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2024年8月15日木曜日

死にざま

 私の父方の祖母は、私のことをずっと気にかけてくれた人で、苦学生時代にはたびたび1万円を母に託してくれてありがたかった。

私の結婚式にもわざわざ参列してくれたのに、ちゃんとお礼を言えていなかったのが今でも悔やまれている。

その祖母は、足がむくんで調子が悪いのに、病院に行くのを拒んで、自宅で亡くなった。

家族に迷惑をかけたくなかったのか、死を予感して自宅で死を迎えたかったのか分からない。

死ぬ何ヶ月前に会った時は、そんなに早くなくなる状態とは思わなかった。

そのように、親類縁者の中で自ら入院を拒んで死んだのはその祖母だけだ。


私は以前、原ひろ子氏の『へヤー・インディアンとその世界』1989平凡社を読んでいた時に、

次の内容の報告を目にして、祖母と重ねて考えずにはいられなかった。

「外からの観察者としてへヤー・インディアンを見るとき、彼らは自分の死ぬときを自分で決めているように見えてくる。」

ヘアー・インディアンは、ちょっとした風邪でも、自分がもう死ぬ時だと思い込むと、食事を拒んだりして、簡単に死んでしまう。

それを、西洋医学の病院看護婦は嘆くのだが、狩猟採集民にとって自分をきちっと始末できないと、周りの者を危機に陥れることから、こういう死にざまができあがったらしい。

祖母が入院して、周りの家族が危機に陥ることは無かっただろうし、8人もの子どもを産み育て、5人は健在だったのだから、頼れば良かったと思う。

しかし、考えようによっては、それだけしっかりと生きてきた人間にとって、弱って子どもに頼る姿を見せたくなかったのかもしれない。

それは、その夫である祖父が脳梗塞で倒れた時に、周りに気を遣ったことであろうから推測できる。


今は、認知症が進んでしまったら、自分の死にざまを自分で決めることはできない。

家族がいれば病院に行くのを拒むことも難しいだろう。

その一方で、家族がいない人の中には、病院にも行けず孤独死する人もいる。

かつてヘアー・インディアンは、狩猟のための移動について行けない者は、自ら一人テントに残って死を迎えた。

ただ、先住民に年金が政府から支給されるようになって、老人がうって変わって大切にされるようになったそうだ。

今の日本では、大切にされるだけの年金を受け取れない老人も多いし、多い場合によっては振り込み詐欺に狙われたりする。

必ずしも、日本の方が老人にとって暮らしやすいとは言えないだろう。


自分も年金生活者になって、死にざまを考えねばならない年齢になった。

Lineで大学時代の同級生の写真を家内に見せたら、同じだと言われてかなりショックだった。

あまりにも老けて見えたからだ、自分自身も彼らを大学時代の印象で思い出していたように、自分自身も今の自分の姿を錯覚しているのだろう。

認知症になって、自分で自分の死にざまを考えられなくなる前に、しっかり考えておこうと思っている。

祖母の死にざまは、そういう意味で一つの見本でもあるかもしれない。




2024年8月13日火曜日

食糧危機の警告:令和米騒動

 スーパーの米販売のコーナーに米が無い。

JAが経営する直売店にも米が無い。

私は、養父の道の駅で高い玄米を衝動的に購入した。

本当は、ネットで無農薬・無化成肥料の米を以前は購入したのだが、あまりにも高いので近隣の特別栽培米の玄米を購入することにしていた。

もう、特別栽培米にこだわれないと思って、たまたま道の駅で見つけた普通の玄米5kgを購入したのだ。

実は、我が家は近所の米農家から玄米は購入しているのだが、除草剤や農薬、化成肥料をしっかり使っているのを知っているので、私は他のを試し始めたところだった。

今回は山間の農村地帯の道の駅で売っているのだから、それなりの品質があると思って衝動買いをしてしまった。


実は私は玄米は一週間で1合ほどしか食べない。

ご飯は自分で3合炊くのだが、玄米以外に1合のモチ麦玄米、半合のそばの実、半合のキヌアを入れている。

その3合ほどを一週間かけて食べているのだ。

