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2016年12月17日土曜日

2016年の赤穂義士祭

今年の義士祭は平日で、何とか雨は免れたが曇りがちで、気温も低かった。
去年までは午前中に義士に関する講演を聴いて、その後募金活動などに参加した。
今年は定時制のブースがあるので、その担当者は朝から参加し、ゴミ拾い組は午後からとなった。
前日は雨だったので、花岳寺での追慕祭も大変だったようだ。
義士行列が盛んになるまでは、その追慕祭がメインだった。
因みに、花岳寺の住職さんは、駒澤大学の教授をしておられる。
私が大学生の頃に、名古屋の南山大学で講演をしてくれて、一度だけお目に掛かった。
住職さんは仏教関係の宗教学が専門だったが、私は宗教人類学に強い関心を持っていた。
公演後の喫茶店でお話をして、偶然赤穂と言うことを知って驚いた経験がある。
赤穂にいる時には一度だけ訪ねたが、お留守でお目に掛かることは出来なかった。
義士を祀る花岳寺は大名寺なので、檀家はいない。
拝観料だけで維持できる筈も無いので、どんな収入源があるのだろうとずっと疑問を持っている。

今年は市役所にゴミ拾い組の本部を置いて、その本部に最初待機し、その後ブースの手伝いの予定だった。
曇り空の中で集合して、クラス毎に出かけた後は、遅刻者を待っていた。
遅刻者の対応が済んだ後は、市役所の中に入れてもらって、帰りを待った。
ゴミ拾いも無事終わり、花岳寺に寄ってから城内のブースに向かった。
ブースには沢山のお客さんがいて、それに対応する職員もしっかりいたので、付近をまわることにした。
久しぶりに大石神社にも詣った。
そして、今度公開された二の丸庭園に初めて行った。
そこには赤穂市編さん室に勤める知り合いが係員でいたので挨拶をした。
その後ゆっくりと庭園を歩き、携帯で写真を撮ったりした。
これで一つ観光スポットも増えたのかと思った。
赤穂城内も昔と違って、広い公園のように整備されて、いずれ姫路城のようになるのかなとも思う。
赤穂高校があったり、民家があった時代を知るものにとっては、少し寂しい雰囲気でもある。
いっその事、赤穂に残る古い民家を移築して、宿泊させても良いように思えた。


2016年12月11日日曜日

1年ぶりの水泳

去年の11月に生徒と小さなレースに出て以来、私はプールで泳いでいなかった。
一番の理由は愚犬の散歩をしっかり一時間以上させていたので、運動が足りていたことだ。平日は定時制なので、夕方や夜には行けない。
土日は朝夕の散歩があり、その上に農作業をしていたので行く余裕が無かった。
日曜の今日は午後から時間もあり、息子も夜勤明けで家にいて、犬の散歩も頼めるのでプールに行った。

地元の町民プールでは、スイミングスクールの選手コースの生徒が練習をしていた。
一般のお客さんは最初は年配の女性が一人だけだったが、そのうち増えた。
自分はいつものように、アップでSKPSの800mをおこなった。
1年ぶりだから、全く体が動かないのでは無いかと心配したが、意外に動いた。
しかも、毎日しっかり歩いているせいか、それほど辛くは無い。
当然泳ぐスピードは、生徒と練習していた時に比べて甚だ遅い。

今日泳ぎに来た一番の理由は、嫌なことがあってそれから逃れるためであった。
子供が小さい頃から本格的に練習を始めて、20年近く経つ。
この地元のプールには20年以上の想い出がしみこんでいる。
今日のように嫌なことがあって、夢中で泳いだこともあった。
その時によく思い出した歌のフレーズは、EaglesのHotel Californiaの一節
"Some dance to remember,Some dance to forget"
さしずめ、プールでは"Some swim to remember, Some swim to forget"と言うところだろうか。
プールでは踊るのではなく、人は思い出すために泳ぎ、忘れるために泳ぐ。
今日の自分にとっては、思い出すためであり、忘れるためでもあった。

