このごろよく鉄道旅の番組が放映される。
必ず見るのは、NHKの「六角精児の呑み鉄本線・日本旅」である。
実は自分も学生時代に青春切符を使うことが多くて、非常に時間があるし、風景を楽しむためにビールなどを飲んでいた。
その時は必ずトイレの近くの車両に乗っていた。
特に憶えているのは、帰省で名古屋から赤穂に戻る時に、わざと関西本線を使って飲みながら帰ったときのことだ。
関西線は景色もよくて、ちょうど旅する人と相席になって、話をしたりしたが、その人は当然飲まなかった。
新幹線などではよく飲む人を見かけるが、鈍行ではあまり見かけない。
鈍行の旅での呑み鉄は、少々肩身が狭いと感じた。
私は、鹿児島から赤穂、東京から赤穂や、四国一周など多くの鈍行の旅をした。
サークルの仲間などの友達と一緒の時もあったが、たいていは名古屋近辺であった。
長旅はたいてい一人旅で、鈍行以外にも寝台列車にも良く乗った。
一番楽しかった思い出としては、やはりまだ小さかった子供たちと一緒にいった東京旅行である。
これは家内の弟の結婚式に出るついでに、子供を浅草・上野や、NHK放送センター、ディズニーランドに連れて行ってやった。
姫路駅から新幹線に乗ったのだが、その時の様子はビデオカメラに収めており、思い出したように何度も見返す。
駅で列車を待つ時の様子や、車内での様子、特に車内で弁当を買って食べている様子などが懐かしい。
私は車外の風景も時折入れていたので、風景と共に楽しめたりする。
子供たちと新幹線に乗って旅に出たのは、この一度限りであった。
それ以外は、車で出かけることが殆どだった。
だから、一生に一度の我が子との鉄道の旅となった。
近年は豪華列車の旅が宣伝されていて、高額な費用を1泊や2泊で使っている。
確かに一生に一度そういう豪華な旅をするのも、良い思い出になるかも知れない。
だけど、ささやかな旅でも、子供や孫と一緒に旅行する方がどんなにか楽しいだろうと思う。
自分にはまだ孫がいないが、自分の親たちは孫と旅行できるのを楽しんでいたのを思い出す。
ただ、普段仕事に忙しかったり、孫の世話に明け暮れている人には、夫婦二人でゆっくり過ごすのも良いのかも知れない。
自分たちには高額の費用を負担する余力が無いので、格安航空やレンタカー、そして鉄道をうまく活用して、気楽な旅をやってみたいと思っている。
それまでに、金の代わりに心身の余力を蓄えておかねばならないt思っている。
播磨の西外れにある私の生まれ育った赤穂や、今暮らしている上郡に関すること、農作業,山野河海の恵み、趣味の水泳、音楽、専門である有機農業や、教育、文化人類学、民俗学に関することなどを、きままに記してみます。
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2018年12月6日木曜日
2018年12月4日火曜日
ワークマンとモンベル
私は以前から農作業に使えるのでワークマン(WORKMAN)で衣類を買うことが多かった。
これは農作業以外でも、犬の散歩などで汗をかくちょっとした運動にも適していた。
特に、アンダーウェアは暑さや寒さの対策に適しており、機能性と耐久性をかねてしかも手頃に思えた。
また、長靴などや手袋も他では買えない良いものがそろっている。
ただ、教壇に立つ時には、アンダーウェアはともかく、作業着はさすがに着ることははばかれた。
特に今の職場は、職業科の先生が本格的な作業着を着こなしているので、中途半端な格好はみっともなく思える。
そんな時に良いと思えたのは、モンベル(mont bell)の衣類である。
モンベルは以前にSUP用のウェットスーツを買ったことがあった。
それ以外はなじみが無かったのだが、以前に勤めていた職場の制服のパンツに使われていた。
そのトレッキング用の黒パンツは各自二着ずつ貸与されて、着古しているので結局やめる時は返さなくて良いことになった。
これは非常に着心地がよくて、ちょっとした作業や運動にも使える。
しかも、普通の作業着よりも見た目が良くて、ポケットにチャックがついていて便利である。
このところ、ずっと愚犬クロとの散歩用にはいていた。
私の秋の散歩姿は、モンベルのトレッキングパンツと迷彩服の上着、登山用の帽子だった。
まるで、山歩きか猟に出る格好であった。
この頃、寒さも増してきたので、ナイロンのオーバーパンツをはくようになり、モンベルを職場ではくことにした。