宮沢賢治は「雨ニモマケズ」で一日2合も玄米を食べると言っている。

私の2週間分の玄米の消費量が賢治の一日分の消費量なのだ。

昔の人はいかに米に頼っていたかを示すのだが、これを現代人がやると完全に米はなくなってしまうだろう。

ただ、現代人は米以外の農産物、海産物にを消費して、その多くを輸入に頼っている。

こちらの方も、どうやら怪しくなってきている。

ウクライナ戦争での小麦不足もさることながら、世界各地の気候破綻で農産物の収穫も不透明だ。

米は自給率100%を誇っていたのに、それが危うい背景にインバウンドがあるという。

インバウンドでの米の消費は輸出と同じ意味だということだ。

要するに、安い円のお陰で、外国からの観光客に米を食べられてしまっているということだ。

そして、一般の日本人に回せる米が不足してしまっている。

また、米そのものの収穫も気候の関係もあって質も量も落ちてしまったのだという。


私は今年作った作物はことごとく失敗している。

トマト、なすび、キュウリなどはまともに作れていない。

それは、モチ麦の収穫作業や高黍の植え付け作業で手が回らなかったこともあるが、猛暑と雨不足が大きな原因でもある。

今、畑で元気なのはオクラと高黍であり、どちらも高温乾燥に強い作物だ。

高黍の原種は中国では新石器時代から作られていたようで、水稲が普及する前の大切な穀物だった。

水稲は、灌漑施設が整ってこそ安定して作られる作物で、奄美などでは江戸時代にならないとまともに栽培できなかったようだ。

だから、奄美では甘藷を主食するとともに、ソテツの幹や実を日常的にも利用したし、海産物や山野の椎の実、百合根など色々と食料にしてきた。

沖縄は戦前にソテツ地獄になったと言われているが、日常的にソテツを利用していた奄美では、ソテツを食べて亡くなった人はいない。

要するに奄美よりも豊かであった沖縄が経済危機になって、慣れないソテツをまともに処理せずに食べたので死人がでたようだ。


これから、食糧危機を迎える我々は、米に頼らなくても生きていける食習慣と身体を身につけなければまずいと思う。

固いからだとか、不味いからだとか言って米や小麦製品しか食べられなかったら、食べるものがなくなってしまう。

米を品種改良して高温乾燥に耐えられる品種を生産することも取り組むだろうが、すでに米不足が始まっているのだから、生活防衛をもう始めなくてはいけないと思う。

私はオクラや高黍以外に、今年からモリンガの栽培にも取り組み始めた。

道の駅で苗が800円もの値段で売られて驚いたが、遅ればせながら大切に種から苗を作って育てている。

この先は冬を越させるのが課題となるが、鉢植えしているので室内に取り込もうと思っている。

冬場はモチ麦とジャガイモを主力にするつもりだ。

令和の米騒動は、南海トラフ大地震の予兆と同様に、我々に危機を警告してくれていると思う。



2024年8月11日日曜日

祖父の戦死

 母の父、つまり私の祖父は太平洋戦争において東シナ海で戦死した。

元々は職業軍人であったのだが、退役して会社に勤めていて徴兵されたのだった。

戦死した当時、母は小学校の低学年で、二つ上の姉とふたり姉妹だった。

祖父は海軍の機関兵で、戦死すれば遺体は戻らないことは分かっていたので、遺髪を知り合いに預けていた。

祖母はひとりで遺族年金と仕事の収入で二人の娘を育て上げた。

母は父親がいなくて苦労しただろうけれど、苦労話はあまりしなかった。

戦争の話もたまにしたが、祖父を殺したアメリカ軍よりも、当時の日本の厳しい生活統制を憎んでいた。

却って戦争を知らない私の方が、アメリカ軍に対しては良い感情を持っていない。

要するに戦争当時の日本政府の方が、むしろ国民を追い詰めていた。

そして沖縄のように地上戦も無く、自分自身が機銃掃射や空襲を受けていなかったのでアメリカ軍を身近に感じなかったからだろうと思う。

敗れたにしろ、戦争が終わってくれた方が、子どもの母にとっては嬉しかったらしい。


広島の原爆記念碑に、「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませんから」という有名な言葉がある。

