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2017年11月21日火曜日

フラリードッグ

愚犬クロがまたもや逃亡を図った。
前回はちょうど一ヶ月ほど前に、山に逃げて夕方まで帰ってこなかった。
その時は、ハーネスをちゃんと装着していなかったので抜けてしまった。
無理矢理ひっぱたので、ハーネスが抜けてしまい、逃げてしまった。
悪いことに、山際の柵がイノシシにこじ開けられていて、そこから山に入ってしまった。
夕方、家の周りをうろついていると、近所の人が知らせに来てくれたので、捕まえに行くとまた逃げてしまった。
夜になって、庭で音がするので家内に見に行ってもらうと、置いておいた餌を食べていたので捕まえた。
それから、一週間の散歩禁止の謹慎処分となった。

今回は、つないでいたバックルが簡単に外れてしまった。
ひょっとした弾みで以前もとれていたので、気にはなっていた。
最初はクロの方もとれたことが分からなかったが、私が捕まえるのをしくじって逃亡した。
家内にも応援を求めて、挟み撃ちにして捕まえようとしたが、うれしげに逃げていった。
山が近くにあり、逃げ込むと無理なので諦めて帰った。
そして、犬小屋の近くに前回と同じように餌をおいて待っていた。
私は前回の謹慎処分を覚えていたら、ひょっとしたら戻ってこないかもしれないと思った。
しかし、前回よりもずいぶん早く昼には戻ってきて餌を食べていたので捕まえた。

以前は柵に入れていて逃亡を図り、一晩帰ってこなかったこともあった。
今回は最短で戻ってきた。
自由な空腹より、不自由な満腹を選んだわけである。
おとなしい犬なので、迷惑をかけることは無いと思っているが、近所の人から通報されるのは恥ずかしい。
何よりも呼んで戻ってこないというのが憎たらしいのである。
何匹も犬を飼ってきたが、このように逃亡を図る犬は初めてだ。
それは野良犬をやっていたせいでもあるのだが、しつけにも失敗している。

主人の気持ちを逆なでして逃亡する割に戻ってくる。
逃亡するならまた野良犬になる覚悟で逃げてみろと言いたい。
しかし、罰が待っていても必ず戻ってくる。
昔、ポールニューマンの主演映画で「暴力脱獄」というのがあり、主人公ルークは殺されるまで刑務所から脱獄し続けた。
彼は最後まで囚人に甘んじなかったのである。
トラは既に、囚人ならぬ飼い犬に甘んじている。
野良犬の惨めさをよく知っているのだろう。
なぜか子供を一番怖がる。
おそらく一番いじめられたのは子供たちにだろう。
それでいて、逃亡を図りたいのだから、困ったものである。
まるで、伝書鳩のようなフラリーマン(帰宅を嫌がるサラリーマン)がたまに羽目を外して飲みにいくようなものかもしれない。
クロがフラリーマンに似ているのか、フラリーマンがクロに似ているのか?
所詮どちらも、家なしには生きていけない・・・・



2017年11月19日日曜日

千種水汲み2017年秋

当初は猪名川町まで行って,道の駅でそばを食べるつもりだった。
家内が汲んできた水がもう残り少ないと言うので、急遽一緒に千種へ水汲みに行くことになった。
大分前からこの日曜(11/19)は寒くなると天気予報で知っていたので、ネットで道に雪が無いのを確かめてから出かけた。
このところ、JAや町、商工会のイベントがあちこちで開かれている。
道沿いにはその幟が立っているが、ちょうど白旗祭りの幟も立っていた。

昨日は「ひょうご歴史フォーラム」が上郡で開かれた。
「発祥の地、赤松から考えるー赤松氏研究の新展開ー」というテーマだった。
2年ほど前から、白旗城の麓の赤松氏の館跡が発掘調査されている。
その中間報告を兼ねていた。
全国的にも、室町期の館跡の発掘調査は少なくて、成果が上がれば全国初と言うことらしい。
基礎的知識が無いので、この時代の館なるものがどういう役割を持っていたのか分かっていなかった。
この時代は、山城と普段居住する館とは分かれていたことは知っていた。
ただ、聞いてみると、館は来客を接待したり、宴会を催す場のようだった。
どうも一遍上人絵伝の「武士の館」のイメージとも違うようである。
ともかく、まだ研究途上のようで、これから色々と分かってくるということで、楽しみである。