私は白衣を着ているので、白衣の下はあまり目立たない。
本当はジーンズでもはきたいところだが、それは少し抵抗を感じるので、モンベルのパンツがちょうど良い。
そこで、冬用にと思い岡山のモンベル店に出かけた。
姫路にもあるが、岡山の方が断然規模が大きい。
やはり、値段がワークマンとは違っていた。
普段買っているワークマンの作業ズボンの三倍以上の値段だった。
それでも思い切って一着買ってみた。
夏用のパンツの良さを知っていたからである。
農作業着はワークマン、仕事着はモンベル、カジュアルはショットやユニクロというような買い方がどうも自分には理想に思えた。
これは農作業以外でも、犬の散歩などで汗をかくちょっとした運動にも適していた。
特に、アンダーウェアは暑さや寒さの対策に適しており、機能性と耐久性をかねてしかも手頃に思えた。
また、長靴などや手袋も他では買えない良いものがそろっている。
ただ、教壇に立つ時には、アンダーウェアはともかく、作業着はさすがに着ることははばかれた。
特に今の職場は、職業科の先生が本格的な作業着を着こなしているので、中途半端な格好はみっともなく思える。
そんな時に良いと思えたのは、モンベル(mont bell)の衣類である。
モンベルは以前にSUP用のウェットスーツを買ったことがあった。
それ以外はなじみが無かったのだが、以前に勤めていた職場の制服のパンツに使われていた。
そのトレッキング用の黒パンツは各自二着ずつ貸与されて、着古しているので結局やめる時は返さなくて良いことになった。
これは非常に着心地がよくて、ちょっとした作業や運動にも使える。
しかも、普通の作業着よりも見た目が良くて、ポケットにチャックがついていて便利である。
このところ、ずっと愚犬クロとの散歩用にはいていた。
私の秋の散歩姿は、モンベルのトレッキングパンツと迷彩服の上着、登山用の帽子だった。
まるで、山歩きか猟に出る格好であった。
この頃、寒さも増してきたので、ナイロンのオーバーパンツをはくようになり、モンベルを職場ではくことにした。
私は白衣を着ているので、白衣の下はあまり目立たない。
本当はジーンズでもはきたいところだが、それは少し抵抗を感じるので、モンベルのパンツがちょうど良い。
そこで、冬用にと思い岡山のモンベル店に出かけた。
姫路にもあるが、岡山の方が断然規模が大きい。
やはり、値段がワークマンとは違っていた。
普段買っているワークマンの作業ズボンの三倍以上の値段だった。
それでも思い切って一着買ってみた。
夏用のパンツの良さを知っていたからである。
農作業着はワークマン、仕事着はモンベル、カジュアルはショットやユニクロというような買い方がどうも自分には理想に思えた。
2018年12月2日日曜日
越夏ジャガイモ
今日(12/1)の午前中に赤穂の畑に行ってジャガイモを掘った。
実は、今年は春先に植えたジャガイモを、夏の初めに掘り起こしきれなかった。
その時期は、当時閑谷学校の職員であったので、非常に忙しく、身体的に余力が残っていなかった。
梅雨時分にかかるジャガイモ掘りは、毎年重労働にはなっていた。
無理をして、熱中症になってしまったこともある。
それは、汗をいっぱいかいたのに、十分水分補給をせずに、上郡の家に戻った。
その結果、途中から寒気や頭痛がし始めて一日寝込み、疲労感が回復するのに数日かかったように思う。
だから、ジャガイモ掘りは無理をせずに、場合によってはそのまま放っておく。
夏を越しても、早めに掘れば何とか食べられる。
しかし、秋ジャガイモが芽を出し始める時期になると、ジャガイモは大根のように固くなってしまって食べづらい。
今年は、夏の終わりは、スイミングスクールのコーチをしており、やはり身体的に余力が無かった。
それで、ジャガイモどころか、殆ど赤穂の畑は雑草地と化していた。
その中で、ジャガイモがすくすくと大きくなりだしたのである。
実は、芽が出始めた頃に、一度雑草と一緒に刈ってしまっているので、二度目に出た芽が伸びたというのが本当である。
だから、成長は本来秋ジャガイモで植えるものより遅い。
それでも、今年は暖かかったので、霜にやられずにまだ青々している。
そして、掘ってみると、そこそこ大きなジャガイモが新しくできていた。
種芋になった掘り残した親ジャガイモは、最初は捨ててしまおうと思った。
