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2018年8月3日金曜日

癒やしの蓮の花

このところの暑さで、朝のクロとの散歩もなかなか大変である。
できれば、軽く済ませたいとも思うこともあるが、蓮の花を今朝も見たいと思うと頑張れる。
先週の恵みの台風のおかげで、蓮の花も復活したように思う。
一時はまばらになって、このまま盆を迎えてしまうのかなと思ったが、これで一安心である。
以前は夏の花と言えば、ダリヤやカンナだった。
庭先によく咲いていたが、最近では見当たらない。
子供の頃は、カンナの葉っぱをとって遊んだりした。
小学校の教材でよく使われた、朝顔も身近にあった。
朝早く、ラジオ体操にで帰るときに、咲いている数を数えたりした。

この酷暑では、庭先の花も暑さに耐えながら咲いているように思える。
いつもきれいに咲いてくれる畑のオクラの花も、今年はまだ咲いていない。
そんな中で、池に顔を浮かべて、清々しく咲いている蓮の花は、その暑さを忘れさせてくれる。
このほんの一時の、蓮の花とのふれあいのために、全身に汗をかきながら散歩をしている。

2018年8月1日水曜日

日常語になった「ハゲ」

自分に放たれた「ハゲー」と言うことばに、おどけて見せるしかなかった。
一人の園児が、スイミングキャップをとった私に投げかけた言葉である。
私は「じじい」と言われたので、白髪が目立たないように短いスポーツ刈りにした。
今までそうすると若く見られることが多かったからである。
しかし、地肌の見えるの短髪に、園児はそう感じてその言葉を放ったようである。
確かに、頭頂部はかなり薄毛になっているが、下から見上げられてわかるはずはない。
長い間教師をしてきたが、面と向かってハゲと言われたのは初めてである。
当然、陰で言われていただろうとは思うけれど・・・

園児が人に対して、何のためらいもなく「ハゲ」という言葉を発せるのは、普段から使われているからだろう。
そういえば、国会議員が秘書に対して「この、ハゲー」と罵倒したニュースがしばらく流れた。
その時に、いつの間にか茶の間では「ハゲー」が市民権を得てしまったのかもしれない。
結局、その国会議員は辞職に追い込まれるのだが、ハゲという言葉は日常に根付いてしまったのかもしれない。

若いころは髪の毛は剛毛で、むしろ多くて困っていた。
それが、だんだんと薄くなり、白髪も多くなってしまった。
弟の一人は若い時から薄毛で悩んでいたが、独身だったので深刻だったのだろうと思う。
勤めだしてから、車が一台買えそうな金額を、鬘につぎ込んでいた時期もあった。
髪の毛に問題のない人には、理解しがたいことだと思うが、髪の毛は結構重大な問題だ。
「ハゲ」という言葉は、面白半分や気軽に使える言葉ではない。
若いころはそう考えずに、使っていただろう言葉を、今思い知らされる。

そして、年齢の高いものに対する言葉づかいも、時代を感じさせられるのである。
今の時代は昔のような怖いおじいさんというのはいなくなって、何を言っても許される優しいおじいさんが普通の時代なのだろう。
こういう時代だからこそ、老いても誇りを持てるものを持ち続けたいと、研究活動だけは続けている。
これはある意味で、プロになり損ねた選手が、アマチュアで頑張っているのと同じかも知れない。
スポーツと違って、プロになる可能性は少しはある。
そして、世間には認められていない身だけれど、ハゲという言葉に打ち勝つ力にはなる。


2018年7月30日月曜日

恵みの雨の将来

この台風12号が来るまでは、雨が全く降らず、人間も農作物も悲鳴を上げていた。
驚いたのは、里芋の葉が枯れている。
水を張ってあるところでも、マルチを張っているせいか、ところどころ焼かれたように枯れているのである。
うちの里芋も同じだが、周りに雑草が多いせいで温度が上がらないせいか、他と比べると枯れているのは少ない。
一番元気なのはトマトである。
こういう状態だったので、被害に遭われた方には気の毒には思うけれど、この台風は恵みの雨ともなった。
そして、久しぶりに外に出て爽やかさを感じさせてくれた。
明け方も、二階の寝室では扇風機を止めねばならないほど涼しくなった。
いつもは暑くて目が覚めるのに、少々寝過ごしてクロの散歩が食後になった。
いつもより一時間遅く散歩に出かけたが、それ程暑くも無く、蓮の花が見事に多く並んで咲いていた。
これまでは、暑さに耐えられずあまり咲いていなかったように思う。

