ページビューの合計

2024年12月18日水曜日

健康指向から生活防衛へ

私が有機農業や自然農法に拘っていたのは、家族の健康を考えてのことだった。

農作業に掛ける時間と労力、経費を考えると、これまではスーパーで買った方が安く付いていたと思う。

でも、その殆どが化学肥料と農薬、機械に頼っていることに抵抗を感じていたのだ。

それが、このところの気象破綻の影響で、そういう農業がダメージを受けて農産物が高騰してしまった。

特に野菜の値上がりは食生活に直結してしまった。

家内には3年連続で大根を失敗したことを指摘されたので、「農薬を使って良いか」と聞くと「仕方ないんじゃない」という返事だった。

30年以上も無農薬の原則を放棄せざるを得ない状況になってきた。

まわりが農薬を使うので、いくらネットで覆っていても、集中的にやられてしまう。

以前は、馬酔木やタバコの吸い殻を用いた自然農薬も試したが、それらは簡単に手に入らなくなっている。

これからは市販の安全性の高い農薬を使わざるを得ないと腹をくくった。


一方肥料に関しては、有機肥料が販売されているので間に合わせられるが、不耕起を主体として草マルチの自然農法は頑張ってみたいと思っている。

こちらは、機械や石油製品になるべく頼らないモットーを維持したいと思っている。

また、モチ麦や高黍の栽培は機械なしでは、かなり困難であることが身にしみた。

脱穀と籾すりの手間が非常にかかってしまうからだ。

水田稲作がこういう破綻気象でも耐え得られていることを考えると、稲作農家に米を頼るしかないと思った。

その代わりに、大豆と小豆、落花生に力を入れることにした。

また、夏場は里芋よりもサツマイモ、冬場はジャガイモの根菜類に力を入れようと思っている。

これらの夏場はエンジンポンプに頼らざるを得ないが、水さえ有れば何とか持ちこたえられていた。

肝心の野菜だが、夏場の水対策だけでなく日除けを中心とした温度管理をするつもりだ。

また、春先の空豆、エンドウや葉野菜にも力を入れようと思っている。


これからの家庭菜園は健康指向という生やさしいものではなくなった。

高騰する農産物への生活防衛としての重要性が増してきた。

かつて人類学者のピエール・クラストルは「国家に抗する社会」の中で次のように述べている。


西欧文明は確かに、その黎明の時代から二つの公理によって導かれてきたと思われる。すなわち、第一の公理は、其の社会は、国家という庇護者の影の下でこそ自己を展開するとする。そして第二の公理は、次の定言命令を与える。すなわち、労働せねばならない、と