しかし、本来種芋はしなびてしまうものなのに、大きいのである。
ひょっとして、里芋のように親芋が生長したのかも知れないと思って。持って帰ることにした。
食べられなくても、種芋になりそうだと思ったからである。
結果的には、新ジャガイモと親芋は同じくらいの量になってしまった。
これで、新芋も親芋もうまく活用できたら、この越夏ジャガイモは一つの栽培方法にできるかも知れない。
本当は、秋ジャガイモとして、きちっと種芋を植えるべきなのだが、無精農法としてありかなとも思う。
実は、今年は春先に植えたジャガイモを、夏の初めに掘り起こしきれなかった。
その時期は、当時閑谷学校の職員であったので、非常に忙しく、身体的に余力が残っていなかった。
梅雨時分にかかるジャガイモ掘りは、毎年重労働にはなっていた。
無理をして、熱中症になってしまったこともある。
それは、汗をいっぱいかいたのに、十分水分補給をせずに、上郡の家に戻った。
その結果、途中から寒気や頭痛がし始めて一日寝込み、疲労感が回復するのに数日かかったように思う。
だから、ジャガイモ掘りは無理をせずに、場合によってはそのまま放っておく。
夏を越しても、早めに掘れば何とか食べられる。
しかし、秋ジャガイモが芽を出し始める時期になると、ジャガイモは大根のように固くなってしまって食べづらい。
今年は、夏の終わりは、スイミングスクールのコーチをしており、やはり身体的に余力が無かった。
それで、ジャガイモどころか、殆ど赤穂の畑は雑草地と化していた。
その中で、ジャガイモがすくすくと大きくなりだしたのである。
実は、芽が出始めた頃に、一度雑草と一緒に刈ってしまっているので、二度目に出た芽が伸びたというのが本当である。
だから、成長は本来秋ジャガイモで植えるものより遅い。
それでも、今年は暖かかったので、霜にやられずにまだ青々している。
そして、掘ってみると、そこそこ大きなジャガイモが新しくできていた。
種芋になった掘り残した親ジャガイモは、最初は捨ててしまおうと思った。
しかし、本来種芋はしなびてしまうものなのに、大きいのである。
ひょっとして、里芋のように親芋が生長したのかも知れないと思って。持って帰ることにした。
食べられなくても、種芋になりそうだと思ったからである。
結果的には、新ジャガイモと親芋は同じくらいの量になってしまった。
これで、新芋も親芋もうまく活用できたら、この越夏ジャガイモは一つの栽培方法にできるかも知れない。
本当は、秋ジャガイモとして、きちっと種芋を植えるべきなのだが、無精農法としてありかなとも思う。
2018年11月29日木曜日
コウノトリ帰来2018年
つい先日(11/25)、道ばたに軽トラックが駐まっていて、お爺さんらしき人が脚立を持って立っている。
ちょうど、通りがかったウォーキングの集団が、「コウノトリがおる」と挨拶ついでに言ってくれた。
そして、その脚立のそばで大きなレンズをつけたカメラを構えている人が、近所の人だと分かった。
この人は、どうやらコウノトリを見て写すために高価な望遠レンズとカメラを買ったらしい。
私も携帯電話のカメラで写してみたが、豆粒ほどにしか写らない。
私には写真よりも、コウノトリが来てくれること自体が、非常に嬉しい。
秋から春先にかけて、コウノトリが鉄塔の上にいるだけで、散歩が楽しくなる。
そういえば、今の職場には豊岡に関係する職員が何名かいる。
他の職員も、西播よりも、東播や但馬の職員が多い。
冬になると雪が積もる地域に住む人は、やはりスキーが好きで、雪が恋しいと言っていた。
私は、たまに行くなら良いが、ずっと雪や氷に閉ざされる暮らしは耐えられないと思う。
スキーも殆どできない。
だから、コウノトリが冬場にやってくるのも、晴れが多くて暖かく、沼地で餌が豊富な上郡を選んでくれたと思っている。
残念ながらこのところ、長く居着いてくれない。
今年も一度見たきりで、その後は姿を消してしまった。
もっと、居心地の良いところを見つけたのかも知れない。
今の職場若い人も、いずれは地元に帰っていくのだろうと思う。
誰でも自分が生まれ育ったところが一番暮らしやすいのだろう。
でも、コウノトリのように、よその地域での暮らしを、一時でも楽しみながら暮らすの悪くないと思う。
私もいずれコウノトリのように、旅して回ってみたいと思っている。
そういえば昔は「旅ガラス」という渡世者シリーズがあった。
