今年の夏の水汲みは盆前になった。
以前、8月初旬に水汲みに行ったときは、南光町のひまわり祭りの期間で渋滞にあって困った。
今回はその期間を外れていたので、渋滞には遭わずに済んだが、ひまわりは殆どおじぎをしていた。
おじぎをしているひまわりは、「この暑さたまらないな」としょげているように見える。
娘が幼かった頃連れてきて「こっちを向いていて恐い」と言ったひまわりにはほどとおい。
川の方は、水遊びをしている家族連れが多くいた。
特に、南光町のキャンプ場や千種の道の駅の付近は、多くの家族連れで賑わっていた。
道の駅は満車状態で、立ち寄ることもできない。
エーガイヤ付近のコンビニもいつになく大賑わい。
エーガイヤの前の川の中にも、水遊びをする家族連れやアベックが多くいた。
水汲み場のそばにある川の土手の上でも、犬を連れたグループが食事を楽しんでいた。
こんな賑やかな千種は、長い間水汲みを行ってきたが初めての経験である。
お盆ならではこそと思うが、普段から多くの人が訪れてくれたらと思う。
地域起こしとかと言って、特産物や道の駅を考えるのも良いことだが、豊かな自然を便利に利用できる方法も良いだろう。
こういう所で、一番困るのはトイレや更衣室、シャワーだから、それを夏場の川端に設置しても良いだろう。
実際、夏場の海水浴シーズンだけ設置している海水浴場もある。
若い人以外にも、来てもらうためには猪名川町のように、美味しい蕎麦のようなものを食べさせてくれれば年配の方でも何度でも行くと思う。
清流と共に、そうめんをすするというのも良いと思う。
近くに龍野というそうめんの名産地もあることだし、千種の鮎や特産品と絡めてもいい。
それには駐車場などの施設もしっかり確保する必要があるだろう。
そしたら、私どものように水汲みのついでにぜひ立ち寄りたいと思うのだが・・・
播磨の西外れにある私の生まれ育った赤穂や、今暮らしている上郡に関すること、農作業,山野河海の恵み、趣味の水泳、音楽、専門である有機農業や、教育、文化人類学、民俗学に関することなどを、きままに記してみます。
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2018年8月16日木曜日
2018年8月13日月曜日
赤穂市民の夕べ2018年
上郡町の川祭りは台風の影響で中止になってしまった。
花火2000発は見ることができなかった。
と言っても、花火を見に行くことは子供が大きくなってからはあまり無くなってしまった。
今回は花火をじっくり見る機会に恵まれた。
実は、母親が入院し、しかも事情があって個室に入ることになった。
その部屋からきれいな花火を見ることができるので、家内や息子と一緒に見ることにした。

この日(8/11)は、入院している母親の見舞いに遠くから弟家族が訪れていた。
夕方からは近くのスーパーで買い物をして、一緒に食事をした。
食事の後は、うちの家族以外は一番末の弟がバンド出演する海浜公園へ観に行き、うちの家族は病院に出かけた。
冷房のよく効いた病室で花火をじっくり観ることは、滅多に経験できることでは無い。
しかも、どの部屋でも見えるわけではなくて、その部屋にいられたのは不幸中の幸いというところである。
母親も花火を楽しそうに眺めていた。
赤穂の市民の夕べは、大学生時代から楽しんでいた。
その頃は、総合運動公園でやっていたと思う。
千種川の川原でやっていた頃は、橋の上から眺めたりもした。
実は海浜公園になってからは、一度も観にいたことはなかった。
今回も、母親の入院がなかったら見に行くことは無かっただろうと思う。
花火をきっかけに、色んな思い出が蘇ってきた。
そういえば、家内の浴衣姿は結婚前の市民の夕べ以来みていたないな・・・
花火2000発は見ることができなかった。
と言っても、花火を見に行くことは子供が大きくなってからはあまり無くなってしまった。
