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2018年8月31日金曜日

ポーラ美術館コレクション

岡山県立美術館の「ポーラ美術館コレクション モネ、ルノワールからピカソまで」を昨日(8/26)家内と見に行った。
以前勤めていた職場で招待券をもらっていて、結局最終日にまで行くことができずにいた。
先週の日曜日も米の買い出しで、備前に行ったのが、今回は岡山の中心街にまで車で行く。
私は出張で、県庁舎に行ったことがあったが、その時もずいぶん道に迷った。
今回も、案内板が出ているのにもかかわらず、道を間違えて引き返さざるを得なかった。
まだ、駅を中心とした俯瞰図が頭の中で描くことができずにいる。
何とかたどり着いてが、今度は駐車場を探さねばならなかった。
見つけたパーキングから、美術館はそこそこ距離があり、真昼の炎天下の美術館までの道のりは少々厳しかった。

最終日と言うことで、人でも多いのかとも思ったが、入場で待たされることはなかった。
第一展示場は写真撮影が許されていて、多くの人が写真を撮っていた。
私も持ってきた携帯電話で気に入った絵を写真に収めた。
印象画の絵は、どれも心和ませてくれた。
絵によっては、今のアニメの世界と変わらないものがあったが、今のアニメの方がこれらの絵の影響を受けていると行った方が良いのだろう。
観覧者はやはり女性が多く、熱心にスマホで何枚も写真を撮る人もいた。
ただ、撮ってきた写真や買ってきた絵はがきというのは、結局日常の中で陳腐な絵になってしまう。
こういう展覧会の場で、本物の絵に触れる感動に変えられるものではないと思う。
ただ、毎日に散歩で田舎の自然風景に接している者としては、風景画はその延長上に感じた。
それでも、古い町並みや、建築物は別世界であり、その雰囲気の中に入るこむこともできるのが楽しい。
一方、ピカソの絵は、あまり長くみたいと思わなかった。
情緒不安定になりそうな気がした。

他の展示も見たいところではあったが、昼食もまだでおなかもすいたので、美術館を出ることにした。
また、パーキングまでの暑い道のりを戻り、いざ出ようとしたところ、出口バーの故障かなんかで20分近くも待たされた。
結局、300円のところ200円に安くしてもらったが、時間のロスとなってしまった。
せっかくだから駅前のイオンに寄ろうというので、イオンのパーキングに向かったが、満車状態で入れないと思い帰ることにした。
昼食をとれる手頃な店を探すが、その殆どが逆方面の車線側で、右折してまで入る気にはなれない。
結局、午後2時近くになって、丸亀製麺に入った。
そこで、冷やかけうどんと野菜のかき揚げ、レンコンの天ぷらを食べた。
我々夫婦にとって手頃なうどんをすするのが、なんとなく自然に思えた。
格調高い美術館に行った帰りに、うどんをすするというのも悪くない。
ただ、美味しそうでかき揚げをほおばったが、ずいぶん長く胃にもたれることになった。
夫婦とも忙しい日々の合間に無理して出かけたが、何よりもかけがえのない一時のように感じた。



2018年8月28日火曜日

昔の名前で・・・

私が在籍した大学院の一つ、東京都立大学はその名前を失っていた。
首都大学東京というけったいな名前になってしまって、私には親しみなどもてなかった。
ただ、私が通った校舎は既に八王子に移転してしまっていて、一度も足を踏み入れたことはない。
私の通った校舎は、東京都目黒区八雲1-1-1にあって、東急東横線の都立大学駅から柿の木坂を登ったところにあった。
校歌がなかったので、仲間で飲むとその当時はやった、志村けんの「東村山音頭」をもじって、「目黒区八雲 一丁目 一丁目 一丁目」とふざけて歌った。
私は「柿の木坂は駅まで三里」の歌詞のある『柿の木坂の家』の歌の方が、この大学にふさわしいと思った。
ただ、この歌は広島県の大竹市がモデルだそうだが、私は勝手に渋谷駅から三里離れていると解釈していた。
今の校舎は八王子市南大沢1-1-1にあるそうで、ここで「昔の名前で でています」と、2020年に再デビューするのだという。

