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2019年5月19日日曜日

強力エンジンポンプ

私は去年までは、小型のエンジンポンプを使っていた。
いい加減な管理をしていたためか、とうとう故障してしまった。
修理しようと思ったが、修理代が新品の半分ほどしたので諦めた。
結局、新品を買うこともできなくて、畑に水もやれず、ナスビの栽培は失敗した。
今年は何としてもエンジンポンプを買おうと思っていた。
そこで、ネットで調べて、ホンダのエンジンポンプをあまり考えずに買った。
前回のポンプは小さくて故障しやすいと思ったので、少し高かったが大きい物にした。

製品が届いて、梱包を解いて驚いた。
吸入口、吐出口の口径が50㎜で、今まで使っていたホースが全く使えない。
結局、吸入用と放水用と、ホースを1万円もかけて買わなくてはならなくなった。
ポンプを買う時には、口径をよく考えねばならないことを知らなかったのである。
どれも、同じだと思っていたのだが、思い起こしてみれば、田んぼに使っているのと、畑に使っているのは違っていた。
近所の人が畑で使っているポンプは、口径は25㎜である。
購入したポンプは、普通は田んぼに水をはる時などに使うポンプだった。

このところ雨が降らなかったので、ポンプを使うことにした。
以前と違うのは、燃料は混合ガソリンではない。
付いていたオイルを入れ、タンク買いをしているガソリンも入れた。
そして、エンジンをかけると、音は小さいのにすごい出力である。
以前持っていたポンプとは比べものにならない。
放水するホースも圧力が強く、水を出したままでは動かせない。
あっという間に、畑の畝は水浸しになってしまった。
一回目の体験で、今回のポンプ選びは失敗したかなと思った。

日を改めて、二回目の灌水をしたが、隣の畑の人が見物に来た。
そして、その様子を見て、「これくらい無いと駄目やな」と言われた。
その人は退職していて、私のする畑の半分くらいを、じょうろや柄杓でせっせと毎日水やりをしていた。
私のように勤めながら畑をしている者にとっては、短時間で灌水できなければならない。
しかも、元々田んぼを畑にしていて、広さもそれなりにある。
乾燥が続いた時には、畑ごと水浸しにした方が、手っ取り早いことに気がついた。
問題は、放水用のホースが20mしかないので、畦の区切りで届かない所の灌水をどうするかである。
すごい吸入力なので、細い水路の水は直ぐに干上がってしまうので、水が貯められている所から給水せねばならない。
そして、以前のように持ち運びは簡単でなく、一輪車ではホースをつけたまま持ち運べない。
そういう課題を克服せねばならないが、このポンプの購入は失敗ではなかったことが分かった。
天気の長期予想では、この夏は雨が少ないという。
このポンプで何とか乗り切りたいと思う。










2019年5月18日土曜日

ハチク刈り2019

今年も、ハチクの季節がやってきた。
すでに、孟宗竹の筍は、道ばたの邪魔になる物などを、採ってきて食べた。
こちらは家内にアク取りからしてもらわないと、食べられない。
破竹の方は、私がシャトルシェフを使って茹でるところまでする。
アク取りをしなくて済むので、シャトルシェフで保温して一日放置すれば十分である。
そして、その茹で上がったハチクを、家内が出汁で味付けすれば済むことである。
シャトルシェフがなくても、茹でた後一日水にさらせば問題ないようだ。
竹林によって、ハチクの出る時期がずれるので、結構長期間とれる。
家内にとっても、野菜の一品として、ハチクを色々と使っている。
先日も、母親に手土産として、茹でたハチクを持って行ったら喜んでくれた。

これほど簡単なものなのに、近所の人は見向きもしない。
同じ上郡でも、山野里の方では、しっかりと食べていると聞いた。
こちらは、孟宗竹が結構多いので、その筍が人気あるからなのかも知れない。
因みに本場鹿児島では、孟宗竹の筍が一番人気が無いそうだ。
そして、イノシシはハチクの美味しさと栄養が分かっており、山際ではよく食べ散らかしている。
ただ、孟宗竹と違って集落の外れに植えてあるので、イノシシの害はあまりない。

