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2018年12月13日木曜日

体感温度の違い

今職場では、私の席の近くにガスストーブがある。
私の家では真冬でも、室温をあまり高くしておらず、体は寒さに慣れている。
だから、温度が高い職場が辛くなっていた。
以前勤めていた普通校では準備室があったので、教壇に立つ以外では、そこで主に仕事をしていた。
しかし、今の職場のように準備室が無いところでは逃げ場が無い。
そして、もっとストーブに近い若い人は、その温度が苦痛ではなさそうなのである。
その職員は普段から、汗も殆どかかないそうである。
改めて体感温度の違いを思い知らされた。

私は、今はできないでいるが、真冬でも温水プールに入ってい泳いできた。
今は、朝に愚犬クロと散歩して汗をかくので、必ずシャワーをしている。
湯冷めで風邪を引くと言うことはまず考えられない。
思い出すのは、母校の淳心では中間体操というのがあって、真冬でも上半身裸で校庭を走っていた。
雪がちらついて、寒風の吹きすさぶ中を走っていたのを思い出す。
だからといって、寒さに特別強いわけでは無く、温暖な赤穂に生まれ育ったので、寒い上郡に来た時は、寒さに震え上がった。
ただ、30年近くも住み続けると、体が寒さに適応するらしい。
そして、逆に冬場の暖房への適応力が落ちている。
だから、これからは服装で対応するしか無い。
薄着になって袖をまくったりしているが、職員室をでると非常に寒い。
この寒暖の差が結構こたえる。
だから、服を着たり脱いだりこまめにしなければならない。
いっそ、ポンチョでも着るか・・・


2018年12月11日火曜日

お墓に納骨

義父が亡くなって1年が経ち、一周忌の法事が営まれ、墓への納骨も行われた。
これまであまり気にしていなかったのだが、集まってくる親戚は殆ど県外である。
我が家の3人と、一人暮らしの義母を除いて、広島と千葉、奈良、そして娘の香川ということになる。
家内の両親は広島県の出身なので、親戚の殆どは広島県である。
葬式の時には近所の人も来てくれていたので、あまり感じなかったのだが、考えてみれば49日、初盆も県外が殆どだった。
新幹線や車を使って遠くからわざわざ来ていただいている。
自分の父親の法事では、赤穂の親戚が中心となるので、その違いを改めて感じた。

相生は造船所に勤める人の関係で、方々から移り住んだ人が多い。
その中には朝鮮半島から渡ってきた人もいる。
今回も墓地に設置されていた朝鮮半島から来てなくなった人の慰霊堂を改めて知った。
義母の葬式の時も、行い方が赤穂や上郡とは違い近所の人との関わりが薄いとは感じていた。
実は私の母も祖母も相生で長く暮らしていた。
私の父親は相生の造船所に勤めていたので、相生とは関わりが深い。
自分自身も相生には仲の良い同級生がいたし、今もその同級生に歯を治療してもらっている。
それほど関わりがあっても、相生での様子を知らずにいた。

義母の思いもあって、相生の墓地に墓を建てて義父の納骨を行った。
山の上の墓地には立派な墓がたくさん建ち並んでいた。
ただ、跡継ぎの息子夫婦が千葉にいて、将来この墓を管理することはできない。
おそらく家内がすることになるだろう。
法事の時にお坊さんと話をしていて、お寺に残された江戸時代の墓を整理した話を聞いた。
古いお寺では、お墓を管理する人がいなくなって、お寺で整理せねばならないようだ。
墓を造りたいという気持ちはよく分かる。
私の住む村の共同墓地でも無縁墓が多くて、それをどうするか困っているそうだ。
この地で頑張って生きて、その生きた証を残してあげたい。
しかし、現代では同じ土地に留まって、家を守り続けることはかなり難しい。
赤穂に生まれながら、上郡に暮らす私とて同じような立場である。

昔ながら一部の特権階層しか建てられなかった石墓を、一般庶民も建てられるようになったのは良いことかもしれない。
しかし、現代はその特権階層だった人でも、墓を守り続けることは難しい。
「人間到る処青山あり」とする現代は、後生に残す石墓はふさわしくないのかも知れない。
むしろ、生まれ変わりをの思想をもって、お寺の納骨堂に納めてもらうか、山野河海に散骨された方が良いようにも思える。