私は「旅コウノトリ」という、フィールドワーカーとして暮らしてみたいと思うのだが、果たして懐具合は・・・
ちょうど、通りがかったウォーキングの集団が、「コウノトリがおる」と挨拶ついでに言ってくれた。
そして、その脚立のそばで大きなレンズをつけたカメラを構えている人が、近所の人だと分かった。
この人は、どうやらコウノトリを見て写すために高価な望遠レンズとカメラを買ったらしい。
私も携帯電話のカメラで写してみたが、豆粒ほどにしか写らない。
私には写真よりも、コウノトリが来てくれること自体が、非常に嬉しい。
秋から春先にかけて、コウノトリが鉄塔の上にいるだけで、散歩が楽しくなる。
そういえば、今の職場には豊岡に関係する職員が何名かいる。
他の職員も、西播よりも、東播や但馬の職員が多い。
冬になると雪が積もる地域に住む人は、やはりスキーが好きで、雪が恋しいと言っていた。
私は、たまに行くなら良いが、ずっと雪や氷に閉ざされる暮らしは耐えられないと思う。
スキーも殆どできない。
だから、コウノトリが冬場にやってくるのも、晴れが多くて暖かく、沼地で餌が豊富な上郡を選んでくれたと思っている。
残念ながらこのところ、長く居着いてくれない。
今年も一度見たきりで、その後は姿を消してしまった。
もっと、居心地の良いところを見つけたのかも知れない。
今の職場若い人も、いずれは地元に帰っていくのだろうと思う。
誰でも自分が生まれ育ったところが一番暮らしやすいのだろう。
でも、コウノトリのように、よその地域での暮らしを、一時でも楽しみながら暮らすの悪くないと思う。
私もいずれコウノトリのように、旅して回ってみたいと思っている。
そういえば昔は「旅ガラス」という渡世者シリーズがあった。
私は「旅コウノトリ」という、フィールドワーカーとして暮らしてみたいと思うのだが、果たして懐具合は・・・
2018年11月27日火曜日
紅葉狩りドライブ~in 備前・美作
昨日(11/26)は、仕事の代休であり、家内もそれにあわせて年休をとってくれた。
この季節、休日はどこも混雑するのがわかっていたので、平日に出かけることにしていた。
いつも出かけるときに、家内に「どこに行きたい」と聞くと、決まって「どこにでも」と答えられる。
この返事が一番困るのだが、家内も気に入りそうなところを選んで出かける。
今回はめずらしく「津山」と答えた。
そこで、閑谷学校の紅葉を見物してから、そちらに行くことにした。
閑谷学校はこの季節、休日には観光客が大勢やってくるので、去年も車を停めるのに苦労した。
勤めているときには、一度も参らなかった椿山に初めて参った。
椿山から講堂を見るのも悪くないと思った。
残念ながら一番の名物「楷の木」は、葉っぱはもう全部落ちてしまっていた。
楓はまだきれいだったので、家内に解説しながら、奥のトンネルの方まで歩いて行った。
次の目的地に行こうと思って駐車場にいくと、本当に偶然にも以前お世話になっていた研修課長さんにであった。
ほんの少しの時間だったけど、その後のお互いの様子が知れて嬉しかった。
その後、一度も通った事の無かった「広域農道」を通って和気までいった。
いつもの川沿いの道路とは違って景色が抜群によかったが、非常に急な坂道で閑谷学校の職員が冬場は怖いと言っていたのがわかった。
その後は吉井川沿いを通って、途中から柵原の方にむかい、津山まで行った。
途中は殆ど川沿いの道で、紅葉は綺麗だったが、見せ所らしきものはあまりなかった。
それでも、大きな岩の壁があったり、そこそこ楽しめた。
以前津山に来た時は、お城に行ったが、家内が「道の駅 久米の里」へ行きたいというので、そちらに向かった。
初めて町の中を通っていったのだが、その大きさに驚いた。
今まで、車もあまり行き違わない、閑散とした道路を通ってきていたので、突然大きな都市が現れたという感じだ。
「久米の里」では、私はホルモン焼きうどんを食べた。
家内は私が前日に、「この頃疲れている」とこぼしていたので、気を利かせてネットで調べという。
私は大のホルモン好きなのだが、脂肪分に気を遣って食べていなかった。
家内は苦手なので、今回もソバを食べていた。
肉の名産地だけあって、ホルモンは新鮮でしっかりとしていて、非常においしかった。
平日ということもあって、近くの人が食べに来ているという感じだった。
土産に干し肉を買おうかと思ったのが、少々高いので安めの湯がいたすじ肉やホルモンの唐揚げを買った。
