今朝(2/11)、起きて窓の外を見ると、真っ白い景色の中で雪が降り続いている。
雪のことを全く気にかけていなかった。
昨日は、そろそろ汲んできた千種の水が無くなりそうなので、汲みに行くことも考えていた。
結局、気温も低そうなので、無理して出かけるのは止めて、来週に行こうと家内と話していた。
いつものように「まんぷく」さんを見た。
やっとラーメンの試作が成功してこれからというところで、こちらにも勇気が伝わってくる。
今日はその後NHKも特別番組で、それが健康に関することなので、ついしばらく見入っていた。
そして、意を決して、雪降る中をクロと散歩に出かけることにした。
実は、この土曜日には糖尿病の定期検診で悪い結果が出て、薬が増えてしまった。
それ以来、どう炭水化物を減らしていこうかと考え続けていた。
とにかく、食後はなるべく動かねばいけない。
以前なら、雪が降り止んでから出かけていたのだが、今回は血糖値を早く下げるために出かけた。
それまで、小屋の中に敷物を引き込んでこもっていたクロは、出かけるなりはしゃぎ始めた。
こちらは、長靴なので素早くは歩けない。
雪はアスファルトの上では溶けているので、わざと道路脇の草の生えた所を歩く。
長靴は、底が薄いので、長く歩くと足の裏を痛めるからである。
今回は雪が降り続いているので、さすがに外に出て遊んでいる人はいない。
ご自分の家の近くで、愛玩犬を放して糞をさせているお年寄りに会っただけである。
黙々と歩いて、そのうち暖まってきて、曇ったサングラスやニット帽をポケットに入れ、ベンチコートのフードだけ被った。
昨日は近くの小学校で、小学生の駅伝大会があったのだが、一日違っていたら中止になっていただろう。
いつもは、空を見上げて飛行機を追ったり、雲を眺めたりしている。
今日はひたすら下を向いて、転ばないように注意しながら歩いた。
ところが、ポケットに入れていたサングラスを途中で落としたので、もう一度思い当たるところまで戻って探さねばならなかった。
雪の上に落としたので、落ちた時に音がしなくて気がつかなかった。
普段は黙々と一緒に歩くクロは、今日は相変わらずはしゃいでいる。
それに振り回されながら戻ったが、家に入って着替えてからこたつに入ったが、しばらくは立ち上がれなかった。
クロも餌を食べた後は、小屋の中に引きこもってしまった。
これからは、雪が降ろうと、雨が降ろうと、血糖値を下げるために歩く決意をしている。
それは自分のためであり、クロのため?でもある。
播磨の西外れにある私の生まれ育った赤穂や、今暮らしている上郡に関すること、農作業,山野河海の恵み、趣味の水泳、音楽、専門である有機農業や、教育、文化人類学、民俗学に関することなどを、きままに記してみます。
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2019年2月13日水曜日
2019年2月11日月曜日
夫婦生活31年
1988年(昭和63)の2月11日に私は家内と結婚した。
だから今年で31年目の夫婦生活となる。
去年は30年目の節目の年だったが、早期退職後新しい仕事に慣れるのに必死で、結婚記念日どころの話では無かった。
今年は、また教壇に戻って、仕事も慣れてきたので、結婚生活を振り返る余裕も出てきた。
結婚してからの年数は、子供の年齢とも関わり、息子は今年で30歳になる。
自分は30歳に子供を授かったのだが、息子は結婚さえしていない。
2歳年下の娘も結婚する気配も無い。
今の職場では若い人が多く、独身の人や、結婚していても単身赴任の人がいる。
子持ちの若い人には、家庭を大事にして欲しいことはいつも伝えている。
定時制高校の仕事は、土日のクラブ指導が無いので、休日を子供と一緒に過ごせる。
全日制の高校では、クラブ指導や模擬試験などで、休日は家にいることが少なくなるからだ。
子育て中心の夫婦生活は20年ほどで終わり、夫婦だけで過ごす時間が多くなった。
自分の親との関わりは60年になるが、一緒に生活していたのは高々19年間である。
もうとっくに親子関係より長い付き合いを夫婦として続けている。
同じ夫婦でも、最近は単身赴任などで一緒に暮らしていない場合もあって、3番目の弟は8年も単身赴任をしている。
京都に自宅があって、名古屋だったり、東京だったりしたが、東京の場合は月に何度も帰って来られなかったようだ。
また、末の弟は、地元で暮らしているが、夫婦で仕事していて必ずしも休日が合わないので、夫婦一緒で出かけたりする機会も少ないという。
すぐ下の弟は、子供が無いので、恋人同士をずっと続けている感じで、休日も二人で買い物に出かけるのが楽しみだという。