欧米に追随した日本人も、同じような文明を築いてきた。

その結果が破綻気象であり、人間性を失った賃金労働だった。

これから我々は国家の庇護とは距離を置いて、自然と共存できる生活を営み、そこからの恵みを頂きながら生きていく必要があると思う。

ささやかな「生活防衛」こそ、未来に向けての「闘い」なのだ。







2024年12月15日日曜日

捨てちまった哀しみに

私は家内から古くなった服や物を捨てるように促されると、中原中也の詩「汚れちまった悲しみに」をもじって抵抗してきた。

私が「捨てちまった哀しみに」と言うと、家内は必ず「そんなに哀しいのなら捨てなくて良い」と言って突き放される。

それで、うやむやになってそのまま捨てずに残されてきた。

私は物に対して過去の想い出と重ねて、汚れたり、少し破れたりしただけではなかなか捨てられないでいる。

その中で、今でも着続けているのは登山用のヤッケである。

45年ほど前に買った青色のヤッケは当時で1万円も出して手に入れた物で、学生時代はバックパッキングや村落調査などでずっと使っていた。

その後は思い出したように使ったが、汚れも破れもないので、このところ冬場の散歩には毎日それを着ている。



そんな私が涙を流しながら以前に処分したのは、40年ほど前に長津田のアパートを引き払う時の家具類である。

伴侶に去られた後に行き詰まってしまい赤穂に戻る時、大家さんが置いておいてといった物以外の物はゴミ廃棄場に捨てに行った。

トラックをレンタルして弟が運転してくれたのだが、カラスが群がるゴミ捨て場に捨てて帰る車の中で、号泣してしまった。

想い出のある家具類を捨てる哀しさを我慢していたのに、カーステレオでかけていたジョージ・ウィンストンのカノンで感情が溢れだしてしまった。

隣で運転していた弟に慰めの言葉をかけられる始末だった。

私の「捨てちまった哀しみ」の原点はこの想い出にある。


その後、愛車を買い換える時も、幾分寂しさを感じたりしたが、涙を流しながら処分したものは無かった。

ところが、今回の実家の片付けはその時と似たような状況になってしまった。

自分ですることにしてから、今は母の遺品を中心に処分すべくナイロン袋などに詰め込んでいるところだ。

する前は簡単に思っていたのだが、自分のアパートの時とは違い、父母が結婚して以来ため込んだ品々はとてつもなく多い。

それに庭の剪定も行っておかねばならない。

やってもやっても終わりが見えなくて、気が滅入るばかりだ。

そして、何よりも母に対する思いや、過去の出来事が蘇ってきてしまう。

「捨てちまう哀しみ」も込み上げてきてしまう。

家内も自分の母親の家の整理を考えていると言っているが、私はお金に余裕があるなら業者に任せる方が良いと言っている。

業者は単に物として簡単に片付けられるが、そこにかつて住んだことのある者にとっては、単なる物ではない。

遠い先祖の遺物ならともかく、肉親が身につけたりした物を、何の感情もわかずに処分できるはずがない。


まだ、処分場に持っていたり、ゴミに出したりはしていないが、それを行った後には「捨てちまった哀しみ」が込み上げてくるだろうと思う。

若い頃のように号泣することは無いと思うが、人生の儚さに心が疼くことになるだろう。

かつては出直しのための処分だったが、今回は手放すための処分となることになると思う。

特に、祖父を手伝って築いた庭を手入れし直すと、今眺めても素晴らしいと感じる。

できれば移して自分のそばに置いておきたい。

しかし、その思いは自分の家内や子どもには理解できないだろうとも思う。

この立派な庭を維持できるだけの「家」を築かなかった自分を自覚するしかない。

実家は庭が立派なのに駐車場が狭くて、敷地だけ広い農村の我が家のように、3台も4台も停めるスペースなど無い。

かつて庭に価値があったのは自家用車を持つことが無かったからで、今は駐車場と庭園を持てる人は限られている。

時代に取り残されちまった哀しい家であることも確かである。







2024年12月12日木曜日

豆乳への転換

今、酪農家が餌代などの高騰で採算が合わず廃業が急増しているという。

