今回のコロナウィルス蔓延騒動で、身近でも様々な影響が出た。
まず、職場が学校なので、休校となり色々と行事が取りやめになった。
卒業式は済んでいたのが、不幸中の幸いだった。
家内は学童の仕事をしているので、逆に勤務時間が早く、長くなってしまった。
私は何とか年休を用いて、その生活時間に折り合いをつけている。
私ごととして一番の影響は、3月21日行う、父の13回忌の法事である。
東京圏にいる弟たちが、来られないと言い始め、名古屋の弟は来られるとしても日帰りで来るということになった。
母が生きている間に、みんなが集まれる最後の機会になるかも知れないと言うことで、皆泊まりがけで行う予定だった。
法事はこぢんまり行い、騒ぎが収まったら、改めて集まろうということになっている。
ただ、法事という名目があってこそ、職場などに説明がつくが、そうでないと難しいだろうと思う。
そして、長い間会っていない、南山大学時代の仲間に会う予定だった、坂井信三先生の退職記念講演会も中止になった。
先生に会える機会も、これでおしまいになるかも知れない。
仲間に会うことを楽しみにしていた機会も失ってしまった。
坂井先生とはひょっとしたら学会で会えるかも知れないが、その学会も今年はどうなることやら。
そこで、今考えているのは、何とか今の研究作品を本にして、出版記念会を開き恩師や仲間に買ってもらい、それを元に飲もうということだ。
これなら、名古屋と東京でできるかもしれない。
災いを転じて、福にする一つの発想だと思う。
これでまた一つ出版へのモチベーションが上がった。
播磨の西外れにある私の生まれ育った赤穂や、今暮らしている上郡に関すること、農作業,山野河海の恵み、趣味の水泳、音楽、専門である有機農業や、教育、文化人類学、民俗学に関することなどを、きままに記してみます。
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2020年3月6日金曜日
2020年3月3日火曜日
御津綾部山の梅2020年
先週(2/24」)は、鳥取までカニを食べに行ったが、回転寿司ではあまりの多さにためらって、結局、マリンピア賀露でカニ丼を食べて終わった。
むしろ、その後に寄ってみた、道の駅「きなんせ岩美」の方で安いカニを買ってきて家で食べた方が美味しかった。
賀露の方ではカニが立派な分値段も高い、岩美の方は小ぶりだが半値ほどで手頃であった。
その後、海岸沿いに豊岡経由で戻ったが、中学生の頃に臨海学校で行った諸寄に立ち寄り懐かしかった。
昨日(3/2)は、先週姫路マラソンの影響で休業していた書写の旬彩蔵に行った。
このあたりで一番大きいと聞いていたので、一度行こうと思っていた。
店内の広さは福崎ほどでは無かったが、品揃えが良かった。
そこから、太子の電気屋に寄ってから、綾部山に向かった。
途中、道路標識通りに行くと、室津の方にまで行ってしまい、引き返すことになった。
どうやら、道路標識は昔のままにしてあるらしい。
いつもと違うルートで来たので間違ってしまった。
綾部山はほぼ毎年来ているのだが、日曜日に来るのは初めてのように思う。
人出が多いというので、休日はなるべく避けていた。
時間をわざと15:30という、遅い時間にしたので駐車場にも楽に入れた。
一緒に来た家内が話していたが、子どもが小学生の頃は、この日はちょうど開校記念日で休みだった。
子どもを連れて千種スキー場に行って、スノーボートで遊んだりした。
梅を見に来たこともあるが、非常に寒かったのを覚えている。
今年は暖冬で、薄着をしてのぞんだ。
案の定、梅の花は盛りを過ぎて、全体的に色も薄くなっている。
それでも例年来る時は、まだ梅の花がそれほど咲いていない早い時期が多いので、山全体が色づいているのを久しぶりに眺めた。
また、眼下の田んぼには黄色い菜の花が色を添えてくれていた。
実は、昨日の朝には山頂集落の小野豆の上の平家塚まで登って、海を眺めていた。