以前、ハチクがたくさんとれた時は、色々と保存方法を考えた。
まず一つは、キムチの素に浸けて冷蔵庫に保存した。
これは、長期保存には耐えられないが、そこそこ長持ちして美味しかった。
そのほかに、酒粕付けなども試したが、あまりできは良くなかった。
そして、意外に美味かったのは、乾燥させてスルメのようにした物だ。
家には食物乾燥機があるので、それを使った低温で長時間乾燥させた。
乾燥させると味も濃くなり、ちょうどつまみに良かった。
このところ、採ってきたハチクを毎日食べて持て余しているので、今日は乾燥に回した。
たぶん、こういう食べ方は縄文時代から続いてきたのだろうと思う。
以前見た、山で暮らしている人の特集では、茹でた筍を細く切って吊して、天日干しをしていた。
乾燥させた筍は大切な保存食として、昔から利用されていたのだと思う。

竹は、以前書いたように筏のような乗り物にもなるし、食料にもなる。
そして、室井 綽氏の『ものと人間の文化史10・竹』法政大学出版局(1979)には、家や色んな道具に使われているのが分かる。
中でも、あるサンカの人々にとって、無くてはならないものだったようだ。
建材や道具の材料としては、利用されなくなっている。
考えてみれば、剣道の竹刀や茶筅等は例外的に残っている。
道具としては一部の人しか親しみが無くなってしまったのが竹である。
せめて、食料としてなら、多くの人に親しめるのが筍だと思う。
そういえば、放置竹林対策に国産メンマ作りの取り組みを始めたと聞いた。
私も、乾燥させたハチクで試してみようと思っている。




2019年5月14日火曜日

青葉の因幡路2019・青谷上寺地遺跡と「きなんせ岩美」

昼食をとった後、国道9号線を海岸に沿って、西に向かった。
その時、家内がスマホで調べて、鳥取の花が「らっきょうの花」だという話題になった。
確かに、野菜にはオクラのように綺麗な花を咲かせる物もある。
しかし、「らっきょうの花」は「ねぎぼうす」と変わらないのじゃないかと私は言った。
農家に気を遣ってこの花を指定したのかどうかは分からないが、観光に役立つとは思えなかった。
青谷上寺地遺跡に行くのに道を間違えて、青谷羽合道路に入ってしまった。
泊東郷ICで下りて、国道9号線を戻ることにした。

そして何とかたどり着いた青谷上寺地遺跡の展示館は、小さなショッピングモールの一角にあった。
中の展示はなかなか興味深い物だった。
100体もの弥生時代の遺骨と、その中の殺傷のあるもの多数。
保存状態の良い脳などが興味を引いた。
多くの遺物が当時の暮らしぶりを、表してくれていた。
ただ、これらは道路建設の際にたまたま出土したらしく、これからもっと他の地域でも丁寧に調べればもっとすごいものが出るような気がした。
こんど県立博物館で6/16~6/30まえで「おひろめ展」があるというので、また来ようと思う。
報告書はたくさん出ているが、簡単に手が出る値段ではなかった。

展示室を出て、海沿いに国道を戻っていくと、展望台に着いた。
そこで、車を停めて景色を眺めることにした。
この温泉浜村は、貝殻節の発祥の地だということで、展望台には句碑もあった。
貝殻節で思い出すのは、私が都立大学の大学院に在籍中にいた1年後輩で、鳥取出身の女子学生のことだ。
彼女は飲み会のたびに、貝殻節をリクエストされるので、唄と踊りをマスターしてきて披露してくれた。
貝殻節は、NHKの「夢千代日記」で登場して以来、全国的に有名になってしまった。
そして、どうしても鳥取日本海は、あのドラマのイメージが被さることになった。
今も人口が一番少ない県として、印象は明るくないが、道路が整備されて活気を取り戻せると思う。

帰りに海産物を買う場所として、海鮮市場の賀露にするか、道の駅「きなんせ岩美」にするか迷ったが、「きなんせ岩美」に行くことになった。
どちらも一度は行ったことがあるところだが、「きなんせ岩美」の方があまり観光化されてなくて良いと思った。
そこで鳥取市街地を通り過ぎて、岩美まで行った。
道の駅は多くの人で賑わっていた。
そこで干したカレイやエビを買った。
家内は隣のローソンでモナカアイスとお茶を買ってきて、出発前に食べた。
こういう物を食べるのは、ドライブに出たときぐらいである。

かつて、鳥取まで行くと言うことは、大旅行に思えた。
しかし、今では鳥取道を使えば片道一時間半で行くことが出来る。
これは猪名川町に蕎麦を食べに行くことより手軽なのである。
子供と一緒に鳥取砂丘に行った当時は、川沿いの長い道のりと山越えの道を長時間かけて往復した。
しかし、それはそれで記憶にしっかり残る楽しい思い出ともなっている。
子供との楽しい思い出を思い起こしながら、そして家内との新しい思い出を作りながらドライブをしている。
因みに、先日来ドライブレコーダーを利用することになった。
今回のように遠出した時は、その映像を移し替えて保存している。
ドライブが自分達では出来なくなった時に、ドライブの気分で見られればと思う。
とにかく、これから因幡路をもっと活用し、鳥取のために少しでも役に立てたらと思う。