私は高校生の頃は、やけに倍率の高い二期校の大学という以外に大して興味はなかった。
ただ、親しかった友人は、この大学に憧れて目指したが、結局二浪して慶応に行った。
都民にとっても、入学金などが安かったので人気があったらしく、都立大学に行きたかったという早稲田大出の人もいて意外に思った。
ただ、以前私の教え子に進学を勧めたことがあるが、筑波大学の方を選んで進んだ。
大学改名のニュースでの取材で学生が話していたように、ネームバリューも人気もなくなっているのだろうと思った。
また「首都大学東京」は、「東京都市大学」という私立大学があるように、名前が紛らわしくて格調もないように感じていた。
そもそも、東京都立大学は英語ではTokyo Metropolitan Universityで、大学のTシャツにはMのイニシャルを使っていた。
ちなみに、東京都市大学はTokyo City Universityだそうで、都市の大きさの差の表現というのもおかしなものである。

私が所属していた当時の東京都立大学大学院の社会人類学コースの魅力は、色んな大学の出身者がいたことである。
都立大学の学部の方から進学する者はあまりいなかった。
埼玉大学出身者が多かったが、東京大学や早稲田、慶応、ICU、から高知大学、信州大学など地方大学出身者も少なからずいた。
私のような、二流私立大学出身者にも門戸が開かれていたのは、ありがたいことだった。
東京大学のような上品なアカデミズムの砦ではなかった。
研究会ではビールを飲みながら激しく鋭く討論する荒稽古の場でもあった。
そこで鍛えられて、多くの研究者を輩出していったのだが、私のように研究者にならずに去って行った者も少なからずいた。
ただ、もし私が都立大学に学んでいなかったら、研究はとっくに捨てていただろうと思う。
生涯研究を続けていこうとしているのは、ここで学んだからだと思う。
今は敷居が高くて踏み入れられない所になってしまったが、ここで学んだこと自体が自分にとっての大きな支えになっている。
そして昔の名前が戻ることは、これからもいっそう私を支え続けてくれるような気がする。






2018年8月27日月曜日

実家の片付け

私の母はが入院している間に、一人暮らしをしていた実家を、遠方から来てくれた兄弟家族が片付けてくれていた。
膝を悪くして以来、動くにも不自由だった母の過ごしていた居間はかなり乱雑な状況だった。
私も気にはなっていたが、庭の手入れなどで結構手間がかかっており、そこまで手が回らなかった。
母が入院したことで、周りの者が本気になって、環境を整えるきっかけとなった。
私も休日を利用して、片付け切れていたないものを整理したり、ゴミを持って帰ったりした。

赤穂の実家は私が中学生以来の住居で、大学で下宿するまでと、大学院を出て教師になるまで暮らした家である。
私にとっては通算すれば10年も住んでいないので、それほど長く住んだというわけではない。
ただ、思春期から今まで色々な出来事の基点となったところで、非常に思い出深い場所であることにはかわりない。
そもそも、この家を建てるときからの様子を今でもつぶさに憶えている。

家はもともと田んぼだった所を、埋め立てたものである。
埋め立てる際には、周りが田んぼだったので、父が手作業で石垣を組んでいった。
今まで住んでいた尾崎の小さな平屋から、二階建ての家を建てることになって、父はすごく張り切っていた。
ある日などは、建築中の家を見に行って、夕方なかなか帰ってこないので呼びに行かされたが、建てかけの家の中で横になって眠っていた。
家が完成するのを、そこで夢見ていたらしい。
それだけ父の思いのこもった家なのだが、最近はどこやここやいたみが酷くなってきていた。
今回も、母が戻ってきて介護ベッドを入れるのも、それなりに手を加えねばならないと思った。