この同じプールで、我が子と一緒に泳いだり、クラブの生徒達と一緒に泳いだ。
自分に自由な時間が少なくて、もっと自由な時間が欲しいと思っていた。
しかし、今思い出すと充実したかけがえのない時間であった。
また、水泳マスターズチームは厳しくて大変だったけど、練習やレースが楽しかった。
今日はマスターズチームではないが、よくプールで出会った人に一人だけ会った。
その退職した年配の男性は、「本当に久しぶりやね」と声をかけてくれた。

自分の力がどれだけ残っているか分からなかったので、夢中で泳ぐほどのスピードや距離はだせなかった。
ただ、嫌な気持ちが水の中に溶けて出て消えていくように思えた。
また、ジョギングの時は一人黙々と走ることが多いが、水泳ではそばで多くの人が泳いだり歩いている。
特に若い選手が一生懸命泳いでいるので、こちらも励まされる。
当然泳ぐスピードは全く違うのだが、少しでも隣で並んで泳ぐ瞬間が楽しいものである。

泳いで気が晴れたとまでは行かなかったが、気分的には落ち着けたと思う。
こういう時には、水泳をやっていて良かったと思える。
酒やたばこ、ギャンブルなどで憂さ晴らしをする人もいる。
実際自分も、若い頃は酒での憂さ晴らしが多かった。
定年間近になると、いろんなストレスで心身を病む人もいる。
その中で酒たばこで健康を害して、定年前後に亡くなった人を何人も知っている。
世はまさにジョギング、マラソンブームで、それはそれで健康に良いと思う。
それとは違う水泳の魅力は、心も身体も水の中で漂わせることも出来ることだろう。
ほんのしばらくの時間ではあるが、イルカやクラゲになれるのである。

2016年12月10日土曜日

写真アルバム集の執筆で思うこと

『写真アルバム 赤穂・相生・上郡・佐用の昭和』樹林舎が出版された。
この出版に際しては、宮崎素一氏より写真説明やリード文(解説文)の依頼があった。
私は赤穂に関しては、生まれ育ちでありながら、あまり地域研究には関わってこなかった。
原稿の依頼は市の市史編さん室にあったようだが、対応が難しくて宮崎さんの方に依頼されたようだった。
執筆には自信も時間も無かったが、恩義のある宮崎さんから頼まれたら引き受けざるを得なかった。
過去の写真集をあたってみると、赤穂における郷土研究の重鎮が関わっているのが分かった。
そして、前回の出版されたこのシリーズは、赤穂に関しては故西畑俊昭氏が中心となっていた。
西畑氏が生きていたなら、今回もその役割を担っていただろうと思う。
つくづく、赤穂にとっては大切な人を亡くしてしまったのだと、改めて思わざるを得なかった。

写真集の風景は昔を思い出してくれるのだが、物心つく前の風景はまるで別世界である。
おそらく今の若い人がこの写真集を見たら、殆どがそうなのだろうと思う。
今の赤穂の職場に赴任してから、赤穂市内を出歩く機会が増えた。
赤穂市内の様子は、昔の姿を断片的に残してはいるが、ずいぶん変わってしまった。
私は今57歳だが、50年という年月の流れを改めて思い知らされた。
竜宮城へ行かなくても、もし50年前に赤穂を離れていきなり戻って来たら、その変化に驚かされるだろう。
そう言えば以前50年ぶりに行った金比羅さんは初めて行ったのと同じ感覚だった。
そして、浦島太郎同様に自分は白髪頭の老人になってきている。

昭和という時代ほど日本が激変した時代は無かっただろう。
変わることが良いことだ、美しいことだと思ってきた世代でもある。
本当は良い物を大切に残していく方が難しかった時代なのだ。
私たちが幼い頃に神社や寺であふれていた子供の遊ぶ姿はもう見かけない。
土曜の昼によく行った近所のお好み屋。
寒い中を父親と一緒に行った近所の風呂屋。
その他、八百屋、豆腐屋、駄菓子屋、酒屋、魚屋、散髪屋などの多くが消えていった。
そこにはお金と品物のやりとり以外のものがあった。