餌代の影響は近辺の水田地帯にも影響しているようで、牛の餌用の稲が多く作られている。

牛乳は学校給食では欠かせないので、酪農家が無くなってしまうことはないことは確かだろう。

小学生の頃からなじんできた牛乳や乳製品は生活に欠かせなくなっている。

それに対して、豆乳は私の子どもの頃には、豆腐屋で販売されていたが、匂いが強くて私は苦手で飲めなかった。

大学生の頃には、紙パック入りの豆乳があったので、たまに買って飲む程度だった。

自分で大豆を作るようになって、その活用方法として豆乳を自分で作るようになった。

リサイクルショップで豆乳製造機を買って作ったのだが、いい加減な分量で作っていたせいもあって味が薄く家族には不評だった。

残りかすのおからは食べづらく、機械の後片付けも大変なので結局使わなくなった。


一方、ヨーグルトは簡単に牛乳パックでつくれる電気製品を買って、家内はだいぶ前から作って毎朝食べていた。

ヨーグルトにはブルーベリーの実やジャム、酢をいれたり、粉末の青汁やシナモンを加えている。

豆乳で作られたヨーグルトが発売された時に、家内は牛乳と同じ方法で試しに作ってみたのだがうまくいかなかった。

このところ、豆乳ヨーグルトがよく出回ってきたので、家内は再チャレンジした。

最初うまく効かなかったが、発酵時間を長くすることによってうまく作れるようになった。

それを一番喜んだのは家内自身だった。

家内は牛乳ヨーグルトを昼食後に食べて仕事に出かけていたが、おなかがぐるぐると鳴って困っていたそうだ。

それが豆乳ヨーグルトに変えてから、鳴らなくなったという。

味は牛乳の方がおいしいのだが、健康面からすると豆乳の方が良いし、家内のおなかにはもってこいである。


豆乳に関してホームページの「世界を旅する豆乳」に歴史や、中国での事情が載っているが、中国では牛乳より歴史が古いそうだ。

現在でも中国では朝食に欠かせない飲み物になっているそうで、日本と大きく違っている。

豆乳は機械さえあれば大豆を買って自分でも作れるし、私のように畑で作った大豆も利用できる。

今年は黒大豆がそこそこできたので、黒大豆の豆乳を作ろうと思っている。

味は牛乳製品にはかなわないが、日本人の食生活には豆腐の方がなじんでいるし、これからは豆乳ももっと活用するべきだと思う。

何より牛を育てるより、大豆を栽培する方が簡単で、枝豆でも食べられるし、昔は葉っぱは飼料や肥料にも使っていたという。

刈り取った後の枝葉は、こういう田舎では焚きつけに用いたり、焚き火として火にあたったりしている。


これまでは安い穀物飼料を輸入して牛を育てたり、大豆そのものも飼料として使われることが多かったが、円安を機会に見直すべきだろう。

豆乳が世界的に普及すれば、世界の食糧事情も良くなるはずだ。

飲みやすい調整豆乳もあるので、学校給食も牛乳から豆乳に換えても良いのではないかと思う。

アマゾンが飼料用の大豆畑になって自然破壊がなされているのだから、日本は本気で大豆生産を推進すべきだと思う。

これからの食糧危機では地産地消が重要となってくる。

そのことからも、牛乳から豆乳への転換は大切なことだと思う。

そもそも、遊牧民は別として東アジア人の身体に合っていない牛乳を普及させようとしたこと自体が間違いなのだ。

因みに調べてみたらカルピスも豆乳で作ったのがあったそうだが、どうも販売を中止しているようだ。

ぜひ改良を加えて、牛乳製よりも安価で効能が高い物を開発して欲しい。

とにかく、我が家の豆乳ヨーグルトへの転換は新しい時代への一歩だと思う。






2024年12月9日月曜日

あの世は生きてる人のため

母が死んでから1年半を過ぎようとしている。

家の処分について以前から相談していた不動産屋から連絡がいきなりあった。

担当者が代わって、もう一度検討したいという。

見て貰った結果、家屋敷を綺麗に片付けてから、中古で売り出してはどうかと言うことになった。

ずっと、更地にしなければ売れないと思っていたのだが、自分たちの育った家屋敷が残る方が嬉しい。

