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2023年11月17日金曜日

蕎麦の収穫と麦播種

 蕎麦は以前にも作ったことがあるが、まともに収穫したことはなかった。

今回もまた失敗して家内に笑われそうに思いながら挑戦した。

それも、もち麦と高黍(こうりゃん)の収穫に自信をつけていたからだ。

前回は実をつけながら、丁寧に刈り取らなかったので失敗した。

今回は、高黍の穂刈りの経験から、最初は実をしごき採ったが、途中で面倒になってしまった。

そこで、下から全部手で刈り取って、シートをかぶせて置いておいた。

そして、時間のできた今日(11/16)、その半分を手で脱穀した。

まず、実を葉が少しついたまま、しごいて採って、粗めの篩(土木用のとおし)で実をほぐして落とす。

今度は目の細かい篩にかけて、葉っぱのかけらなどのゴミを落とした。

試しに以前しごきとって乾燥していた実を籾すりすることにした。

そば殻をなんとか外そうと、麦と同じように精米機にかけたが、全く歯が立たなかった。

そこで、小型のミルミキサーにかけると、殻が外れて粗い粉となって現れた。

本当は蕎麦粒にできると思っていたのだが、粉になってしまった。

そこで、ざるを篩にして荒いそば粉をボールにとった。

次に、仕方ないので30年ほど前に親から譲り受けていた家庭用の電動製粉機を用いて細かくした。

この製粉機は古くて調節レバーがうまく動かなくて、なかなかきれいに粉にしてくれなかった。

製粉機がない場合は、思ったより蕎麦は柔らかいので、擂り粉木などでも粉になりそうだ。

今回はだいたい500ccほどの蕎麦の実で、100ccほどの粉をとった感じだった。

蕎麦は20㎡ほど作ったので、この作業はしばらく続けねばならない。

製粉に関しては手間を考えると全く割には合わないが、栽培に関しては手間いらずで時期も都合がいい。

生存維持的自給生活を目指している自分にとって、必要な作物として位置づけようと思っている。

このところ、やっともち麦の種まきも終わり、最初にまいた種は芽が出てくれている。

今回は、エン麦の種も買って播いてみた。

これまで冬場は、タマネギ、ニンニクとジャガイモ程度だったが、これからは麦も加わって期待が増えた。

何よりも毎日の主食となるものだけに、その価値は重要だ。

心配した大根と蕪は今のところなんとか生長してくれている。

このところ、間引いた大根と蕪の漬け物を毎日食べている。


蕎麦の後日談(11/17)

昨日粉にした蕎麦をそばがき?にして食べた。

ネットでは熱湯をかける方法、鍋にかける方法、電子レンジで熱する方法の三種類があったが、一番簡単そうな電子レンジにした。

分量も適当で、玉ができないように水で練った上で、600wで3分かけた。

どうも時間をかけすぎたみたいで、少し固いパンの塊のようになってしまった。

それでも、意外といける物で、生臭い匂いが気になったが、何もつけなくても飽きの来ない味である。

家内が間引いた大根をふりかけにしてくれていたので、それと一緒に食べると普通においしい。

冷えると匂いも消えて、小麦パンよりもいけると自画自賛。

だけど、家内も息子も見た目が黒くて悪いのか食べてくれなかった。


製粉機の分解補修(11/18)