同じ兄弟でも夫婦の様子は様々である。
そういう夫婦も退職を機会に一緒に過ごす時間が増えていくと思う。
近所でも、毎朝夫婦で散歩をしている高齢の夫婦がいて、仲睦まじく感じる。
高齢者の多いこの田舎では、買い物や通院で高齢夫婦の姿をよく見かける。
それが相方を亡くして、一人で散歩したり、買い物をしているのを見かけると寂しく思えたりする。
私は、自分の方が先に逝くと思っているのだが、必ずしもそうはいかないかも知れない。
妻に先立たれて、直ぐに亡くなってしまう夫の話は良く聞く。
夫婦それぞれ、相手に先立たれる覚悟はしておかねばいけないと思いつつ、そうできる自信があるわけではない。
ただ、互いに元気なうちに、旅行などの楽しみをして、思い出作りをしておきたいと思っている。
それができない状態になって、後悔だけはしたくないと思うからである。
だから今年で31年目の夫婦生活となる。
去年は30年目の節目の年だったが、早期退職後新しい仕事に慣れるのに必死で、結婚記念日どころの話では無かった。
今年は、また教壇に戻って、仕事も慣れてきたので、結婚生活を振り返る余裕も出てきた。
結婚してからの年数は、子供の年齢とも関わり、息子は今年で30歳になる。
自分は30歳に子供を授かったのだが、息子は結婚さえしていない。
2歳年下の娘も結婚する気配も無い。
今の職場では若い人が多く、独身の人や、結婚していても単身赴任の人がいる。
子持ちの若い人には、家庭を大事にして欲しいことはいつも伝えている。
定時制高校の仕事は、土日のクラブ指導が無いので、休日を子供と一緒に過ごせる。
全日制の高校では、クラブ指導や模擬試験などで、休日は家にいることが少なくなるからだ。
子育て中心の夫婦生活は20年ほどで終わり、夫婦だけで過ごす時間が多くなった。
自分の親との関わりは60年になるが、一緒に生活していたのは高々19年間である。
もうとっくに親子関係より長い付き合いを夫婦として続けている。
同じ夫婦でも、最近は単身赴任などで一緒に暮らしていない場合もあって、3番目の弟は8年も単身赴任をしている。
京都に自宅があって、名古屋だったり、東京だったりしたが、東京の場合は月に何度も帰って来られなかったようだ。
また、末の弟は、地元で暮らしているが、夫婦で仕事していて必ずしも休日が合わないので、夫婦一緒で出かけたりする機会も少ないという。
すぐ下の弟は、子供が無いので、恋人同士をずっと続けている感じで、休日も二人で買い物に出かけるのが楽しみだという。
同じ兄弟でも夫婦の様子は様々である。
そういう夫婦も退職を機会に一緒に過ごす時間が増えていくと思う。
近所でも、毎朝夫婦で散歩をしている高齢の夫婦がいて、仲睦まじく感じる。
高齢者の多いこの田舎では、買い物や通院で高齢夫婦の姿をよく見かける。
それが相方を亡くして、一人で散歩したり、買い物をしているのを見かけると寂しく思えたりする。
私は、自分の方が先に逝くと思っているのだが、必ずしもそうはいかないかも知れない。
妻に先立たれて、直ぐに亡くなってしまう夫の話は良く聞く。
夫婦それぞれ、相手に先立たれる覚悟はしておかねばいけないと思いつつ、そうできる自信があるわけではない。
ただ、互いに元気なうちに、旅行などの楽しみをして、思い出作りをしておきたいと思っている。
それができない状態になって、後悔だけはしたくないと思うからである。
2019年2月9日土曜日
還暦同窓会・古希同窓会に向けて
同窓会では、どうしても亡くなった同級生のことが話される。
今回も、医者として同級生を見送った話がなされた。
卒業生144名中で、還暦までに亡くなったのは5名である。
事故もあるが、最近は多くが癌のようだ。
その中には、医者も数名含まれている。
この話題を職場の一つ上の人と話をしたら、その人の同級生は自殺が多いという。
それは、公立高校の話なのだが、私の同級生でそういう話は聞いていないのは幸いである。
今回集まった同級生には、見た目からして不健康そうな者も何人かいた。
実際聞いてみると、持病を抱えている。
また、健康そうに見えても、ヘビースモーカーでしょっちゅう退席している者もいた。
二次会のスナックでも、電子タバコが手放せないでいる者も少なからずいた。
いつも歯の治療をしてもらっている同級生も、タバコがやめられず、いつも不健康そうに見える。
医者の不養生とはよく言ったものである。
そういう自分も糖尿病で数値も良くなく、薬は欠かさず飲んではいるが、膵臓癌への不安がいつも付きまとう。
果たして、今度何年後に同窓会が開かれるか分からないが、その時まで元気でいられる者がどれくらい、いるのだろうか?