ちょうど、その赤松の村を通り過ぎる時に、毎年11月23日に行われる白旗城祭りの準備がなされていた。
昨日フォーラムに行って初めて知ったのだが、白旗は源氏の旗に由来し、元々は赤松城と言っていたそうだ。
現代からすれば白旗は降参する時の悪いイメージがあるが、この城は落ちない城として宣伝している。
私も一度だけ登ったが険しい坂道だった。
地元の人は毎年この道を整備しているそうである。

千種までの道沿いに見える景色は、秋そのものであり素晴らしい紅葉が続いた。
千種に近づくと、林業の関係で針葉樹が多くなるのだが、そこまでは紅葉の絨毯を敷いたような山が続く。
南光町のキャンプ場も多くの宿泊者がいて、テントを張っている人もいた。
千種に近づくと、路面が濡れている。
どうも雪雲が流れてきて降らしたらしい。
そして、やがて紅葉の谷間から白い雪をかぶった山が見えてきた。
針葉樹の緑、広葉樹の赤、雪山の白が見事なコントラストとして、眼前に広がった。

当然水汲所には、汲みに来た人はなく。
時折晴れたり、時折みぞれや、あられの降る中で、ホースをつないで軽トラに載せた容器に注いだ。

ふたを開け閉めする指先が凍えて感覚を失っていたが、今年初めてのジャンパーが寒さを防いでくれた。
自販機にコインを入れるだけの家内の方が、足下が寒くて足踏みをせねばならなかった。
いつものように、水汲所のそばのお祈り所に手を合わせてから、今回は途中どこにも寄らずに家に戻った。
今回はそばもうどんも食べられなかったが、紅葉狩りで心がいっぱいに満たされた。

2017年11月14日火曜日

足底筋膜炎からの回復

ここ一月以上足の裏親指と中指の付け根あたりの痛みに苦しんでいた。
最初は、プールのターンで壁をきつく蹴るせいかとも思った。
しかし、最近プールに行けなくなっても痛みは続く。
プールに行けなくても、犬の散歩は欠かせなかったのである。
私は犬の散歩に最低7km、多くて10kmほど歩く。
底が薄かったり、硬い靴は避けてジョギングシューズを履いていた。
どうもそれが良くなかったらしい。
と言うのは、ジョギングシューズは履き心地が良いので歩く姿勢を気にしない。
そして、朝露で濡れるのが嫌なので、アスファルトの道を歩いていた。
そんな折、日曜朝の番組「健康カプセル! ゲンキの時間」で「足」の特集が11/5にあった。
私はこの番組はずっと録画し続けているので、欠かさず見ている。
この「足」特集で「足底筋膜炎」の症状が私にぴったり当てはまると思った。
番組のネットで調べると(http://hicbc.com/tv/genki/archive/171105/)
「足の裏に張っている筋膜に炎症が起き、小さな断裂を起こすことで主にかかとが痛む病気です。朝の第一歩目が特に痛みます。」
私の痛いのはかかとではないが、朝の第一歩が特に痛むというのがぴったりである。
朝に限らず、歩き始めが非常に痛み、車から降りてびっこを引いたりもする。
そのくせ歩き始めると痛みも治まり、また長い距離を歩いてしまう。
この番組を見て、まず靴はトレッキングシューズに、インソールを入れて履くようにした。
そして、なるべく路肩の草の生えた土道を歩くようにした。
それでもなかなか直らない。
相変わらず、夜寝る前にインドメタシンの塗り薬を塗らなくては行けない。

そんなある日、紅葉がきれいなので近所の山を登ることにした。
きつい坂道で、足の具合を意識した。
平地で歩くより足裏の指の付け根の負担が少ない。
これは姿勢の問題だと思った。
意識してみれば、自分は前屈みで猫背のようにして歩いている。
それはどうしても犬を意識しているので、下を向くことになる。
また、このところ少々沈みがちの気分も影響していたようだ。

私は少しだけ剣道をしていたので、背筋を張ることは体得している。
問題はどうしてもすり足になることだ。
剣道の上段者が、ゴルフ場ですり足で歩いて芝生を痛め、怒られたと言うことを聞いた。
私も家内と歩いていて、靴を擦って歩くとよく注意される。
そういう欠点はあるものの、姿勢だけは良いのである。
その姿勢がこのところ悪かったらしい。
それ以降姿勢に気をつけるようになって、痛みは治まってきた。
要するに、前屈みで前に重心があり、足の先に負担がかかっていたのである。
ジョギングシューズだから、負担がわかりにくく放置してしまっていた。