このところ、毎週日曜日はクロと家から歩いて登ることにしていた。
その平家塚から眺めた海が、今は眼下に広がっていた。
綾部山の魅力は、家島群島の見える海の景色だ。
それを眺めながら、ベンチに座って家内と甘酒を頂いた。
その後、展望台まで登り、雄大な景色も堪能した。
薄着をしていても、汗が出てくる気候だったが、気持ちの良い花見になった。
むしろ、その後に寄ってみた、道の駅「きなんせ岩美」の方で安いカニを買ってきて家で食べた方が美味しかった。
賀露の方ではカニが立派な分値段も高い、岩美の方は小ぶりだが半値ほどで手頃であった。
その後、海岸沿いに豊岡経由で戻ったが、中学生の頃に臨海学校で行った諸寄に立ち寄り懐かしかった。
昨日(3/2)は、先週姫路マラソンの影響で休業していた書写の旬彩蔵に行った。
このあたりで一番大きいと聞いていたので、一度行こうと思っていた。
店内の広さは福崎ほどでは無かったが、品揃えが良かった。
そこから、太子の電気屋に寄ってから、綾部山に向かった。
途中、道路標識通りに行くと、室津の方にまで行ってしまい、引き返すことになった。
どうやら、道路標識は昔のままにしてあるらしい。
いつもと違うルートで来たので間違ってしまった。
綾部山はほぼ毎年来ているのだが、日曜日に来るのは初めてのように思う。
人出が多いというので、休日はなるべく避けていた。
時間をわざと15:30という、遅い時間にしたので駐車場にも楽に入れた。
一緒に来た家内が話していたが、子どもが小学生の頃は、この日はちょうど開校記念日で休みだった。
子どもを連れて千種スキー場に行って、スノーボートで遊んだりした。
梅を見に来たこともあるが、非常に寒かったのを覚えている。
今年は暖冬で、薄着をしてのぞんだ。
案の定、梅の花は盛りを過ぎて、全体的に色も薄くなっている。
それでも例年来る時は、まだ梅の花がそれほど咲いていない早い時期が多いので、山全体が色づいているのを久しぶりに眺めた。
また、眼下の田んぼには黄色い菜の花が色を添えてくれていた。
実は、昨日の朝には山頂集落の小野豆の上の平家塚まで登って、海を眺めていた。
このところ、毎週日曜日はクロと家から歩いて登ることにしていた。
その平家塚から眺めた海が、今は眼下に広がっていた。
綾部山の魅力は、家島群島の見える海の景色だ。
それを眺めながら、ベンチに座って家内と甘酒を頂いた。
その後、展望台まで登り、雄大な景色も堪能した。
薄着をしていても、汗が出てくる気候だったが、気持ちの良い花見になった。
2020年2月14日金曜日
ゴッホ展in神戸
2月9日(日)、以前から家内も行きたがっていたし、自分も興味のあったゴッホ展に出かけた。
コロナウィルスが流行っているから、そんなに混雑していないのではないかと甘い考えでいた。
朝の10時過ぎにでかけて、着いたのは12時頃だった。
ところが、兵庫県立美術館は当然駐車場は満杯だし、近くの駐車場も満車だった。
そこで、海岸端の公園の横の道路に、多くの車が駐車してあったので、ひとまず駐めて会場をのぞいた。
ちょうど、観光バスで団体客も押しかけていて、相当入るのに時間がかかるのではないかと,車に戻り駐車場を探した。
少し離れた所に青空の駐車場が有り、まずはそこに駐めて昼食をとることにした。
近くのショッピングモールに入り、美味しそうな店を探した結果、海鮮丼を食べさせてくるところにした。
名前を書いて、しばらくあたりで時間を潰して、15分くらいで入れた。
子ども連れのお客さんが多くて、食べるのに時間がかかって回転が悪かった。
ここはうどんなども食べさせてくれて、幼い子どもを連れてくれるにはちょうど良いのだろう。
私は味噌汁付きの海鮮丼、家内は柚子胡椒うどん付きの海鮮丼を頼んだ。
柚子胡椒うどんは、二人で分け合って食べたが、とても美味しかった。
海鮮丼は華やかでつい注文してしまうが、そんなに満足させてくれるものではなかった。
