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2023年12月7日木曜日

コウノトリの来訪(2023年12月)

 今日(12/7)は仕事が無いので、朝の9時過ぎにのんびりとクロと散歩をしていた。

すると、姫上線(兵庫県道5号姫路上郡線)から南に伸びた道路の路肩に、見覚えのある白い車が停まっている。

やっぱりそうだ 近所のコウノトリの追っかけカメラマンOさんが撮影している。

思わずその近くの鉄塔を見上げると、2羽がてっぺんにとまっている。

Oさんの車が無かったら完全に見逃していた。

Oさんに手を振ると、彼も嬉しそうなポーズを返してくれた。

Oさんは重い持病を抱えているのだが、コウノトリが冬場に戻ってくると俄然元気が出る。

早速、うちに帰ると家内にも、いさんで報告したら、家内も一緒に喜んでくれた。


今年は稲が大きく伸びるまで、3羽も長く滞在してくれていた。

きっと帰ってきてくれると心待ちにしていたのだが、心配事がある。

その一つは、山陽自動車道が赤穂付近で通行止めになっているので、姫上線に多くの車が迂回して通っている。

特に大型のトラックが頻繁に通っているので、その騒々しさで嫌にならないかということだ。

もう一つは、キツネが昼までも走り回っていることだ。

先日も、夕方の散歩の途中に大きな貯水池の土手に上がると、いきなりキツネが走って逃げていった。

どうも、貯水池の水際にいる水鳥を狙っていたようだ。

まだ、若ギツネのようだから、狩りは下手だとは思うが、安心はできない。

そして何よりも、今年の猛暑の影響で、餌となる小動物が減っているということだ。

前にも書いたように、農薬の空中散布の影響などもあって、昆虫や小動物が減ってしまい、雀やツバメも減ってしまっている。


そういう心配がありながら、コウノトリの我が地域への来訪は何よりも楽しみである。

冬場の何も無い水田の景色の中に、コウノトリの姿を見いだすと本当に救われた気分になる。

そして、大空を悠然と翼を広げてい飛んでいる姿は、自分も空を飛んでいる心地にさせてくれる。

昔の人はコウノトリも鶴として大切にし、幸せを願う心を託していたのだと思う。

まさしくOさんはコウノトリに生きる力をもらっていると言って過言では無いだろう。

ニュースでは戦争や犯罪、政治家の腐敗など気の重くなることばかり流れてくる。

そんな中で、コウノトリの来訪は、私にとっても日々の励みを与えてくれるものだ。

まだまだ、捨てたもんじゃないよ!

この幼稚園が廃園になってしまった過疎の村も!