残虐な原爆を落としたアメリカに対する言葉では無くて、そういう無謀な戦争に日本を導いたてしまった後悔の言葉だろう。

今、長崎の平和式典の問題で、イスラエルの大使を招かなかったことで、G7の在日本大使が式典をボイコットしたことが問題となっている。

イスラエルが何万人ものパレスティナの市民を殺戮しても、日本以外のG7の国ぐにはイスラエルを支持している。

自分たちが正義だと思った場合、相手の国の市民がどれほど犠牲が出ようと、同情などしないのが戦争だろう。

むしろ、市民に紛れ込んで戦う、ハマスのゲリラ戦法に問題があるとするのだろう。

それは、日本が日中戦争で市民に紛れ込んだ中国軍を掃討するために行った虐殺行為とも通じるのかもしれない。

また、また太平洋戦争のマニラ戦でも10万人ものマニラ市民が犠牲になったのも同じように思える。

地上戦での損失を無くし、戦後の主導権を握るために、何十万もの広島と長崎の市民を虐殺したアメリカも今のイスラエルにも勝る残虐なやり方だと思う。

現在は簡単に核兵器が使用できないから、市民に紛れたテロ組織(軍)を掃討するために市民もろとも殺戮する。

広島・長崎に通じるやり方なのだから、そういう当事国を招待しないのは理解できる。

むしろ、広島がイスラエル大使を招いたのは、戦争ではそれに加担する市民は軍もろとも殺戮されても仕方なかったことを表明したのだろうか?