写真アルバム集もいずれ過去の洛中洛外図のように歴史公証の材料となるのだろう。
その時代に生きた人がどう思い、どう感じていたかは、想像の域を出ない。
ただ、時代の記録は自分たちの体の中、そして子孫の体の中にはDNAとして残り続ける。
この頃よく思うのは、DNAが自分たちの体や心を借りながら時代を超えて生き続けているのだということである。
生物の先生は命を繋ぐことの大切さをよく強調される。
確かに子孫を残して命を繋ぐことは大切である。
しかし、地球上に生命誕生以来、DNAは人以外にいろんな姿で生き続けている。
写真アルバム集は確かに人の営みを中心に掲載されているのだが、そこには別の生き物との関わりもしっかりと写されている。
そういう風に見れば単なるノスタルジーに浸るためだけのものでは無いようにも思える。

2016年12月4日日曜日

鳥の楽園と愚犬騒動

コウノトリがやってきて以来、愚犬クロとの散歩にはそれを撮影しようとする人や車に会うことが多くなった。
近所の知り合いの人も、常に追いかけて写真を撮っているので、密かにパパラッチ○○と呼んでいる。
この頃散歩に出かける時には、コウノトリも朝食を済ませて、高い高圧電線の鉄塔の上で日向ぼっこをしている。
写真を撮る人は、午前中殆どその近くで、動きの無いコウノトリを見張っている。
見張られていたら、地上に降りられないと思うが、日向ぼっこして諦めているのかも知れない。
先日の金曜日は、道端の普通の電信柱に止まっていたので、その大きさを身近に感じられた。
追いかけなければ、そばまで近づいても逃げることはあまりない。

そのコウノトリもさることながら、この季節になると猛禽類が沢山訪れている。
何という種類名なのか分からないが、鳶より少し小さなものが、電信柱や田んぼの中でいるのを何羽か見かける。
また、カラスよりも小さなものもよく飛んでいて、今日もカラスと空中戦をしていた。
皆総称して鷹というのかも知れないが、普段いる鳶やカラスなどと違って、秋から冬にしか見られない。
また、ケリも集団で田んぼを舞っている。
大型のサギもコウノトリに負けないくらい、おおらかに舞っているが誰も見向きもしない。
小鳥も沢山の種類がいて、美しい鳴き声を聞くのが楽しみである。
小川のそばに行くと、美しいカワセミも普通に見ることが出来る。
ただ、千種川の下流にかけている、川鵜に関しては、不気味である。
つい最近も大群が川の上を移動しているのを見たが、大群のカラス同様不快な感じがした。
自然が多く残っていると言いながら、自然そのものよりもこうして里のそばに人と共存している。
人の住んでいるそばの方が、食べ物が多くあるということなのだろうか。
私がよく訪れた奄美の与路島では、猛禽類の餌となったのは、野生化した山羊の子供だった。
この上郡では何が餌になっているか分からない。
ただ、我が家にはハツカネズミが多く住み着いているくらいだから、外にも多くいるのだろう。

そういう、様々な鳥を眺めながら、散歩を楽しんでいるそばで、クロは相変わらず蝗を捕って食べている。
時々散歩の途中でやるジャーキーよりも、蝗の方が好きなようだ。
蝗はまだ良いのだが、先日はヌートリアの子供が何匹も出てきて、えらく振り回された。
今日も、何か獲物、たぶんイタチだと思うが、それを見つけたのか草むらに飛び込んでしまった。
普段ハーネスに、10メートルほどの太いロープをつけているのだが、引っ張った拍子にハーネスが壊れてしまった。
こうなると、うちの愚犬はこれ幸いに脱走してしまう。
以前は追いかけて捕まえたが、紐が付いていない状態では絶対無理である。
一度帰って体制を整えて、他の人に迷惑をかけないように探しに行った。