きっと、赤ん坊も運んで来てくれるでしょう・・・




百姓のすすめ

 自分たちは農作業をすることを百姓すると言っていた。

父方の本家には田んぼもあって、幼い頃に父親が田植えを手伝うのについて行ったりしていた。

父は三男であり、結婚当初は鳥撫(鷏和)では借家暮らしで、夫婦と子供と雇い入れた若者とで木造船に乗って石などを運んでいた。

明石沖で遭難しかかったことをきっかけに船の仕事を辞めて造船所の職工になり、尾崎に小さな中古の家を買って移り住んだ。

父は百姓が好きだったようで、畑や田んぼを私の母方の祖母と共同で持つようになった。

田植えや稲刈りには祖母の家族(祖母も伯母も夫に先立たれていた)も手伝いに来てくれたりしたが、殆ど父が一人でやりくりしていた。

母は町育ちだったので、百姓仕事は嫌いで、たまに父に言われて手伝う程度だった。

田んぼは高校用地で1枚が売れて資金ができたので、別の田んぼを埋め立てて家を建てたので、自分が中学校の頃には無くなり畑だけになっていた。


私は長男だったので、どこに行くのにも連れて行かれたが、特に畑仕事は自転車の後ろ乗せられてついて行っていた。

だから一通りの作業は教え込まれていたが、父が昔からの経験でやるのを手伝っただけであった。

一番嫌だったのは草抜きだった。

先日も、かつて同じように畑仕事を手伝わされた四男がしぶしぶ草抜きをしていて、父に家に帰れと叱られたことがあったことを聞かされた。

四男はそういう経験もあって、近くに父から受け継いだ畑があっても、百姓は今でもしようとはしない。

自分はどちらかというと、耕したりする時に、力があることを見せて父に認めてもらいたい方だった。

4人兄弟の全員が百姓の手伝いをさせられているのだが、結局今でも続けているのは私だけである。


と言いながら、中学受験を小学校6年から始めて、大学院を出て教師になるまでは、たまにしか父の手伝いはしなかった。

私が百姓をし始めたのは、結婚後、赤穂の大津に借家住まいをして、子供ができてからである。

子供に安全で美味しい野菜を食べさせてやりたいというのが動機だった。

だから、当初から無農薬であり、そのうち化成肥料も使わず有機肥料に変えた。

雑誌の「現代農業」を定期購読し、農業書も色々読んだりもした。

30年ほど前に上郡に移り住んだのも本格的に農業をやりたかったからだった。

ところが、稲作地帯の近隣では、畑仕事は女性の片手間仕事で、畑も少なくなかなか貸してもらえなかった。

また、農業資格がとれるだけの機械や倉庫も無かったし、基盤整備した農地は高額で、農地は取得できなかった。

現在のように1反ほどの休耕田を借りて畑を作り始めたのは、10年ほど前からである。

当初は自分一人ではタマネギ一つまともに作れなかったのに、今は無農薬・有機肥料で大抵のものは作れるようになった。

特別支援学校では農作業を担当したりもした。


子供も育ち、孫もいない現在でも百姓に拘るのは、単に健康志向からだけではない。

自分達が食べるものを少しでも、自分で手に入れたいという思い入れと、作ることそのものに楽しみがあるからだ。

その楽しみとは、自分がてしおにかけた作物達が立派に育っていき、それを有り難くいただいたり、種として残してまた育てる楽しみである。

近所の人も、百姓をしている人は、作る楽しみを感じながらやっているようで、余分に作って人にあげるのも楽しみの一つだ。

中には田んぼで死ねたら本望だという人さえいる。

その一方で近所の同年代の人の多くが、若い頃に無理矢理農作業をやらされたので、今はしたくないという。

自分は幸いに学業を理由に、若い頃は逃げてこられたので、嫌にならずにすんでいるのだろうとも思う。

それは無理矢理やらされていた勉強やスポーツと同じで、好きにならないと続くものではない。

考えてみれば私は勉強もスポーツも好きなことしかやってこなかった。

だから、百姓は好きだからやっている。

たぶん、出荷して金を儲けようとしたとしたら、楽しみでは無くなって辞めていたかもしれない。

同じ村の専業農家の余裕のない働きぶりを見ていると、自分には向いてないと思う。

それじゃ単に趣味だと言われるかもしれないが、退職してからは生きがいの一つでもある。

百姓をしているときの方が体調も良く、気分がよく、研究はその合間でやる方がいい。

近所の早期退職後に本格的に農家になった人が、肺がんを克服したのも分かるような気がする。


世の中が近代化される前では、学問がすすめられた。

近代化されて疲弊している現代では、百姓をすすめるべきのように思う。

特に、退職後で年金や賃労働の収入に不安を抱えるものにとっては、百姓は収益という意味では気休めではあるが、暮らしとしては心強いものでもある。

因みに百姓は山野河海で食べられるものは、自分で何でもちゃんと手に入れたり、交換したりする。

多くの歴史学者や民俗学研究者が言うように、百姓は農作業だけしていたのではない。

私は百姓の原点に立ち戻りながら、学問も進めたいと思っている。

作物や自然の恵みに感謝しながら・・・



2023年11月28日火曜日

子育てと恋愛

「子供は3歳までに一生分の親孝行をする」という言葉を久しぶりに聞いた。

今勤めている職場の若い男性職員に、年配の職員が言って説明していた。
若い男性職員は生まれて間もない赤ん坊の子育ての真っ最中である。
私はある先輩教師からクラブ活動の指導で忙しくて、一番関わってやらねばならない時にできなくて、後悔していると聞かされたことを話した。
私自身は、先輩に聞いた言葉から、なるべく関わりが持てるようにしたつもりだが、あまり自信はない。
ただ、娘のスイミング通いやレースにはよく付き合うことができた。

娘が結婚したことを機会に、撮りだめていた写真をデジタル化して渡すつもりで整理していた。
結局、未だに整理が終わらず、渡すことができていない。
子供の頃の写真は親にとっては懐かしいものだが、本人にとってはあまり関心がないようにも思えて、整理も滞っている。
ただ、パソコンのデスクトップの背景にして、眺めて楽しんでいる。
成長した今の娘とは全く別人であり、その時その時の様々な姿と関わることができたことが、親としての幸福だったのだと思える。
年頃になってからは、他の父娘よりも距離があると感じざるを得なくなったが、3歳までにその分よりも愛情深くに関わることができたと自分で慰めている。
もう二度と当時の娘には出会えないことは、別れた恋人と全く同じである。
今思いを寄せているのは、あくまで昔の姿であり、愛情である。
そういう意味では恋愛も子育ても同じなのかもしれない。