2019年5月12日日曜日

青葉の因幡路2019・歴史博物館と白兎海岸

以前から鳥取に行きたかった。
それは青谷上寺地遺跡のことを、NHKのサイエンスゼロを見て、是非行ってみたいと思っていたからである。
冬場は雪が積もるので敬遠し、連休中も渋滞が予測されるので避けていた。
そこで連休の終わった後の日曜(5/12)に行くことを不意に思い立った。
家内とドライブするきっかけとして、見に行こうと思っただけなので、前もって調べることはなかった。
適当に歴史博物館でも行けば分かるだろうと思っていた。

佐用平福ICから乗った鳥取道は案の定、空いていた。
最初の目的地の鳥取市歴史博物館「やまびこ館」に行った。
青谷上寺地遺跡に関わる展示は残念ながらなかった。ただ、展示館の存在と行くルートが分かった。
奇しくも、今日の17時に鳥取西道が開通する。
朝の内に開通していてくれれば、簡単に行ける場所だった。

歴史博物館では、岡山池田家の分家筋の鳥取池田家のことが興味を引いた。
池田家は赤穂とも縁があり、姫路藩主池田輝政の子供の輝興が赤穂藩主になっている。
また閑谷学校を創始した池田輝政の孫の光政は、岡山藩主の前は鳥取藩主だった。
姫路、赤穂、岡山、鳥取や、今日通ってきた平福も池田家と関係があるところである。
国道29号線や鳥取道はある意味では、池田家の歴史をたどる道(因幡街道)とも言えることが分かった。

歴史博物館から青谷上寺地遺跡の展示館に向かった。
海岸線の国道9号を通って、道の駅「神話の里 白うさぎ」に立ち寄り、昼食にした。
二階の海に面したテーブルで、海を見ながらの贅沢な昼食になった。
おそらく、連休後の日曜だから空いていたので、普段の休日なら席の確保もままならなかっただろう。
日本海はいつ来ても、波が高い。
そして、何よりも島や対岸が見えない。
これは、瀬戸内海に育った自分には別世界に感じる。
しかし、朝鮮半島や大陸に通じる海なのである。

家内は、食事の支払いの時に、カーネーションを一輪もらって喜んでいた。
そういえば、今日は母の日であった。
私は、昨日母親に小松菜をいっぱい持って行った。
毎週土曜日に世話しに行くので、毎週(土曜が)母の日だと言い訳をしている。
しかし、心遣いという意味では、一輪の花の方が上だったのかも知れない。





2019年5月11日土曜日

竹筏SUP計画

室井 綽氏の『ものと人間の文化史10・竹』法政大学出版局(1979)を読んで、色々と竹に関して新しい発見をした。
そもそも、室井 綽氏は赤穂市出身で、上郡農学校出身である。
兵庫県の高校で教鞭を執られたし、姫路学院女子短大教授もなされたので兵庫県とは縁のある方だ。
そういう方を、この本を手にするまでは全く知らなかった。
小さい頃から竹とは関わりが多かったが、竹がいったいどんなものか考えてもみなかった。
そもそも、イネ科ということだが、草なのか木なのかという定義さえ決着していないそうだ。
実は、私がよく調査の関係で通った鹿児島県は、竹との関わりが深い地方である。
そういう縁もありながら、今まで調べてみようとも思っていなかった。

竹を調べてみようと思ったのは、竹の由来や利用法が、考古学の研究に役に立つのでは無いかと思ったからだ。
実は、私は小学生の時に、夏休みの工作として、竹を用いた筏と紙粘土の人形を組み合わせた作品を友達と作った。
竹を用いたのは、千種川の河原に生えていた真竹を自由にとれたからだ。
私の父親にも手伝ってもらって、長さ1m、幅50cm程の大作になった。
この夏休みの作品は、赤穂市の市民文化祭にも出展してもらい、教育委員会賞を頂いた。