大学生の頃に奄美大島の加計呂麻島に下見調査に行ったことがある。
その時の泊まった民宿の方から、「台風は来てもらわないと困る」と言われて驚いたことがある。
理由を聞くと、浜にいっぱいゴミがたまってくるので、それをさらってくれるからだという。
また、与路島の人との台風の話題でよく出ていたのは、本土では「なぜ、台風で死人が出るのか」ということだった。
奄美や沖縄などの台風常襲地帯では、台風の備えをしっかりしているので、人的被害はほとんどないというのである。
逆に、台風の来ない北海道出身者が大学の同級生にいたが、彼らは暴風雨の中で興奮して外に出かけたと聞いて呆れた。
彼らは台風の怖さを知っていなかった。

このところ、予想のつく台風より、予想のつきにくい集中豪雨のほうが被害が大きい。
また、酷暑による熱中症の死者などの人的被害を考えると、むしろ台風より脅威になっているのかも知れない。
酷暑は既に災害だというように報道されているが、暴風や大雨・洪水並みに警報を出して備えるべきなだろう。
世界中で覆う灼熱の被害は、既に我々がとんでもない時代に生きていることを実感させられる。
そのうち、とんでもない巨大な台風が襲ってきて、恵みの雨とは言えなくなるかも知れない。
日本近海で台風が迷走して、もう一度発達するなんて今まで考えられなかった。
もう、以前の日本本土では無いということを、肝に銘じておくべきなのだろう。





2018年7月28日土曜日

じじいと呼ばないで

以前のブログで孫のようなスイミングの生徒の話を書いたが、実際に生徒から「おじいさん」と言われることがよくある。
ある生徒などは、自分の父親に対して私のことを「じじいコーチ」と説明していた。
黒いスイミングキャップをしているときは感じないようだが、キャップをとって白髪頭を見せるとあらためて言われる。
私より年齢の高いコーチもいるが、その人は黒髪だし、園児は担当していない。
たいていズバズバというのは、園児である。
聞くところによると、そのコーチも言われた経験があるそうだが、私のようにひん頻繁には言われていない。


本当に自分の子供にできた孫なら、「おじいさん」と言われると嬉しいだろう。
しかし、生徒から言われると、年寄り扱いされた感じで複雑な気持ちになる。
孫との関係から言われる「おじいさん」と、容貌から言われる「おじいさん」とではまるで意味が違うのである。
そういえば、電車の中で年寄り扱いされて、席を譲られると嫌がるお年寄りがいるという。
要するに、本人は体力に自信があっても、周りからは席を譲るべき容貌に見えるからだろう。
そして「じじいコーチ」と言われると、さすがに心穏やかではいられない。
外見上の対策も考えなくてはならないとも思えてくる。
それにしても、近所のその園児は誰からその言葉を教わったのだろうかが一番気になる。

以前の職場と違って、今度の職場は年配の人が多い。
特に私のように非正規の職員は年齢が高く、私は若い方である。
今は年金をもらいながらの人や、被扶養者の女性がアルバイトやパートを続けている人が今の職場では多い。
以前は若い独身の女性がスイミングコーチをしていたように思うが、今は人気が無くて人材不足だそうである。
スイミングスクールが置かれた環境が、以前とは大きく変わったからだと思われる。

ただ、退職後も務められる職場として残されていることも確かである。
体力的に無理な職場では無いと言うことである。
先日も泳ぎ仲間の方に久しぶりに会って、あまりに痩せているので驚いた。
その方は筋骨隆々の元気な方で、家島で行われるオープンウォーターの大会にも出るような人だった。
どうやら、自治会長を引き受けて無理をされたようである。
これは自分自身にもかなりショックだった。
いつまでも若くて体力に自信があると過信すれば、確実に衰えている体に負担がかかっていると言うことである。
自分自身アルギニンを飲んで、頑張っているがきっとどこかに負担を強いているのだろうと思う。

孫以外に「おじいさん」とは呼ばれたくはないが、「おじいさん」になりつつある自覚は必要なのだろう。
だから、無理は絶対禁物なのである。
そして、退職して年金もまだ支給されていない中途半端な我々は、関わる方もどう対処して良いか困るだろう。
年寄り扱いも、若者と同じ扱いもできない世代。
思春期ならぬ思秋期である。
過去の自分から脱皮して自分を試してみたいとも思った。
私は思春期につっぱっていたが、どうも思秋期でもつっぱって生きているようだ。
ヤンキーならぬヤンジーと呼ぶべきなのか・・・