外にはガンダムが展示してあるが、私は殆どテレビで見ていなかった世代であり、家内の方が楽しんで見ていた。
そこから真庭まで行き、国道313号線を北上した。
この川沿いの道には、温泉宿が点在しており、有名な「湯原温泉」もあった。
自分の計画としては、途中から国道482号線で東にむかい、鳥取道で帰るつもりであった。
ところが、313号線と179号線が入り交じって分からなくなってしまった。
途中の蒜山高原地帯の景色は信州の山の中に迷い込んだようだった。
そして、三朝の道の駅まで行ってしまい、そこで休憩を取った。
日本海まで出て帰るには、時間が無いので引き返して、482号線に戻った。
そして、用瀬まで行き、そこから鳥取道に入った。
用瀬は鳥取道を使う時に、よく休憩に用いるところである。
鳥取道は早くて便利で無料なのは良いのだが、トンネルばかりで眠くなった。
そして、有料になる手前の平福出口で一般道で降りる頃には、薄暗くなりかかっていた。
そこからは、家内が相生の実家に寄りたいというので、作用・上月からテクノを回り相生に寄って帰った。
自分の家の周りにもいっぱい紅葉はあるが、こうして遠くまで紅葉を見に行くのも悪くは無い。
泊まりがけで遠くまで行かなくても、十分いろんな風景や違った暮らしの様子が見えてくる。
特に鳥取道を絡めれば、一日で回ることができる範囲も広がっていく。
今回は朝の10時に出て、戻ってきたのは夕方の5時半だった。
このような無料の自動車道をもっともっと増やして、地方に人を呼び込むべきだと思う。
京都や鎌倉などでの観光公害を減らすためにも、必要だろう。
また休日の混雑を減らすために、平日だけ無料にして、通勤にも使えば良いと思うのだが・・・
この季節、休日はどこも混雑するのがわかっていたので、平日に出かけることにしていた。
いつも出かけるときに、家内に「どこに行きたい」と聞くと、決まって「どこにでも」と答えられる。
この返事が一番困るのだが、家内も気に入りそうなところを選んで出かける。
今回はめずらしく「津山」と答えた。
そこで、閑谷学校の紅葉を見物してから、そちらに行くことにした。
閑谷学校はこの季節、休日には観光客が大勢やってくるので、去年も車を停めるのに苦労した。
勤めているときには、一度も参らなかった椿山に初めて参った。
椿山から講堂を見るのも悪くないと思った。
残念ながら一番の名物「楷の木」は、葉っぱはもう全部落ちてしまっていた。
楓はまだきれいだったので、家内に解説しながら、奥のトンネルの方まで歩いて行った。
次の目的地に行こうと思って駐車場にいくと、本当に偶然にも以前お世話になっていた研修課長さんにであった。
ほんの少しの時間だったけど、その後のお互いの様子が知れて嬉しかった。
その後、一度も通った事の無かった「広域農道」を通って和気までいった。
いつもの川沿いの道路とは違って景色が抜群によかったが、非常に急な坂道で閑谷学校の職員が冬場は怖いと言っていたのがわかった。
その後は吉井川沿いを通って、途中から柵原の方にむかい、津山まで行った。
途中は殆ど川沿いの道で、紅葉は綺麗だったが、見せ所らしきものはあまりなかった。
それでも、大きな岩の壁があったり、そこそこ楽しめた。
以前津山に来た時は、お城に行ったが、家内が「道の駅 久米の里」へ行きたいというので、そちらに向かった。
初めて町の中を通っていったのだが、その大きさに驚いた。
今まで、車もあまり行き違わない、閑散とした道路を通ってきていたので、突然大きな都市が現れたという感じだ。
「久米の里」では、私はホルモン焼きうどんを食べた。
家内は私が前日に、「この頃疲れている」とこぼしていたので、気を利かせてネットで調べという。
私は大のホルモン好きなのだが、脂肪分に気を遣って食べていなかった。
家内は苦手なので、今回もソバを食べていた。
肉の名産地だけあって、ホルモンは新鮮でしっかりとしていて、非常においしかった。
平日ということもあって、近くの人が食べに来ているという感じだった。
土産に干し肉を買おうかと思ったのが、少々高いので安めの湯がいたすじ肉やホルモンの唐揚げを買った。
外にはガンダムが展示してあるが、私は殆どテレビで見ていなかった世代であり、家内の方が楽しんで見ていた。
そこから真庭まで行き、国道313号線を北上した。
この川沿いの道には、温泉宿が点在しており、有名な「湯原温泉」もあった。