支払う時に分かったのだが、美術館に行った後で入場券を見せると割り引いてくれたらしい。
今回は、時間的に無理だった。
ゴッホ展はチケットを買う時から非常に並ばされ、入場するにも長くかかった。
ただ、外の港の景色が見えるので、耐えがたいものではなかった。
都会の人は並ぶのは当たり前のようだが、自分たちのように田舎者が並ぶのは本当に苦痛である。
入場した後も、絵を見るのに観客は列をなしていた。
私はかぶりつきで見るつもりは無いので、列から離れて少し離れてみた。
展示の目玉の「自画像」や「糸杉」は特別な扱いだった。
確かに本物は写真や映像で見るのとは違って、存在感がある。
ただ、以前から見慣れているせいか、迫ってくるものはあまりなかった。
その日は常設展が無料だったので、小磯良平の絵画も鑑賞した。
むしろ、そちらの絵に心を奪われた。
このところ、また絵を描いてみたいなと思っていたので、非常に興味が持てた。
美術館の特別な空間の中で、普段の生活とは異次元の世界にしばらくは浸ることができた。
ドライブで景色を眺めるのとは違う、人の息づかいを感じさせるものだった。
混雑して多くの時間を並ぶのに費やされたが、これも田舎者には特別な体験でもある。
かつて私は水泳の大会や学校の出張などの用事で来る事が多かった。
最近は、家内と博物館や美術館に出かけることも多くなった。
予備校時代に数ヶ月だけ住んで、その後通っていた神戸は、これからももっと訪れたい町である。
コロナウィルスが流行っているから、そんなに混雑していないのではないかと甘い考えでいた。
朝の10時過ぎにでかけて、着いたのは12時頃だった。
ところが、兵庫県立美術館は当然駐車場は満杯だし、近くの駐車場も満車だった。
そこで、海岸端の公園の横の道路に、多くの車が駐車してあったので、ひとまず駐めて会場をのぞいた。
ちょうど、観光バスで団体客も押しかけていて、相当入るのに時間がかかるのではないかと,車に戻り駐車場を探した。
少し離れた所に青空の駐車場が有り、まずはそこに駐めて昼食をとることにした。
近くのショッピングモールに入り、美味しそうな店を探した結果、海鮮丼を食べさせてくるところにした。
名前を書いて、しばらくあたりで時間を潰して、15分くらいで入れた。
子ども連れのお客さんが多くて、食べるのに時間がかかって回転が悪かった。
ここはうどんなども食べさせてくれて、幼い子どもを連れてくれるにはちょうど良いのだろう。
私は味噌汁付きの海鮮丼、家内は柚子胡椒うどん付きの海鮮丼を頼んだ。
柚子胡椒うどんは、二人で分け合って食べたが、とても美味しかった。
海鮮丼は華やかでつい注文してしまうが、そんなに満足させてくれるものではなかった。
支払う時に分かったのだが、美術館に行った後で入場券を見せると割り引いてくれたらしい。
今回は、時間的に無理だった。
ゴッホ展はチケットを買う時から非常に並ばされ、入場するにも長くかかった。
ただ、外の港の景色が見えるので、耐えがたいものではなかった。
都会の人は並ぶのは当たり前のようだが、自分たちのように田舎者が並ぶのは本当に苦痛である。
入場した後も、絵を見るのに観客は列をなしていた。
私はかぶりつきで見るつもりは無いので、列から離れて少し離れてみた。
展示の目玉の「自画像」や「糸杉」は特別な扱いだった。
確かに本物は写真や映像で見るのとは違って、存在感がある。
ただ、以前から見慣れているせいか、迫ってくるものはあまりなかった。
その日は常設展が無料だったので、小磯良平の絵画も鑑賞した。
むしろ、そちらの絵に心を奪われた。
このところ、また絵を描いてみたいなと思っていたので、非常に興味が持てた。
美術館の特別な空間の中で、普段の生活とは異次元の世界にしばらくは浸ることができた。
ドライブで景色を眺めるのとは違う、人の息づかいを感じさせるものだった。
混雑して多くの時間を並ぶのに費やされたが、これも田舎者には特別な体験でもある。
