子育ての終わった夫婦にとっては、孫以上に手の掛かる存在でもある。
繋いでいる時は私に絶対服従するクロだが、逃げた時は家内の方に心を許す。
思い起こせば、独身下宿時代に電話や手紙のやりとりをしていたのは、母親だけだった。
父親というのはそういう存在なのかも知れない。
2016年11月13日日曜日
害虫駆除犬?
今年はどういう訳か蝗が多い。
私が作っている畑でも蝗が多くいて、時々捕まえている。
その蝗を我が家の愚犬クロは好んで食べる。
以前は蛙を捕まえて食べていたので、それは止めさせていた。
虫に関しては、蝉やバッタなどのは人も食べると思って、止めなかった。
トノサマバッタなどは、猫がよくとって食べているのを見ていたが、犬には無理である。
ところが蝗は私でも手で摘まめてとれるくらいなので、クロでも簡単に捕まえる。
そういうわけで、このところ散歩で蝗を捕るのが日課になってしまった。
今日の夕方などは、田んぼのそばの道だけにかなりの蝗がいて、散歩は蝗狩りとなった。
食べられる量は大したことが無いので、害虫駆除とまでは行かないが、少しは役には立っているだろう。
あまりに大好きそうなので、戻って来てからも畑の蝗を捕ってきて与えたら、喜んで食べた。
本来なら鹿やイノシシを捕る猟犬が蝗を捕るのは、情けないようにも思うし、食ってしまうのは猟犬としては失格である。
それでも、猟犬の端くれのとして、害虫駆除の蝗狩りとしてがんばってもらおうとも思う。
ところで、今朝(11/13)今年初めてコウノトリ二羽を見かけた。
いつものクロとの散歩コースで、貯水池の水を落とした干潟にいた。
山のそばにあるその大きな貯水池には、毎年沢山の鴨などの水鳥が来ている。
今年はたぶんさっちゃんだと思うが、友達と一緒に来てくれた。
鴨は犬と一緒にそばを通ると逃げるのだが、コウノトリは飛び立たない。
携帯で写真もとったのだが、霧が濃くてうまくとれていなかった。
一方、クロはあまり水鳥には興味を示さない。
鴨より蝗の方が現実的だと冷めているのだろう。
私が作っている畑でも蝗が多くいて、時々捕まえている。
その蝗を我が家の愚犬クロは好んで食べる。
以前は蛙を捕まえて食べていたので、それは止めさせていた。
虫に関しては、蝉やバッタなどのは人も食べると思って、止めなかった。
トノサマバッタなどは、猫がよくとって食べているのを見ていたが、犬には無理である。
ところが蝗は私でも手で摘まめてとれるくらいなので、クロでも簡単に捕まえる。
そういうわけで、このところ散歩で蝗を捕るのが日課になってしまった。
今日の夕方などは、田んぼのそばの道だけにかなりの蝗がいて、散歩は蝗狩りとなった。
食べられる量は大したことが無いので、害虫駆除とまでは行かないが、少しは役には立っているだろう。
あまりに大好きそうなので、戻って来てからも畑の蝗を捕ってきて与えたら、喜んで食べた。
本来なら鹿やイノシシを捕る猟犬が蝗を捕るのは、情けないようにも思うし、食ってしまうのは猟犬としては失格である。
それでも、猟犬の端くれのとして、害虫駆除の蝗狩りとしてがんばってもらおうとも思う。
ところで、今朝(11/13)今年初めてコウノトリ二羽を見かけた。
いつものクロとの散歩コースで、貯水池の水を落とした干潟にいた。
山のそばにあるその大きな貯水池には、毎年沢山の鴨などの水鳥が来ている。
今年はたぶんさっちゃんだと思うが、友達と一緒に来てくれた。
鴨は犬と一緒にそばを通ると逃げるのだが、コウノトリは飛び立たない。
携帯で写真もとったのだが、霧が濃くてうまくとれていなかった。
一方、クロはあまり水鳥には興味を示さない。
鴨より蝗の方が現実的だと冷めているのだろう。
2016年10月31日月曜日
正倉院展と仏像展
29日日曜、朝早く起きて正倉院展を見に出かけた。
上郡駅8時発の電車だが、乗客は意外に多かった。
姫路で新快速に乗り換えたが、ここも乗客が多く、家内とは同じボックスの席には座れなかった。
これには、訳があって私がトイレが近いので、トイレのそばの席に座ろうとして開いてなかったのである。
