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2018年5月18日金曜日

宿直で知る年齢

私の今の仕事には宿直がある。
手当が付くのだが、私は辛い。
独身の若い人は、宿直が多い方が収入が増えるので良いという。
そういえば、以前勤めていた学校にも宿直勤務があり、手当が高かった。
私は宿直の次の日も授業があり、夕方になると頭痛がしたので辛かった。
しかし、当時は独身の若い人は、他の人の宿直も引き受けて基本給よりも手当が高いほどになった。
さすがに、それはしばらくして禁じられたが、若さの違いはそういうものである。

自分も若い頃は、少々寝なくても平気で、仲間と飲み明かしてそのまま朝を迎えて職場に行った。
また、修士論文を書いている時には、一週間まともに布団で眠らなかった。
机でペンを握って、午前二時だと思っていたのが、いつの間にか午前4時になっていた。
要するに、頭がシャットダウンしていたのだ。
修士論文を書いていた人の中には、腰痛を起こして救急車で運ばれた人もいた。
私は、修士論文を提出する日はまともに駅の階段が登れなかった。
それでも、次の日は回復していた。
若さとはそういうものだろうと思う。

ところが、今は宿直で0時に寝て5時に起きるが、一時間おきに目が覚める。
そして、次の日は頭がもうろうとして、はっきりしない。
前日の勤務も、昼食を夕食でとるような過酷なものだったせいもあるが、気力だけで仕事をしていた。
そして、午後からは振り替えで休ませてもらい、やっとの思いで帰宅した。
そして、午後からどころか、夕食後も爆睡した。
眠られるだけ、良いのかもしれないが、こんな生活が長く続けられるはずは無いと思う。
年齢の差は回復の差だと思うが、それを如実に感じさせるのが宿直である。
お金よりも眠りが欲しい年頃なのである。

2018年5月14日月曜日

猟犬のくせにモフモフなクロ

NHKの番組の「もふもふモフモフ」は見ていて楽しい番組である。
出てくる犬や猫は室内で飼われているのが殆どなので、庭で飼われているうちのクロとは大きく違う。
もともと猟犬で捨て犬だったクロは、既に3歳になって落ち着いてきた。
先日も、狂犬病の予防注射の時には、赤穂まで軽トラの荷台にトラベルキャリーに乗せて連れて行った。
予防注射の広場に集まってきている犬の殆どは室内犬だった。
中には大型犬もいて、吠えたり、引き綱から離れて逃げ回る犬もいた。
そんな中で、鳴きもせずいてくれたのは助かったが、他の犬に近づこうとするのには困った。
散歩でも特に困るのは、猫や野生の動物とあった時や、匂いを感じた時である。
力が強いので、引き倒されそうになることもしばしばである。
そのくせ、大型の車が来ると、主人を放って置いて逃げようとする。
絶対に盲導犬にはなれない。
実は鉄砲の音や、大きな音を怖がるので猟犬にも適していない。
だから捨てられたのだと、夫婦で話している。

そんなクロだが、戻ってきて犬小屋の傍で日向ぼっこをすると、全く無防備になる。
通り道に寝そべると、私が通ろうとそのまま寝そべっている。
時々、「踏んだろうか」と威嚇するが、動じる気配はない。
家内が洗濯を干す時にも、平気で足下で寝そべっている。
少々踏まれたり、蹴飛ばされても平気である。
このときばかりは、全くモフモフ状態だが、寝ているだけで様にならないので動画としては面白みに欠ける。
以前飼っていた雑種のトラは餌に対して執着が強く、入れた餌皿を触ろうものなら噛みつこうとした。
それに対して、クロは餌皿に触ろうが横取りしようが怒ることはない。
また、寝そべっている時などは、よく握手をしたり、顔の皮を引っ張ってやったりするのだが、もっとやって欲しそうにする。
因みに怒るのは、散歩に行ってくれそうで行かない時である。
腹たち紛れに、敷物にしているカーテンをくわえて振り回し怒りを表す。
散歩が食事より一番の楽しみなのである。
このように散歩の時と、庭で寝そべっている時のクロは別犬である。
ひょっとしてモフモフなクロは、家に戻って酒を飲んで寝そべっている私といっしょかも?