クロは自分の好きな、隣村の墓場の近くをうろうろしている。
ここは以前に鎖をつけたまま逃走して、救助してやったところの近くである。
そばまで行って、ジャーキーで釣ろうとするのだが、逃げてしまう。
そんなことをしている間に、戻って来た家内が軽トラでやってきた。
家内は私のように捕まえた後で、叩いたりしていないので、ジャーキーを見せたらやってくる。
今回は見事そのジャーキーを使って、田んぼの中で捕まえてくれた。
私も最近は、捕まえても叩かないようにしている。
その代わり、散歩から戻った後の食事は抜きである。
いつも据わっている庭の縁台で、哀しそうな声を出していたが、無視した。

平和な鳥の楽園を堪能した散歩は、結局クロの脱走劇で乱された。
家の息子はやんちゃでは無かったので、あまり悩まされることが無かった。
その代わりにクロのやんちゃに振り回されている。
子育ての終わった夫婦にとっては、孫以上に手の掛かる存在でもある。
繋いでいる時は私に絶対服従するクロだが、逃げた時は家内の方に心を許す。
思い起こせば、独身下宿時代に電話や手紙のやりとりをしていたのは、母親だけだった。
父親というのはそういう存在なのかも知れない。
大西東洋司氏撮影

2016年11月13日日曜日

害虫駆除犬?

今年はどういう訳か蝗が多い。
私が作っている畑でも蝗が多くいて、時々捕まえている。
その蝗を我が家の愚犬クロは好んで食べる。
以前は蛙を捕まえて食べていたので、それは止めさせていた。
虫に関しては、蝉やバッタなどのは人も食べると思って、止めなかった。
トノサマバッタなどは、猫がよくとって食べているのを見ていたが、犬には無理である。
ところが蝗は私でも手で摘まめてとれるくらいなので、クロでも簡単に捕まえる。

そういうわけで、このところ散歩で蝗を捕るのが日課になってしまった。
今日の夕方などは、田んぼのそばの道だけにかなりの蝗がいて、散歩は蝗狩りとなった。
食べられる量は大したことが無いので、害虫駆除とまでは行かないが、少しは役には立っているだろう。
あまりに大好きそうなので、戻って来てからも畑の蝗を捕ってきて与えたら、喜んで食べた。
本来なら鹿やイノシシを捕る猟犬が蝗を捕るのは、情けないようにも思うし、食ってしまうのは猟犬としては失格である。
それでも、猟犬の端くれのとして、害虫駆除の蝗狩りとしてがんばってもらおうとも思う。

ところで、今朝(11/13)今年初めてコウノトリ二羽を見かけた。
いつものクロとの散歩コースで、貯水池の水を落とした干潟にいた。
山のそばにあるその大きな貯水池には、毎年沢山の鴨などの水鳥が来ている。
今年はたぶんさっちゃんだと思うが、友達と一緒に来てくれた。
鴨は犬と一緒にそばを通ると逃げるのだが、コウノトリは飛び立たない。
携帯で写真もとったのだが、霧が濃くてうまくとれていなかった。
一方、クロはあまり水鳥には興味を示さない。
鴨より蝗の方が現実的だと冷めているのだろう。

2016年10月31日月曜日

正倉院展と仏像展

29日日曜、朝早く起きて正倉院展を見に出かけた。
上郡駅8時発の電車だが、乗客は意外に多かった。
姫路で新快速に乗り換えたが、ここも乗客が多く、家内とは同じボックスの席には座れなかった。
これには、訳があって私がトイレが近いので、トイレのそばの席に座ろうとして開いてなかったのである。
結局は、トイレから離れた席に座り、途中から満員で混雑したので行けるわけも無く、拘った意味が無かった。
天気も素晴らしく良く、明石海峡の水面がさわやかに輝いていた。

大阪から環状線に乗り換えて、大和路快速に乗った。
結局奈良駅に着いたのは、11時頃だった。
バスに乗って、東大寺の近くまで行くのだが、渋滞していたので歩いた方が早かったかも知れない。
バスから降りて、まず驚いたのは正倉院展に入場するために並んでいる列。
この間行った兵馬俑展などは大したことの無いように思えたが、待ち時間は客の数に比べては短く予定では40分だった。
団体客は別の入り口から、スムーズに入っているのを見て、職場の見学会に応募した方が良かったかなとも思った。