最近、考古学の文献を読んでいて、人類が海を渡る道具として、竹の筏を用いたのではないかと考えられていることを知った。
縄文時代からの竹の利用は知られているが、旧石器時代はどうだったのか知りたいと思った。
今でも、竹の筏は牡蠣の養殖に使われたりする。
海水にも強いし、竹で作った綱もあることを、室井氏の本からも知った。
海部陽介氏も「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」で、竹も昨年台湾で試している。
ネットで調べてみれば、竹筏は日本に限らず海外でも、実用的にも娯楽的にも現代でも用いられている。
竹林が放置されて問題になっているので、その活用方法の一つとして竹筏が良いかもしれない。
SUPも竹筏を使えばもっと簡単になるだろうと思う。
竹筏SUPで「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」に対抗してみよう・・・


2019年5月6日月曜日

去り逝くプール仲間

半年ぶりにプールに泳ぎに行った。
去年の9月までスイミングスクールの指導員をしていて、嫌という程水に入っていた。
辞める前には体調を崩していたこともあって、しばらくはプールに行く気がしなかった。
しかし、一緒にマスターズで練習したり、大会に行ったNさんの死を町の広報で知って、プールに行きたいとずっと思っていた。
Nさんは最近までマスターズ大会で大活躍していたので、地元のプールに行けばそのことを知っている人に会えると思ったからだ。
プールに行くとちょうど、Nさんをよく知っている職員に会えた。
そして、Nさんが練習中に、クモ膜下出血でプールで亡くなったことを知った。
Nさんは元々上郡のマスターズチームのメンバーだったが、上郡のチームが無くなったので、近隣のプールのチームに変わっていた。

Nさんは高校生までは、陸上選手で水泳はできなかった。
60歳くらいで水泳を習い始めて、熱心に練習して、特に背泳が得意であった。
上郡のチームで一緒に練習していた頃は、若い人に混じって練習するのは大変そうだったが、休まず練習に来ていた。
娘さんが若くして突然亡くなった時、しばらくプールには顔を見せなかった。
そして、プールに戻ってきて、それまで以上に練習するようになった。
その時、Nさんは「辛い気持ちも、水泳で救われた」と言っていた。
去年も上郡のプールでも練習しに来ていたので話をしたが、色んな大会に出て充実した水泳人生を送っていると思っていた。
それが、77歳という、女性としてはまだ若い年齢で亡くなったのを知り、私は非常に困惑した。
健康のために泳いでいるはずの人が、ひょっとして水泳以外の事故で亡くなったのでは無いかと思った。
しかし、今回、水泳が関係していることを知って、大会での活躍が負担になってしまったのではないかと思った。

他にも、Nさんよりも10歳ほど若い仲間の死も知った。
一人は、学生時代全国大会にも出場していたスイマーで、上郡のスイミングの所長をしていたIさん。
彼のおかげで、マスターズチームが活動できた。
以前から糖尿病を患っていることは知っていた。
もう一人も60歳半ばの男性で、オープンウォーターの大会に出ていたFさん。
大会に一緒に出たことは無かったが、プールで一緒に練習したり、話をよくした人だった。
Fさんから膵臓癌のことは聞いていたが、なんとか手術で助かって欲しいと思っていた。
Fさんは、地元の自治会などで忙しく活動しておられた。
練習も誰よりも熱心だった。

私にとってプール仲間は、仕事と関係なく、気楽に関われる人だった。
会員になる資格はプールの年間会員であることくらいで、特別な指導料は無かった。
正式な練習は、土曜日の6時からだったが、仲間はそれ以外にも一緒に練習した。
地元の上郡だけでなく、近隣に働いている人や住んでいる人、コーチの指導を受けたくて姫路から来ている人もいた。
練習の折りにも、プールサイドで休憩中に水泳に関係ない話もよくした。
また、大会に一緒に行って、その帰りには祝勝会で楽しんだ。
また、仲間の別荘にみんなで寄り合って、一晩過ごしたこともある。
忘年会や、コーチの送別会などが開かれたりして、関係が深かった。
私にとっては水泳部顧問とは全く違う、まさしく心を救ってくれる場であった。

今日も泳いだ後の帰りがけに、いつものプール仲間に久しぶりに会った。
元スキーの国体選手であり画家のTさんは、いつもがむしゃらな練習をする人だ。
Tさんは、今回の仲間の死に関して、プールで死ねたら本望だと言う。
そばにいる人にとっては、確かに迷惑なことかも知れない。
ただ、彼がそういう理由もよく分かっている。
年老いた母と二人暮らしの今のTさんにとって、水泳練習が心を支えてくれている。
私も、いつも水泳は”swim to remember,swim to forget"なのである。
泳いでいない時というのは、たいてい自分を失っている時だと気づいている。
亡くなった仲間をたまには思い出しながら、これからも泳ぎ続けようと思う。