今回使用した製粉機は30年以上も前の物で殆ど使わず放置していたのだけど、なんとか動いて細かく挽いてもくれているが調子が悪い。

ネットで電動製粉機や石臼なども調べたけれど、高額なのでまだ買う踏ん切りがつかなかった。

とにかく、古い製粉機を分解して調整してみようと中を開けた。

この製粉機はちゃんと分解掃除できるようになっている。

なのに一度も分解掃除をした記憶がないのである。

製粉部分の構造は至ってシンプルだったので、潤滑スプレーをかけて動きにくい調節レバーを動きやすくした。

これでまだまだ使えるかもしれない。




2023年11月10日金曜日

やりがい搾取と教師

 このところ教員の中から、教師としてのやりがいを訴えて、教師になることを若い世代に訴える新聞投稿等を見かける。

実際、生徒とのふれあいやその生長、教壇に立って生徒から真剣に話を聞いてもらえることにやりがいを感じることは確かである。

先日、非常勤講師をしている高校のとある先生から、夜の10:30頃にLineで教務事項に関する問い合わせがあった。

翌日、家から送ったのかと聞くと、学校からだと言う。しかも、そういう時間は日常茶飯事だと聞いた。

その人は責任あるポジションであり、仕事熱心なことは見てからわかる。

かつて、現役で亡くなっていった教師のことも話したが、今の彼には仕事をこなすことが先決で、減らすことなどできないことは十分理解できる。

私が訴えたかったのは、現役で亡くなった教師は、自ら進んで仕事をしていた人が多かったということだ。

大きな仕事をこなすことにやりがいを感じているのは、側にいてよくわかった。

亡くなった人の中には文科省から表彰された人もいた。

夜中まで働く教師や管理職がそういうやりがいのある仕事をして、活躍してくれるお陰で成り立っていることも事実だ。

かく言う私も授業準備や校務、クラブ活動で同じように時間外勤務をして、やりがいを感じていたことも確かである。

その結果が医者から「あんた死ぬで」と言われたHgA1cが12.0になった糖尿病である。

今働いている職場にも、年金で十分暮らせて、余分に稼ぐ給料は税金や保険料で消えてしまうと言っている人がいる。

その人も糖尿病だが、膵臓がんの発症を怖れつつ、仕事にはやりがいを感じているようだ。

そもそも、教師の多くは自分がやりがい搾取を受けているとは思っていないと思う。

むしろ、そのやりがいを失ったら生活が成り立たない仕事人間でさえある場合が多いように思える。

退職教師の場合、仕事を生きがいとして健康や精神的安定が保てる人もいるので、一概に悪いとは言えないが、そのことが教師全体の待遇改善の足を引っ張っている可能性もある。

その一方、家庭の事情や個人的な考えから、時間外勤務を殆どしない人もいることも確かだ。

本当はそちらの方が普通であるべきなのに、白い目で見られることもある。

やりがい搾取の実態に目を伏せて、若い世代にやりがいだけを説くのは甘言を用いた勧誘のように思える。

若い世代が教師を志望しなくなれば、しばらくは従来のやりがい搾取に無頓着な教師で学校を維持せねばならないのだろう。

それはやりがい搾取を受けていない現役の正教員には都合がいいことかもしれないが・・・

このところ、完全退職教師に対して、現場復帰への勧誘がなされたりもしているが、私は来年度は非常勤講師に対するやりがい搾取を放置するのならば続けるつもりはない。

2023年11月5日日曜日

阪神日本一からもらった希望

 1985年は私の運命を変えた年だった。

その年から38年後、再び阪神が日本一になるのをテレビで観た。

野球観戦をテレビでじっくり観るのは何年ぶりだろうか。

若い頃は野球を見るのが好きで、大学時代には彼女と阪神ー中日戦をナゴヤ球場に見に行ったこともあった。


実は38年前は修士論文の執筆中で、阪神を応援する余裕がなかった。

それでも、阪神の優勝に触れて、それが自分にもいい結果へと結びついてくれるものと信じた。

しかし、結果はその逆となってしまった。

この年になって、阪神の優勝がそん時のつらい記憶を蘇らせるとは皮肉なものである。

ただ、38年前選手として活躍していた岡田選手が今年監督として阪神を日本一にしたことは、自分には大きな希望だ。

私にも別な形で研究を実らせる励みとなる。

岡田監督は66歳なので、私も66歳までにはまだ時間がある。


一方、オリックスは播磨養護(特別支援)学校に勤務していたときに、校内のマラソン大会などに来てくれたチームだ。

当時活躍していた、イチロー選手も間近に見ることができたし、田口選手ともお話ができた。

小学生から応援していたのは阪神だが、18年前からはオリックスのファンでもあった。

オリックスの山本由伸選手は隣の備前市の伊部出身ということで応援していた。


この両チームが日本一を競うことは嬉しいことだったが、どちらかというと今回は連覇のオリックスより38年ぶりの阪神の優勝を願った。

それにしても、阪神は自分のように夢を果たせなかった者に親しみと希望を持たせてくれるチームだ。

財界と官界で推進している大阪万博が胡散臭いのに対して、一般庶民が希望と勇気を与える阪神優勝の方がよほど価値がある。

それは幼い頃からソフトボールなどを自分で楽しんだり、野球に励む選手を身近に見ていたからだろう。

今度の大阪万博は奇妙なキャラクター「ミャクミャク」が象徴するように、何か得体の知れない感じがする。

万博は採算にあうかどうかよりも、一般庶民に何をもって希望と勇気を与えられるかが重要に思える。

阪神日本一以前に開催された大阪万博を再びやる以上、阪神優勝以上に心弾ませるものを期待したい。

はたして万博開催の開催責任者に岡田監督はいるのだろうか・・・・







生存維持からの視点

 デヴィッド・グレーバー2016(2011)『負債論―貨幣と暴力の5000年』の研究の流れから現在はジェームス・C・スコット著(政治学者、人類学者)『モーラル・エコノミー ―東南アジアの農民叛乱と生存維持』を読んでいる。