先日、小田和正の特集番組を視ていたら、古希のお祝いを仲間としていた。
小田和正のように、古希まで現役で続けられればそんなに幸せなことはない。
逆に本を読んでいて、奄美の考古学や歴史の研究に貢献されていた方が、60歳代で亡くなったのを知り、非常に残念に思った。
都立大学で指導教官をしていただいた故村武精一先生は、長生きするのが研究者にとって重要なことだと言っておられたのを思い出す。
沖縄の言葉の「命ドゥ宝」ではなく、「仕事ドゥ宝」の人が、なんと多いことか。
チコちゃんに叱られようが、マイペースで仕事をし、健康を考えながらボーと生きることも大切に思った。
ただ、食事や運動に関してはボーとしていてはいけないとは思う。
今度会う時は、殆どの人が退職しいるのかもしれない、その時に学生時代のように、若々しく愉快に語り合えたらと思っている。
その時は、卒業大学や肩書きも気にしない、ただの二度童ならぬ、二度青年として・・・
今回も、医者として同級生を見送った話がなされた。
卒業生144名中で、還暦までに亡くなったのは5名である。
事故もあるが、最近は多くが癌のようだ。
その中には、医者も数名含まれている。
この話題を職場の一つ上の人と話をしたら、その人の同級生は自殺が多いという。
それは、公立高校の話なのだが、私の同級生でそういう話は聞いていないのは幸いである。
今回集まった同級生には、見た目からして不健康そうな者も何人かいた。
実際聞いてみると、持病を抱えている。
また、健康そうに見えても、ヘビースモーカーでしょっちゅう退席している者もいた。
二次会のスナックでも、電子タバコが手放せないでいる者も少なからずいた。
いつも歯の治療をしてもらっている同級生も、タバコがやめられず、いつも不健康そうに見える。
医者の不養生とはよく言ったものである。
そういう自分も糖尿病で数値も良くなく、薬は欠かさず飲んではいるが、膵臓癌への不安がいつも付きまとう。
果たして、今度何年後に同窓会が開かれるか分からないが、その時まで元気でいられる者がどれくらい、いるのだろうか?
先日、小田和正の特集番組を視ていたら、古希のお祝いを仲間としていた。
小田和正のように、古希まで現役で続けられればそんなに幸せなことはない。
逆に本を読んでいて、奄美の考古学や歴史の研究に貢献されていた方が、60歳代で亡くなったのを知り、非常に残念に思った。
都立大学で指導教官をしていただいた故村武精一先生は、長生きするのが研究者にとって重要なことだと言っておられたのを思い出す。
沖縄の言葉の「命ドゥ宝」ではなく、「仕事ドゥ宝」の人が、なんと多いことか。
チコちゃんに叱られようが、マイペースで仕事をし、健康を考えながらボーと生きることも大切に思った。
ただ、食事や運動に関してはボーとしていてはいけないとは思う。
今度会う時は、殆どの人が退職しいるのかもしれない、その時に学生時代のように、若々しく愉快に語り合えたらと思っている。
その時は、卒業大学や肩書きも気にしない、ただの二度童ならぬ、二度青年として・・・
2019年2月8日金曜日
還暦同窓会・地元仲間
淳心を卒業して、地元で暮らしている人の中には、教師になった者も少なからずいる。
以前、校長をしていた先輩を中心に教師会が作られたが、その人が淳心とは別の私学校長になって、絶ち切れになった。
同級生で教育学部へ行って、教師になった者の方が少ない。
研究をしようと思ったが、教師になった私のようなケース。
民間企業にいたが、転職したケース等である。
だから小学校、中学校の教師は少ない。
このうち同級生で高校の校長をしているのは、二人である。
二人とも立派な大学を出たエリートである。
校長にならずとも、頑張っている教師もいて、Mn君は公立で地域トップの進学校の地歴・公民の教師をしている。
前任校は、進学校では無かったので、大学受験指導の経験はあまり無いはずだが、世界史も、日本史も指導していると聞いて驚いた。
私は受験指導に関しては、日本史が精一杯で、世界史までは自信が無い。
彼の奥さんとは、職場が一緒だったこともあり、共通の話題も多かった。
旧帝大を卒業しながら、平教師として一般の学校で地道に指導して、最後は進学校で優秀な人材育成を行っている。
今回、気の毒に思えた教師は、学校付近で交通事故に遭い、生死をさ迷いながら今は何とか回復してリハビリ中の教師だ。
今も休職中だが、一部記憶も失われていると聞いた。
命が救われただけでも、幸運だと思える事故だったらしいが、これから復帰するのも大変だと思った。
他にも、いつも母校の教師をしながら、同窓会の中心的な幹事をしてくれているMt君は、メタボ体型で気になった。
二次会で隣にいたので、おなかを突きながら「健康は大丈夫」と聞くと「悪い」と答えていた。
彼には元気で長生きをしてもらって、幹事をいつまでも続けてもらいたい。
また、高校教師をしていたが、大学に転職したS君とも久しぶりに会った。
彼は、高校教師をしながら、大学院に通い研究を重ねた。