2019年5月5日日曜日

久しぶりのSUP

今日(5/4)は、一人赤穂に行って、実家の母の様子を見た後で、SUPに行く予定にしていた。
軽トラにはSUPの道具、パラソル、水タンクと草刈り機、収穫用のコンテナを積んで出かけた。
まず畑へ行きタマネギを少し採って、その幾つかを実家への手土産にする。
実家の庭が草だらけになっていたので、刈るだけの予定で行ったのだが、結局庭木の手入れもせねばならなくなった。
母としばらく話してから、いつもSUPの練習をしている鷏和の恋ヶ浜(綱崎)に向かった。

海岸ではいつものように、若い人たちがジェットスキーをして楽しんでいる。
実は去年はSUPを一度もすることが無かった。
新しい仕事に慣れるのに必死で、SUPをする余裕などなかった。
しまい込んでいた道具を出すと、2年前に片付け忘れていた物が色々と出てきた。
ただ、ウェットスーツだけは、去年は仕事でカヌーをするのに使っていて、ちゃんとしまってあった。

海に入ると思った以上に海水は冷たい。
波や風も少々あり、正座と膝立ちでこぎ始めた。
私はまだ、立って漕ぐことはまともに出来ない。
久しぶりにも関わらず、体がバランスを覚えてくれていて、座った状態なら上手く漕ぎ出すことが出来た。
沖の方を眺めると、ゴムボートらしき物に乗った人たちが見えた。
まだ、SUPには自信が無いので、遠くまでは行けないのだが、ボートが沖にいるのを見ると安心して漕ぎ出せた。
ジェットスキーは、自分には別世界の人たちというイメージがあるが、ゴムボートなどには親しみを感じる。
ただ、岸に戻ってきたのを見ると、船外機がつけてあったので、仲間という意識は失せてしまった。

相変わらず、ジェットスキーは爆音を響かせて、沖合を駆け抜けている。
一人寂しくSUPというのも心細いし、少々うるさいが見るのはそれなりに面白い。
彼らの目には自分はどう映るんだろうかといつも思う。
そもそも座ったままでしか漕げないので、様にはなっていないのが悔しい。
ただ、波に揺られながら、のんびりボードの上で横になったりして楽しんでもいる。
ジェットスキーヤーには子連れの人もいて、前に乗せて楽しませてあげている。
私は子供はのんびりしたSUPも喜ぶと思ったりもする。

今回は、膝立ちをして漕ぐ練習を多くした。
あぐらをかいて漕ぐのは楽なのであるが、お尻が水をかぶって冷えるので、今日は長くは出来ない。
こういう季節で長い時間漕ぐには、膝立ちや立つ方が良い。
その立つことにつなげるためには、膝立ちでバランスを取る練習なのだ。
少し波があるので、膝立ちでもそこそこ難しい。

海に出ては浜に戻って休憩の繰り返しだが、今回は弁当持参である。
途中のコンビニでノンアルコールビールと弁当、唐揚げを買ってきていた。
海を眺めながらの食事は最高である。
以前ALTのメグさんと、ここにSUPをしに来たときには、おにぎりとバナナだけだったが、それでも美味かった。

午後からは、サーフィンと同じように、パドリングの練習もしたりした。
私は水泳の経験があるので、下手をするとパドルを使うより速いときもある。
ただ、ローリングが出来ないので、肩に負担がかかって少々痛い。

休憩で浜に戻ると、ボードがベッド代わりになる。
持ってきたパラソルを立てて、顔は陰にして、体は陽で温める。
ゆっくりとした時間が流れていった。
若い時なら、ひとりぼっちで海辺で寝そべっていたら孤独を感じただろう。
そばに彼女でもいて欲しいと切に思っただろう。
60を過ぎた爺さんは、そういうロマンに焦がれる力も削がれている。
その代わり、子供の頃のように、海の魚が泳いだり跳ねるのや、白鷺が餌を採っているのを見ていても楽しい。
確かに気の合った仲間と楽しめたらと思うが、一人気ままに過ごすのも悪くない。
この3月まで職場で一緒だった一つ歳上の方は、シーカヤック好きで一人で色々と出かけると言っていた。
「一人で海に漕ぎ出すのは不安では無いのですか」と尋ねたら、「一人の方が気楽で良い」と言われた。
今年から完全退職なので、きっとカヤックを思い切り楽しんでいるだろう。
私もそろそろ、恋ヶ浜以外でもやろうとは思っている。
ただ、この生まれ故郷にある恋ヶ浜は母港であり、一番落ち着ける場所である。