2018年7月25日水曜日

ウナギのフルコース

いつからウナギを食べていないだろうか?
国産ウナギは高すぎるし、外国産ウナギは硬そうだし・・・
ウナギを食べなくても、サプリでアルギニンは摂っている。
国産ウナギ一匹の値段とサプリ120錠(一ヶ月分)は同じなのである。
でも、美味しく栄養が摂れるウナギに勝てるはずはない。

ウナギで思い出すのは、南山大学時代に人類学科の倉田勇先生(故人)と杉本良男先生にウナギのフルコースをご馳走になったことだ。
おそらく、お二人はボーナスが出たのだと思う。
貧しい学生を数名を誘ってくれて、ウナギの専門店に連れて行ってくれた。
その時に初めて二段重ねのうな重や、ウナギの肝のお吸い物、うな玉などを頂いた。
私はそれ以来、ウナギのフルコースは食べたことがない。
それはお金がないというのではなくて、フルコースを食べようと思う相手やきっかけがなかったからだ。
大学の先生は、貧しい学生を元気づけてやろうという親心だったのだと思う。

学部時代はゼミの指導教官であった杉本先生にはずいぶんご馳走になった。
当時は独身だった杉本先生は、ゼミ生をよく飲みに連れて行ってくれた。
また、私の下宿にもよく来てくれて、鍋をつついたりもしてくれた。
倉田先生も下宿に来てくれたことがあった。
その時にはゼミ生だったり、文化人類学研究会の部員がいたりした。
今から思うと大学の先生が学生の下宿先に訪れることは、当時でも珍しいことだったと思う。
私の下宿アパートは二間はあるけれど、風呂のない家賃1万円の安アパートだった。
名古屋の千種区の池下駅から歩いて10分ほどの距離で、仲間が集まりやすい場所にあった。
また、杉本先生の職員寮にもよく伺った。
当時は独身だったとは言え、よく学生を受け入れてくれたものだと思う。
当時の南山大学の人類学科にはそういう教師と学生の親密なふれあいがあった。
たぶん、そのふれあいが忘れられずに、今でも文化人類学を続けているのかも知れない。

自分は学生にウナギのフルコースをご馳走できるほどの立場にはない。
ただ、収入とは結びつかない文化人類学の研究にはウナギのフルコースの何十倍のお金と、時間を費やしている。
おかげで、家内にはウナギを食べさせてやれないのだが、幸いなことに家内はウナギより穴子の方が好きだ。
穴子ならたまに安くて美味しいのが手に入る。
こちらも高級品になりつつあるが、ウナギよりはましである。
ウナギのフルコースは良い思い出だけに残しておこう・・・






2018年7月23日月曜日

故障の連鎖と復活

パソコン、洗濯機、除湿機、電子レンジ、エンジンポンプ、プリンター、冷蔵庫、エアコン、食器乾燥機
これらはほぼここ一年間の中で、故障や不具合を起こしたもので、買い換えたり、買わずに我慢したり、修理したものである。
電器製品はどういうわけか、10年毎に計ったように壊れると良く言われた。
冷蔵庫や洗濯機などの家電は結婚したときにまとめて買うので、同じような周期で壊れるのも分かる。
しかし、パソコン関係やエアコン等は結婚や引っ越しとは無関係であった。
エアコンに関しては3年前に購入した物であったが、室外機が故障してしまった。
ずっと昔に買ったエアコンは頑張って動いてくれているのに、最新の機能をもつエアコンの方が早く故障した。
イメージとしては、昔の単純な機能のほうが故障に強い感じだ。
ひょっとしたら、去年の冬の異常な寒さと、この夏の異常な暑さが原因なのだろうか?

パソコンに関しては、一番長持ちしていたのはデスクトップ型のエディキューブだった。
次に長持ちしているのは、ノート型のレッツノートである。
これはドライブもついていなくて、一度不具合を起こして初期化を自分で行った。
それでも使い続けているのは、WindowsXPをスタンドアローンで使っているからである。
と言うのも、私が一番頼りにしているソフトは、OCRソフトの『読んでココ』である。
自分の研究活動には欠かせない優れものである。
ところが製造販売が中止され、以前のWindows7では不具合を起こして使えなかった。
そこでずっとレッツノートやエディキューブを使い続けていた。