そして、家庭の都合で定時制の教師も務めていた。
彼とは研究分野がかなり違うが、彼はひとつの目標でもある。
大学の教員も大変だと言うことだったが、充実した生活を送っているように見受けられた。
同窓会には出てこないが、近くの小学校で元気に指導している同級生もたまに見かける。
忙しそうなので、声をかけるのはためらっているのだが、私の息子には良く声をかけてくれている。
地元で教師をする以外にも、市町村の役場や企業などで地域のために働いている仲間も多くいる。
二次会で隣になったのもその一人で、自治会のためにもかなり活躍しているそうだ。
どちらかというと、同窓会では華やかな職業で活躍している同級生が目につく。
それでも、地味ながら頑張っている仲間を見ると、共感できる。
同級生以外にも、地元で頑張っている卒業生は多い、それが励みともなっている。
以前、校長をしていた先輩を中心に教師会が作られたが、その人が淳心とは別の私学校長になって、絶ち切れになった。
同級生で教育学部へ行って、教師になった者の方が少ない。
研究をしようと思ったが、教師になった私のようなケース。
民間企業にいたが、転職したケース等である。
だから小学校、中学校の教師は少ない。
このうち同級生で高校の校長をしているのは、二人である。
二人とも立派な大学を出たエリートである。
校長にならずとも、頑張っている教師もいて、Mn君は公立で地域トップの進学校の地歴・公民の教師をしている。
前任校は、進学校では無かったので、大学受験指導の経験はあまり無いはずだが、世界史も、日本史も指導していると聞いて驚いた。
私は受験指導に関しては、日本史が精一杯で、世界史までは自信が無い。
彼の奥さんとは、職場が一緒だったこともあり、共通の話題も多かった。
旧帝大を卒業しながら、平教師として一般の学校で地道に指導して、最後は進学校で優秀な人材育成を行っている。
今回、気の毒に思えた教師は、学校付近で交通事故に遭い、生死をさ迷いながら今は何とか回復してリハビリ中の教師だ。
今も休職中だが、一部記憶も失われていると聞いた。
命が救われただけでも、幸運だと思える事故だったらしいが、これから復帰するのも大変だと思った。
他にも、いつも母校の教師をしながら、同窓会の中心的な幹事をしてくれているMt君は、メタボ体型で気になった。
二次会で隣にいたので、おなかを突きながら「健康は大丈夫」と聞くと「悪い」と答えていた。
彼には元気で長生きをしてもらって、幹事をいつまでも続けてもらいたい。
また、高校教師をしていたが、大学に転職したS君とも久しぶりに会った。
彼は、高校教師をしながら、大学院に通い研究を重ねた。
そして、家庭の都合で定時制の教師も務めていた。
彼とは研究分野がかなり違うが、彼はひとつの目標でもある。
大学の教員も大変だと言うことだったが、充実した生活を送っているように見受けられた。
同窓会には出てこないが、近くの小学校で元気に指導している同級生もたまに見かける。
忙しそうなので、声をかけるのはためらっているのだが、私の息子には良く声をかけてくれている。
地元で教師をする以外にも、市町村の役場や企業などで地域のために働いている仲間も多くいる。
二次会で隣になったのもその一人で、自治会のためにもかなり活躍しているそうだ。
どちらかというと、同窓会では華やかな職業で活躍している同級生が目につく。
それでも、地味ながら頑張っている仲間を見ると、共感できる。
同級生以外にも、地元で頑張っている卒業生は多い、それが励みともなっている。
2019年2月7日木曜日
還暦同窓会・別人物
還暦同窓会・医療関係と法曹関係のテーブルで紹介したK君は、最も別人物に思えた一人だが、他にも何人かいた。
Mi君は、中学高校とどちらかというと、肥満型の体型で、頬もふくらみ目も細かった。
それが痩せると、体型どころか、人相も変わってしまう。
当然気がつかなかった、彼とは東大のコンピュータ室で、大学院の頃会って以来だ。
その時は、以前の彼だったから、東大の大学院を卒業後に変わったことになる、
そして、何より驚いたのは、二次会で佐野元春のアンジェリーナを踊りながら歌ったことだ。
彼の家は確か植木屋さんだったように思うが、自慢の盆栽作品を披露してくれたことがあった。
どちらかというと、地味な性格だった。
その彼は、今は会社の社長さんで、最も若々しかった。
逆に最も、老けて見えたのはMy君で、彼は女の子のような可愛いタイプで、男子校では可愛がられていた。
それが、身なりも風貌もすっかりお爺さんになってしまっていた。
どうも、病気が原因らしいのだが、昔の彼を知っているだけに、寂しく思えた。
ただ、風貌は変わっても、元のままだという仲間も多かった。
白髪でありながら、ノリは昔のままという者を多かった。
自分のことは自分では分からないが、おそらく昔とは変わっているのだと思う。
どちらかというと不良で、まさか教師になるとは思われていなかった思う。