今回は花火をじっくり見る機会に恵まれた。
実は、母親が入院し、しかも事情があって個室に入ることになった。
その部屋からきれいな花火を見ることができるので、家内や息子と一緒に見ることにした。
この日(8/11)は、入院している母親の見舞いに遠くから弟家族が訪れていた。
夕方からは近くのスーパーで買い物をして、一緒に食事をした。
食事の後は、うちの家族以外は一番末の弟がバンド出演する海浜公園へ観に行き、うちの家族は病院に出かけた。
冷房のよく効いた病室で花火をじっくり観ることは、滅多に経験できることでは無い。
しかも、どの部屋でも見えるわけではなくて、その部屋にいられたのは不幸中の幸いというところである。
母親も花火を楽しそうに眺めていた。
赤穂の市民の夕べは、大学生時代から楽しんでいた。
その頃は、総合運動公園でやっていたと思う。
千種川の川原でやっていた頃は、橋の上から眺めたりもした。
実は海浜公園になってからは、一度も観にいたことはなかった。
今回も、母親の入院がなかったら見に行くことは無かっただろうと思う。
花火をきっかけに、色んな思い出が蘇ってきた。
そういえば、家内の浴衣姿は結婚前の市民の夕べ以来みていたないな・・・
2018年8月12日日曜日
初めてのカヌー体験
今日(8/10)本格的なカヌーに初めて乗った。
ビニール製の安物のカヌーには乗ったことはあった。
まず、座ることにも苦労する。
人に持ってもらって、狭くて足を入れるのにも一苦労。
ふらふらしながら、パドルの使い方も知らず、漕ぎながら教えてもらった。
パドルは右手首の回しでかく面を操作する。
ところが、一生懸命かいてもまっすぐに進まない。
こんなに、まっすぐに進むのが難しいとは思わなかった。
後で聞くと、カヌーはまっすぐ進む方が難しいそうだ。
今練習しているSUPには、フィンがついているので比較的楽にまっすぐ進んでくれる。
今回のカヌーにはフィンが全くついていないので、すぐに回転してしまうのである。
本来は回転しやすい方が安全だと言うが、初心者にはまっすぐ進まないことの方がストレスになる。
まっすぐ進まないと覚悟して、これからは漕いだ方が良さそうである。
今回は上郡の大きな池で、同じように初心者の中学生と乗った。
中学生は1年2年3年の各一名だった。
付き添いの職員も来てくれていたが、一番飲み込みの早いのは低学年の生徒だった。
私は生徒が来る前に一度練習をし、二回目の時に一緒に乗ったので少しは面目は保てた。
しかし、万が一の救助に役に立つのかと自分ながら、恥ずかしかった。
他にベテランのインストラクターがいてくれて、その人の操作は全く別物であった。
パドルの水への入れ方がだいたい違う。
カヌーの舳先の方から大きくかいていた。
だんだん慣れてくると、遠くまで漕いでいったり、スピードを楽しめるようになった。
ただ、漕いでいるのに一生懸命なので、池の上での気分を味わうということはできない。
自然豊かな池の水面で優雅にカヌーを楽しむのが本来の目的だろうが、カヌーを操ることに夢中だった。
普段こういう経験ができない3人の生徒にとっては良い体験になったようで、この後にウォーターバルーンに入って水の上で遊んで楽しんでいた。
カヌーが転倒して池には落ちなかったが、ひもの外れたウォーターバルーンを取りに生徒と一緒に池に飛び込んだ。
意外と気持ちの良い、池の水だった。
陸に上がると、太ももがやたら張っている。
バランスをとるために、またに力を入れて開いていたためである。
簡単にはひっくり返らないとは思うようになったが、簡単に揺れたり回転することに不安を感じ続けていた。
SUPの練習では、何度も何度も水中に落っこちたが、カヌーでは何とか水中に落ちずに済んだ。
二日目のカヌー体験は、一日に比べて楽に操作できるようになっていた。
池の水面の上で、風景を楽しむこともできた。