2018年5月12日土曜日

路線バスの旅の魅力

テレビ東京系列の路線バスの旅は、シリーズの途中から見始めたので、最初の頃は知らない。
このところ総集編があって、見ていると播州赤穂や上郡にもシリーズ1の第4弾で登場していた。
ウィキペディアによれば
3日目、兵庫県赤穂市槙から岡山県備前市福浦峠の間はバス路線がなく[24]、タクシーを呼んだものの、配車場所を間違われたことにより到着が遅れたが、福浦峠から乗車するバスの発車時刻には間に合い事なきを得た。また播州赤穂駅から乗車したバスを降りた居村バス停からタクシーを配車した槙バス停の間は徒歩で移動したが、このとき根本はヒールを履いており、長距離の徒歩に不安を感じた太川がバス乗車前にスニーカーを購入してあげる一幕があった。
とある。
どの地名も地元の人でも、位置関係が分かりづらいと思う。
因みに福浦峠は県境であり、赤穂市と備前市の境でもある。 だいたい、槙は私の生まれ故郷の鳥撫の隣の村で、両方併せて鷆和(駅名は天和)となる。
残念なことに最近殺人死体遺棄事件で有名になってしまった。

実は小学生の頃に祖母に連れられて、祖母の実家のある福浦に行ったことがある。
その時も、バスは槙までしかなくて、槙からの坂道を登って峠まで行き、峠から山道を通って祖母の実家に行ったことがある。
福浦には備前福河駅というJRの駅があるが、同じ赤穂市にありながらバスは行っていなかった。
福浦と槙の間には峠があり、徒歩で学校に通うのは大変だったので、私が小学生の頃は福浦の小学生は電車で赤穂小学校に通っていた。
遠い昔の記憶を呼び戻してくれるのも、この番組の魅力かも知れない。
自家用車やJR、高速バスを使えば難なく行ける所を、あえて路線バスを用いる。
路線バスは県境などで人の行き来が途絶えることも如実に教えてくれる。
また路線が変更されたり無くなったりして、時代の移り変わりと共に、人の行き来が変わっていくことも教えてくれる。
かつて中学生の頃は赤穂駅経由で有年行きのバスが御崎から出ていて、車掌さんも乗っていたが無くなった。
そういうような地元の事情も番組には所々で垣間見ることができる。
そして、今は鉄道の駅ではななくて、病院や空港が路線バスの中継地点となっているのも時代を感じさせる。

番組配役上の魅力は、レギュラー2人とマドンナとの人間模様だろう。
私はやはり蛭子さんのキャラが予想不能な路線バスの旅とぴったしだと思う。
当然それを軌道に乗せる太川さんの役割は重要だが、最近のZと比較すると蛭子さんの存在感の大きさを感じさせられる。
我が儘、失言、暴言、地元の特産品に媚びない食事、下着もあまり持ち合わせない不潔さ、友達にはしたくないタイプだが画面上では魅力はある。
下準備のできすぎた旅番組にはない魅力の真骨頂である。
また、マドンナも体育会系の人物を使っていないのも、親近感を持たせるための計算だと思う。
そこいらのおじさんやおばさんが普通に登場して、安上がりな民放ならではの新日本紀行を作り上げているように思える。









2018年5月10日木曜日

捨てられない衣服

今朝も家内から、「これ捨てるの」と聞かれた。
ずっと着続けているくすんだ青色のトレーナーである。
襟元がすり切れて綻んでいる。
外に着ていくわけにはいかないが、家の中で着ることは問題ない。
家内はまたかと不満げであった。
私はなかなか服を捨てきれない。
家内は「2年着ない服は捨てる」と、どんどん捨てている。