我々日本人は総力戦が何であるかを理解できずにいるのかもしれない。

母がアメリカ軍よりも当時の日本政府や軍を憎んだのは、総力戦の意味を理解できていなかったのだろう。

近代では国家と軍による繁栄を国民が享受する代わりに、戦争においてはその代償を支払わなくてはならないのだと思う。

繁栄はありがたく受けるが、戦争は絶対反対とは言うのは虫が良すぎるということだろう。

これは、黒船がやってきた時から分かっていたはずなのだが、外国からの侵略を受けていない、沖縄以外の国民は江戸時代のままなのかもしれない。


祖父の墓は、小さくて戦死者の墓だとは分からない。

祖母はあえて、戦死者の兜巾(ときん)型の墓は建てなかった。

祖父の遺影は、正式な軍服の写真が無かったので、祖父に似た親戚の人をモデルにした、立位の軍服姿の肖像画がだった。

幼い頃はそのりりしい姿を格好良く思うことがあったが、祖父のことを戦死した英雄と思うことは無かった。

子どもができてからはむしろ、幼い娘を二人残して航空母艦に乗らねばならなかったことへの、辛さをずっと思っていた。

祖父は燃え上がる艦の機関室から甲板まで辿り着いたが、その後は助からなかったという。

勇ましい兵士の姿はどこにも無い。

祖母は遺族年金を貰いながら、その後靖国神社などにことあるごとに参拝していた。

悔やまれるのは、祖母に祖父の戦死をどう思ったかを一度も聞いたことが無かったことだ。










2024年8月7日水曜日

口癖が「死ね」だった担任

 最近、芸能人の暴言が物議を醸している。

相手を誹謗する言葉として「死ぬ」という言葉を使ったのが発端だったようだ。

ネットで誹謗文書を発してしまうと、取り返しがつかないことは分かっていたはずだが、いつものノリでやってしまったのかもしれない。

形として残る文字だけでなく、音声だけの言葉も、一度発してしまうともう、取り戻すことはできない。

いくら、後で訂正したり謝っても、一度発した言葉は、相手の心に刻まれてしまう。

私も文章や、音声を発してしまって、後で後悔したことが少なからずある。

特に、教師として生徒に発する言葉は重い意味を持つので、気をつけていたのだがそれでも後悔することはあった。


私は中学校から私学の男子校だったが、中1と中2の担任のF先生は生徒に対して、叱責の言葉と共に「死ね」を乱発する人だった。

その影響が生徒にも感染って、生徒の方でも相手を誹謗する時に「死ね」をよく使うようになった。

「あほ」や「馬鹿」という相手の能力を否定する言葉に対して、「死ね」は存在そのものを否定する言葉だと思う。

相手に「消えて亡くなれ」という意味が強く表現される。

それはまた自分は生きる価値があるけれど、相手は生きる価値がないという意味も含むだろう。

その担任が単に虚勢を張っていたのか、それほど生徒を蔑視していたのかは分からない。

ただ、授業もまともにせず漢字のプリントだけするような人だったので、授業へのコンプレックスを隠していたのかもしれない。

ひどい時は、定期考査で問題を作成してこずに、黒板に問題を書いたことがあった。

いい加減な教師としてその存在を生徒に見透かされて危うくなっているので、誤魔化すために日常的に「死ね」を使っていたのかもしれない。


自分の存在を危うくしてしまいそうな相手に対する言葉だとすれば、誹謗した本人は誹謗した相手に危機意識をもっているのかもしれない。

誹謗した本人は傍若無人に振る舞うことで、自分の存在価値を見いだしていたのかもしれない。

しかし、誹謗された相手の何とか懸命に生きていこうとするひたむきさに、却ってその危うさが露呈しまうのが怖かったのかもしれない。

そして問題なのは、周りの権力や権威をもった先輩が若いタレントの振る舞いを利用したことだ。

暴言を発した本人と同時に、そのタレントをうまく利用してきた芸能人や関係者にも責任を感じてもらわねばならないと思う。

学校の教師であれば、校長や教頭などが責任を持ってその担任の指導に当たるべきだったのだが、それがうまく機能していなかった。

結局担任だったその教師も、ことを起こして辞職せざるを得なくなったと聞く。

自分の弱さに真剣に向き合い、ひたむきに授業をしようとしなかった結果でもあろうとも思う。

これは、ひたむきさを忘れがちな自分自身への戒めでもある。





縁切り黒い糸

 ふと、洗面所の鏡越しに裏の畑の高黍(コウリャン)を見ると、緑色の小鳥が何羽も実ってきた穂をついばんでいる。

この鳥は、ネットで調べたらそうも「かわらひわ」のようだ。

とりあえず、今まで使っていなかった、ネットを張り巡らしたが、背の高い高黍の上を覆うことはできない。

そこで、田んぼの害獣対策でラジオを使っていたのを思い出して、携帯プレーヤーを使って音楽を流してみたが、しばらくは寄ってこなかったが、また、寄ってきた。

そこで、ネットで調べていろいろ考えた結果、以前梅の花をついばむ雀対策に用いたように、テグスを使うことにした。

透明か黒色か迷ったが、黒糸を使うことにして、ネットで注文した。


梅の対策の時は、テグスを梅の枝をそのまま利用できたが、高黍にはテグスを結べない。

そこで、竹を立ててそこに結びつけることにした。

高くしないと、上からの襲来を防げないので、高く張り巡らすために、脚立を使って高い位置に結びつけた。

購入した黒糸は思ったより細くて、釣りに使う一番細いハリスのようだ。

たぶん、鳥の目には目立たないほうが、よけるのが難しくて恐れさせるのだと思う。

ところが、細い分だけ結びにくいし、すぐに切れてしまう。

高黍の周りに黒糸を張り巡らせるのに非常に苦労した。


そして、翌日設置した高黍の様子を見ていると、鳥は来るには来るがすぐに飛び去っていく。

そして、やはり勇気のあるのもいるようで、平気でついばむものもいたが、数日で殆ど来なくなった。

これから、この黒糸は細いので、すぐに切れたり、解けたりするだろうから、維持管理をきちっとしなければならない。

何カ所にも今年は高黍を栽培しているので、畑中張り巡らせることになる。

そういえば、焼き畑は鹿、イノシシなどだけでなく、鳥などの空からの襲来との闘いであったことを現実に思い知らされた。

お婆さんや子どもはこういう鳥を追い払う役目を担っていたようだ。

また、やってきた動物も捕まえて食料にしていたのだろうと思う。

縄文時代ではカラスも食べていたようだ。

現代では野鳥を勝手に殺すと犯罪になるので、こういう対策しかすべは無い。


最近は稲に関しては農薬をよく使っているせいか、雀などの小鳥はあまり寄りつかないし、その数も激減していて、田んぼでは対策をしていない。

以前はプロパンガスを使って爆発音をだしたり、田んぼ中に脅しになるテープや糸を張り巡らしていた。

最近は農薬の空中散布や除草剤の影響で、虫や小鳥が減ったので、対策は主にイノシシや貉に対して電気線での防除だ。

こちらは黒い糸など全く効果は無いだろう。

夫婦や恋人との深い絆の関係は「赤い糸」に喩えるが、近づいて欲しくない鳥との関係は「黒い糸」が実際に関係を切ってくれる。

同じように見えない細い糸でも、関係を結ぶことも切ってしまうこともできるのだから、糸は人にとって大切なものだ。




2024年8月4日日曜日

私は縄文系アスリート?