更地で売却しても採算面でかなり厳しいことと、人口減で売却の可能性も低いと思っていたので、赤字さえならなかったら良いと思って、中古で売ることにした。


そこからが大変で、放っていた片付けをしなくてはならない。

母の生活感が残っている居間は、今までどうしても手がつけられなかった。

生きていた頃の記憶が蘇って、抱き続けていた母への申し訳なさの気持ちが込み上がってきたからだ。

ただ、1年半も過ぎるとその生々しい記憶も薄らいで、ようやく片付けをすることが、それほど苦痛では無くなっていた。

古物商にも来て貰って食器類を処分したが、まだ多くの遺品が残されている。

不動産屋は処理業者を紹介すると言ってくれたが、概算費用を聞くと50万円ほどかかりそうなので、できる限り自分ですることにした。

私は軽トラでずっと生活しているので、それを活用すれば問題ないのだが、大きな荷物運びには二人は最低必要だ。

今後は息子の手も借りねばならなくなった。


家の処分のことで思い当たるのは、アイヌの人のことだ。

アイヌの人は大人が亡くなると、その人が住んでいた家を焼く習慣が古くはあった。

理由はその人があの世で住む場所として必要だからということだった。

さすがにかつてのアイヌのような茅葺きとは違う現代の家は焼くことができないが、衣服や布団類を焼く理由に使えると思った。

本当は死の穢れ意識とか、想い出を消し去るためとしても、あの世で使ってくれると思った方が気が楽になる。

極楽浄土とかあの世は、死んだ人のためにあると考えがちだが、本当は残された家族やこれから死に向かう人にとってありがたい信仰で有ると思う。

信仰を失っているとしても他界をイメージする方が、現代人としても心の救いになるだろう。


かつて、家を代々継いでいける時代は、あの世の先祖と会うためのお墓や、祀るための仏壇などがあった。

年中行事にはあの世から戻ってくる、ご先祖様をお迎えする意識があった。

現代は子どもに継がせるる仕事も、子どもと一緒に住める家もなくて、かつての遺産を残せない未開人と変わらない状態になってきている人が多い。

未開人の多くは家は殆ど仲間と協力し合って建てていて、壊したり建て替えるのも簡単だった。

そして、亡くなった人は葬られた後、顧みられることは殆ど無い。

現代では家屋においては子育てには向かないだろうから、子育て期間中だけの家と独身時代や老後の家とを分けて考える方が良いだろう。

子育てのための家は、借家か売ることを前提に建てておいて、子育てが済んだら子どもに負担とならない簡単に処分できる家屋敷を探せばいい。

墓や仏壇も作ってもらわずに自然葬にしてもらい、自然に戻るという他界観を持っていれば良いと思う。

今の私にとってのあの世は、かつて未開人がイメージしていた、この世の鏡としてのあの世であるから、かつての死後の扱われ方になんら拘りは無い。

ただ、父母は昔ながらの扱われ方を持ち続けていただろうから、仏壇で供養を続けている。

父母は時代の変化を分からないまま逝くことができた最後の世代だろう。

私は墓や仏壇で供養して貰わなくても良いし、年忌供養もして貰わなくて良いと思っている。








2024年12月6日金曜日

大きなのっぽの古スピーカー

私の机の上の棚に、大きなのっぽの古スピーカー(H:48cm W:26cm D:20cm)を置いてある。

農閑期の冬場は暮れるのが早いので、PCで一人カラオケを夕方にするのを楽しみにしている。

その時に、このスピーカーを通して重低音の心地よい音楽が流れてきていた。

当然アンプが必要なのだが、もともと大きなステレオコンポ用だったが、コンポが壊れてスピーカーだけ使っていた。

コンポに代わるものは、ミニコンポが余っていたので、それを代用にしていた。

そして、ついにその代用のミニコンポも壊れてしまった。


そもそも大きなステレオコンポは、買って持て余した弟に頼まれて40年程前に買ってやったものだった。

ソニー製でCDは無く、レコード盤とカセットのプレーヤーがついていた。

時代遅れとなり、無用の長物化してレコードプレーヤーとスピーカー以外は廃棄した。