この作品は書かれたのが1976年で、翻訳本が出たのは1999年だった。

もし、1976年にオリジナルを読んで理解できていたら、自分の研究は大きく違っていたろうと思う。

この著者をネットで調べたら藤原帰一氏の留学時代の指導教員と言うから、なるほど、鋭さと反骨さは合点がいった。

そして、羊を育てていることには親しみを感じた。

奄美の人々のみならず、貧しかった時代の人々を生存維持の視点から考えるべきだったと後悔している。

それは自分の祖父母や父母の生き方の理解に通じることでもある。

戦争も終わり、高度成長の中で豊かさを手に入れながら、自由を謳歌できた自分たちの世代は、生存維持よりも、自己実現という名の下、競争に明け暮れた。

生きていけることだけで価値があるのに、競争に疲れて自ら死を選んだ人も知っている。

そういう自分も死にたいと思ったことは数知れずあるのだから、別の意味で生存維持の脅かされている時代に生きたともいえるかもしれない。

飢餓と戦っていた人々は、生存を脅かす権力と戦う底力があった。

権力を手に入れようと戦う自分たちは、生存を脅かす権力にひれ伏してしまう。

そして、その権威を身につけた人に人生相談までしてしまう。

社会保障のなかった時代に、生存維持のために家庭を築き、子育てをしていた人々の存在を忘れたかのような発言をされて納得してしまう。

そして、世襲で権力を手に入れた政治家にはその生存維持の理解ができないようだ。

ジェームス・C・スコット氏は税によって生存維持を脅かされた農民の叛乱を理路整然と説明してくれている。

今の日本では飢餓は身近ではないだろうが、孤独や絶望とは隣り合わせである。

お一人様でも生きていける権威ある人には乗り越えられても、権威のないものにとっては乗り越えることの困難な試練である。

我々は叛乱どころか、孤独死や絶望死を覚悟せねばならないのだろうか・・・・


2023年11月4日土曜日

熊目撃情報と柿

 昨日(11/3)の回覧板で、上郡町の與井新でクマが目撃された通知があった。

近所では柿の実がいっぱい鈴なりになっている。

先日も近所の方から土嚢袋いっぱいの柿を例年通りもらった。

去年はお返しにはサツマイモをあげたが、今年は不作なので枝豆を差し上げたが、土嚢袋は底がちょっと膨らんだ程度だった。

近所でさっそく夕方には柿をとる姿が見受けられた。

急いでいるのか、太い枝ごと採ってしまっていた。

気がつけば隣の家の柿の実も殆ど採り尽くしている。

その人に話を聞けば、上郡や有年は結構出没するらしい。

私は毎朝早くクロと散歩するので、気をつけねばならない。

曲がりなりにもクロはハウンドで、イノシシ狩りにも使われる犬種だが、からっきし意気地がない。

以前も我が家の庭に出没したアナグマと格闘して、鼻をひっかかれてうずくまってしまったことがある。

ましてやその何倍もあるクマと格闘すらできないだろう。

とにかく、用心のために散歩には釣り竿ケースにゴルフクラブを入れて持ち歩くことにした。

今朝はうっかり何も持たずに薄暗い霧の中を散歩したが、長い棒を持って散歩しているご老人にも会った。

おそらく杖を兼ねた護身用だろう。

先日も職場から帰りに国道端で猿がゆっくりと草を食べているのを目撃した。

波賀町在住の同僚から話を聞くと、クマと猿を見かけたら必ず役場に連絡しなくてはいけないそうだ。

そして、どこで目撃してどちらに向かっていったかを必ず言わねばならないそうだ。

たぶん上郡町では義務づけはされていないと思うが、万一目撃した連絡せねばならないと思う。

山に食べ物がなくて、里の柿の実を食べねばならないクマも哀れだが、殆ど食べずに放置している柿に振り回されている町民も哀れだ。

元はといえば気象の大変動を引き起こした人間が悪いのだが・・・・

2023年10月28日土曜日

母と相棒に懺悔

 今の私にとってどうしても欠かせない相棒の一人はノートパソコンだ。

それが急に息を引き取ってしまった。