自分に愛情を求めてくる子供に対して、できうる限りの愛情を注ぐのが子育てだった。
それは互いの愛によって求め合える恋愛と一緒である。
ただ、子供は親の愛情から巣立っていかねばならないし、親も子離れしなくてはならない。
恋愛は結婚することで、関係が続けられるのとは少し違うが、夫婦間の愛情は子育てによって育まれていくことも確かだ。
中には子供に恵まれない夫婦もいるが、私の知った人の中にはあえて里子を養子にもらって、夫婦で育てるのを生きがいにしている人もいる。
不妊治療が多くなされるのも、夫婦にとって子育てがいかに大切なものかを物語っている。

先日、少子高齢化の問題で調べたら、昔から日本人は恋愛が苦手であり、私の世代でも若い頃に恋愛経験があったのは2割ほどだった。
若者が結婚しないのは、恋愛とは関係なく、現在では結婚するための仕組みが失われてしまい、それで結婚も子育てもできないという。
昔は恋愛ができなくても、見合いや職場での交際で結婚して子育てができた。
今は恋愛も子育てもできない時代になってしまったのかと思う。
ただ、恋愛結婚という呪縛から解かれて、子育てを通じて愛はしっかり築けるものだと再認識すべきかもしれない。
かくいう私は恋愛結婚に躓いて、見合い結婚で救われた一人である・・・・