結局は、トイレから離れた席に座り、途中から満員で混雑したので行けるわけも無く、拘った意味が無かった。
天気も素晴らしく良く、明石海峡の水面がさわやかに輝いていた。
大阪から環状線に乗り換えて、大和路快速に乗った。
結局奈良駅に着いたのは、11時頃だった。
バスに乗って、東大寺の近くまで行くのだが、渋滞していたので歩いた方が早かったかも知れない。
バスから降りて、まず驚いたのは正倉院展に入場するために並んでいる列。
この間行った兵馬俑展などは大したことの無いように思えたが、待ち時間は客の数に比べては短く予定では40分だった。
団体客は別の入り口から、スムーズに入っているのを見て、職場の見学会に応募した方が良かったかなとも思った。
入場して、すぐに「正倉院のみどころ」という解説会に案内されて、講堂に入った。
そこで、今回展示される品の見所の丁寧な解説を聞いた。
自分の日本史の授業ではさらっと流してしまう、漆胡瓶の作成方法などが詳しく解説されてよく分かった。
と言いつつ、朝早く起きて、しかも渋滞や長い行列で疲れていたので、半分居眠り状態で聞いていた。
解説が終わって展示を見て回るが、見所の展示品の前には人だかり。
自分は、背が少しだけ人よりも高いので、上からのぞき見をしながら、適当にまわっていった。
古文書なども熱心に見ている人もいたが、自分は解読できないのでさっと見て通った。
面白かったのは、「和同開珎」の展示の前で、若い奥さんが「銭形平次の」と言ったのを、その友達が「そう!」と相づちを打っていたことだ。
「それは寛永通宝で、時代が違い過ぎるだろう」と、思わずそばの家内に突っ込んでいた。
たぶん、多くの見物客は、古くて価値ある展示として、時代背景はあまり興味が無いのだろう。
日本史は高校では必修で無いので、多くの若い人の基礎知識は中学校程度なのである。
私はこの正倉院展よりも、ついでに見たなら仏像館の仏像展の方が面白かった。
こんなに沢山の仏像を並べているのを見たことが無い。
兵馬俑の兵士の顔並みに、色々と表情を持った仏像がある。
特に南北朝あたりのが、素朴で人間味を感じた。
本来は信仰の対象になる仏像も、多く並べられると美術品になるのかなとも思った。
外に出てみると行列は短くなり、待ち時間は20分になっていた。
昼食は2時頃にテントで売ってある売店で、柿の葉寿司、焼き鯖寿司、かき混ぜご飯を一つずつ買って二人で分けて食べた。
特に焼き鯖寿司が美味しかったが、私は柿の葉寿司を葉っぱまま食べてみた。
桜餅のように一緒に食べるものでは無いと分かった。
帰りは興福寺の方から駅に向かった。
興福寺は小学校の修学旅行依頼で、こんなに五重塔が大きい物だと再認識した。
猿沢の池で若い人が篠笛の練習をしていたのも趣を感じた。
商店街の店をひやかしながら駅について、家内は土産物を買い。
15時5分の大阪行きの大和路快速に乗った。
ゆっくりと大和路の旅とはいかなかったが、平日などにゆっくりとまわりたいと思わせる旅だった。
正倉院展自体には、少々不満は残ったが、小出しにして客を毎年呼ぶことによって維持できているのかなと思った。
私の同僚の父親は日本史の大学教員で毎年香川から見に来ているそうである。
日本史の教師たる者、本物を見ておくべきなのだろう。
日本史教師の端くれとしてそう思った。
上郡駅8時発の電車だが、乗客は意外に多かった。
姫路で新快速に乗り換えたが、ここも乗客が多く、家内とは同じボックスの席には座れなかった。
これには、訳があって私がトイレが近いので、トイレのそばの席に座ろうとして開いてなかったのである。
結局は、トイレから離れた席に座り、途中から満員で混雑したので行けるわけも無く、拘った意味が無かった。
天気も素晴らしく良く、明石海峡の水面がさわやかに輝いていた。
大阪から環状線に乗り換えて、大和路快速に乗った。
結局奈良駅に着いたのは、11時頃だった。
バスに乗って、東大寺の近くまで行くのだが、渋滞していたので歩いた方が早かったかも知れない。
バスから降りて、まず驚いたのは正倉院展に入場するために並んでいる列。