母の寝具をとりあえず二階に置いておこうと、二階の南部屋に久しぶりに上がった。
私が中学高校と一つ下の弟と二段ベッドを置いて二人で使った部屋である。
そのころは、南の窓から小豆島が遠くに美しく見えていた。
今は、隣の家が建っていて、窓を開けるのも気が引ける状態である。
それでも、布団を干しながら、昔、自分の布団を干していた頃を思い出した。
誰も使わなくなった部屋は、昔の面影をかすかに残す程度である。
気がつけば書棚には、私が残していった本がそのまま残っている。
私のこのブログのタイトルに参考にした藤井令一氏の「ヤポネシアのしっぽ」もあった。
6畳ほどの小さな部屋には、若かりし日の数々の思い出がいっぱい詰まっている。
母の退院後は、母の生活を支援するために、ここに訪れることも多くなると思う。
自分の原点、生活の原点を見つめ直すきっかけにもなるのではないかと思っている。

2018年8月23日木曜日

米の買い出し

私はもう10年以上玄米食を続けている。
玄米を白米に戻したら、便秘になってしまった。
以前は私一人分だけ、土鍋で玄米を炊いてもらっていた。
今は、玄米を柔らかく炊いて、ギャバも摂取できるという炊飯器を使って家族全員で食べている。
玄米は近所の農家から手頃な値段で30kgを分けてもらっている。
ところが、その玄米を頼んだところ、もう無くなったという。
新米が採れるまでは1ヶ月以上かかると思うので、何とか安く玄米を手に入れたいと手を尽くした。
しかし、近隣のJAの直売所では、30kg単位は年間予約が必要だったという。
少ない量では割高になるので、ネットを調べたりして安い玄米を探した。
しかし、送料もかかるせいか、なかなか安い玄米は見つからない。
そんな時、和気のJAの直売所に米が売っていることを、家内がネットで調べた。

私は青少年教育センター閑谷学校に指導員として半年勤めていたので、和気は職場の直ぐ近くである。
閑谷学校の山陽本線での最寄り駅は吉永で、和気は岡山寄りの次の駅となる。
因みに、閑谷学校までは自宅から車で30分ほどで、赤穂へ行くのと変わらない。
しかし、家内は殆どこの方面に行かないので、遠くに感じたようである。
私自身、吉永より西に滅多に行かなかったし、和気の町自体に行くことは無かった。
今回初めて、和気の町のJA直売所に立ち寄ったのである。
米は地元の米を販売しており、5kg袋だったので30kgをまとめて割り引いて買えないか聞いた。
すると、可能だという。
同じJAでも西播磨とは違うようである。
1年間同じ値段で、30kgを購入できるそうである。
近所の人に分けてもらうよりは、1000円ほど高いけれど、ネットに比べればずいぶん安い。
近所の米が無くなったら、ここを利用しようと思った。

この和気のJA直売所は、上郡の直売所よりずいぶん大きく、野菜、果物、魚まで売ってる。
しかも、日曜だとはいえ多くの人が買い物に来ていた。
この和気からは、備前片上に向かったが、今まで通ったことのない道を通った。
そして、かつては子供とよく日曜日に買い物にやってきた、天満屋の廃墟ビルの前の道にでた。
子供の小さかった頃は、日曜日の午後にはドライブがてら、このあたりまで来て、赤穂の実家によって帰るのが日課だった。
今回は天満屋ではなくて、備前の海の駅に寄ってから、入院している母を見舞いに行った。
近くにあった魅力ある直売所を発見したことで、これからの休日のドライブコースが一つ増えた。

2018年8月21日火曜日

末期癌のお坊さんに学んだこと

義父の初盆で家内の実家に行った。
そろそろ、時間の11時なのになかなか、お坊さんが来られない。
玄関先で待っていると、10分近く遅れてやってこられた。
ご挨拶をして、「お体の具合はいかがですか」と尋ねると、「薬がはずれて」というので、てっきり薬が不必要になったと思った。
実はお坊さんは末期癌で、余命も宣告されていた。
まだ、70歳代で元気そうなので、気の毒に思っていた。
このお坊さんは、以前は中学校の教師をしながら住職を勤めてきた人だった。