教師になった同級生は少なからずいるが、一番私の品行が悪かったように思う。
ただ、品行が一番悪くて、今は立派な医者として活躍しているCh君に叶わない。
彼は淳心の前に立っている国立病院に勤めたときには、母校の生徒のために尽くした。
憶えているのは、みんなで作ったレコード台詞である。
「京大の ○○(本人の苗字)や、それだけや」
と吹き込み、一浪して公言通り、京大の医学部に入った。
そして、今回の同窓会の締めの挨拶をしたのが彼だった。
とにかく、人はそれぞれだと思う。
今回出席しているのは、3分の1ほどの人数だ。
母校のことや、その仲間とは無縁でいたいと思う人もいて当然だ。
私の弟なども、一度も同窓会に出たこともなく、名簿にも名前を載せていなかった。
弟は淳心在籍時代には、何度も辞めたいと言って親を困らせていた。
母校や母校の仲間は遠きにありて思うものと、思う仲間がいて当然だ。
そういう人が一番別人になっているのかも知れない。
Mi君は、中学高校とどちらかというと、肥満型の体型で、頬もふくらみ目も細かった。
それが痩せると、体型どころか、人相も変わってしまう。
当然気がつかなかった、彼とは東大のコンピュータ室で、大学院の頃会って以来だ。
その時は、以前の彼だったから、東大の大学院を卒業後に変わったことになる、
そして、何より驚いたのは、二次会で佐野元春のアンジェリーナを踊りながら歌ったことだ。
彼の家は確か植木屋さんだったように思うが、自慢の盆栽作品を披露してくれたことがあった。
どちらかというと、地味な性格だった。
その彼は、今は会社の社長さんで、最も若々しかった。
逆に最も、老けて見えたのはMy君で、彼は女の子のような可愛いタイプで、男子校では可愛がられていた。
それが、身なりも風貌もすっかりお爺さんになってしまっていた。
どうも、病気が原因らしいのだが、昔の彼を知っているだけに、寂しく思えた。
ただ、風貌は変わっても、元のままだという仲間も多かった。
白髪でありながら、ノリは昔のままという者を多かった。
自分のことは自分では分からないが、おそらく昔とは変わっているのだと思う。
どちらかというと不良で、まさか教師になるとは思われていなかった思う。
教師になった同級生は少なからずいるが、一番私の品行が悪かったように思う。
ただ、品行が一番悪くて、今は立派な医者として活躍しているCh君に叶わない。
彼は淳心の前に立っている国立病院に勤めたときには、母校の生徒のために尽くした。
憶えているのは、みんなで作ったレコード台詞である。
「京大の ○○(本人の苗字)や、それだけや」
と吹き込み、一浪して公言通り、京大の医学部に入った。
そして、今回の同窓会の締めの挨拶をしたのが彼だった。
とにかく、人はそれぞれだと思う。
今回出席しているのは、3分の1ほどの人数だ。
母校のことや、その仲間とは無縁でいたいと思う人もいて当然だ。
私の弟なども、一度も同窓会に出たこともなく、名簿にも名前を載せていなかった。
弟は淳心在籍時代には、何度も辞めたいと言って親を困らせていた。
母校や母校の仲間は遠きにありて思うものと、思う仲間がいて当然だ。
そういう人が一番別人になっているのかも知れない。
2019年2月6日水曜日
還暦同窓会・バンド仲間
私が一番親しくしたのは、やはり一緒にロックバンドを組んで活動した仲間である。
バンドは同じ学年だけでなく、一年上の上級生や一年下の下級生とも組んだ。
完全に固定していたわけで無く、いつも一緒に活動したのはベースのHiro君だった。
Hiro君とは中学校3年生の時から、一緒に練習をしていて、予備校まで一緒だったが、彼は早稲田大学に入ってから活動は別になった。
結局二人とも、音楽の道には進まず、文系の研究分野へ方向転換した。
彼はおとなしいタイプで、こういう同窓会には殆ど顔を出してくれないし、名簿にも名前を載せなかった。
そして、だいぶ前から全く音信不通になってしまった。
高校一年生の時は、私らコンビと、もう二人の同級生が野外ステージに立ったが、まったくだめで、聴いてくれた人も殆どなかった。
高校2年生の時は、一年上の上級生4人に私らコンビが加わり、体育館ステージに出て、この時は非常に盛り上がった。
因みに私は同じ赤穂の1年上の上級生のSukeちゃんと仲が良かった。
彼はエレキギターが非常に優れていたし、音楽性も高かったが、悪いことも良く教えてくれた。
この時に一番力を入れたのは、バンド名にもしたBeatlesの”Helter Skelter”で、吹奏楽部に属する先輩Tさんがサックスをアレンジして迫力を出した。
そして、Hiro君(Ba)、Sukeちゃん(Eg)、Y君(Dr)と私が組んで、朝日放送ラジオのヤンリク「キダタロー、ミキサー完備、スタジオ貸します」に出演した。
今回の同窓会ではそのY君に久しぶりに会った。
彼は元々どちらかというと、サッカーが専門で、医者になってからは日本サッカーチームのドクターにもなっていた。