私は職業と趣味の関係で色んな服を持っている。
農作業用の作業着、運動用のジャージやTシャツを中心に、フォーマル、授業用、外出用、普段着、散歩用である。
座敷の奥が服置き場になってあふれかえっているのである。
一年に一度や二度しか着ない服もあるのだから、非効率的である。
学生時代は洋服ダンスも必要ない数だったのを思えば、無駄な生活をしているように思える。
これだけあふれかえっているのに、今日もWORKMANで夏の作業服を買ってしまった。
以前はUNIQLOやアウトレットのSHOTが中心だったが、このところWORKMANの服が殆どである。
それは今の仕事にも、農作業にも活用できるからである。
品ぞろいも良く、機能的で価格も手ごろなのか魅力的でもある。
WORKMANはお客さんは少ないが、職人風の人や、マニアックな登山やスポーツ好きの人が来ていて独特の雰囲気だ。

ブランド品でもない衣服を大量にため込む状態を、何とかしなくてはならないと思っている。
断捨離を実践したいとずっと思い続けている。
ただ、言い訳をすれば、衣服には昔の記憶が詰まっている。
アルバムの写真やパソコンのハードディスクの記録とは違う、生活臭の漂う記憶であり、今も生き続けている。
先日も20年以上前の写真を見た時に、その服が今も残って着続けているのに改めて気がついた。
何せ、スーツは40年前の教育実習で着た物を筆頭に、10年前以上の物ばかりである。
こちらは私の歴史そのものであり、これからの未来と言っても良いかもしれない。
ということで、私にとって衣服は生き続けるモニュメントだと思って今しばらくは我慢して欲しいのだが・・・
ダメか・・・・


2018年5月9日水曜日

カブスカウトの思い出

先日、職場でカブスカウトやボーイスカウトと関わる機会があった。
そこで思い出したのは、小学生の頃入っていたカブスカウトである。
実はボーイスカウトにも入ったが、中学受験のために辞めざるを得なくなった。
カブスカウトでは、廃校を利用して宿泊訓練をした。
思い出すのは、相生の榊という所の小学校廃校での宿泊である。
夜は蛍狩りにみんなで出かけて、虫かごいっぱい獲ってきた。
夜中には付き添いの仲間のお母さんに頼まれて、懐中電灯代わりにしたくらいである。

ただ、楽しい宿泊訓練とは言いずらかった。
それは、夜中には校舎の外れにある便所に行かねばならない。
どうしても行きたくなって、デンマザーに言うとデンマザーも行きたかったらしく、一緒に行った。
そして、用が済んで出てくるまで、待つように頼まれた。
デンマザーも別の意味で怖かったのかも知れない。
思い出せば、昔の学校の便所はどこもくみ取りで、校舎の外れにあった。

また、夏には海岸近くにあった赤穂の御崎小学校で宿泊した。
当時はまだ廃校になっていなかったように思う。
御崎の小学生が尾崎の小学校前を通ると、
「御崎の学校おんぼろ学校、突っ張り学校」とからかったりした。
古い学校に鉄製の突っ張りがなされていたからである。
御崎小学校は直ぐ下に海水浴場があって、そこでカブスカウトは泳いだ。
デンマザーがセミビギニーを着ていたのを見とれていたので、友達にからかわれたのを憶えている。

今回のカブスカウトには保護者や兄弟が多く付き添っていた。
宿泊するところも、立派な施設である。
自分たちの頃は付き添う保護者は少なく、代わりに若いデンマザーが多かった。
思い出せば、私の父親はついてきたのを思い出した。
自分としては、父親はあまりついてきて欲しくはなかった。
人付き合いが下手なのに、どういう訳かカブスカウトの付き添いや、世話役をしてくれた。
考えてみれば、私も子供の水泳の付き添いなどをしたので同じである。
どちらも無骨な父親として、それが一つの愛情表現だったのだ。