二日間目は女子で、怖くて固まってしまいベテラン講師に牽引してもらう者もいた。
その女子生徒は後で、池の中に飛び込んで遊んでいた。
要するに、カヌーの揺れが怖かったのである。
今回私は、浮桟橋に上がるときに池に落ちてしまった。
ずぶねれの二日間だったが、ひとつ世界を広げたように思えた。
ビニール製の安物のカヌーには乗ったことはあった。
まず、座ることにも苦労する。
人に持ってもらって、狭くて足を入れるのにも一苦労。
ふらふらしながら、パドルの使い方も知らず、漕ぎながら教えてもらった。
パドルは右手首の回しでかく面を操作する。
ところが、一生懸命かいてもまっすぐに進まない。
こんなに、まっすぐに進むのが難しいとは思わなかった。
後で聞くと、カヌーはまっすぐ進む方が難しいそうだ。
今練習しているSUPには、フィンがついているので比較的楽にまっすぐ進んでくれる。
今回のカヌーにはフィンが全くついていないので、すぐに回転してしまうのである。
本来は回転しやすい方が安全だと言うが、初心者にはまっすぐ進まないことの方がストレスになる。
まっすぐ進まないと覚悟して、これからは漕いだ方が良さそうである。
今回は上郡の大きな池で、同じように初心者の中学生と乗った。
中学生は1年2年3年の各一名だった。
付き添いの職員も来てくれていたが、一番飲み込みの早いのは低学年の生徒だった。
私は生徒が来る前に一度練習をし、二回目の時に一緒に乗ったので少しは面目は保てた。
しかし、万が一の救助に役に立つのかと自分ながら、恥ずかしかった。
他にベテランのインストラクターがいてくれて、その人の操作は全く別物であった。
パドルの水への入れ方がだいたい違う。
カヌーの舳先の方から大きくかいていた。
だんだん慣れてくると、遠くまで漕いでいったり、スピードを楽しめるようになった。
ただ、漕いでいるのに一生懸命なので、池の上での気分を味わうということはできない。
自然豊かな池の水面で優雅にカヌーを楽しむのが本来の目的だろうが、カヌーを操ることに夢中だった。
普段こういう経験ができない3人の生徒にとっては良い体験になったようで、この後にウォーターバルーンに入って水の上で遊んで楽しんでいた。
カヌーが転倒して池には落ちなかったが、ひもの外れたウォーターバルーンを取りに生徒と一緒に池に飛び込んだ。
意外と気持ちの良い、池の水だった。
陸に上がると、太ももがやたら張っている。
バランスをとるために、またに力を入れて開いていたためである。
簡単にはひっくり返らないとは思うようになったが、簡単に揺れたり回転することに不安を感じ続けていた。
SUPの練習では、何度も何度も水中に落っこちたが、カヌーでは何とか水中に落ちずに済んだ。
二日目のカヌー体験は、一日に比べて楽に操作できるようになっていた。
池の水面の上で、風景を楽しむこともできた。
二日間目は女子で、怖くて固まってしまいベテラン講師に牽引してもらう者もいた。
その女子生徒は後で、池の中に飛び込んで遊んでいた。
要するに、カヌーの揺れが怖かったのである。
今回私は、浮桟橋に上がるときに池に落ちてしまった。
ずぶねれの二日間だったが、ひとつ世界を広げたように思えた。
2018年8月10日金曜日
少年回帰の葬式
昨日(8/6)は義理の叔父の葬式があった。
最近は父方の親戚とは、やはり名古屋の亡き叔父の法事に顔を合わせる程度である。
私は跡取りなので、亡き父親や、動きがとれない母親の代わりというと言うことで家内と一緒に参加する。
法事には従兄弟は来ないので、従兄弟と会うのは葬式くらいである。
前回の葬式から既に5年以上経ているので、その分風貌も互いに変わっている。
そして、子育ての最中だった従兄弟は既に子供は就職したり、大学に進学したりしている。
私自身も、現役の教師を退職して、アルバイト暮らしの状況でずいぶん状況が変わった。