おつとめが済んで、お話をしている中で、その癌のことに及んだ。
「私は病気だが、病人では無い」という。
つまり、治療をしながら、普通に生活をしていると言うことである。
実は、「薬がはずれて」というのは、朝にしていた「点滴をはずして」という意味だった。
身体には自宅でも点滴ができるようにな装置を付けていて、自宅で点滴治療をしているという。
来るのが少々遅くなったのも、その影響であったかもしれない。
薬で治療しているが、その薬も効かなくなって、新しいのを試したりしているそうだ。
その新しい薬を合わせるのも、結構大変なことだという。
そしてお元気そうに見えるのだが、確実に癌の病巣は大きくなっているという。

このお坊さんも、癌が分かった当初は、「なんで私が?」「なんでこの歳で?」と辛かったそうである。
そのうち、教え子の癌の専門医と話をしたりして、限りある時間をしっかり生きようと思い苦しくなくなったという。
「病気であっても、病人になってはいけない」
というのが、このお坊さんの教えである。
そういえば、私も糖尿病だが、病人とは思っていない。
病気によっては、入院治療や自宅療養で仕事ができない人もいる。
しかし、自宅で点滴治療をしながら、こうして僧侶としての務めを果たしておられる末期癌患者もいらっしゃる。
仕事ができなくても、生きていることそれ自体に意味がある人もいる。
義母が義父の存在の意味を死によって初めて分かったとこの初盆で言っていた。
末期癌は、死を迎える前に、その人の存在意味を自他共に知らしめてくるものかも知れない。
「死」を意識しないということは、逆に「生」そのものを意識しないことなのだと思う。
そして、病気や死、苦難をどう意味づけるかは、本人の気持ちであり、前向きに意味づけるか後ろ向きに意味づけるかで生き方も違ってくる。
後ろ向きに意味づけてしまうと、いわゆる「病人」になってしまうと言うことだ。
お坊さんと初盆は、大切なことを学んだと思う。


2018年8月20日月曜日

あしなが蜂に刺されて

昨日(8/16)、仕事でタマツゲの剪定を電動バリカンで行っていた。
何本か何事も無く、順調に刈り上げていたのだが、ふいに左手に鋭い痛み、同時にアシナガバチらしきものが飛び立った。
刺された数は3カ所以上で、痛くて場所を特定もできない。
事務所に戻り、ネットで対策を調べてもらったら、水で流して毒を絞り出せという。
しかし、刺された場所らしきところは、痛くて絞り出すことなどできない。
とにかく、冷やして病院に行くことになった。

病院では消毒をして、湿布を貼るだけ、すでに首筋にじんましんが出ていたが、アナフィラキシーに備えて安静にするだけだった。
幸いじんましん以外のショック症状も無く、職場に戻ることになった。
今晩は風呂は駄目で、腫れが引くまではプールには入れないという。
左手はすでに腫れ上がって痛くて、物をつかむこともできないので、当然運転ができない。
私の車はマニュアル車で、左手が使えないと運転ができない。
家内に連絡をとって、迎えにこれるようにしてと頼んでおいた。

結局、仕事はこれ以上不可能で、自宅に戻ることになった。
家内に迎えに来てもらい、自宅に戻ってから、左手が濡れないようにシャワーを浴びて、安静にした。
じっとしていても、左手は脈拍にあわせてドクドク痛む。
お医者さんには酒は駄目と言われたが、酒どころか食欲もない。
何とか食事をすませて ,居間でそのまま眠っていた。
寝室で寝ようと、二階に上がると寒気がする。
気温も低くなっていたが、熱があるらしい。
押し入れから、布団を引っ張り出してくるまって眠った。