2018年5月6日日曜日

里の大木

日曜朝の所さんの「目がテン」は大好きな番組で、いつも録画して見ている。
特に科学者による、里山復活プロジェクトは役に立つので楽しみにしている。
先日の番組テーマは「巨木」だった。
その中で、巨木は原生林では存在しにくく、里に多いと言うことは目からうろこだった。
つまり、自然界では特殊な条件を持つ屋久杉は別として、自然淘汰で古木は失われるということだ。
里で信仰の対象となり、巨木になるまで守り続けられるそうだ。
巨木は地上から約130cmの位置での幹周が300cm以上の木だから、私の村には大木はあっても滅多に巨木は無かった。

私が上郡のこの村に25年程前に移り住んだ当時には、村の中に大木が存在した。
実は、私の家を建てる時に、隣の庭にあった大木が一本切り倒された。
巨木は隣家の私の家を建てる妨げとなっていたからである。
私が購入した土地は、かつて宅地だったが、長い間空き地になっていたという。
別に信仰の対象では無かったが、放置した木は大木になっていた。
一本だけ直径1m程の巨木らしき木があった。
近くの竹林の中にあり、その木には鳥たちが集まっていた。
しかし、根が張り、道路をでこぼこにし始めたので、切り倒されてしまった。
切り倒された切り株の大きさを見て、その木の大きさを思い知った。
それ以来、美しい鳥の鳴き声は近くでは聞こえなくなった。

私の住む字の象徴的な大木は、文殊さんと呼ばれるほこらの傍にあった木で、そこは村作業などで集まる場所になっていた。
また、鳥だけでなく、クワガタムシなどがよってきていた。
落雷にも耐え、長い間その土地の持ち主の腰の曲がったおばあさんが落ち葉を拾っていた。
そも世話も大変で、大木自身がいつ倒れるかも知れない状態になっていたので、枝を切って殺してしまった。
持ち主は神主さんにお祓いをしてもらった後、植木屋さんに処置してもらった。
今は、名残の幹だけが電柱のように立っている。
世代を超えて守られてきた大木は、今の時代にはそぐわなくなっているようだ。
今の時代は高圧電線の鉄塔が、一番空に近い存在になっている。
そして、村在住の鳥以外にも、村にやって来るコウノトリや鷹の居場所にもなっているのである。
人も鳥も時代と共に生きていると言うことだろう。
いずれ家の庭木や生け垣もなくなり、鳥や虫が寄りつかない場所になってしまうのかも知れない。



2018年5月5日土曜日

口ずさんだ唄

家内と買い物の途中の車の中、ラジオ番組で懐かしい唄を聴いた。
それらの多くは自分たちが生まれる前とか、幼い頃の女性が歌った唄だった。
自分はテレビやラジオ以外にも、母親や父親が口ずさんでいるのを聴いていた。
唄好きの母親は、家事をする時も、いつも唄を口ずさんでいた。
家内は昔からの、ラジオ好きなのでそちらで聴いていたと思う。
その唄を車中で家内と口ずさみながら、ふと亡くなった父親の声を思い出した。
父親はもともとそんなに唄は歌わなかったが、よく歌詞を一部使ってからかったりしていた。
例えば、息子が泣いていると「あんた 泣いてんのね」という風にである。
昔の曲は、今よりも長く放送されており、普段の会話の中に入っていった。

「ごめんね 次郎」「あら 見てたのね」「勝つと思うな 思えば負けよ」
色々と、ことある毎に唄のフレーズで、からかったり誤魔化したり、教訓とした。
それで、ふと父親の声を思い出したのである。

唄はそういう風に、親しく関わった声も蘇らせてくれる。
もう二度と生の声を聴くことができなくてもである。
録音された歌声は、今でも生き続けている。
これは、プロの歌手だけでなく、家庭で録画や録音した声もである。
私は一曲だけ、YouTubeに投稿しているので、ネットで聴こうと思えばいつでも聴ける。
家庭で録画や録音したものは、手間をかけないと聴けない。
だから、記憶に残っている歌声が、便利な再生器なのである。
テレビでは歌番組は減ったので、ラジオの歌番組がそういうきっかけとなってくれる。
この頃は、私も眠る前にラジオを聴くようになった。
夢と音楽は時間と空間を超えて、記憶の旅に誘ってくれる。