2018年12月6日木曜日

鉄道旅の一番の思い出

このごろよく鉄道旅の番組が放映される。
必ず見るのは、NHKの「六角精児の呑み鉄本線・日本旅」である。
実は自分も学生時代に青春切符を使うことが多くて、非常に時間があるし、風景を楽しむためにビールなどを飲んでいた。
その時は必ずトイレの近くの車両に乗っていた。
特に憶えているのは、帰省で名古屋から赤穂に戻る時に、わざと関西本線を使って飲みながら帰ったときのことだ。
関西線は景色もよくて、ちょうど旅する人と相席になって、話をしたりしたが、その人は当然飲まなかった。
新幹線などではよく飲む人を見かけるが、鈍行ではあまり見かけない。
鈍行の旅での呑み鉄は、少々肩身が狭いと感じた。
私は、鹿児島から赤穂、東京から赤穂や、四国一周など多くの鈍行の旅をした。
サークルの仲間などの友達と一緒の時もあったが、たいていは名古屋近辺であった。
長旅はたいてい一人旅で、鈍行以外にも寝台列車にも良く乗った。

一番楽しかった思い出としては、やはりまだ小さかった子供たちと一緒にいった東京旅行である。
これは家内の弟の結婚式に出るついでに、子供を浅草・上野や、NHK放送センター、ディズニーランドに連れて行ってやった。
姫路駅から新幹線に乗ったのだが、その時の様子はビデオカメラに収めており、思い出したように何度も見返す。
駅で列車を待つ時の様子や、車内での様子、特に車内で弁当を買って食べている様子などが懐かしい。
私は車外の風景も時折入れていたので、風景と共に楽しめたりする。
子供たちと新幹線に乗って旅に出たのは、この一度限りであった。
それ以外は、車で出かけることが殆どだった。
だから、一生に一度の我が子との鉄道の旅となった。

近年は豪華列車の旅が宣伝されていて、高額な費用を1泊や2泊で使っている。
確かに一生に一度そういう豪華な旅をするのも、良い思い出になるかも知れない。
だけど、ささやかな旅でも、子供や孫と一緒に旅行する方がどんなにか楽しいだろうと思う。
自分にはまだ孫がいないが、自分の親たちは孫と旅行できるのを楽しんでいたのを思い出す。
ただ、普段仕事に忙しかったり、孫の世話に明け暮れている人には、夫婦二人でゆっくり過ごすのも良いのかも知れない。
自分たちには高額の費用を負担する余力が無いので、格安航空やレンタカー、そして鉄道をうまく活用して、気楽な旅をやってみたいと思っている。
それまでに、金の代わりに心身の余力を蓄えておかねばならないt思っている。


2018年12月4日火曜日

ワークマンとモンベル

私は以前から農作業に使えるのでワークマン(WORKMAN)で衣類を買うことが多かった。
これは農作業以外でも、犬の散歩などで汗をかくちょっとした運動にも適していた。
特に、アンダーウェアは暑さや寒さの対策に適しており、機能性と耐久性をかねてしかも手頃に思えた。
また、長靴などや手袋も他では買えない良いものがそろっている。
ただ、教壇に立つ時には、アンダーウェアはともかく、作業着はさすがに着ることははばかれた。
特に今の職場は、職業科の先生が本格的な作業着を着こなしているので、中途半端な格好はみっともなく思える。

そんな時に良いと思えたのは、モンベル(mont bell)の衣類である。
モンベルは以前にSUP用のウェットスーツを買ったことがあった。
それ以外はなじみが無かったのだが、以前に勤めていた職場の制服のパンツに使われていた。
そのトレッキング用の黒パンツは各自二着ずつ貸与されて、着古しているので結局やめる時は返さなくて良いことになった。
これは非常に着心地がよくて、ちょっとした作業や運動にも使える。
しかも、普通の作業着よりも見た目が良くて、ポケットにチャックがついていて便利である。
このところ、ずっと愚犬クロとの散歩用にはいていた。
私の秋の散歩姿は、モンベルのトレッキングパンツと迷彩服の上着、登山用の帽子だった。
まるで、山歩きか猟に出る格好であった。

この頃、寒さも増してきたので、ナイロンのオーバーパンツをはくようになり、モンベルを職場ではくことにした。
私は白衣を着ているので、白衣の下はあまり目立たない。
本当はジーンズでもはきたいところだが、それは少し抵抗を感じるので、モンベルのパンツがちょうど良い。
そこで、冬用にと思い岡山のモンベル店に出かけた。
姫路にもあるが、岡山の方が断然規模が大きい。
やはり、値段がワークマンとは違っていた。
普段買っているワークマンの作業ズボンの三倍以上の値段だった。
それでも思い切って一着買ってみた。
夏用のパンツの良さを知っていたからである。
農作業着はワークマン、仕事着はモンベル、カジュアルはショットやユニクロというような買い方がどうも自分には理想に思えた。