この間行った兵馬俑展などは大したことの無いように思えたが、待ち時間は客の数に比べては短く予定では40分だった。
団体客は別の入り口から、スムーズに入っているのを見て、職場の見学会に応募した方が良かったかなとも思った。
入場して、すぐに「正倉院のみどころ」という解説会に案内されて、講堂に入った。
そこで、今回展示される品の見所の丁寧な解説を聞いた。
自分の日本史の授業ではさらっと流してしまう、漆胡瓶の作成方法などが詳しく解説されてよく分かった。
と言いつつ、朝早く起きて、しかも渋滞や長い行列で疲れていたので、半分居眠り状態で聞いていた。
解説が終わって展示を見て回るが、見所の展示品の前には人だかり。
自分は、背が少しだけ人よりも高いので、上からのぞき見をしながら、適当にまわっていった。
古文書なども熱心に見ている人もいたが、自分は解読できないのでさっと見て通った。
面白かったのは、「和同開珎」の展示の前で、若い奥さんが「銭形平次の」と言ったのを、その友達が「そう!」と相づちを打っていたことだ。
「それは寛永通宝で、時代が違い過ぎるだろう」と、思わずそばの家内に突っ込んでいた。
たぶん、多くの見物客は、古くて価値ある展示として、時代背景はあまり興味が無いのだろう。
日本史は高校では必修で無いので、多くの若い人の基礎知識は中学校程度なのである。
私はこの正倉院展よりも、ついでに見たなら仏像館の仏像展の方が面白かった。
こんなに沢山の仏像を並べているのを見たことが無い。
兵馬俑の兵士の顔並みに、色々と表情を持った仏像がある。
特に南北朝あたりのが、素朴で人間味を感じた。
本来は信仰の対象になる仏像も、多く並べられると美術品になるのかなとも思った。
外に出てみると行列は短くなり、待ち時間は20分になっていた。
昼食は2時頃にテントで売ってある売店で、柿の葉寿司、焼き鯖寿司、かき混ぜご飯を一つずつ買って二人で分けて食べた。
特に焼き鯖寿司が美味しかったが、私は柿の葉寿司を葉っぱまま食べてみた。
桜餅のように一緒に食べるものでは無いと分かった。
帰りは興福寺の方から駅に向かった。
興福寺は小学校の修学旅行依頼で、こんなに五重塔が大きい物だと再認識した。
猿沢の池で若い人が篠笛の練習をしていたのも趣を感じた。
商店街の店をひやかしながら駅について、家内は土産物を買い。
15時5分の大阪行きの大和路快速に乗った。
ゆっくりと大和路の旅とはいかなかったが、平日などにゆっくりとまわりたいと思わせる旅だった。
正倉院展自体には、少々不満は残ったが、小出しにして客を毎年呼ぶことによって維持できているのかなと思った。
私の同僚の父親は日本史の大学教員で毎年香川から見に来ているそうである。
日本史の教師たる者、本物を見ておくべきなのだろう。
日本史教師の端くれとしてそう思った。
2016年10月29日土曜日
国体一位への祝福
昨年まで、水泳部の練習で一緒に泳いでいた真殿悠生君が、障害者の国体で一位をとった。
彼の国体出場は、赤穂の地元紙にも写真入りで載っていた。
出場前に彼がちょうそ下校するときに見かけて、応援して握手をした。
「パラリンピックまで頑張れよ」というと、「それは無理」と言っていた。
しかし、これでパラリンピックも夢ではない。
同じように学校のプールで泳いでいるが、国体出場では横断幕もかけてもらえない。
高校の総合大会なら近畿大会でも、横断幕をかけてもらえる。
せめて、地元紙に写真入りで載せてもらったのが、励みになったと思う。
普段から彼の指導に当たってくれている末政コーチのことも知ってもらってよかったと思う。
普段なかなか日の目を見ない障害者の競技に対しても、しっかりと載せてくれた地元紙にも感謝している。
去年は一般の水泳大会にも彼は出場してくれた。
私もリレーメンバーの一人として、一緒に泳げて楽しかった。
障害を持つものと、そうでないものが一緒に混じってレースを楽しめることも良いと思う。
追記
真殿君は兵庫県のゆずりは賞の受賞が決まりました。
本当におめでとう!