 今、私は奄美の人々のヤポネシアにおける歴史的な位置づけを考えている。

最近はDNA研究が大きな役割を担っていて、その論文はオープンなので誰でもネットを使って読むことができる。

ただ、殆どが英文なので、私はDeepLという翻訳アプリを利用して読んでいる。

今までは英文の単行本は高価な上に、読むのに時間がかかりすぎていたので、翻訳本ばかりに頼っていた。

当然、雑誌などの論文も手に入れるのが難しかったこともあって、孫引きをするのがせいぜいだった。

それが、DNA研究に関しては、私のような者でも英文の論文に取り組むことができる。

ただ、DNA関連は科学、特に化学や医学的の専門用語が多いので、そちらを理解するのに苦しんでいる。

DNA研究が研究費をもらって非常に推進されているのは医学に利用できるからだろう。

研究者も医学委関連の研究機関や大学が多いので、我々文化人類学の視点とは少々かけ離れていることも確かだ。


そんな中で、縄文人と弥生人の遺伝的な違いで、血糖値の問題を次の論文で見つけた

Modern Japanese ancestry-derived variants reveal the formation process of the current Japanese regional gradations. Watanabe Y. and Ohashi J. in iScience, March 17 2023

つまり、狩猟採集を中心としていた縄文人のDNAには、糖をよく吸収する遺伝子が組み込まれている。

それに対して、大陸から渡来した農耕民は、かなり古くから農耕が始まっており糖質を吸収する能力のDNAは強くないということだ。

今の日本人は縄文人と弥生人(農耕渡来人と縄文人の混血)がさらに混血して成り立ている

そして、日本人は均一なDNAではなくて地域によって偏りがあるので、縄文系のDNAを多く持つ人が、糖質を過剰に取ると糖尿病になる危険性が増すということになるのだ。

糖尿病が遺伝するというのはこのことかと思った。

それでネットで調べてみると、案の定縄文系のDNAをよく引き継ぐ、東北や北海道が糖尿病の患者が多い。

北海道は縄文人の末裔と言われるアイヌ系の人もいるが、東北出身者が多いことで知られている。

同じように沖縄も縄文系のDNAが多いのだが、これまでの糖質が米より少ない甘藷の主食から米食や麺食が中心の食事になったりして肥満が進んで、糖尿病患者が増えているようだ。