そして、年老いた伯父や伯母は、名前を言って顔を見せても、もう判別できなくなっている。
叔父伯母の中には元気で、昔と変わらない人もいるが、何より私の母親が入院していて参列できなかった。
従兄弟は自分にとっては特別な存在で、本家の家で盆正月を一緒に過ごした仲でもある。
また、幼かった従兄弟は私が遊園地に連れて行ったりもした者もいる。
本家の従兄弟の姉は、私が夏休みなど本家に預けられていた時に、ずっと遊んでくれたお姉さんである。
また、私は大学には名古屋の叔父を頼っていたので、その従兄弟とも関わりが深かった。
だから、昔のままの関係の延長で、接することができる。
だから未だに「○○ちゃん」と呼んでいる。
そうして親戚の従兄弟との関係は濃密だった関係も、末の弟の頃は疎遠になってきていた。
だから、葬式などで食事になっても、その弟は話をするのも困っている。
とうの今回亡くなった義理の叔父もの孫は、息子の孫と娘の孫がいるのだが、様子を見ていると殆ど会話をしていない。
こちらは従兄弟同士疎遠な関係がよく分かる。
今回の葬式は近所の参列者の無い、親戚だけのものだったが、その親戚さえ疎遠な関係が見て取れるものだった。
そんな中で、昔関わりがあった者同士が旧交を温める場所となっていた。
私自身は、昔の頃の気持ちに戻り、現在自分が置かれている状況も忘れることができた。
幼い頃から、青年期を経て壮年期、そして老齢まで様子を知っている関係。
自分が生まれ育った赤穂を離れている私にとっては、それを知っている数少ない人たちである。
その一人を失った葬式だが、関わりを蘇らせた葬式でもあった。
最近は父方の親戚とは、やはり名古屋の亡き叔父の法事に顔を合わせる程度である。
私は跡取りなので、亡き父親や、動きがとれない母親の代わりというと言うことで家内と一緒に参加する。
法事には従兄弟は来ないので、従兄弟と会うのは葬式くらいである。
前回の葬式から既に5年以上経ているので、その分風貌も互いに変わっている。
そして、子育ての最中だった従兄弟は既に子供は就職したり、大学に進学したりしている。
私自身も、現役の教師を退職して、アルバイト暮らしの状況でずいぶん状況が変わった。
そして、年老いた伯父や伯母は、名前を言って顔を見せても、もう判別できなくなっている。
叔父伯母の中には元気で、昔と変わらない人もいるが、何より私の母親が入院していて参列できなかった。
従兄弟は自分にとっては特別な存在で、本家の家で盆正月を一緒に過ごした仲でもある。
また、幼かった従兄弟は私が遊園地に連れて行ったりもした者もいる。
本家の従兄弟の姉は、私が夏休みなど本家に預けられていた時に、ずっと遊んでくれたお姉さんである。
また、私は大学には名古屋の叔父を頼っていたので、その従兄弟とも関わりが深かった。
だから、昔のままの関係の延長で、接することができる。
だから未だに「○○ちゃん」と呼んでいる。
そうして親戚の従兄弟との関係は濃密だった関係も、末の弟の頃は疎遠になってきていた。
だから、葬式などで食事になっても、その弟は話をするのも困っている。
とうの今回亡くなった義理の叔父もの孫は、息子の孫と娘の孫がいるのだが、様子を見ていると殆ど会話をしていない。
こちらは従兄弟同士疎遠な関係がよく分かる。
今回の葬式は近所の参列者の無い、親戚だけのものだったが、その親戚さえ疎遠な関係が見て取れるものだった。
そんな中で、昔関わりがあった者同士が旧交を温める場所となっていた。
私自身は、昔の頃の気持ちに戻り、現在自分が置かれている状況も忘れることができた。
幼い頃から、青年期を経て壮年期、そして老齢まで様子を知っている関係。
自分が生まれ育った赤穂を離れている私にとっては、それを知っている数少ない人たちである。
その一人を失った葬式だが、関わりを蘇らせた葬式でもあった。
2018年8月6日月曜日
鹿児島での夏