彼の国体出場は、赤穂の地元紙にも写真入りで載っていた。
出場前に彼がちょうそ下校するときに見かけて、応援して握手をした。
「パラリンピックまで頑張れよ」というと、「それは無理」と言っていた。
しかし、これでパラリンピックも夢ではない。
同じように学校のプールで泳いでいるが、国体出場では横断幕もかけてもらえない。
高校の総合大会なら近畿大会でも、横断幕をかけてもらえる。
せめて、地元紙に写真入りで載せてもらったのが、励みになったと思う。
普段から彼の指導に当たってくれている末政コーチのことも知ってもらってよかったと思う。
普段なかなか日の目を見ない障害者の競技に対しても、しっかりと載せてくれた地元紙にも感謝している。
去年は一般の水泳大会にも彼は出場してくれた。
私もリレーメンバーの一人として、一緒に泳げて楽しかった。
障害を持つものと、そうでないものが一緒に混じってレースを楽しめることも良いと思う。
追記
真殿君は兵庫県のゆずりは賞の受賞が決まりました。
本当におめでとう!
2016年9月25日日曜日
大阪の「始皇帝と大兵馬俑展」
この9月22日の休日を利用して、大阪の兵馬俑展を家内と見に行った。
以前から見に行こうと話していたのだが、この夏は暑くて行く気にならなかった。
多くの人出であることを知っていたので、暑い中並ぶのが嫌だったのである。
家内が早く行けば空いているとネットで調べたので、私は朝5時半に起きて犬の散歩に行った。
帰ってきたら、家内は起きて食事の準備をしてくれているだろうと思っていた。
7時前に家に戻って驚いた、家内は起きていなかった!
結局、大阪には11時頃着く新快速に乗って行かざるを得なくなった。
今まで上郡駅に車を駐めたことは無かったので、駐車場のことは知らなかった。
上郡駅の付近の駐車場には、一日100円というところがある。
駅からは少し離れて、砂利が敷かれただけのものだが、駅まで歩いて5分もかからない。
しかし、雨が降りそうだったので、400円の近い方の無人駐車場に置いた。
因みに駅のすぐそばは500円だが、100円ケチった。
秋の1デイパス3600円也を二人で買って電車に乗り込んだ。
電車は休日なので意外と空いていた。
大阪駅で環状線に乗り換えて、福島駅にから歩いた。
私は大阪はあまり歩いた経験が無く、福島は生まれて二度目だ。
一度目は高校3年の冬に、当時やっていたABCラジオのヤンリクという番組の収録に行った時だ。
当時、「ミキサー完備スタジオ貸します」というキダタローのコーナーがあって、それにバンド仲間と出場した。
その時は出演料など無く、交通費として一人500円もらった。
その時の収録の様子は憶えているが、どんなビルだったかとか周りの風景は全く憶えていない。
なにせ40年前の話である。
ということは、当時年配に思えたキダタローさんは、いくつだったのだろう?