今テレビ番組の「陸王」も毎週欠かさず見ているが、いかにシューズが重要かというのがよく分かる。
走らなくても、長く歩く場合も馬鹿にはできない。
分厚く柔らかいシューズは、歩く場合でもそれなりにリスクも抱えていると言うことでもある。
本当は地下足袋を履いて歩きたいのだが、私は体重が重いのでそれもかなりのリスクになる。
以前底の浅いジョギングシューズを履いて練習していて、今回と同じ足底筋膜炎の症状になった。
自分の体型に合ったシューズは慎重に選ばなければいけない。
私にはシューフィッターがいないので、自分で考えねばならない。

そして、やっと本格的なトレッキングシューズを買った。
本格的と言っても、6000円ほどの安い足首まであるシューズである。
因みに本格的なトレッキングシューズは1万円以下はあまりなかった。
安いながら履き心地が全然違うことが分かった。
前の部分が上に反っているので、円運動が足先に生じている。
最初はつま先が馴染まず痛かったが、その内足に合ってきた。
それを数日する内にかなり痛みは治まったのである。
やはり、長い距離を歩く時はそれなりのシューズが必要だと実感した。

2017年11月13日月曜日

備前のしっぽ福浦

以前このブログの「越境のAKB」で紹介したように、私の母方の祖父母は備前福河の福浦に生まれ育った。
因みに備前福河は福浦村と寒河(そうご)村の総称で、現在も駅名に使われている。
私は祖母に連れられて、当時は天和の方から山道を通って歩いて行った。
戦死した祖父の実家はその山道から降りた所にあり、古い家には長槍が飾ってあったのを覚えている。
現在はその家も取り壊されて、井戸だけが残っているという。
山の中腹にある墓参りに行くと、自然石がいくつか並べてあり、今から思うと子供を土葬した目印であったのかもしれない。
子供心に自然石だけの墓というのは、何となく哀れに思えた。

福浦には何度か祖母や母親と一緒に行った。
祖母の実家は港の近くにある入電という地区にあった。
こちらもずいぶん古い家で、便所が外の庭にあった。
祖父の方は船大工、祖母の方も船の運送関係だったようだった。
農地の少ない場所なので、海に関わる仕事が主だったのだろう。
それは私が生まれた鳥撫も同じである。
先日、私が作っている赤穂の畑のお隣さんが、福浦出身の人で祖父母の実家のことの話をした。
懐かしくなって、この日曜に軽トラで自転車を運んで、村の中や海岸を自転車で散策した。
これまでに思い出したように訪ねた場所だが、大きく様変わりしている。
最初の案内板に「龍神の里」の文字があった。
祖母から港の海から龍が出てきた昔話を聞かされていたのでそれだと思った。
地図で調べると、龍神宮という神社もある。
大きな堤防ができているので、龍などはもう出てきそうにない。
天和の方に向かう海岸線の一部は、昔のまま残っていた(上の写真)。
祖母に連れられて、兄弟で海水浴をした覚えがある。
その時に、祖母は親戚の人から、墓の守をちゃんとしないと責められて、泣いていたことを思い出す。
たぶん、戦死した祖父の墓がまだきちっとできていなかったからかもしれない。
祖父の墓は赤穂の高山墓地に今はあるが、先の尖った神道式の墓ではない。
祖母の意向で小さな墓にしており、戦死者とは分からない。
その反対方向の古池という所まで自転車に乗っていった。
この古池という村は、赤穂市の最も西の地区である。
以前勤めていた学校の玄関に、この古池の塩田跡の絵が飾られていたので、行ってみたいと思っていた。
長い海岸線沿いの道は、それほど起伏は無いが路面はあまり良くない。
ひょっとしたら寒河まで道が通じているかと思ったが、海岸線では無くて山道だった。
塩田跡(上の写真)が本当に残っていて、鴨たちがおおらかに泳いでいた。
赤穂で言えば今から40年以上前の風景である。
そのまま残っていると言うことは、開発できなかったと言うことである。
どん詰まりの港で、持ってきた家内の作ったサンドイッチを食べたりして、ゆっくりと過ごした。
鹿久居島もすぐそばに見えて、来年の夏はSUPをここでやろうと思った。
実はその対岸に見える鹿久居島の海岸には、何度かモーターボートで連れて行ってもらったことがある。
赤穂御崎のように観光化は全くされていないからこそ、昔ながらの風情を残す落ち着いた場所だった。
備前のしっぽである福浦の海は、私が海育ちであることを思い出させてくれた。