2018年12月2日日曜日

越夏ジャガイモ

今日(12/1)の午前中に赤穂の畑に行ってジャガイモを掘った。
実は、今年は春先に植えたジャガイモを、夏の初めに掘り起こしきれなかった。
その時期は、当時閑谷学校の職員であったので、非常に忙しく、身体的に余力が残っていなかった。
梅雨時分にかかるジャガイモ掘りは、毎年重労働にはなっていた。
無理をして、熱中症になってしまったこともある。
それは、汗をいっぱいかいたのに、十分水分補給をせずに、上郡の家に戻った。
その結果、途中から寒気や頭痛がし始めて一日寝込み、疲労感が回復するのに数日かかったように思う。

だから、ジャガイモ掘りは無理をせずに、場合によってはそのまま放っておく。
夏を越しても、早めに掘れば何とか食べられる。
しかし、秋ジャガイモが芽を出し始める時期になると、ジャガイモは大根のように固くなってしまって食べづらい。
今年は、夏の終わりは、スイミングスクールのコーチをしており、やはり身体的に余力が無かった。
それで、ジャガイモどころか、殆ど赤穂の畑は雑草地と化していた。
その中で、ジャガイモがすくすくと大きくなりだしたのである。
実は、芽が出始めた頃に、一度雑草と一緒に刈ってしまっているので、二度目に出た芽が伸びたというのが本当である。
だから、成長は本来秋ジャガイモで植えるものより遅い。
それでも、今年は暖かかったので、霜にやられずにまだ青々している。
そして、掘ってみると、そこそこ大きなジャガイモが新しくできていた。

種芋になった掘り残した親ジャガイモは、最初は捨ててしまおうと思った。
しかし、本来種芋はしなびてしまうものなのに、大きいのである。
ひょっとして、里芋のように親芋が生長したのかも知れないと思って。持って帰ることにした。
食べられなくても、種芋になりそうだと思ったからである。
結果的には、新ジャガイモと親芋は同じくらいの量になってしまった。
これで、新芋も親芋もうまく活用できたら、この越夏ジャガイモは一つの栽培方法にできるかも知れない。
本当は、秋ジャガイモとして、きちっと種芋を植えるべきなのだが、無精農法としてありかなとも思う。

2018年11月29日木曜日

コウノトリ帰来2018年

つい先日(11/25)、道ばたに軽トラックが駐まっていて、お爺さんらしき人が脚立を持って立っている。
ちょうど、通りがかったウォーキングの集団が、「コウノトリがおる」と挨拶ついでに言ってくれた。
そして、その脚立のそばで大きなレンズをつけたカメラを構えている人が、近所の人だと分かった。
この人は、どうやらコウノトリを見て写すために高価な望遠レンズとカメラを買ったらしい。
私も携帯電話のカメラで写してみたが、豆粒ほどにしか写らない。
私には写真よりも、コウノトリが来てくれること自体が、非常に嬉しい。
秋から春先にかけて、コウノトリが鉄塔の上にいるだけで、散歩が楽しくなる。

そういえば、今の職場には豊岡に関係する職員が何名かいる。
他の職員も、西播よりも、東播や但馬の職員が多い。
冬になると雪が積もる地域に住む人は、やはりスキーが好きで、雪が恋しいと言っていた。
私は、たまに行くなら良いが、ずっと雪や氷に閉ざされる暮らしは耐えられないと思う。
スキーも殆どできない。
だから、コウノトリが冬場にやってくるのも、晴れが多くて暖かく、沼地で餌が豊富な上郡を選んでくれたと思っている。

残念ながらこのところ、長く居着いてくれない。
今年も一度見たきりで、その後は姿を消してしまった。
もっと、居心地の良いところを見つけたのかも知れない。
今の職場若い人も、いずれは地元に帰っていくのだろうと思う。
誰でも自分が生まれ育ったところが一番暮らしやすいのだろう。
でも、コウノトリのように、よその地域での暮らしを、一時でも楽しみながら暮らすの悪くないと思う。
私もいずれコウノトリのように、旅して回ってみたいと思っている。
そういえば昔は「旅ガラス」という渡世者シリーズがあった。
私は「旅コウノトリ」という、フィールドワーカーとして暮らしてみたいと思うのだが、果たして懐具合は・・・