ということで、朝日放送の前を通りながらも、全く初めての場所を歩くのと同じだった。
家内は最初から私に任せるつもりで、スマホを使うこともしない。
駅前で見た地図を頼りに何とか国立国際美術館にたどり着いた。
そこで見た光景は、東京ディズニーランドへ行った時以来の長蛇の列。
最後尾の係員に聞くと、1時間かかるという。
今更帰るわけにはいかないので、我慢して並んだ。
私たちのような田舎者は、並ぶのが大の苦手なのである。
やっと中には入れても、展示を見るところも人で混み合って、思うように見られない。
年配の観客は説明を受けるヘッドホーンをつけて、展示にかぶりついているのである。
それでもそれなりに、兵馬俑の魅力を味わうことができた。
兵士の表情が非常に凜々しいのが印象的だった。
時を経ると、戦争や殺戮の遺産も美術館に展示される作品となる。
それを1500円の入館料を払って、何万もの人が訪れる。
ということは、第二次世界大戦の兵器や写真を長く置いておけば、美術館で将来展示してくれるのだろう。
小さな子供が戦闘馬車や兵器の展示を見てすごいと喜んでいたが、未来の子供も戦車を見て喜ぶのだろう。
と、今は皮肉に感じたりもするが、15万人の人を惹きつける魅力のあることは確かである。
午後1時過ぎに美術館を出て驚いた。
誰も並んでいない。
いったい、ネットの情報は何だったのだ。
昼頃来たら空いているなんて書いてなかったはずだ。
常識的に昼飯時にあわせて訪れれば空いていたのである。
気を取り直して、せっかく大阪に来たのだから、美味いものを食べようと店を探した。
結局、ゆっくりできそうなお好み焼き屋で遅い昼食を摂った。
本当はビールも飲みたかったのだが、この後に電車に乗るので尿意を催さないように我慢した。
関西エリアは一日乗り放題なのだからというので、京都に久しぶりに行くことにした。
新快速は乗り損ねたので、快速で京都まで行った。
家内は今の駅ビルを知らなかったので見せてやりたかったのである。
とにかく私たち夫婦は、車では名古屋や東京に行きながら、電車では殆ど出かけたことが無かった。
途中で、雨に降られたが、駅ビルの空中散歩を楽しんだ。
帰りは新快速に飛び乗り、姫路まで戻って来た。
姫路から相生までの普通に乗り、相生で乗り換えて上郡に戻ってきた。
車で移動している者にとって、この乗り換えは非常に面倒に思えるが、上郡に住んでいる以上仕方ない。
ただ、車よりも良いと思うのは、気楽に時間を過ごせることだ。
家内が「今日は楽しかった」と言ってくれたことが、何よりも良かった。
以前から見に行こうと話していたのだが、この夏は暑くて行く気にならなかった。
多くの人出であることを知っていたので、暑い中並ぶのが嫌だったのである。
家内が早く行けば空いているとネットで調べたので、私は朝5時半に起きて犬の散歩に行った。
帰ってきたら、家内は起きて食事の準備をしてくれているだろうと思っていた。
7時前に家に戻って驚いた、家内は起きていなかった!
結局、大阪には11時頃着く新快速に乗って行かざるを得なくなった。
今まで上郡駅に車を駐めたことは無かったので、駐車場のことは知らなかった。
上郡駅の付近の駐車場には、一日100円というところがある。
駅からは少し離れて、砂利が敷かれただけのものだが、駅まで歩いて5分もかからない。
しかし、雨が降りそうだったので、400円の近い方の無人駐車場に置いた。
因みに駅のすぐそばは500円だが、100円ケチった。
秋の1デイパス3600円也を二人で買って電車に乗り込んだ。
電車は休日なので意外と空いていた。
大阪駅で環状線に乗り換えて、福島駅にから歩いた。
私は大阪はあまり歩いた経験が無く、福島は生まれて二度目だ。
一度目は高校3年の冬に、当時やっていたABCラジオのヤンリクという番組の収録に行った時だ。
当時、「ミキサー完備スタジオ貸します」というキダタローのコーナーがあって、それにバンド仲間と出場した。
その時は出演料など無く、交通費として一人500円もらった。
その時の収録の様子は憶えているが、どんなビルだったかとか周りの風景は全く憶えていない。
なにせ40年前の話である。
ということは、当時年配に思えたキダタローさんは、いくつだったのだろう?