今回受付で、いきなり声をかけられた。
彼はサッカーをしていて故障して、手足が麻痺したので、リハビリもかねてドラム練習をしているという。
新築した家には、その練習部屋もちゃんと作っているという。
残念ながらその自宅は神戸なので、一緒に活動するには遠すぎるが、私も負けていられないと刺激になった。
そして、こちらも声をかけられて気づいたのが、同じ赤穂出身で別のバンドで活動していたS君である。
彼は今は山口県で医者をしているが、しっかり音楽も楽しんでいる。
彼とは音楽の趣味や、友達関係が違っていたので一度も一緒に演奏はしていない。
ところが、今回意外なことを聞かされた。
彼が今はまっている音楽は、 CSN&Y(クロスビー、スチル、ナッシュ、ヤング)だという。
そのきっかけを作ったのが、レコードを聴かせてあげた私だというのである。
CSN&Yは高2の時の体育館ステージで、"Teach your children"をSukeちゃんとハモりながら歌った。
彼は高校の頃はQueenのフレディー マーキュリーに似ていて、曲も好きだったから、ずっとQueenのファンだと思い込んでいた。
彼から見せられたのは、スマホに写されたグレコのレスポールを持った孫の姿だった。
彼も医者を続けながら、音楽を愛し続けていることがよく分かった。
もともと、彼は勉強一筋だったのだが、一度病気をして入院してから変わったと思う。
同級生の多くの仲間は、勉強だけでなく、スポーツや音楽を友にしていた。
それが過ぎて、大学受験に失敗した者がここにいるけれど・・・・
バンドは同じ学年だけでなく、一年上の上級生や一年下の下級生とも組んだ。
完全に固定していたわけで無く、いつも一緒に活動したのはベースのHiro君だった。
Hiro君とは中学校3年生の時から、一緒に練習をしていて、予備校まで一緒だったが、彼は早稲田大学に入ってから活動は別になった。
結局二人とも、音楽の道には進まず、文系の研究分野へ方向転換した。
彼はおとなしいタイプで、こういう同窓会には殆ど顔を出してくれないし、名簿にも名前を載せなかった。
そして、だいぶ前から全く音信不通になってしまった。
高校一年生の時は、私らコンビと、もう二人の同級生が野外ステージに立ったが、まったくだめで、聴いてくれた人も殆どなかった。
高校2年生の時は、一年上の上級生4人に私らコンビが加わり、体育館ステージに出て、この時は非常に盛り上がった。
因みに私は同じ赤穂の1年上の上級生のSukeちゃんと仲が良かった。
彼はエレキギターが非常に優れていたし、音楽性も高かったが、悪いことも良く教えてくれた。
この時に一番力を入れたのは、バンド名にもしたBeatlesの”Helter Skelter”で、吹奏楽部に属する先輩Tさんがサックスをアレンジして迫力を出した。
そして、Hiro君(Ba)、Sukeちゃん(Eg)、Y君(Dr)と私が組んで、朝日放送ラジオのヤンリク「キダタロー、ミキサー完備、スタジオ貸します」に出演した。
今回の同窓会ではそのY君に久しぶりに会った。
彼は元々どちらかというと、サッカーが専門で、医者になってからは日本サッカーチームのドクターにもなっていた。
今回受付で、いきなり声をかけられた。
彼はサッカーをしていて故障して、手足が麻痺したので、リハビリもかねてドラム練習をしているという。
新築した家には、その練習部屋もちゃんと作っているという。
残念ながらその自宅は神戸なので、一緒に活動するには遠すぎるが、私も負けていられないと刺激になった。
そして、こちらも声をかけられて気づいたのが、同じ赤穂出身で別のバンドで活動していたS君である。
彼は今は山口県で医者をしているが、しっかり音楽も楽しんでいる。
彼とは音楽の趣味や、友達関係が違っていたので一度も一緒に演奏はしていない。
ところが、今回意外なことを聞かされた。
彼が今はまっている音楽は、 CSN&Y(クロスビー、スチル、ナッシュ、ヤング)だという。
そのきっかけを作ったのが、レコードを聴かせてあげた私だというのである。
CSN&Yは高2の時の体育館ステージで、"Teach your children"をSukeちゃんとハモりながら歌った。
彼は高校の頃はQueenのフレディー マーキュリーに似ていて、曲も好きだったから、ずっとQueenのファンだと思い込んでいた。
彼から見せられたのは、スマホに写されたグレコのレスポールを持った孫の姿だった。
彼も医者を続けながら、音楽を愛し続けていることがよく分かった。
もともと、彼は勉強一筋だったのだが、一度病気をして入院してから変わったと思う。
同級生の多くの仲間は、勉強だけでなく、スポーツや音楽を友にしていた。
それが過ぎて、大学受験に失敗した者がここにいるけれど・・・・
2019年2月4日月曜日
還暦同窓会・医療関係と法曹関係のテーブル
母校淳心19回生の還暦同窓会が2月2日に行われた。
この同窓会は、今までに無いインパクトと混乱を私の精神にもたらした。