2023年11月23日木曜日

髭と髪とデニムジャケット

 髭を蓄えるようになって4ヶ月以上経つ。

はじめは無精髭だった。

目的は農作業の時に顔を蚊に刺されるので、少しでも防ごうと思った。

ちょうど夏休みということもあったので、非常勤講師の仕事もなく都合がよかった。

新学期には剃っていくつもりだったが、母の49日の際にそのまま臨んだら、似合っていると弟嫁から褒められた。

そうなると、髭を嫌がっていた家内にも言い訳がたった。

そして、ネットで手入れ方法を調べて、それなりの道具もそろえた。

自分に髭があると、他の人の髭も気になる。

単に無精で伸ばしていると思っていたが、結構手入れしていることがわかった。

髪の毛と同じで、ちゃんと整えないとみっともなく見える。


最近は諦められたのか、家内も髭に関しては何も言わなくなった。

私自身、髭がある方が男として自然に思えてきたので、剃るつもりはなくなった。

一方、髭はちゃんと生えるのに、髪の毛が薄くなってしまっている。

ネットの情報につい乗って、発毛剤を定期的に購入してしまった。

ちゃんとした確証はないのだが、効果があるように思える。

何よりも、長く伸ばしてもまとまりができて、薄さをごまかせるようになった。

そういうことで、私は半年以上散髪をしていない。


髭もあって、髪も長いとなると、それなりにお洒落をしなくてはいけない。

夏場のように、綿パンに半袖の襟付きTシャツでは済まされない。

そこで、お気に入りのデニムジャケットを身につけて、中に着るポロシャツもピンクを着たりした。

すると、女生徒から「今までで一番コーデがいい」と褒められてしまった。

山間部の高校の生徒は人なつっこく、物怖じせず教師の着こなしを評価してくる。

私は初めて生徒からお洒落だと言われた。

そこで、都市部の高校でもどうかと同じ服装で出勤した。

都市部の生徒は挨拶はしっかりとしてくれるが、私にはあまり関わってこなくて、全く反応はなかった。

ところが、職場の知人の女性教師から、山間部の生徒と同じように褒められてしまった。

その方は着こなしに気を遣っていて素敵な方だ。

本当はその方のコーデも評価すべきだったのだが、「若く見せるために」と照れ隠しでただ答えるだけだった。


若いときはお洒落をしなくても、それほどみっともないとは思わないのだが、年をとるとそれなりのお洒落が必要だと気がついた。

まるで、高校時代に戻ったかのように、身なりに気を使い始めた。

以前は晩年の南方熊楠の放埒な容姿を理想としたが、今はジーンズとTシャツの似合う白洲次郎が目標である。

白洲次郎のようにこざっぱりとはできないので、私はあたかも学者のような趣を出したいと思っている。

そういえば、大学院の恩師も長髪だったり、髭があった方もいらっした。

思春期は女性にもてるためにお洒落をしたが、今は貧相に見られないようにお洒落をしなくてはいけないと思うようになっている。

実のならない雄花ならば、せめて花びらを散らすまでは、しっかりと萎れず咲いておくのがお洒落だと自分に言い聞かせている。

まさしく「美しさは生きる力」かもしれない・・・





2023年11月17日金曜日

蕎麦の収穫と麦播種

 蕎麦は以前にも作ったことがあるが、まともに収穫したことはなかった。

今回もまた失敗して家内に笑われそうに思いながら挑戦した。

それも、もち麦と高黍(こうりゃん)の収穫に自信をつけていたからだ。

前回は実をつけながら、丁寧に刈り取らなかったので失敗した。

今回は、高黍の穂刈りの経験から、最初は実をしごき採ったが、途中で面倒になってしまった。

そこで、下から全部手で刈り取って、シートをかぶせて置いておいた。

そして、時間のできた今日(11/16)、その半分を手で脱穀した。

まず、実を葉が少しついたまま、しごいて採って、粗めの篩(土木用のとおし)で実をほぐして落とす。

今度は目の細かい篩にかけて、葉っぱのかけらなどのゴミを落とした。

試しに以前しごきとって乾燥していた実を籾すりすることにした。

そば殻をなんとか外そうと、麦と同じように精米機にかけたが、全く歯が立たなかった。

そこで、小型のミルミキサーにかけると、殻が外れて粗い粉となって現れた。

本当は蕎麦粒にできると思っていたのだが、粉になってしまった。

そこで、ざるを篩にして荒いそば粉をボールにとった。

次に、仕方ないので30年ほど前に親から譲り受けていた家庭用の電動製粉機を用いて細かくした。

この製粉機は古くて調節レバーがうまく動かなくて、なかなかきれいに粉にしてくれなかった。

製粉機がない場合は、思ったより蕎麦は柔らかいので、擂り粉木などでも粉になりそうだ。

今回はだいたい500ccほどの蕎麦の実で、100ccほどの粉をとった感じだった。

蕎麦は20㎡ほど作ったので、この作業はしばらく続けねばならない。

製粉に関しては手間を考えると全く割には合わないが、栽培に関しては手間いらずで時期も都合がいい。

生存維持的自給生活を目指している自分にとって、必要な作物として位置づけようと思っている。

このところ、やっともち麦の種まきも終わり、最初にまいた種は芽が出てくれている。

今回は、エン麦の種も買って播いてみた。

これまで冬場は、タマネギ、ニンニクとジャガイモ程度だったが、これからは麦も加わって期待が増えた。

何よりも毎日の主食となるものだけに、その価値は重要だ。

心配した大根と蕪は今のところなんとか生長してくれている。

このところ、間引いた大根と蕪の漬け物を毎日食べている。


蕎麦の後日談(11/17)

昨日粉にした蕎麦をそばがき?にして食べた。

ネットでは熱湯をかける方法、鍋にかける方法、電子レンジで熱する方法の三種類があったが、一番簡単そうな電子レンジにした。

分量も適当で、玉ができないように水で練った上で、600wで3分かけた。

どうも時間をかけすぎたみたいで、少し固いパンの塊のようになってしまった。

それでも、意外といける物で、生臭い匂いが気になったが、何もつけなくても飽きの来ない味である。

家内が間引いた大根をふりかけにしてくれていたので、それと一緒に食べると普通においしい。

冷えると匂いも消えて、小麦パンよりもいけると自画自賛。

だけど、家内も息子も見た目が黒くて悪いのか食べてくれなかった。


製粉機の分解補修(11/18)