ということで、朝日放送の前を通りながらも、全く初めての場所を歩くのと同じだった。
家内は最初から私に任せるつもりで、スマホを使うこともしない。
駅前で見た地図を頼りに何とか国立国際美術館にたどり着いた。
そこで見た光景は、東京ディズニーランドへ行った時以来の長蛇の列。
最後尾の係員に聞くと、1時間かかるという。
今更帰るわけにはいかないので、我慢して並んだ。
私たちのような田舎者は、並ぶのが大の苦手なのである。
やっと中には入れても、展示を見るところも人で混み合って、思うように見られない。
年配の観客は説明を受けるヘッドホーンをつけて、展示にかぶりついているのである。
それでもそれなりに、兵馬俑の魅力を味わうことができた。
兵士の表情が非常に凜々しいのが印象的だった。
時を経ると、戦争や殺戮の遺産も美術館に展示される作品となる。
それを1500円の入館料を払って、何万もの人が訪れる。
ということは、第二次世界大戦の兵器や写真を長く置いておけば、美術館で将来展示してくれるのだろう。
小さな子供が戦闘馬車や兵器の展示を見てすごいと喜んでいたが、未来の子供も戦車を見て喜ぶのだろう。
と、今は皮肉に感じたりもするが、15万人の人を惹きつける魅力のあることは確かである。
午後1時過ぎに美術館を出て驚いた。
誰も並んでいない。
いったい、ネットの情報は何だったのだ。
昼頃来たら空いているなんて書いてなかったはずだ。
常識的に昼飯時にあわせて訪れれば空いていたのである。
気を取り直して、せっかく大阪に来たのだから、美味いものを食べようと店を探した。
結局、ゆっくりできそうなお好み焼き屋で遅い昼食を摂った。
本当はビールも飲みたかったのだが、この後に電車に乗るので尿意を催さないように我慢した。
関西エリアは一日乗り放題なのだからというので、京都に久しぶりに行くことにした。
新快速は乗り損ねたので、快速で京都まで行った。
家内は今の駅ビルを知らなかったので見せてやりたかったのである。
とにかく私たち夫婦は、車では名古屋や東京に行きながら、電車では殆ど出かけたことが無かった。
途中で、雨に降られたが、駅ビルの空中散歩を楽しんだ。
帰りは新快速に飛び乗り、姫路まで戻って来た。
姫路から相生までの普通に乗り、相生で乗り換えて上郡に戻ってきた。
車で移動している者にとって、この乗り換えは非常に面倒に思えるが、上郡に住んでいる以上仕方ない。
ただ、車よりも良いと思うのは、気楽に時間を過ごせることだ。
家内が「今日は楽しかった」と言ってくれたことが、何よりも良かった。
2016年9月11日日曜日
救助され犬
この金曜の夜(9/9)には、愚犬クロの姿は家にはなかった。
クロは庭の地面に打ち込んだ、鉄杭に太い鎖で繋いでいたのだが、杭ごといなくなった。
このところの雨で庭の土が軟らかくなり、家内は抜けかけたのを打ち込んだようだが、駄目だった。
土曜日の朝、逃げ出してもいつもなら帰ってくるはずなのに、帰ってはいなかった。
私は仕事の関係で出かけねばならず、結局暗くなって家に戻って来ても、やはりクロの姿はなかった。
今まで脱走したのは、多くは庭に設置した簡易の檻の隙間からだった。
檻に入れている時は、鎖を放しているので、鎖が何かに絡まる心配は無かった。
ただ一度だけ、散歩の途中で脱走したが、その時の引き綱は簡単に食いちぎれるもので心配なかった。
今回は頑丈な鎖と杭なので、何かに引っかかったら、首輪が抜けない限り抜け出すのは無理だった。
首輪はもらってきた時のままで、大きくなったクロには少し窮屈なくらいだった。
だから首輪が外れることは、期待できなかった。