かつて私は水泳の大会や学校の出張などの用事で来る事が多かった。
最近は、家内と博物館や美術館に出かけることも多くなった。
予備校時代に数ヶ月だけ住んで、その後通っていた神戸は、これからももっと訪れたい町である。
2020年2月7日金曜日
人生は創るもの
今の職場では、当番でホワイトボードにメッセージを書くのだが、それがいつも悩みの種になっている。
ありきたりだと、誰も見向きもしてくれないし、人の心を捉える言葉など考えつかない。
そこで、前回からネットで名言集から引用させてもらっている。
やはり、立派な先人の言葉にはその人の重みが感じられるからだ。
例えば、松下幸之助氏の
「こけたら 起きなはれ」には、説得力を感じさせられた。
普通に親が子どもにいう言葉なのだが、大会社の設立者となるの説得力は桁違いである。
今回はバーナードショーの
「人生は自分を見つけることではない。自分を創ることだ」
という言葉を引用させてもらった。
よく以前は「自分探し」とか言う言葉がはやった。
どこかに自分らしい仕事や生き方があるかのごとく、それを見つける旅や行動を起こす。
しかし、そんなものがあるわけではなく、見つかる筈もない。
それは教育現場で「自己実現」という言葉が流行ってきたのと同じである。
まさしく「自己」があたかも確立されているかのごとくの前提である。
何歳になっても自己など確立して完成するはずもないように、自分は考えている。
事実、この歳になって、学生時代にやり残した事を未だに引きずって生きている。
この歳になっても、新しい自分を創り出そうともがいてさえいるのだ。
今朝の新聞で孤独死のことが書かれてあった。
特に男性は仕事を失って社会との関わりを無くしてしまう。
仕事以外に自分を生かせていく場をつくる努力と機会が無かったからだろう。
そして仕事は何も雇用されて賃労働するだけではないはずだ。
この春に退職して、常勤に終止符をひとまずうつ自分としても、考えさせられる。
私はこれからの人生を創らねばならない。
ありきたりだと、誰も見向きもしてくれないし、人の心を捉える言葉など考えつかない。
そこで、前回からネットで名言集から引用させてもらっている。
やはり、立派な先人の言葉にはその人の重みが感じられるからだ。
例えば、松下幸之助氏の
「こけたら 起きなはれ」には、説得力を感じさせられた。
普通に親が子どもにいう言葉なのだが、大会社の設立者となるの説得力は桁違いである。
今回はバーナードショーの
「人生は自分を見つけることではない。自分を創ることだ」
という言葉を引用させてもらった。
よく以前は「自分探し」とか言う言葉がはやった。
どこかに自分らしい仕事や生き方があるかのごとく、それを見つける旅や行動を起こす。
しかし、そんなものがあるわけではなく、見つかる筈もない。
それは教育現場で「自己実現」という言葉が流行ってきたのと同じである。
まさしく「自己」があたかも確立されているかのごとくの前提である。
何歳になっても自己など確立して完成するはずもないように、自分は考えている。
事実、この歳になって、学生時代にやり残した事を未だに引きずって生きている。
この歳になっても、新しい自分を創り出そうともがいてさえいるのだ。
今朝の新聞で孤独死のことが書かれてあった。
特に男性は仕事を失って社会との関わりを無くしてしまう。
仕事以外に自分を生かせていく場をつくる努力と機会が無かったからだろう。
そして仕事は何も雇用されて賃労働するだけではないはずだ。
この春に退職して、常勤に終止符をひとまずうつ自分としても、考えさせられる。
私はこれからの人生を創らねばならない。
2020年2月1日土曜日
風邪の功名
久しぶりに風邪で仕事を休んだ。
前日、風邪ぎみのところ、夕方6時頃から一時間ほど、じっと駐車場係の立ち番をしていた。