去年は早期退職以来仕事に就いていなかったので、10月までは春休み、夏休み、秋休みと続いた。
しかし、今年から仕事について以来、五月の連休も無く、この夏は盆休みさえ無さそうである。
ただ、閑谷学校の指導員を辞めて以来、10日ほど仕事をしていなかったので、長期の休みはそこそこあった。
今はアルバイトという形なので、週休2.5日という感じである。
だから、夏休みが無いのはそう苦にはならないが、人生において夏休みの無い夏は初めてのような気がする。
私は学校生活、教師生活と夏休みはずっとあった。
それなのに、教師になってから夏休みに観光旅行に行ったりしたことは一度も無い。
今から思えば、勿体ないことをしたなと思う。
では、教師になってから仕事以外に夏休みは何をしていたのだろうかと思う。
教師は夏期休暇以外に、普段とるのが難しい年休を夏休みに使うことが多い。
だから、教師によっては海外旅行を毎年のように行う人もいる。
実は、私も観光旅行は無いけれど、研究のために鹿児島や奄美には長期に旅行はしている。
鹿児島では今の民泊に匹敵するようなアパートの一室を借りて一週間滞在して、図書館に通い続けた。
今年は大河ドラマで「西郷どん」が流されているので、多くの人が関心を持っているかも知れない。
私は、文献で鹿児島のことを調べているので、こういうドラマは素直には見られなくて、見ていない。
ただ、奄美の描き方が、今までとは違うということだけは知っている。
鹿児島で文献を調べたのは主に郷中教育だったが、それ以外にも鹿児島は他の県とはかなり違う独自の歴史と文化・社会がある。
かなりむかしの時代劇に「素浪人 月影兵庫」という、旅物があった。
浪人月影兵庫と焼津の半次という旅烏が、各地で悪者と戦う時代劇である。
何年か前に再放送で見て、鹿児島は外国のように描かれていたのは納得がいった。
鹿児島まではその時には車で行ったので、知覧や坊津まで見学に行った。
そこには、鹿児島市とは違う別の顔があった。
どちらも歴史を背負った場所だった。
特攻隊基地を記念した博物館(上の写真)で、日本各地から集まってきた特攻隊委員人物像に触れることができた。
今でも残る郷士の屋敷は江戸時代がそのまま生き続けているようだった。
知覧は、それ以外に茶畑が広がる雄大な景色も、心に刻まれた。
琉球や東南アジアの交易の拠点にもなった坊津(上の写真)は、海の向こうへの世界を感じさせてくれるものがあった。
歴史を感じながら旅するのもなかなか良いものだと思った。
ただ、1000CCのビッツでの旅は、少々過酷でもあった。
しかし、今年から仕事について以来、五月の連休も無く、この夏は盆休みさえ無さそうである。
ただ、閑谷学校の指導員を辞めて以来、10日ほど仕事をしていなかったので、長期の休みはそこそこあった。
今はアルバイトという形なので、週休2.5日という感じである。
だから、夏休みが無いのはそう苦にはならないが、人生において夏休みの無い夏は初めてのような気がする。
私は学校生活、教師生活と夏休みはずっとあった。
それなのに、教師になってから夏休みに観光旅行に行ったりしたことは一度も無い。
今から思えば、勿体ないことをしたなと思う。
では、教師になってから仕事以外に夏休みは何をしていたのだろうかと思う。
教師は夏期休暇以外に、普段とるのが難しい年休を夏休みに使うことが多い。
だから、教師によっては海外旅行を毎年のように行う人もいる。
実は、私も観光旅行は無いけれど、研究のために鹿児島や奄美には長期に旅行はしている。
鹿児島では今の民泊に匹敵するようなアパートの一室を借りて一週間滞在して、図書館に通い続けた。
今年は大河ドラマで「西郷どん」が流されているので、多くの人が関心を持っているかも知れない。
私は、文献で鹿児島のことを調べているので、こういうドラマは素直には見られなくて、見ていない。