浦島太郎伝説で、竜宮でもらった玉手箱を開けると、白髪の老人になった話がある。
私たちは、高校卒業してからこの還暦まで、楽園では無いが竜宮にいる時のように時を忘れていたようだ。
まさに、この還暦同窓会では、玉手箱を開けた状態になってしまった。
わずか、4時間ほどの体験だったが、卒業後48年間のエッセンスがそこに詰まっていたので、何回かに分けてそれを振り返りたいと思う。
私は、今回の同窓会出席の大きな目的は、同じ兵庫県の教育に携わる仲間に会いに行くことだった。
しかし、受付ではそんな思惑とは、関係なく高校時代の雰囲気とはかなり違うが、明らかに過去に引き戻された状態。
私は怖じ気づいて、思わず逃げ出したい気分になった。
集まってきた仲間は、やはり元気者揃いであった。
ただ、さすがに還暦と言うことだけあって、私もそうだがかなり老けた者もいる。
また、その一方で昔とあまり変わらない者もいた。
そして、何よりも分からなかったのがH先生だ。
あの同級生は誰だと話し合っていたのだが、先生と紹介されて驚いた。
後期高齢者の先生と、一部の卒業生の風貌がそれほど変わらないのである。
先生もスピーチでそのことを指摘された。
今回の座る席は自由と言うことで、どこに座るかまず迷った。
というのも、元ロックバンド仲間の悪友はまだ来ていなかったからだ。
そこで、手近な席に座ることにした。
ところがその手近な席は、医療関係と法曹界の人間が多く占めていることに後で気がついた。
私の右隣には東大を出て、紆余曲折の人生を歩んで、今は弁護士をしているK君
そして、その右隣も東大を出て弁護士をしているI君
左隣は医者のN君だが、そのまた左は東大を出て裁判官をしているO君だった。
またその左隣が、東大を出て薬メーカーに勤めているT君。
そして、真正面はやはり元バレーボール部の医者のM君だった。
要するに私は東大出や医学部出の席に、迷い込んでしまったようだった。
まず、K君だが、彼とは結構高校時代は、文学に関して関わりを持っていて、自分たちで手書きの文学冊子を作ったこともある。
彼は大学に入ってから、学生運動などにも参加したらしく、長いこと連絡がとれていなかった。
今回は、その頃のことは触れたがらなかったので、聞かなかった。
とにかく、弁護士になったのは最近と言うことで、その書類作りに日々追われているとのことだった。
私は高校当時の彼の印象と、今の風貌がどうしても重ねることができなくて、最後まで同一人物として納得できなかった。
彼は、今回の同窓会で一番みんなに衝撃を与えた人物となった。
弁護士のI君とは今でも年賀状をやりとりする仲で、高校時代に同じクラスになって、赤穂に来てもらって遊んだこともある。
彼は、私の歌う歌を気に入ってくれいて、”Come together”が、また聴きたいと言ってくれた。
ただ、今回は二次会のスナックで歌ったのは、彼のリクエストには応えず、You raise me upにした。
因みに、医者のM君は、私たちが高校3年の時に、野外ステージに出演した時に、聴きに来てくれた一人だ。
ただ、彼が「勉強せいよ」と大きなヤジも飛ばして、みんなに爆笑されたのを、今でも憶えている。
今回はその話もしたが、浪人覚悟で「Ichiro(一浪)」というバンド名で出演したことを、I君は知らなかった。
左の写真の左側が、Eaglesの”Hotel California”を歌う当時の私である。
そして、裁判官のO君は、卒業以来の再開であった。
最初、見覚えがあるが思い出せない。
思い切ってたずねてみると、なんと同じ電車で通っていた通学仲間の一人のO君だ。
私は思わず「チュウチョウ!?」と、当時みんなが使っていた彼の音読みの名前叫んでしまった。
毎日のように6年間顔を合わせていたのに、思い出せなかったのだ。
彼は非常に真面目な性格だったが、中学1年のキャンプファイヤーで、グループの中心になって冗談を言って、盛り上げていたことを話した。
もう40年以上経つのに、けっこう昔のことをみんな憶えているのだが、一番良く憶えているのはやはり弁護士のI君だった。
彼は、高1の時に学年で行った信州旅行のことを鮮明に覚えていた。
それは普段殆ど喋らなかった部屋の仲間が、「裸の島」は映画じゃ無いと言った話だった。
その夜は明け方まで、部屋の仲間と話をしていたのを憶えているが、中身までは憶えていなかった。
因みに、映画は神父さんが宗教の授業などを利用して、よく見せてくれていた。
その一つが「裸の島」だが、私にはこの映画はしっかりと脳裏に焼き付いている。
他にも、「旅の重さ」や「椿三十郎」を見せてもらったが、どれもしっかりと憶えている名作だった。
授業で学んだことはあまり憶えていないのに、行事や映画だけはしっかり憶えている。
たとえ授業のことを憶えていても、話題にしてもつまらないことである。
学校とはそんなところかも知れない。
この同窓会は、今までに無いインパクトと混乱を私の精神にもたらした。