山奥で鎖が引っかかったら、もう発見できないと思った。
最悪の事態を考えながら、二階の寝室で何もできず横になっていた。
そうすると暗闇の中で、犬の鳴き声がする。
家から西側の方角の山の方から聞こえる。
今から探しに行く手もあるが、暗くて見つけるのが大変だし、怪我をしてもいけないと思った。
ただ、クロの鳴き声だと思ったが、確証はないので家内には黙っておいた。
そして、クロがいなくなったら、また別の犬をもらってこようと、わざとネットを開いて犬の里親募集を見たりした。
実は家内が散歩させた後に、脱走したので、家内が一番気にかけていた。
家内は土曜の昼間に探しに行ったようだが、見つけることはできなかった。
日曜の朝、しっかりと山を歩ける用意をして出かけた。
昨夜の鳴き声の聞こえる方向に行くとやっぱり鳴き声がする。
猟犬なので、鳴き声と言っても遠吠えのような声である。
ずっと吠え続けていたわけではないので、聞こえたあたりにまず向かった。
そこは隣の村の墓場だった。
そして、墓場の上から聞いていると、墓場の下の竹林の方角から聞こえる。
竹林から声の方角に行くと、竹林のそばの元椎茸栽培小屋のそばでクロの匂いがする。
案の定、クロは竹の根元に鎖や杭が引っかかっえ身動きがとれない状態だった。
以前の経験から、ここで怒ると次逃げた時が大変なので、それほど怒らず連れて帰った。
二日ほど身動きがとれなかった割には元気で、普段の散歩の様子で家に戻った。
檻に入れて餌をやり、鎖は今度は庭のパーゴラの柱に巻き付けた。
もともと飼われていたのが、捨てられて野良犬になったクロは、自由な暮らしを知っている、
その一方、飼われていて餌に不自由をしないことも知っている。
適当に自由を楽しみ、適当な時間に戻って餌をねだるというのが、クロの楽しみだ。
しかし、今の時代に放し飼いは許されない。
鎖をつけたままの自由は命取りにもなる。
クロはそのことを今回の経験で分かったかどうか分からない。
むしろ飼い主の私たちが、それを思い知った。
ただ今回最も心配したのは、クロの生死よりも、他の人に迷惑をかけていないだろうかと言うことだった。。
人の役に立ち、喜ばれている犬というのは、完全に飼い主の管理下にある犬である。
盲導犬も、介助犬も、救助犬も、そして普通のペットも、決められたところ以外で自由に活動することは許されない。
今まで飼っていた犬で、これほど脱走した犬はいない。
それは一度も野良犬を経験していなかったからだ。
クロは野良犬を経験していればこそ、自由を渇望する。
現代人は自由だと言うが、本当に自給自足で生活した経験は無い。
だから、我我現代人は拘束からの自由は求めても、本当の自由は渇望しない。
ただ、自由な遊びの時間の経験があるので、常に憧れてはいる。
クロは野良時代は自活できていたので、それ以上に自由を求めているのだろう。
逆に言えば、小さい頃から管理下に置かれて、自由を知らずにいれば自由に憧れない。
そもそも現代人は、家、町、村(里)に引きこもっているだけなのではないか。
家の中に引きこもっている人だけを特別視しているだけように思えてきた。
クロは庭の地面に打ち込んだ、鉄杭に太い鎖で繋いでいたのだが、杭ごといなくなった。
このところの雨で庭の土が軟らかくなり、家内は抜けかけたのを打ち込んだようだが、駄目だった。
土曜日の朝、逃げ出してもいつもなら帰ってくるはずなのに、帰ってはいなかった。
私は仕事の関係で出かけねばならず、結局暗くなって家に戻って来ても、やはりクロの姿はなかった。
今まで脱走したのは、多くは庭に設置した簡易の檻の隙間からだった。
檻に入れている時は、鎖を放しているので、鎖が何かに絡まる心配は無かった。