ただ、奄美の描き方が、今までとは違うということだけは知っている。
鹿児島で文献を調べたのは主に郷中教育だったが、それ以外にも鹿児島は他の県とはかなり違う独自の歴史と文化・社会がある。
かなりむかしの時代劇に「素浪人 月影兵庫」という、旅物があった。
浪人月影兵庫と焼津の半次という旅烏が、各地で悪者と戦う時代劇である。
何年か前に再放送で見て、鹿児島は外国のように描かれていたのは納得がいった。
鹿児島まではその時には車で行ったので、知覧や坊津まで見学に行った。
そこには、鹿児島市とは違う別の顔があった。
どちらも歴史を背負った場所だった。
特攻隊基地を記念した博物館(上の写真)で、日本各地から集まってきた特攻隊委員人物像に触れることができた。
今でも残る郷士の屋敷は江戸時代がそのまま生き続けているようだった。
知覧は、それ以外に茶畑が広がる雄大な景色も、心に刻まれた。
琉球や東南アジアの交易の拠点にもなった坊津(上の写真)は、海の向こうへの世界を感じさせてくれるものがあった。
歴史を感じながら旅するのもなかなか良いものだと思った。
ただ、1000CCのビッツでの旅は、少々過酷でもあった。
2018年8月3日金曜日
癒やしの蓮の花
このところの暑さで、朝のクロとの散歩もなかなか大変である。
できれば、軽く済ませたいとも思うこともあるが、蓮の花を今朝も見たいと思うと頑張れる。
先週の恵みの台風のおかげで、蓮の花も復活したように思う。
一時はまばらになって、このまま盆を迎えてしまうのかなと思ったが、これで一安心である。
以前は夏の花と言えば、ダリヤやカンナだった。
庭先によく咲いていたが、最近では見当たらない。
子供の頃は、カンナの葉っぱをとって遊んだりした。
小学校の教材でよく使われた、朝顔も身近にあった。
朝早く、ラジオ体操にで帰るときに、咲いている数を数えたりした。
この酷暑では、庭先の花も暑さに耐えながら咲いているように思える。
いつもきれいに咲いてくれる畑のオクラの花も、今年はまだ咲いていない。
そんな中で、池に顔を浮かべて、清々しく咲いている蓮の花は、その暑さを忘れさせてくれる。
このほんの一時の、蓮の花とのふれあいのために、全身に汗をかきながら散歩をしている。
できれば、軽く済ませたいとも思うこともあるが、蓮の花を今朝も見たいと思うと頑張れる。
先週の恵みの台風のおかげで、蓮の花も復活したように思う。
一時はまばらになって、このまま盆を迎えてしまうのかなと思ったが、これで一安心である。
以前は夏の花と言えば、ダリヤやカンナだった。
庭先によく咲いていたが、最近では見当たらない。
子供の頃は、カンナの葉っぱをとって遊んだりした。
小学校の教材でよく使われた、朝顔も身近にあった。
朝早く、ラジオ体操にで帰るときに、咲いている数を数えたりした。
この酷暑では、庭先の花も暑さに耐えながら咲いているように思える。
いつもきれいに咲いてくれる畑のオクラの花も、今年はまだ咲いていない。
そんな中で、池に顔を浮かべて、清々しく咲いている蓮の花は、その暑さを忘れさせてくれる。
このほんの一時の、蓮の花とのふれあいのために、全身に汗をかきながら散歩をしている。
2018年8月1日水曜日
日常語になった「ハゲ」
自分に放たれた「ハゲー」と言うことばに、おどけて見せるしかなかった。
一人の園児が、スイミングキャップをとった私に投げかけた言葉である。
私は「じじい」と言われたので、白髪が目立たないように短いスポーツ刈りにした。
今までそうすると若く見られることが多かったからである。
しかし、地肌の見えるの短髪に、園児はそう感じてその言葉を放ったようである。
確かに、頭頂部はかなり薄毛になっているが、下から見上げられてわかるはずはない。
長い間教師をしてきたが、面と向かってハゲと言われたのは初めてである。
当然、陰で言われていただろうとは思うけれど・・・