ベンチコートを着て備えたつもりだったが、こういう時にはくアウターパンツをはいていなかった。
すでに、室内に戻った頃は熱が出て寒気がしていた。
帰宅する時、「明日は休むかも知れない」と言って職場を出た。
翌朝、回復せず熱を測ってみると37.5℃で、仕事を休んで医者に診てもらうことにした。
少し離れた医院に行くと、熱も38℃に上がっており、別室で待機させられた。
そこで、一時間以上横になって、診てもらうのを待った。
呼ばれてインフルエンザの検査をして、しばらく後結果を聞いた。
インフルエンザではなく、風邪であろうということだった。
薬をいっぱい出してもらい、隣の薬局で受け取って帰った。
午後からは、ベッドに横たわりながら、うとうととした。
不思議なもので、妙に気分が落ち着いて普段のように焦りが無い。
普段の休日や、休みを取った時は何かしなければと思うので、意外に落ち着かない。
寝ているしか無いと思うと、何年も忘れていた安らぎを感じた。
そして、まぶたに浮かんだのは、東京の西落合で過ごしたアパートの窓の景色だった。
西武新宿線の新井薬師駅の近くで、路地を入った安アパートだった。
2DKだけど、風呂は付いていなかった。
南の窓には手すりが着いてあって、そこに余ったご飯を干したりしていた。
すると、毎日のようにキジバトがやってきて、それをついばんだ。
近くには哲学堂があったので、そこに棲んでいたのかも知れない。
一度、餌をひっくり返して、慌てふためいて飛んで逃げた事があったので、ドテバトと名付けていた。
そのいつもドテバトがやってきていた、窓の風景が不思議にも思い出された。
私は学生時代、大学で2、大学院で3、の計5カ所のアパートを経験している。
それなりに窓際の風景があったのに、なぜこの時思い浮かんだのが西落合のアパートなのか分からない。
ただ、東京圏に3年暮らして、一番落ち着けていたのがこのアパートだったように思う。
家賃が安かった上、買い物するにも食事をするにも便利だったし、風呂屋も近くにあった。
何よりも、哲学堂がそばにあって、毎日のように散歩に出かけた。
鉄道のアクセスも良かったので、家庭教師のバイトにはとても便利だった。
大学時代の友達も遊びに来て、泊めてあげることができた。
一度などは、失恋した親友が夏休みにやってきて、二人で3日ほど飲み明かしたこともあった。
風邪で床について、長い間忘れていた安らぎと記憶を思い出せた。
おそらく毎日元気ではつらつと生活していたら、思い出すことはなかっただろう。
入院して病室で長く過ごすことも何度かあったが、病室は全て相部屋だったし、ゆっくりと落ち着けるものでもなかった。
それほど酷くも無い風邪の症状で、ゆっくりすることが心地よいという良い体験が出来た。
ただし、翌日からの仕事は、まだ症状の残る中、大変辛いものだった。
それでも、安らかに過ごす事の大切さを教えてくれたのは風邪だったように思う。
自分は知らず知らずにあくせく暮らす生活しか、出来ないようになっていたからだろう。
前日、風邪ぎみのところ、夕方6時頃から一時間ほど、じっと駐車場係の立ち番をしていた。
ベンチコートを着て備えたつもりだったが、こういう時にはくアウターパンツをはいていなかった。
すでに、室内に戻った頃は熱が出て寒気がしていた。
帰宅する時、「明日は休むかも知れない」と言って職場を出た。
翌朝、回復せず熱を測ってみると37.5℃で、仕事を休んで医者に診てもらうことにした。
少し離れた医院に行くと、熱も38℃に上がっており、別室で待機させられた。
そこで、一時間以上横になって、診てもらうのを待った。
呼ばれてインフルエンザの検査をして、しばらく後結果を聞いた。
インフルエンザではなく、風邪であろうということだった。
薬をいっぱい出してもらい、隣の薬局で受け取って帰った。
午後からは、ベッドに横たわりながら、うとうととした。
不思議なもので、妙に気分が落ち着いて普段のように焦りが無い。