入場して、すぐに「正倉院のみどころ」という解説会に案内されて、講堂に入った。
そこで、今回展示される品の見所の丁寧な解説を聞いた。
自分の日本史の授業ではさらっと流してしまう、漆胡瓶の作成方法などが詳しく解説されてよく分かった。
と言いつつ、朝早く起きて、しかも渋滞や長い行列で疲れていたので、半分居眠り状態で聞いていた。
解説が終わって展示を見て回るが、見所の展示品の前には人だかり。
自分は、背が少しだけ人よりも高いので、上からのぞき見をしながら、適当にまわっていった。
古文書なども熱心に見ている人もいたが、自分は解読できないのでさっと見て通った。
面白かったのは、「和同開珎」の展示の前で、若い奥さんが「銭形平次の」と言ったのを、その友達が「そう!」と相づちを打っていたことだ。
「それは寛永通宝で、時代が違い過ぎるだろう」と、思わずそばの家内に突っ込んでいた。
たぶん、多くの見物客は、古くて価値ある展示として、時代背景はあまり興味が無いのだろう。
日本史は高校では必修で無いので、多くの若い人の基礎知識は中学校程度なのである。

私はこの正倉院展よりも、ついでに見たなら仏像館の仏像展の方が面白かった。
こんなに沢山の仏像を並べているのを見たことが無い。
兵馬俑の兵士の顔並みに、色々と表情を持った仏像がある。
特に南北朝あたりのが、素朴で人間味を感じた。
本来は信仰の対象になる仏像も、多く並べられると美術品になるのかなとも思った。
外に出てみると行列は短くなり、待ち時間は20分になっていた。

昼食は2時頃にテントで売ってある売店で、柿の葉寿司、焼き鯖寿司、かき混ぜご飯を一つずつ買って二人で分けて食べた。
特に焼き鯖寿司が美味しかったが、私は柿の葉寿司を葉っぱまま食べてみた。
桜餅のように一緒に食べるものでは無いと分かった。

帰りは興福寺の方から駅に向かった。
興福寺は小学校の修学旅行依頼で、こんなに五重塔が大きい物だと再認識した。
猿沢の池で若い人が篠笛の練習をしていたのも趣を感じた。
商店街の店をひやかしながら駅について、家内は土産物を買い。
15時5分の大阪行きの大和路快速に乗った。

ゆっくりと大和路の旅とはいかなかったが、平日などにゆっくりとまわりたいと思わせる旅だった。
正倉院展自体には、少々不満は残ったが、小出しにして客を毎年呼ぶことによって維持できているのかなと思った。
私の同僚の父親は日本史の大学教員で毎年香川から見に来ているそうである。
日本史の教師たる者、本物を見ておくべきなのだろう。
日本史教師の端くれとしてそう思った。

2016年10月29日土曜日

国体一位への祝福

昨年まで、水泳部の練習で一緒に泳いでいた真殿悠生君が、障害者の国体で一位をとった。
彼の国体出場は、赤穂の地元紙にも写真入りで載っていた。
出場前に彼がちょうそ下校するときに見かけて、応援して握手をした。
「パラリンピックまで頑張れよ」というと、「それは無理」と言っていた。
しかし、これでパラリンピックも夢ではない。

同じように学校のプールで泳いでいるが、国体出場では横断幕もかけてもらえない。
高校の総合大会なら近畿大会でも、横断幕をかけてもらえる。
せめて、地元紙に写真入りで載せてもらったのが、励みになったと思う。
普段から彼の指導に当たってくれている末政コーチのことも知ってもらってよかったと思う。
普段なかなか日の目を見ない障害者の競技に対しても、しっかりと載せてくれた地元紙にも感謝している。

去年は一般の水泳大会にも彼は出場してくれた。
私もリレーメンバーの一人として、一緒に泳げて楽しかった。
障害を持つものと、そうでないものが一緒に混じってレースを楽しめることも良いと思う。

追記
真殿君は兵庫県のゆずりは賞の受賞が決まりました。
本当におめでとう!