浦島太郎伝説で、竜宮でもらった玉手箱を開けると、白髪の老人になった話がある。
私たちは、高校卒業してからこの還暦まで、楽園では無いが竜宮にいる時のように時を忘れていたようだ。
まさに、この還暦同窓会では、玉手箱を開けた状態になってしまった。
わずか、4時間ほどの体験だったが、卒業後48年間のエッセンスがそこに詰まっていたので、何回かに分けてそれを振り返りたいと思う。
私は、今回の同窓会出席の大きな目的は、同じ兵庫県の教育に携わる仲間に会いに行くことだった。
しかし、受付ではそんな思惑とは、関係なく高校時代の雰囲気とはかなり違うが、明らかに過去に引き戻された状態。
私は怖じ気づいて、思わず逃げ出したい気分になった。
集まってきた仲間は、やはり元気者揃いであった。
ただ、さすがに還暦と言うことだけあって、私もそうだがかなり老けた者もいる。
また、その一方で昔とあまり変わらない者もいた。
そして、何よりも分からなかったのがH先生だ。
あの同級生は誰だと話し合っていたのだが、先生と紹介されて驚いた。
後期高齢者の先生と、一部の卒業生の風貌がそれほど変わらないのである。
先生もスピーチでそのことを指摘された。
今回の座る席は自由と言うことで、どこに座るかまず迷った。
というのも、元ロックバンド仲間の悪友はまだ来ていなかったからだ。
そこで、手近な席に座ることにした。
ところがその手近な席は、医療関係と法曹界の人間が多く占めていることに後で気がついた。
私の右隣には東大を出て、紆余曲折の人生を歩んで、今は弁護士をしているK君
そして、その右隣も東大を出て弁護士をしているI君
左隣は医者のN君だが、そのまた左は東大を出て裁判官をしているO君だった。
またその左隣が、東大を出て薬メーカーに勤めているT君。
そして、真正面はやはり元バレーボール部の医者のM君だった。
要するに私は東大出や医学部出の席に、迷い込んでしまったようだった。
まず、K君だが、彼とは結構高校時代は、文学に関して関わりを持っていて、自分たちで手書きの文学冊子を作ったこともある。
彼は大学に入ってから、学生運動などにも参加したらしく、長いこと連絡がとれていなかった。
今回は、その頃のことは触れたがらなかったので、聞かなかった。
とにかく、弁護士になったのは最近と言うことで、その書類作りに日々追われているとのことだった。
私は高校当時の彼の印象と、今の風貌がどうしても重ねることができなくて、最後まで同一人物として納得できなかった。
彼は、今回の同窓会で一番みんなに衝撃を与えた人物となった。
弁護士のI君とは今でも年賀状をやりとりする仲で、高校時代に同じクラスになって、赤穂に来てもらって遊んだこともある。
彼は、私の歌う歌を気に入ってくれいて、”Come together”が、また聴きたいと言ってくれた。
ただ、今回は二次会のスナックで歌ったのは、彼のリクエストには応えず、You raise me upにした。因みに、医者のM君は、私たちが高校3年の時に、野外ステージに出演した時に、聴きに来てくれた一人だ。
ただ、彼が「勉強せいよ」と大きなヤジも飛ばして、みんなに爆笑されたのを、今でも憶えている。
今回はその話もしたが、浪人覚悟で「Ichiro(一浪)」というバンド名で出演したことを、I君は知らなかった。
左の写真の左側が、Eaglesの”Hotel California”を歌う当時の私である。
そして、裁判官のO君は、卒業以来の再開であった。
最初、見覚えがあるが思い出せない。
思い切ってたずねてみると、なんと同じ電車で通っていた通学仲間の一人のO君だ。
私は思わず「チュウチョウ!?」と、当時みんなが使っていた彼の音読みの名前叫んでしまった。
毎日のように6年間顔を合わせていたのに、思い出せなかったのだ。
彼は非常に真面目な性格だったが、中学1年のキャンプファイヤーで、グループの中心になって冗談を言って、盛り上げていたことを話した。
もう40年以上経つのに、けっこう昔のことをみんな憶えているのだが、一番良く憶えているのはやはり弁護士のI君だった。
彼は、高1の時に学年で行った信州旅行のことを鮮明に覚えていた。
それは普段殆ど喋らなかった部屋の仲間が、「裸の島」は映画じゃ無いと言った話だった。
その夜は明け方まで、部屋の仲間と話をしていたのを憶えているが、中身までは憶えていなかった。
因みに、映画は神父さんが宗教の授業などを利用して、よく見せてくれていた。
その一つが「裸の島」だが、私にはこの映画はしっかりと脳裏に焼き付いている。
他にも、「旅の重さ」や「椿三十郎」を見せてもらったが、どれもしっかりと憶えている名作だった。
授業で学んだことはあまり憶えていないのに、行事や映画だけはしっかり憶えている。
たとえ授業のことを憶えていても、話題にしてもつまらないことである。
学校とはそんなところかも知れない。
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