普段の休日や、休みを取った時は何かしなければと思うので、意外に落ち着かない。
寝ているしか無いと思うと、何年も忘れていた安らぎを感じた。
そして、まぶたに浮かんだのは、東京の西落合で過ごしたアパートの窓の景色だった。
西武新宿線の新井薬師駅の近くで、路地を入った安アパートだった。
2DKだけど、風呂は付いていなかった。
南の窓には手すりが着いてあって、そこに余ったご飯を干したりしていた。
すると、毎日のようにキジバトがやってきて、それをついばんだ。
近くには哲学堂があったので、そこに棲んでいたのかも知れない。
一度、餌をひっくり返して、慌てふためいて飛んで逃げた事があったので、ドテバトと名付けていた。
そのいつもドテバトがやってきていた、窓の風景が不思議にも思い出された。
私は学生時代、大学で2、大学院で3、の計5カ所のアパートを経験している。
それなりに窓際の風景があったのに、なぜこの時思い浮かんだのが西落合のアパートなのか分からない。
ただ、東京圏に3年暮らして、一番落ち着けていたのがこのアパートだったように思う。
家賃が安かった上、買い物するにも食事をするにも便利だったし、風呂屋も近くにあった。
何よりも、哲学堂がそばにあって、毎日のように散歩に出かけた。
鉄道のアクセスも良かったので、家庭教師のバイトにはとても便利だった。
大学時代の友達も遊びに来て、泊めてあげることができた。
一度などは、失恋した親友が夏休みにやってきて、二人で3日ほど飲み明かしたこともあった。
風邪で床について、長い間忘れていた安らぎと記憶を思い出せた。
おそらく毎日元気ではつらつと生活していたら、思い出すことはなかっただろう。
入院して病室で長く過ごすことも何度かあったが、病室は全て相部屋だったし、ゆっくりと落ち着けるものでもなかった。
それほど酷くも無い風邪の症状で、ゆっくりすることが心地よいという良い体験が出来た。
ただし、翌日からの仕事は、まだ症状の残る中、大変辛いものだった。
それでも、安らかに過ごす事の大切さを教えてくれたのは風邪だったように思う。
自分は知らず知らずにあくせく暮らす生活しか、出来ないようになっていたからだろう。
2020年1月29日水曜日
一願成就の鹿島神社参り
早期退職してから、吉備の神社や最上稲荷、播磨の伊和神社には何度か足を運んだ。
次の良い仕事が見つかるようにということと、研究作品の完成祈願である。
ところが、ふと同僚と話をしていた時に、鹿島神社の話題が出た。
そういえば、近くにありながら、私は一度も鹿島神社に参っていない。
昔から受験の神様として人気で、参拝者が多いと聞いていた。
家内も高校受験の時に父親と一緒に参拝したそうである。
その時の人の多さだけを聞いていたので、あえて参ろうとは思っていなかった。
しかし、これだけ神社にお参りに行っていて、一願成就で名高い鹿島神社に行かない手は無いと思った。
吉備の最上稲荷をイメージしていったのだが、確かに大鳥居は共通するものがあったが、雰囲気は全然違う。
駐車場も無料で、楽に駐車することが出来た。
受験シーズンなので混雑を心配したが、参拝者の数も思ったより多くなかった。
周りの山は岩場がむき出しが多くて、遠くからでも山に登る人が見える。
参拝目的と登山目的を兼ねている人もいるようだ。
参道には屋台の店も出ていたが、落ち着いた雰囲気だった。
最上稲荷が近代的な神社に変身していたのに対し、昔ながらの趣を維持していた。
そして、受験生らしき若者や、子連れの家族が多く参拝している。
最近はパワースポットとして、若者にも神社仏閣が人気あるのだが、神社仏閣がもつ独特の雰囲気を言うのだと思う。
聖なる空間というような言葉で表したりもするが、日々の暮らしの中では容易に得られない場だと思う。
切実な祈りや願いは、日々の暮らしから切り離された場で、特別に行いたい。
そして、神社仏閣はその雰囲気を強く醸し出してくれる場なのだと思った。