2018年11月27日火曜日

紅葉狩りドライブ~in 備前・美作

昨日(11/26)は、仕事の代休であり、家内もそれにあわせて年休をとってくれた。
この季節、休日はどこも混雑するのがわかっていたので、平日に出かけることにしていた。
いつも出かけるときに、家内に「どこに行きたい」と聞くと、決まって「どこにでも」と答えられる。
この返事が一番困るのだが、家内も気に入りそうなところを選んで出かける。
今回はめずらしく「津山」と答えた。
そこで、閑谷学校の紅葉を見物してから、そちらに行くことにした。
閑谷学校はこの季節、休日には観光客が大勢やってくるので、去年も車を停めるのに苦労した。

勤めているときには、一度も参らなかった椿山に初めて参った。
椿山から講堂を見るのも悪くないと思った。
残念ながら一番の名物「楷の木」は、葉っぱはもう全部落ちてしまっていた。
楓はまだきれいだったので、家内に解説しながら、奥のトンネルの方まで歩いて行った。
次の目的地に行こうと思って駐車場にいくと、本当に偶然にも以前お世話になっていた研修課長さんにであった。
ほんの少しの時間だったけど、その後のお互いの様子が知れて嬉しかった。
その後、一度も通った事の無かった「広域農道」を通って和気までいった。
いつもの川沿いの道路とは違って景色が抜群によかったが、非常に急な坂道で閑谷学校の職員が冬場は怖いと言っていたのがわかった。

その後は吉井川沿いを通って、途中から柵原の方にむかい、津山まで行った。
途中は殆ど川沿いの道で、紅葉は綺麗だったが、見せ所らしきものはあまりなかった。
それでも、大きな岩の壁があったり、そこそこ楽しめた。
以前津山に来た時は、お城に行ったが、家内が「道の駅 久米の里」へ行きたいというので、そちらに向かった。
初めて町の中を通っていったのだが、その大きさに驚いた。
今まで、車もあまり行き違わない、閑散とした道路を通ってきていたので、突然大きな都市が現れたという感じだ。

「久米の里」では、私はホルモン焼きうどんを食べた。
家内は私が前日に、「この頃疲れている」とこぼしていたので、気を利かせてネットで調べという。
私は大のホルモン好きなのだが、脂肪分に気を遣って食べていなかった。
家内は苦手なので、今回もソバを食べていた。
肉の名産地だけあって、ホルモンは新鮮でしっかりとしていて、非常においしかった。
平日ということもあって、近くの人が食べに来ているという感じだった。
土産に干し肉を買おうかと思ったのが、少々高いので安めの湯がいたすじ肉やホルモンの唐揚げを買った。
外にはガンダムが展示してあるが、私は殆どテレビで見ていなかった世代であり、家内の方が楽しんで見ていた。

そこから真庭まで行き、国道313号線を北上した。
この川沿いの道には、温泉宿が点在しており、有名な「湯原温泉」もあった。
自分の計画としては、途中から国道482号線で東にむかい、鳥取道で帰るつもりであった。
ところが、313号線と179号線が入り交じって分からなくなってしまった。
途中の蒜山高原地帯の景色は信州の山の中に迷い込んだようだった。
そして、三朝の道の駅まで行ってしまい、そこで休憩を取った。
日本海まで出て帰るには、時間が無いので引き返して、482号線に戻った。
そして、用瀬まで行き、そこから鳥取道に入った。
用瀬は鳥取道を使う時に、よく休憩に用いるところである。
鳥取道は早くて便利で無料なのは良いのだが、トンネルばかりで眠くなった。
そして、有料になる手前の平福出口で一般道で降りる頃には、薄暗くなりかかっていた。
そこからは、家内が相生の実家に寄りたいというので、作用・上月からテクノを回り相生に寄って帰った。

自分の家の周りにもいっぱい紅葉はあるが、こうして遠くまで紅葉を見に行くのも悪くは無い。
泊まりがけで遠くまで行かなくても、十分いろんな風景や違った暮らしの様子が見えてくる。
特に鳥取道を絡めれば、一日で回ることができる範囲も広がっていく。
今回は朝の10時に出て、戻ってきたのは夕方の5時半だった。
このような無料の自動車道をもっともっと増やして、地方に人を呼び込むべきだと思う。
京都や鎌倉などでの観光公害を減らすためにも、必要だろう。
また休日の混雑を減らすために、平日だけ無料にして、通勤にも使えば良いと思うのだが・・・