2017年11月10日金曜日

あの頃の秘伝五平餅売り

秘伝と言っても、五平餅のタレにクルミの擦ったのを混ぜるだけだが、大学の文化祭での宣伝文句だった。
例年11月3日は母校南山大学のHome Coming Day、つまり学園祭だった。
私はその後の人生を狂わせた文化人類学研究会というクラブに入っていた。
そのクラブでは毎年五平餅を作って販売していた。
私が3年の時には、私の下宿アパートに部員が集まって五平餅を作った。
炊飯器を3台ほど持ち込んだので、途中でヒューズが切れたりして大騒ぎにもなった。
当時はもう二度と部屋を貸してやるものかと思ったが、今から思い返せば楽しいひとときでもあった。
(下の写真は五平餅を売る当時の私)


その五平餅は、板で作った板きれの型に、炊いたご飯をすりこぎで練ってからはめ込むのである。
その真ん中に割り箸を差し込んでおく、それをきちっとしなければ食べている途中で落ちる。
かつて、五平餅が食べている途中で落ちてしまい、味噌だれで服が汚れたので、お客さんにクリーニング代を払ったという。
たかだか100円の五平餅に痛い出費であった。
だから、しっかりと固定させねばならない。
タレは赤味噌をベースに、砂糖や酒を加えて味付けをしていた。
ちなみに、南山大学のある名古屋は何でも味噌だれを使う。
味噌おでんは有名だが、エビフライやカツ丼も味噌だれである。
当時はあまり好みでは無かったが、最近は懐かしくてチューブ入りの味噌だれを使ったりしている。


五平餅は七輪に火をおこして、あぶって上でタレをつけ、そしてまた焼く。
焼くのに時間がかかるので、行列ができる。
行列ができると人気があると思い、よく売れるのである。
先日も西播磨のテクノの祭りで県立大学のたこ焼きがよく売れていた。
安いこともさることながら、行列ができていたのがやはりミソであった。
人は行列に弱いのである。
一番いけないのは誰もいない店の前で、販売員が突っ立ていることだ。
私は呼び込み販売は意外と得意だが、好きでは無い。
当時アルバイトで餅の製造をしたが、急きょ販売もやらされ、よく売れたのでまたやってと言われたが、1回で断った。
テクノの祭りではちゃんと販売もしたのだが、昔ほど売れなかった。
私はもうおばちゃんには販売員としての魅力を失ってしまったようだ・・・

2017年11月9日木曜日

カラオケタイムマシーン

私は歌の練習をかねてひとりカラオケをよくする。
カラオケボックスではなくて、自宅のパソコンを使ってである。
ヤマハのカラホーダイ、ネットで歌本をずっと何年も続けている。
学校でもそれを使って生徒たちとカラオケ大会をしたり、歌の練習をしたりもした。
忘れられないのは赤穂高校で担任していたクラスの最後LHRで打ち上げカラオケをした時だ。
私はフォークギターを持ち込んで歌を披露したりもした。
行事で撮った写真を見ながら、何人かが前で歌ってくれた。
最後に生徒が選んでくれたのは、ULTRA SOULだった。
私がB'zをよく歌うことを知っていたからだ。
みんなで歌いながら踊った。
「そして 戦うULTRA SOUL!」「HEY!!」
みんなの声がそろった!