それはエプソンのエンデバーでかれこれ7年ほど付き合いになる。

母親の通院の付き添いの時に必ず持参したことが、一番の思い出となった。

というのも通常、受付をして、診察が終わるのは4時間以上経っていた。

その間、車椅子に乗っている母親のそばでパソコンを使って仕事したり、本を読んだりした。

そうすることによって長い時間待たされても、気が紛れることができたのだ。

年老いた母は「まだか まだか」と言いながら、時々鼻歌を歌ったり、居眠りをしていた。

当時、母親は心臓の具合が6年前くらいから悪くなり、入院したり循環器科に通院していた。

その母も去年、特養に入所してからは、私は付きそう必要がなくなったのだが、1年もたたないうちに亡くなってしまった。

母が亡くなったのが7月で、その3ヶ月後にパソコンも亡くなってしまったのだ。

デスクトップの画面背景には、このところ自分たち夫婦の結婚当時のデジタル化した写真アルバムを使っていて、そこには当時の両親の姿もしっかり残っていた。

私はそれを時々眺めながら、まだずいぶん元気だった50歳代後半の両親の姿を懐かしんでいたのだった。

アルバム自体は別のパソコンでも写せるけれど、壊れたパソコンは母との思い出が残るので処分せずに大事においておこうと思った。

それでも新しいのが必要なので、いろいろ探したがやっぱり同じエンデバーにすることにした。

外観は前のものとほとんど同じだが、ずいぶん操作が軽くなっているし、壊れる前のようなファンの音も殆どしない。

そういえば、壊れる前はそのファンの音が喘ぐように大きくなっていたし、時々突然シャットダウンしてしまっていた。

早めに新しいのと交代させて、仕事を軽くさせてやればよかったのだと後悔している。

これは、亡くなる前の母への気遣いがちゃんとできなかった後悔とも重なってしまう。

大して介護もしてあげてないのに、色々とトラブルのことで煩わしく思っていた当時の自分が情けなく、申し訳なく思う。

心のゆとりは単に仕事が忙しいとかどうかという問題ではなくて、何を優先して考えるかということであると失って改めて思い知らされた。

そして、ずっと今まで優先すべき大切な人や物を失って、後悔をどんどん積み重ねてしまっている自分を自分で哀れに思う。

哀れな私は、せめて今そばにいてくれる家族(愛犬も含む)や兄弟親戚、仲間、相棒であるパソコンや車なども大事にせねばならないと思わずにはいられない。


2023年10月22日日曜日

故郷は遠くにありても集うもの

 現在、私を含めて兄弟は誰も赤穂には住んでいない。

住所が赤穂市の弟も単身赴任中だ。

その弟が久しぶりに帰ってきて、自分たちの育った尾崎の風景を撮ってLINEにあげてきた。

京都に住む弟も先日用事で帰ってきて、懐かしかったらしくその投稿に共感していた。

私はちょっと前に、赤穂高校の近くにある畑がセイタカアワダチソウに被われていたので、それを必死で刈り取ったばかりだった。

故郷を感傷的に思うより、何とか荒れ果てる家や畑を復旧させねばならない立場だ。

私は農業と環境に拘ったので、赤穂よりも上郡を選んだ。

ただ最近は上郡の空中農薬散布に非常に危機感を感じている。

皮肉にも田畑の荒れた赤穂の方が却って環境に優しい農業ができるのだ。

だから、これからは赤穂の畑にも力を入れていこうと思っている。

先日来、生徒に赤穂八幡神社の秋祭りの紹介とその役割を説明している。

祭の盛んな地域の生徒が多いので、熱心に聞いてくれている。

そこではデヴィッド・グレーバーの「人間経済と商業経済」の対比からの視点で、祭の意味を説明している。

私は祭では人間経済が今でも生き続けていると思っている。

そして、商業経済とは一線画した職業が教師や看護師、介護士などだろうとも思っている。

商業経済にとっては、魅力の乏しいこういう田舎でも、人間経済にとっては価値ある所だと思う。

それに気付いてくれる人が必ず、集まってくれると私は信じている。

弟たちはこういう私を変わり者としか思わないかもしれないけど・・・・