当然、受験や事業などの取り組みには不断の努力が一番欠かせない。
しかし、その努力は必ずしも報われるものでは無いから、精神的に支えてくれる何かが必要だ。
だから、立場上不安定になった私とそれを支えてくれている家内が、参拝を繰り返しているのだと思う。
そういえば、私の祖母は父方も母方も信仰が篤かった。
若い頃はなぜそこまで熱心なのか分からなかった。
母方は戦争未亡人、父方は息子を戦争で亡くしていた。
肉親の戦死というやり場の無い気持ちが一生ついて回ったのだろうと思う。
弱い立場になって、自分もそういうことが分かるようになった。
次の良い仕事が見つかるようにということと、研究作品の完成祈願である。
ところが、ふと同僚と話をしていた時に、鹿島神社の話題が出た。
そういえば、近くにありながら、私は一度も鹿島神社に参っていない。
昔から受験の神様として人気で、参拝者が多いと聞いていた。
家内も高校受験の時に父親と一緒に参拝したそうである。
その時の人の多さだけを聞いていたので、あえて参ろうとは思っていなかった。
しかし、これだけ神社にお参りに行っていて、一願成就で名高い鹿島神社に行かない手は無いと思った。
吉備の最上稲荷をイメージしていったのだが、確かに大鳥居は共通するものがあったが、雰囲気は全然違う。
駐車場も無料で、楽に駐車することが出来た。
受験シーズンなので混雑を心配したが、参拝者の数も思ったより多くなかった。
周りの山は岩場がむき出しが多くて、遠くからでも山に登る人が見える。
参拝目的と登山目的を兼ねている人もいるようだ。
参道には屋台の店も出ていたが、落ち着いた雰囲気だった。
最上稲荷が近代的な神社に変身していたのに対し、昔ながらの趣を維持していた。
そして、受験生らしき若者や、子連れの家族が多く参拝している。
最近はパワースポットとして、若者にも神社仏閣が人気あるのだが、神社仏閣がもつ独特の雰囲気を言うのだと思う。
聖なる空間というような言葉で表したりもするが、日々の暮らしの中では容易に得られない場だと思う。
切実な祈りや願いは、日々の暮らしから切り離された場で、特別に行いたい。
そして、神社仏閣はその雰囲気を強く醸し出してくれる場なのだと思った。
当然、受験や事業などの取り組みには不断の努力が一番欠かせない。
しかし、その努力は必ずしも報われるものでは無いから、精神的に支えてくれる何かが必要だ。
だから、立場上不安定になった私とそれを支えてくれている家内が、参拝を繰り返しているのだと思う。
そういえば、私の祖母は父方も母方も信仰が篤かった。
若い頃はなぜそこまで熱心なのか分からなかった。
母方は戦争未亡人、父方は息子を戦争で亡くしていた。
肉親の戦死というやり場の無い気持ちが一生ついて回ったのだろうと思う。
弱い立場になって、自分もそういうことが分かるようになった。
2020年1月26日日曜日
雪の無い千種の山
25日の土曜日に千種に水を汲みに行った。
この暖冬だから、雪は無いだろうとふんだのだ。
ここ数日暖かい日が続いたので、路面の心配も要らないと思った。
何年も千種に水を汲みに行っているが、1月に汲みに行くのは初めてである。
冬場に貯めておいた水が無くなると、水道水を汲み置きしたり、龍野の山で汲んだこともあった。
以前は、スキーシーズンにはスキーの板を積んだ車によくであったが、今回は全く出会わない。
川の水も少なく、河川工事でもしているせいか、濁っている。
千種の町に近づいて、山を眺めても、全く雪の気配さえ無い。
以前は道路端に残雪が残っていたり、溝の目印の赤白の棒が立っていたが、それさえない。
水汲み場も、誰一人やってくる人も無く、暖冬と言いながら、やはり風は冷たく、家内は足を踏みならしながら、100円玉を投入していた。
なんと言っても、上郡よりは3℃以上気温は低いので、じっとホースで水を入れる作業は手がかじかんで寒い。
そういえば、以前勤めていた特別支援学校(当時は養護学校)では、千種に雪遊びに出かけていた。