退職した今の楽しみは、ギターの練習もさることながら、背景の画像に子供たちの写真を使うことだ。
子供たちの写真はデジタル化して、年ごとにホルダーに入れている。
過去に遡って、それを背景に歌っているのである。
まさしく「涙そうそう」の世界なのであるが、まるで当時に戻ったような気分になれる。
当時は、生活や仕事に追われて、子供たちを愛おしく感じる余裕さえあまりなかった。
自分たちの手から離れた今は、孫のごとく愛おしい。
バーチャルリアリティーのタイムマシーンなのである。
たまに、一緒に行ったディズニーランドの映像も見直したりするのも楽しいが、こうしてふとタイムスリップするのも良いものだ。

盆や正月に兄弟が実家に集まった時にもこれを用いてカラオケをした。
あらかじめ写真を用意しておいて、授業で使っているプロジェクターで拡大した。
母親が非常に喜んで、懐かしがってくれた。
子供を亡くした弟にはつらい写真もあったのだが、皆でタイムスリップできて良かった。
人の記憶というのはだんだん薄れてしまうが、写真のおかげでまた復活させてくれる。
当時のことが思い出せない場合は、過去を初体験した感覚にもなる。
ただ、肥満がちでなさけない容貌の自分にまた戻ってしまうのがつらいところである。
画像加工して編集し直してやろうか・・・・

2017年11月8日水曜日

全滅した黒大豆

今まで無農薬、無化学肥料での農作物の栽培を20年以上続けてきた。
その中で害虫によって作物が荒らされたことは度々あった。
それに対して、草木灰や有機石灰を撒いたり、アシビ、煙草の葉を水に溶かして撒いたりもした。
今回は無策であった。
今まで黒大豆は放置していても、大した被害が無かったからだ。
ところが今回は害虫によって赤穂の畑に植えていた黒大豆が全滅してしまった。
葉はそれほど被害は無かったので気づかぬうちに、サヤなどが食い尽くされていた。
聞けば近くの畑でも同じような被害があったという。
油断していたのは上郡の方では順調に育っていたからでもある。
しかし、上郡の近所の畑の黒大豆は病気で立ち枯れたという。
台風などで長雨が続いて病気になったのだろうという。
私が耕作している畑は、水はけはあまりよくないのだが、雑草が生えているので、雑草が水を吸ってくれている。
それが却って幸いしたのかもしれない。
以前少しだけ勤めた無農薬、無化学肥料の農場では、害虫に対しては完全放置だった。
虫が食えば、葉物はまた新しいのが自然と生えるということだった。
しかし、大豆のようなものは再生しようが無い。
そもそも発芽した芽を食われればそれでおしまいとなる。
それでほうれん草は全滅したという。
その農場は人海戦術で数をこなして利益を上げていたが、小規模な農家には無理である。
そこで有機農法を調べてみた。
ネット上でGreen Japanの「「有機」表示のできる農薬」によれば
「法律のおいて、「有機農産物」とは「化学的に合成された肥料及び農薬の使用」を避けたものを基本とする、定義されています。一般に言う「有機」か「無機」かという分類は全く関係がないので注意が必要です。つまり、例えば「炭酸カルシウム」でも[化学的に合成」されたものは使えないが、「天然鉱石を粉砕」したものは使えるということですhttp://www.greenjapan.co.jp/yuki_hyoji_noyak.htm」
ということで、「有機」として使える農薬登録のある商品情報もリストアップしてくれている。
要するに化学的合成かどうかの問題で、自然由来の物質を用いれば良いのである。
まさしく自然農薬を上手く活用しておけば問題は無かった。
黒大豆が全滅した一方で、上郡の畑では蒔きもしなかった、パクチ、ブロッコリー、大根が数多く育っている。
本当は花を咲かせて種を採って撒くつもりが、ずぼらして種が落ちてしまったのである。
ブロッコリーはニンニクのところに生えてしまったので、移植した。
パクチは手に負えないぐらい生えているので、そのまま放置している。
大根はそれほど生えてはいないが根性のある大根である。
こちらは自然農法に近いかもしれない。
今回勉強になったのは、有機農業は大規模で人海戦術を用いればできるかもしれない。
しかし、それは流通ルートをしっかり確保できる人に限られる。
だから、小規模な農家が起業するには前もって蓄財するか、年金をもらってからの方が良さそうだ。
作物の状態は常に観察して対策を怠ってはならず、片手間ではできない。
私の有機農業への挑戦はこれからしばらくはまだ研修段階で進みそうである。
しかし、こういう人はままいるようで、流通に乗せず知人に配っているようだ。
その一方で、農薬や化学肥料をふんだんに使って、多く収穫しようとする方が大勢だろう。
近所の農家もそういう農家が多い。
農薬で肝臓を悪くして早死にした父親を持つ農家も相変わらずである。
農業で生計を立てている人は、大きなリスクを背負っていることが身にしみた。