例外は香川県で、ここは縄文系が少ないが、朝からうどんを食べるなど、糖質を過剰に摂取しているうどん県で糖尿病が多い。


私の父方の親族は縄文系なのか、糖尿病が多い。

母方は母を含めて肥満の体型もいるが、糖尿病はいない。

私の4人兄弟で糖尿病は私だけだ。

他の兄弟との大きな違いは、私だけがスポーツをしてきたことだ。

小学生から球技、剣道をしてきたし、高校で体育系クラブに入らなくても、運動は欠かさなかった。

社会人になってからは、剣道以外にランニング、水泳など、レースや試合に参加してきた。

叔父の中でも糖尿病なのは、若い時にスポーツを激しくやっていた人だ。

だから、単に縄文系の遺伝だけではなくて、スポーツに励んで糖質を吸収しやすい体質を作り上げたからだと思う。


対策として、縄文系のDNAを多く持つと思ったら、縄文人に近い食生活をすることだろう。

さすがに、どんぐりは無理だが、糖質の少ない食事に心がけることだと思う。

そして、狩猟採集の生活のように、身体をよく動かすことだ。

縄文人は海洋性食物を多く摂っていたし、海に潜ったりして、泳ぐのも得意だったようだ。

父方の親戚は前にも書いたように、海人の生活だったので、縄文系だろうと思う。

純血とは言えないが縄文人のDNAを引き継ぐ末裔として、その生活を意識せねばならないだろう。

残念ながら昔はいやほど食べていたアサリを中心とした貝は、浜辺でとれるところはないし、国産のアサリや牡蠣は高くて滅多に食べられない。

もう、縄文人のように貝塚など築くことなどできない。

ただし、縄文人は食人の習慣などもあったようだが、人を食うようなまねは駄目だろう・・・






2024年8月1日木曜日

わしゃ ヤンマがええな

 昔のCMで農家のじいさんが、ヤンマートラクターを宣伝していた時の台詞である。

数年前から、農機ではなくて、蚊などの虫除けにオニヤンマ君(模型のオニヤンマ)を物干し竿や、玄関先につるしている。

以前は、犬の散歩前に、玄関や庭先で蚊に食われていたのだが、最近は食われてないので多分効果があるのではないかと思っている。

そういえば、こちらでは蚊に「食われる」というのだが、標準語では当然「刺される」である。

また、こちらの地方では「噛まれる」というのも普通に使う。

こちらでは刺すのは蜂で、血を吸う虫は「食う」「噛む」と表現する。

ただ、ブト(ブユ)やアブには「噛まれた」と表現するのが普通で、血を吸うのがはっきりしているから蚊は「食う」と表現すると思う。

人によっては、まったく蚊に食われない人がいて、平気で短パンと半袖Tシャツで農作業をしている。

その人には、「マダニが怖いで」というのだが、暑さ対策の方を優先しているようだ。

ネットで調べると、噛まれやすい人として、「汗をよくかく」というのが当てはまっている。

だから、私は防虫スプレーや防虫ネットを使ったり、空調服を着て散歩したりしていた。


ところが、空調服を着る時には、中に保冷ベストを着込まねば却って暑いだけなので、支度する準備が大変だ。

やむなく、早朝5時過ぎの散歩には、ジョギングをしていた時のランニングシャツと短パン、ただし、短パンの下にはマダニ対策のコンプレッションをつけている。

これで、気軽に涼しく散歩できると思っていたのだが、山際を歩く時にはブトが顔によってくる。

たぶん、ブトは吐く息に寄せられてくるのだと思うが、それを手で払うのが面倒なのだ。

ブトに食われると私は、大きく腫れ上がってしまい、以前はまぶたを噛まれて大変なことになってしまった。

だから、なんとかできないものかと、思案していた。

光る物が苦手かと、アルミ網の帽子を被ってみたが、大して効果は無かった。

そんなときに、帽子にオニヤンマ君をつけて散歩している人を見かけた。

吊しているのを使う手もあるが、いちいち取り外すのは面倒なので、さっそくネットで注文した。


小さい頃は、すばしっこいギンヤンマを捕ることができれば大満足だった。

捕ったギンヤンマをひもにつけて、他のヤンマを捕まえたりもした。

オニヤンマなどは滅多にお目にかかれる物では無かった。

シオカラトンボや赤とんぼは、狙う相手ではなかったが、指を回して目を回らせて捕まえて楽しんだ。

糸トンボなどは、溝や池にいっぱいいて、誰も捕ろうともしなかったが、今は滅多に見かけない。

ヤゴの生息できる溝や池が農薬で汚染されてしまったからかもしれない。

今はあれほどいたメダカさえ絶滅して売られているのだから、仕方ないことかもしれない。


今朝も、赤トンボが田んぼの上をいっぱい飛んでいるのを見かけたが、このトンボたちのお陰で、農道ではブトや蚊に刺されなくてすんでいる。

できれば、山際にもやってきて食べて欲しいのだが、田んぼの方が獲物が多いのだろう。

といいながら、最近では稲の葉には蜘蛛の巣を見かけない。

以前は、田んぼの全面に蜘蛛の巣がかかっていて、朝や夕方はそれが光ってきれいだった。

おそらく、農薬のせいで、蜘蛛もいなくなったのだろう。

畑にいたアマガエルなどもめっきり減ってしまった。

家の中では網戸のお陰であまり蚊や蠅に悩まなくなったが、あれほどいたハエトリグモなどもいなくなった。

虫たちと共に暮らしていた生活は終わって、模型に頼る寂しい時代になったのだと思う。

私は、本当は模型のヤンマより、本物のヤンマが大好きなのだが、これは人類滅亡への虫の知らせかもしれない。