自分の計画としては、途中から国道482号線で東にむかい、鳥取道で帰るつもりであった。
ところが、313号線と179号線が入り交じって分からなくなってしまった。
途中の蒜山高原地帯の景色は信州の山の中に迷い込んだようだった。
そして、三朝の道の駅まで行ってしまい、そこで休憩を取った。
日本海まで出て帰るには、時間が無いので引き返して、482号線に戻った。
そして、用瀬まで行き、そこから鳥取道に入った。
用瀬は鳥取道を使う時に、よく休憩に用いるところである。
鳥取道は早くて便利で無料なのは良いのだが、トンネルばかりで眠くなった。
そして、有料になる手前の平福出口で一般道で降りる頃には、薄暗くなりかかっていた。
そこからは、家内が相生の実家に寄りたいというので、作用・上月からテクノを回り相生に寄って帰った。
自分の家の周りにもいっぱい紅葉はあるが、こうして遠くまで紅葉を見に行くのも悪くは無い。
泊まりがけで遠くまで行かなくても、十分いろんな風景や違った暮らしの様子が見えてくる。
特に鳥取道を絡めれば、一日で回ることができる範囲も広がっていく。
今回は朝の10時に出て、戻ってきたのは夕方の5時半だった。
このような無料の自動車道をもっともっと増やして、地方に人を呼び込むべきだと思う。
京都や鎌倉などでの観光公害を減らすためにも、必要だろう。
また休日の混雑を減らすために、平日だけ無料にして、通勤にも使えば良いと思うのだが・・・
2018年11月25日日曜日
消えゆく大工さん
11月23日は、我が家の地鎮祭が行われた日である。
今から25年前のこの日、奥村の神主さんによって行われた。
霧が深く立ちこめた日であった。
家を建ててくれたのは、同じ村の大工さんで、不動産屋の紹介であった。
この大工の棟梁は、棟上げ以外は殆どの建築仕事を一人でやってくれた。
我が家は当時では既に珍しくなっていた土壁で、棟梁は根気よく竹を組んでいたのを憶えている。
家は翌年の夏休みには完成して、引っ越しを行った。
当時乗っていた、ピックアップのハイラックスで、ピアノ以外は家内に手伝ってもらいながら、殆ど自分で運んだ。
そのせいで、腰痛を患い、その後何年も苦しめられた。
私はその細身の棟梁が、家ができるまでに死んでしまうのでは無いかと心配していた。
それくらい、痩せこけていたのである。
我が家はちゃんとできあがったが、その後10年も経たないうちに、棟梁は亡くなってしまった。
長年の無理がたたったのか、五十歳半ばだった。
この棟梁に建ててもらった、家屋は村の中に数軒残っている。
しかし、家の家が建った後では、大工さんの手作りの家は殆ど無くなり、工場で造られた物を組み立てるだけのものになった。
特に、阪神大震災の後では、手作りの木造建築は姿を消していった。
先日、村に残っていた、木造建築屋さんが倒産してしまったのを知った。
そこの親方は、村の自治会でも色々と、世話をしてくれている人だった。
私も、仲良くしてもらい、話を色々聞かせてもらっていた。
愚犬クロの前に飼っていたトラも、この家からもらってきた犬だった。
負債を抱えて自己破産し、親方の大きな家は売りに出されている。
庭には立派な白菜や大根がそのまま残った。
時代の流れと言えば、それまでなのだが、村の中心を担ってきた人が去って行くのは残念である。
自分たちが幼い頃は、大工さんになるというのも男の子の夢だった。
村にある木工所も操業を止めたりしている。
このままいくと、村の建築関係は殆ど廃業と言うことになるかも知れない。
そして、不動産屋の売りに出ている物件の価格には安さには驚かされる。
多額のローンを抱えて、生活を切り詰めながら支払った果ての価格である。
日産リーフほどの車の値段で、敷地50坪ほどの中古住宅なら近隣で手に入る。
我々の世代は、貧しかった昭和30年の半ばから、高度経済成長を経て豊かさを味わった。
私の家は、まさしくバブルのはじける前で、高騰する住宅価格に、早く建てないと焦ったものだった。
耐震構造では無いので、大きな地震がきたらひとたまりも無いかも知れない。
それでも、苦労して手に入れた家だけに、愛着が強いし、もう家を建て直す余力は無い。
私の実家も母親が一人で暮らしているし、家内の実家も義母が一人で暮らしている。
同じように親夫婦が苦労して手に入れた家である。