ただ一度だけ、散歩の途中で脱走したが、その時の引き綱は簡単に食いちぎれるもので心配なかった。
今回は頑丈な鎖と杭なので、何かに引っかかったら、首輪が抜けない限り抜け出すのは無理だった。
首輪はもらってきた時のままで、大きくなったクロには少し窮屈なくらいだった。
だから首輪が外れることは、期待できなかった。
山奥で鎖が引っかかったら、もう発見できないと思った。
最悪の事態を考えながら、二階の寝室で何もできず横になっていた。
そうすると暗闇の中で、犬の鳴き声がする。
家から西側の方角の山の方から聞こえる。
今から探しに行く手もあるが、暗くて見つけるのが大変だし、怪我をしてもいけないと思った。
ただ、クロの鳴き声だと思ったが、確証はないので家内には黙っておいた。
そして、クロがいなくなったら、また別の犬をもらってこようと、わざとネットを開いて犬の里親募集を見たりした。
実は家内が散歩させた後に、脱走したので、家内が一番気にかけていた。
家内は土曜の昼間に探しに行ったようだが、見つけることはできなかった。
日曜の朝、しっかりと山を歩ける用意をして出かけた。
昨夜の鳴き声の聞こえる方向に行くとやっぱり鳴き声がする。
猟犬なので、鳴き声と言っても遠吠えのような声である。
ずっと吠え続けていたわけではないので、聞こえたあたりにまず向かった。
そこは隣の村の墓場だった。
そして、墓場の上から聞いていると、墓場の下の竹林の方角から聞こえる。
竹林から声の方角に行くと、竹林のそばの元椎茸栽培小屋のそばでクロの匂いがする。
案の定、クロは竹の根元に鎖や杭が引っかかっえ身動きがとれない状態だった。
以前の経験から、ここで怒ると次逃げた時が大変なので、それほど怒らず連れて帰った。
二日ほど身動きがとれなかった割には元気で、普段の散歩の様子で家に戻った。
檻に入れて餌をやり、鎖は今度は庭のパーゴラの柱に巻き付けた。
もともと飼われていたのが、捨てられて野良犬になったクロは、自由な暮らしを知っている、
その一方、飼われていて餌に不自由をしないことも知っている。
適当に自由を楽しみ、適当な時間に戻って餌をねだるというのが、クロの楽しみだ。
しかし、今の時代に放し飼いは許されない。
鎖をつけたままの自由は命取りにもなる。
クロはそのことを今回の経験で分かったかどうか分からない。
むしろ飼い主の私たちが、それを思い知った。
ただ今回最も心配したのは、クロの生死よりも、他の人に迷惑をかけていないだろうかと言うことだった。。
人の役に立ち、喜ばれている犬というのは、完全に飼い主の管理下にある犬である。
盲導犬も、介助犬も、救助犬も、そして普通のペットも、決められたところ以外で自由に活動することは許されない。
今まで飼っていた犬で、これほど脱走した犬はいない。
それは一度も野良犬を経験していなかったからだ。
クロは野良犬を経験していればこそ、自由を渇望する。
現代人は自由だと言うが、本当に自給自足で生活した経験は無い。
だから、我我現代人は拘束からの自由は求めても、本当の自由は渇望しない。
ただ、自由な遊びの時間の経験があるので、常に憧れてはいる。
クロは野良時代は自活できていたので、それ以上に自由を求めているのだろう。
逆に言えば、小さい頃から管理下に置かれて、自由を知らずにいれば自由に憧れない。
そもそも現代人は、家、町、村(里)に引きこもっているだけなのではないか。
家の中に引きこもっている人だけを特別視しているだけように思えてきた。
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