園児が人に対して、何のためらいもなく「ハゲ」という言葉を発せるのは、普段から使われているからだろう。
そういえば、国会議員が秘書に対して「この、ハゲー」と罵倒したニュースがしばらく流れた。
その時に、いつの間にか茶の間では「ハゲー」が市民権を得てしまったのかもしれない。
結局、その国会議員は辞職に追い込まれるのだが、ハゲという言葉は日常に根付いてしまったのかもしれない。
若いころは髪の毛は剛毛で、むしろ多くて困っていた。
それが、だんだんと薄くなり、白髪も多くなってしまった。
弟の一人は若い時から薄毛で悩んでいたが、独身だったので深刻だったのだろうと思う。
勤めだしてから、車が一台買えそうな金額を、鬘につぎ込んでいた時期もあった。
髪の毛に問題のない人には、理解しがたいことだと思うが、髪の毛は結構重大な問題だ。
「ハゲ」という言葉は、面白半分や気軽に使える言葉ではない。
若いころはそう考えずに、使っていただろう言葉を、今思い知らされる。
そして、年齢の高いものに対する言葉づかいも、時代を感じさせられるのである。
今の時代は昔のような怖いおじいさんというのはいなくなって、何を言っても許される優しいおじいさんが普通の時代なのだろう。
こういう時代だからこそ、老いても誇りを持てるものを持ち続けたいと、研究活動だけは続けている。
これはある意味で、プロになり損ねた選手が、アマチュアで頑張っているのと同じかも知れない。
スポーツと違って、プロになる可能性は少しはある。
そして、世間には認められていない身だけれど、ハゲという言葉に打ち勝つ力にはなる。
一人の園児が、スイミングキャップをとった私に投げかけた言葉である。
私は「じじい」と言われたので、白髪が目立たないように短いスポーツ刈りにした。
今までそうすると若く見られることが多かったからである。
しかし、地肌の見えるの短髪に、園児はそう感じてその言葉を放ったようである。
確かに、頭頂部はかなり薄毛になっているが、下から見上げられてわかるはずはない。
長い間教師をしてきたが、面と向かってハゲと言われたのは初めてである。
当然、陰で言われていただろうとは思うけれど・・・
園児が人に対して、何のためらいもなく「ハゲ」という言葉を発せるのは、普段から使われているからだろう。
そういえば、国会議員が秘書に対して「この、ハゲー」と罵倒したニュースがしばらく流れた。
その時に、いつの間にか茶の間では「ハゲー」が市民権を得てしまったのかもしれない。
結局、その国会議員は辞職に追い込まれるのだが、ハゲという言葉は日常に根付いてしまったのかもしれない。
若いころは髪の毛は剛毛で、むしろ多くて困っていた。
それが、だんだんと薄くなり、白髪も多くなってしまった。
弟の一人は若い時から薄毛で悩んでいたが、独身だったので深刻だったのだろうと思う。
勤めだしてから、車が一台買えそうな金額を、鬘につぎ込んでいた時期もあった。
髪の毛に問題のない人には、理解しがたいことだと思うが、髪の毛は結構重大な問題だ。
「ハゲ」という言葉は、面白半分や気軽に使える言葉ではない。
若いころはそう考えずに、使っていただろう言葉を、今思い知らされる。
そして、年齢の高いものに対する言葉づかいも、時代を感じさせられるのである。
今の時代は昔のような怖いおじいさんというのはいなくなって、何を言っても許される優しいおじいさんが普通の時代なのだろう。
こういう時代だからこそ、老いても誇りを持てるものを持ち続けたいと、研究活動だけは続けている。
これはある意味で、プロになり損ねた選手が、アマチュアで頑張っているのと同じかも知れない。
スポーツと違って、プロになる可能性は少しはある。
そして、世間には認められていない身だけれど、ハゲという言葉に打ち勝つ力にはなる。
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