工場で作られた家屋と違って、大工さんが一生懸命建ててくれていた姿も知っている家である。
そういう家屋がどんどん失せてしまう時代というのは、本当に豊かな時代なのだろうかと考えさせられた。
今から25年前のこの日、奥村の神主さんによって行われた。
霧が深く立ちこめた日であった。
家を建ててくれたのは、同じ村の大工さんで、不動産屋の紹介であった。
この大工の棟梁は、棟上げ以外は殆どの建築仕事を一人でやってくれた。
我が家は当時では既に珍しくなっていた土壁で、棟梁は根気よく竹を組んでいたのを憶えている。
家は翌年の夏休みには完成して、引っ越しを行った。
当時乗っていた、ピックアップのハイラックスで、ピアノ以外は家内に手伝ってもらいながら、殆ど自分で運んだ。
そのせいで、腰痛を患い、その後何年も苦しめられた。
私はその細身の棟梁が、家ができるまでに死んでしまうのでは無いかと心配していた。
それくらい、痩せこけていたのである。
我が家はちゃんとできあがったが、その後10年も経たないうちに、棟梁は亡くなってしまった。
長年の無理がたたったのか、五十歳半ばだった。
この棟梁に建ててもらった、家屋は村の中に数軒残っている。
しかし、家の家が建った後では、大工さんの手作りの家は殆ど無くなり、工場で造られた物を組み立てるだけのものになった。
特に、阪神大震災の後では、手作りの木造建築は姿を消していった。
先日、村に残っていた、木造建築屋さんが倒産してしまったのを知った。
そこの親方は、村の自治会でも色々と、世話をしてくれている人だった。
私も、仲良くしてもらい、話を色々聞かせてもらっていた。
愚犬クロの前に飼っていたトラも、この家からもらってきた犬だった。
負債を抱えて自己破産し、親方の大きな家は売りに出されている。
庭には立派な白菜や大根がそのまま残った。
時代の流れと言えば、それまでなのだが、村の中心を担ってきた人が去って行くのは残念である。
自分たちが幼い頃は、大工さんになるというのも男の子の夢だった。
村にある木工所も操業を止めたりしている。
このままいくと、村の建築関係は殆ど廃業と言うことになるかも知れない。
そして、不動産屋の売りに出ている物件の価格には安さには驚かされる。
多額のローンを抱えて、生活を切り詰めながら支払った果ての価格である。
日産リーフほどの車の値段で、敷地50坪ほどの中古住宅なら近隣で手に入る。
我々の世代は、貧しかった昭和30年の半ばから、高度経済成長を経て豊かさを味わった。
私の家は、まさしくバブルのはじける前で、高騰する住宅価格に、早く建てないと焦ったものだった。
耐震構造では無いので、大きな地震がきたらひとたまりも無いかも知れない。
それでも、苦労して手に入れた家だけに、愛着が強いし、もう家を建て直す余力は無い。
私の実家も母親が一人で暮らしているし、家内の実家も義母が一人で暮らしている。
同じように親夫婦が苦労して手に入れた家である。
工場で作られた家屋と違って、大工さんが一生懸命建ててくれていた姿も知っている家である。
そういう家屋がどんどん失せてしまう時代というのは、本当に豊かな時代なのだろうかと考えさせられた。
2018年11月22日木曜日
夙川のオアシスロード
昨日は出張で西宮に出かけることになった。
前もって、行き先はネットで調べておいた。
阪神香櫨園駅から歩いて23分と出ていた。
最近は車を使うことが多く、ナビやスマホなどに頼るので、目的地には比較的楽に到着できる。
私は持ち歩いているのは、ガラホやタブレットなので、歩きながら地図を見ることは難しい。
前もって、ネットの地図をプリントしてから出かけている。
しかし、駅に着くと、まずどう進むか不安になってしまう。
今回の出張は目的地に18時につく予定のもので、夜道を帰ることも考えて歩かねばならない。
香櫨園駅から外に出ると、地図には無かったオアシスロードというのが、すぐ目の前にあった。
幹線道路はそばに見えなかったので、そこをとりあえず歩くことにした。
このオアシスロードは夙川の土手沿いにある道で、バイクや車の乗り入れ禁止となっており、歩行者や自転車に乗る人が利用しているようだ。
道はきれいに整備されており、松の大木や桜の木がたくさん植えられていた。
ベンチも所々に設置してあり、市民が憩えるように配慮されている。
ネットのマップのルートとは違うが、目的地のそばにある道と確認できたので、歩いて行くことにした。