ある年は雪が無くて、担当者が自分の責任のように、職員に侘びていたのを思い出す。
かれこれ、30年ほど前のことだから、30年前も暖冬に悩まされていたのだと思う。
当時は、まだ地球の温暖化がそんなに問題となっていなかった頃である。
聞くところによると、その特別支援学校は雪遊びはもうやっていないという。
経費節減のために、行事を減らしたのだという。
滅多に行けない雪山で児童生徒が楽しんでいた様子を憶えているだけに、少し残念だとも思える。
ただ、雪遊びは教師も相当体力を使うので、今やれと言われれば、それなりに覚悟はいると思う。
その点では、普通校のスキー中心の修学旅行は楽だった。
私は自分の子どもと雪遊びをしに千種に来たくらいで、プライベートではあまりスキーの経験はない。
冬場に楽しめるものは限られているので、また盛んになれば良いと思う。
行く道すがら、ある小学校がこの3月で閉校になるという案内板を見かけた。
雪が無いことは、千種の経済の打撃にもなるだろう。
千種のJAのスーパーマーケットも、大分前から閉じられたままだ。
どんどん、寂れていく様子を見ているのは忍びない。
ただ、私はそんなに遠くない未来に深刻な食糧不足が訪れると思っている。
きっと、その時に我々の地方が見直されると信じている。
それまで、どう持ちこたえるかが課題だけれど・・・
この暖冬だから、雪は無いだろうとふんだのだ。
ここ数日暖かい日が続いたので、路面の心配も要らないと思った。
何年も千種に水を汲みに行っているが、1月に汲みに行くのは初めてである。
冬場に貯めておいた水が無くなると、水道水を汲み置きしたり、龍野の山で汲んだこともあった。
以前は、スキーシーズンにはスキーの板を積んだ車によくであったが、今回は全く出会わない。
川の水も少なく、河川工事でもしているせいか、濁っている。
千種の町に近づいて、山を眺めても、全く雪の気配さえ無い。
以前は道路端に残雪が残っていたり、溝の目印の赤白の棒が立っていたが、それさえない。
水汲み場も、誰一人やってくる人も無く、暖冬と言いながら、やはり風は冷たく、家内は足を踏みならしながら、100円玉を投入していた。
なんと言っても、上郡よりは3℃以上気温は低いので、じっとホースで水を入れる作業は手がかじかんで寒い。
そういえば、以前勤めていた特別支援学校(当時は養護学校)では、千種に雪遊びに出かけていた。
ある年は雪が無くて、担当者が自分の責任のように、職員に侘びていたのを思い出す。
かれこれ、30年ほど前のことだから、30年前も暖冬に悩まされていたのだと思う。
当時は、まだ地球の温暖化がそんなに問題となっていなかった頃である。
聞くところによると、その特別支援学校は雪遊びはもうやっていないという。
経費節減のために、行事を減らしたのだという。
滅多に行けない雪山で児童生徒が楽しんでいた様子を憶えているだけに、少し残念だとも思える。
ただ、雪遊びは教師も相当体力を使うので、今やれと言われれば、それなりに覚悟はいると思う。
その点では、普通校のスキー中心の修学旅行は楽だった。
私は自分の子どもと雪遊びをしに千種に来たくらいで、プライベートではあまりスキーの経験はない。
冬場に楽しめるものは限られているので、また盛んになれば良いと思う。
行く道すがら、ある小学校がこの3月で閉校になるという案内板を見かけた。
雪が無いことは、千種の経済の打撃にもなるだろう。
千種のJAのスーパーマーケットも、大分前から閉じられたままだ。
どんどん、寂れていく様子を見ているのは忍びない。
ただ、私はそんなに遠くない未来に深刻な食糧不足が訪れると思っている。
きっと、その時に我々の地方が見直されると信じている。
それまで、どう持ちこたえるかが課題だけれど・・・
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