翌朝は比較的痛みは治まったが、上の写真ように腫れは広がっている。
家内が以前蜂に刺されたときに、アロエが効いたというので、アロエを貼り付けたりした。
この日は、午前中はできるだけ安静にして、午後からは仕事に出かけた。


2018年8月18日土曜日

村の盆踊り2018年

今年は我が家は村自治会の隣保長にも当たっている。
盆踊りの準備をだいぶ前からしていた。
といっても、集まってうだうだと話をしただけで、村役のメンバーが殆どしてくれていた。
当日(8/13)の朝は、盆踊りを行う広場の草刈りから始まった。
草刈りは一度は盆踊りのために行っているが、それから時間が経ってしまっているのでかなりぼうぼうになっている。
私は事前に分かっていたので、完全装備で草刈り機を持って出かけた。
この村作業は全員参加が原則なので、多くの人が出てくるが、お年寄りや年配の女性は日陰で観ているだけである。
若い人を中心に汗にまみれて作業をしているのだが、お願いされても手伝う気配も無い。
と言いいながら、手伝われて倒れられても困るのだが・・・・
朝の草刈りとやぐら建ての準備は何とか済んで、夕方5時に集合となった。

夕方になって準備にかかろうとすると、雷の怪しい雲いき。
黒い雲が北側の空をおおっているし、時折雷鳴も聞こえる。
準備に来た人たちは準備にかかるか、中止するか決断を待っているが、なかなか責任者は判断できない。
ポツポツと雨が降り出したので、同世代の役員と近くの倉庫の庇の下でうだうだと喋っていた。
その話の中で、来年は盆踊りでは無くて、近くの村のように納涼祭にしてはどうかという話になった。
盆踊りのようにやぐらを建てて大がかりに準備しなくて良いからである。
その代わり、焼きそばや鶏の唐揚げを準備するというものである。
確かに、踊り手の少なくなった現在ではそちらの方が現実的なような気もした。

何とかできそうだというので、準備にかかり始めた。
私は村の一人から、音響機器を借りに行くのを手伝いに行った。
その音響機器の持ち主は、写真やカラオケなど多趣味な人で、離れを趣味の部屋にしている。
そこには素晴らしい音響機器と、長年集めたカメラが陳列されていた。
前から一緒に歌うことをお誘いされていたのだが、カラオケ装置もしっかりと設置されている。
今度同じ村の音楽好きの仲間と一緒に押しかけるのも良いかなとも思った。
軽トラに一式積み込んで、会場のやぐらの下に設置した。
そして、用意された飲み物を準備係の人と飲みながら、村の人が集まるのを待った。
今回もビールか発泡酒かで迷ったあげく、発泡酒と酎ハイになった。
ビールを出さないから、盆踊りにやってこないのだというが、予算的に厳しい。
私が普段飲んでいる第三のビールは、候補にさえ挙がらなかった。
村の人は発泡酒より高いビールを飲んでいるらしい。

本当に多くの人が来てくれるのか心配したが、結構多くの人が集まってきてくれた。
親戚の子供なども混じっているが、これだけ多くの人が村には居たのだと改めて思った。
ただ、顔を見ても誰なのか分からない場合が殆どである。
新しい住宅地に引っ越してきた人たちは殆ど参加していなかった。
そう言いながら、私自身も子供が大きくなってから、係になるまで殆ど参加してこなかった。
盆踊りの主役は子供や若い人、ご婦人であることもあって、何となく気後れがしていた。
こうやって多くの人が楽しめるのなら、誰もが気軽に集まってこられる催しにできないかと思う。
今は飲食物やビンゴゲーム、福引きで人集めしているが、もっとゆっくり気楽に楽しめる催しになって欲しいと思った。
そして、どうせ踊るのなら、今はやりの「ダンシングヒーロー」の盆踊り版などをやってみるのも手だと思った。
私はディスコ(表現が古い)の方が好きなのだが・・・・