多くの仕事帰りの人や、学校帰りの人が行き交っている。
まさしくオアシスと名付けられるとおり、都会のコンクリート沙漠の中の自然公園である。
かつて、名古屋にも東京にも住んだことがあるが、これほど川の土手沿いが整備された道路公園は見たことが無い。
京都は明らかに観光目的のこういう道路はあるが、ここでは日常の通勤や通学にたくさんの人が用いているようだ。
だから観光名所らしきものは殆どなくて、そばに図書館や郷土館があるだけのようだ。
私はとりあえず目的地を見つけておいて、コンビニで軽い弁当などを買って、この河川公園で食べることにした。
学校帰りの中学生などが多く行き交うので、それを避けるように土手の途中にあるベンチに座って、弁当を食べた。
もう、すでに暗闇が迫っており、紅葉した木々が幻想的な雰囲気を醸し出している。
薄ら寒いので、ゆっくりと食べているわけにはいかず、早々に食べて、図書館に向かった。
時間までに少し時間があったので、そこでしばらく雑誌を読んだりして過ごした。
そういえば、以前にこの夙川の桜の話は聞いていた。
満開の時期は多くの人で賑わうようだ。
華やかな春とは違い、暮れなずむ晩秋の夕暮れも趣があって良いものである。
遠く西宮まで行かねばならない出張で、当初は気が重いものではあったが、このオアシスロードのおかげで、ちと気も楽になった。
ただ、帰りのラッシュを経験したので、こういうところに住みたいとは思えなかった。
整備されていなくても、村全体が自然公園のような暮らしの方が私には合っているようだ。
前もって、行き先はネットで調べておいた。
阪神香櫨園駅から歩いて23分と出ていた。
最近は車を使うことが多く、ナビやスマホなどに頼るので、目的地には比較的楽に到着できる。
私は持ち歩いているのは、ガラホやタブレットなので、歩きながら地図を見ることは難しい。
前もって、ネットの地図をプリントしてから出かけている。
しかし、駅に着くと、まずどう進むか不安になってしまう。
今回の出張は目的地に18時につく予定のもので、夜道を帰ることも考えて歩かねばならない。
香櫨園駅から外に出ると、地図には無かったオアシスロードというのが、すぐ目の前にあった。
幹線道路はそばに見えなかったので、そこをとりあえず歩くことにした。
このオアシスロードは夙川の土手沿いにある道で、バイクや車の乗り入れ禁止となっており、歩行者や自転車に乗る人が利用しているようだ。
道はきれいに整備されており、松の大木や桜の木がたくさん植えられていた。
ベンチも所々に設置してあり、市民が憩えるように配慮されている。
ネットのマップのルートとは違うが、目的地のそばにある道と確認できたので、歩いて行くことにした。
多くの仕事帰りの人や、学校帰りの人が行き交っている。
まさしくオアシスと名付けられるとおり、都会のコンクリート沙漠の中の自然公園である。
かつて、名古屋にも東京にも住んだことがあるが、これほど川の土手沿いが整備された道路公園は見たことが無い。
京都は明らかに観光目的のこういう道路はあるが、ここでは日常の通勤や通学にたくさんの人が用いているようだ。
だから観光名所らしきものは殆どなくて、そばに図書館や郷土館があるだけのようだ。
私はとりあえず目的地を見つけておいて、コンビニで軽い弁当などを買って、この河川公園で食べることにした。
学校帰りの中学生などが多く行き交うので、それを避けるように土手の途中にあるベンチに座って、弁当を食べた。
もう、すでに暗闇が迫っており、紅葉した木々が幻想的な雰囲気を醸し出している。
薄ら寒いので、ゆっくりと食べているわけにはいかず、早々に食べて、図書館に向かった。
時間までに少し時間があったので、そこでしばらく雑誌を読んだりして過ごした。
そういえば、以前にこの夙川の桜の話は聞いていた。
満開の時期は多くの人で賑わうようだ。
華やかな春とは違い、暮れなずむ晩秋の夕暮れも趣があって良いものである。
遠く西宮まで行かねばならない出張で、当初は気が重いものではあったが、このオアシスロードのおかげで、ちと気も楽になった。
ただ、帰りのラッシュを経験したので、こういうところに住みたいとは思えなかった。
整備されていなくても、村全体が自然公園のような暮らしの方が私には合っているようだ。
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