今回使用した製粉機は30年以上も前の物で殆ど使わず放置していたのだけど、なんとか動いて細かく挽いてもくれているが調子が悪い。

ネットで電動製粉機や石臼なども調べたけれど、高額なのでまだ買う踏ん切りがつかなかった。

とにかく、古い製粉機を分解して調整してみようと中を開けた。

この製粉機はちゃんと分解掃除できるようになっている。

なのに一度も分解掃除をした記憶がないのである。

製粉部分の構造は至ってシンプルだったので、潤滑スプレーをかけて動きにくい調節レバーを動きやすくした。

これでまだまだ使えるかもしれない。




2023年11月10日金曜日

やりがい搾取と教師

 このところ教員の中から、教師としてのやりがいを訴えて、教師になることを若い世代に訴える新聞投稿等を見かける。

実際、生徒とのふれあいやその生長、教壇に立って生徒から真剣に話を聞いてもらえることにやりがいを感じることは確かである。

先日、非常勤講師をしている高校のとある先生から、夜の10:30頃にLineで教務事項に関する問い合わせがあった。

翌日、家から送ったのかと聞くと、学校からだと言う。しかも、そういう時間は日常茶飯事だと聞いた。

その人は責任あるポジションであり、仕事熱心なことは見てからわかる。

かつて、現役で亡くなっていった教師のことも話したが、今の彼には仕事をこなすことが先決で、減らすことなどできないことは十分理解できる。

私が訴えたかったのは、現役で亡くなった教師は、自ら進んで仕事をしていた人が多かったということだ。

大きな仕事をこなすことにやりがいを感じているのは、側にいてよくわかった。

亡くなった人の中には文科省から表彰された人もいた。

夜中まで働く教師や管理職がそういうやりがいのある仕事をして、活躍してくれるお陰で成り立っていることも事実だ。

かく言う私も授業準備や校務、クラブ活動で同じように時間外勤務をして、やりがいを感じていたことも確かである。

その結果が医者から「あんた死ぬで」と言われたHgA1cが12.0になった糖尿病である。

今働いている職場にも、年金で十分暮らせて、余分に稼ぐ給料は税金や保険料で消えてしまうと言っている人がいる。

その人も糖尿病だが、膵臓がんの発症を怖れつつ、仕事にはやりがいを感じているようだ。

そもそも、教師の多くは自分がやりがい搾取を受けているとは思っていないと思う。

むしろ、そのやりがいを失ったら生活が成り立たない仕事人間でさえある場合が多いように思える。

退職教師の場合、仕事を生きがいとして健康や精神的安定が保てる人もいるので、一概に悪いとは言えないが、そのことが教師全体の待遇改善の足を引っ張っている可能性もある。

その一方、家庭の事情や個人的な考えから、時間外勤務を殆どしない人もいることも確かだ。

本当はそちらの方が普通であるべきなのに、白い目で見られることもある。

やりがい搾取の実態に目を伏せて、若い世代にやりがいだけを説くのは甘言を用いた勧誘のように思える。

若い世代が教師を志望しなくなれば、しばらくは従来のやりがい搾取に無頓着な教師で学校を維持せねばならないのだろう。

それはやりがい搾取を受けていない現役の正教員には都合がいいことかもしれないが・・・

このところ、完全退職教師に対して、現場復帰への勧誘がなされたりもしているが、私は来年度は非常勤講師に対するやりがい搾取を放置するのならば続けるつもりはない。

2023年11月5日日曜日

阪神日本一からもらった希望

 1985年は私の運命を変えた年だった。

その年から38年後、再び阪神が日本一になるのをテレビで観た。

野球観戦をテレビでじっくり観るのは何年ぶりだろうか。

若い頃は野球を見るのが好きで、大学時代には彼女と阪神ー中日戦をナゴヤ球場に見に行ったこともあった。


実は38年前は修士論文の執筆中で、阪神を応援する余裕がなかった。

それでも、阪神の優勝に触れて、それが自分にもいい結果へと結びついてくれるものと信じた。

しかし、結果はその逆となってしまった。

この年になって、阪神の優勝がそん時のつらい記憶を蘇らせるとは皮肉なものである。

ただ、38年前選手として活躍していた岡田選手が今年監督として阪神を日本一にしたことは、自分には大きな希望だ。

私にも別な形で研究を実らせる励みとなる。

岡田監督は66歳なので、私も66歳までにはまだ時間がある。


一方、オリックスは播磨養護(特別支援)学校に勤務していたときに、校内のマラソン大会などに来てくれたチームだ。

当時活躍していた、イチロー選手も間近に見ることができたし、田口選手ともお話ができた。

小学生から応援していたのは阪神だが、18年前からはオリックスのファンでもあった。

オリックスの山本由伸選手は隣の備前市の伊部出身ということで応援していた。


この両チームが日本一を競うことは嬉しいことだったが、どちらかというと今回は連覇のオリックスより38年ぶりの阪神の優勝を願った。

それにしても、阪神は自分のように夢を果たせなかった者に親しみと希望を持たせてくれるチームだ。

財界と官界で推進している大阪万博が胡散臭いのに対して、一般庶民が希望と勇気を与える阪神優勝の方がよほど価値がある。

それは幼い頃からソフトボールなどを自分で楽しんだり、野球に励む選手を身近に見ていたからだろう。

今度の大阪万博は奇妙なキャラクター「ミャクミャク」が象徴するように、何か得体の知れない感じがする。

万博は採算にあうかどうかよりも、一般庶民に何をもって希望と勇気を与えられるかが重要に思える。

阪神日本一以前に開催された大阪万博を再びやる以上、阪神優勝以上に心弾ませるものを期待したい。

はたして万博開催の開催責任者に岡田監督はいるのだろうか・・・・