今回一か八かで、最新のWindows10で試して見た。
驚くことに、今のところ順調に使えている。
もし、これから順調に使っていけるのなら、レッツノートが壊れても大丈夫である。
もし、使えなくなったら、中古のパソコンにXPをインストールして使おうかとも思っていた。
『読んでココ』のように、優れたソフトでありながら、消えてしまうソフトがあるのは残念だ。
『読み取り革命』も試したが、『読んでココ』には叶わない。
しかも、『読み取り革命』はバージョンアップをあまりしていない。

おそらく今の時代はPDFなどを使う人が多いので、需要が少ないのだろうと思う。
OCRも本格的な手書きの読み取りの時代になっているのだろう。
また、音声入力が優れていれば、活字を読み上げて入力する方が早いかも知れない。
そろそろ新しい方法に乗り換える時期なのかも知れない。
現実にワープロはよく使う一太郎では、iPadで使えないし、クラウド機能対応がイマイチである。
私はいつの間にか、ワープロ専用機を使い続ける昔の研究者と同じになっているのかも知れない。

パソコンに限らず、電器製品などは長持ちさせる時代は終わり、ネット環境や破綻気象に耐えうる製品に買い換える時代になっているかもしれない。
ただ、時代を超えて良いものはずっと使い続けるぞ・・・


2018年7月21日土曜日

孫のようなスイミング生徒

私は青少年教育センター閑谷学校を辞めた後、しばらくしてスポーツセンターでアルバイトを始めた。
そこでの主な仕事は、温水室内プールでの水泳指導である。
水泳は、高校や特別支援学校でクラブ指導などで関わってきたので、その経験を活かそうと思った。
しかし、高校などで選手を教えるのと、スイミングで生徒を教えるのでは大違いで悪戦苦闘をしている。
ベテランのコーチの指導方法や話術を学ぶことが今の大切な仕事になっている。
これは学校の教師が教科を教えるのと同じであり、自分が理解しているのと生徒に教えるのは違うのと同じである。
水泳部の顧問の時は、全く泳げない生徒はいなかったし、初心者は部員が教える手助けをしてくれた。
しかも、幼稚園児から小学校6年生まで教えることになるのだから、保育士から小学校教師を兼ねるのと同じである。
そして、成人や高齢者とも関わることになるので、学校教師の枠を超えてしまう。
その上、スポーツセンターでは水泳の指導だけでなく、施設管理や事務経理をしなくてはいけない。
学校で言えば教師と事務員と、校務員を兼ねるのと同じになる。
これは社会教育施設の閑谷学校以上の仕事である。
なぜなら、閑谷学校では経理については、総務としての人員が専門に確保されていた。

自分としてありがたかったのは、収入は大きく減ったが、自由に使える時間が増えたことである。
出勤時間も遅くなり、毎朝クロの散歩もできるし、曜日によっては研究時間持てるようになった。
そして、何よりも汗かきの私には、プールの中の仕事がありがたい。
外の温度が高くて38℃近くあっても、水温は31℃くらいに維持されている。
私は水泳の経験もあったし、学校の冷たいプールで鍛えられているので、水の中には慣れている。
ただ、一日中水に漬かっていると、それ以上に泳ぐ練習をしたいという気持ちはあまりなくなった。

そんな中、幼稚園児を教えているクラスの終わりに、保護者のお母さんから声をかけられた。
高校勤務の時の教え子だった。
つまり、生徒の中に教え子の娘さんが混じっていたのである。
声をかけられて、元教え子だと分かったのだが、実は殆ど教え子には声をかけられないと、分からないことが多い。
見覚えのある顔でも、様子が変わっているので自信が無いのである。
だから、自分の方から声はかけられない。
しかも、顔は覚えているのだが、担任したりクラブで関わった生徒、よほど印象があった生徒以外は、名前を憶えていない。
今回も、担任した学年の生徒だったが、授業だけで関わった教え子だったし、結婚して苗字も変わっていたので本人から聞かねばならなかった。
教え子は私の日本史の授業でのことも良く憶えてくれていたので嬉しかった。

私にはまだ孫はいないのだが、教え子の子供は孫のような存在である。
プールが始まる前や終わりの自由時間は、その孫のような園児とお話をしたり、遊んだりする。
どちらかというと、学校ではいかつい怖そうな教師の顔も見せていたのだが、優しいお兄(爺)さんになっている。
特別支援学校でも、生徒と遊ぶのが仕事の一つになっていたが、ここでもそれが大切な仕事である。
この業界の色々な問題も知っているし、今の現場でもそれが見えてきているのだが、体験したかった仕事なので頑張ってやりたいと思っている。
どこまで体力が続くか分からないけれど・・・・