ミニコンポの方は、30年ほど前のもので、CDとMDのプレーヤーが付いていたが、音が出なくなって、主に家内がラジオを聴くのに使っていた。

ラジオを聴くのもアンテナが必要で、結局携帯ラジオに取って代わられて使わなくなっていたので私がアンプ代わりに使っていたのだ。


PC用の小型スピーカーもあって使ってみたが、やはり大型スピーカーとは雲泥の差で、なんとか使えないか考えた。

新しいコンポを買おうと思ったが、外部スピーカが接続できるのは最低4万円ほどする。

ネットで色々調べたら、PCにラインでもBluetoothでも接続できるパワーアンプがあることを知った。

5000円近くするが、コンポなどを買うよりもよほど安い。

早速ネットで購入して接続するのだが、一番手こずったのは、スピーカーの線をバナナプラグに繋ぐことだった。

以前は線の先を穴に差し込むだけで良かったのだが、今はバナナプラグが一般的なようだ。

これもハンダ付けとネジ式があって、最初一緒に購入したのがハンダ付式でハンダを使わず接続するのに苦労した。

その後、小さなコンポの置いてあったスピーカーにはネジ式のバナナプラグを接続して、時々パワーアンプを活用している。


本当のオーディオマニアなら、お金にいとめをつけないで、良い製品を買うのだろう。

私は音そのものよりも、伴奏として音楽を楽しんでいるのだから、そこまで音質に拘る必要は無い。

そもそもカラオケ音源がMIDIなので音質にも限界があるのだ。

こうして、40年前の古スピーカーを使い続けることができるようになった。

防音装置の無い部屋で、いい音を楽しめるのは田舎暮らしの特権だ。

そして、カラオケもその音に負けないような大きな声で楽しんでいる。


考えてみれば、こんなに40年以上も続けて使っている電気製品は無い。

実は、使っていないけれど残してある大切な電気製品がもう一つある。

それは高校一年生に買ったGrecoのレスポールコピーのエレキギターだ。

大学時代には軽音部で仲間のギタリストから、音がカスで安物のエレキと馬鹿にされたが、貯金をつぎ込んでやっと買えた思い入れがある。

ステージでは殆ど活躍することができなかったが、キダタローのラジオ番組に出た時には使った。

今はマイクが故障していて音がまともに出ないので、机の横に置きっぱなしだ。

こちらは、50年ほどの付き合いのある電気製品なので、何とか修理して使ってみたいと思っている。

デジタルの家電や楽器ができて便利になっているのだが、こういうアナログの電気製品は愛着があって死ぬまで捨てられないと思う。

アコーシック製品同様に電気製品にも「魂」を感じているからだと思う。




2024年12月3日火曜日

カルピス回帰

 私はドライブに際して、箱買いにしていたペットボトルのお茶を持参することが多い。

それは夏場は水分不足で便通が悪くなっていたことへの対策で、今は十二指腸潰瘍の痛みの軽減だ。

ところがこの日曜日に持って出るのを忘れて、途中で買う必要に迫られた。

できるだけ痛みを軽減するためと思って、ミルクティーを買おうとしたが売り切れてしまっていた。

ふと隣を見るとカルピスウォーターがある、これだと思って早速買った。

そして、車の中で冷たいのを口に含んで暖めながら、少しずつ飲んでいった。

しばらくすると、それまでシクシクと痛かったのが無くなってきた。

新しい発見だと思い、帰りにスーパーによって、今はペットボトルで売っている原液のカルピスを買った。


カルピスのことをWikipediaで調べた。

なんと歴史は1908年(明治41)に溯り、30歳の三島海雲は内モンゴル(現在の中華人民共和国・内モンゴル自治区)を訪れ、そこで口にした酸乳を参考にしたそうだ。

製造販売は1919年(大正8)からだそうだが、自分ちの父母が生まれる前から有ったのだ。

私の子どもの頃は高価な飲み物で、家ではたまにしか飲めなかった。

家内はお中元などで貰うのを楽しみにしていたそうだが、うちにはそういうものは一切無かった。

青いアワ玉のついた瓶に入った原液のカルピスは、贈答品になるほどの高級品だったのだ。

ただ、幼稚園では夏場のプール遊びの後で、やかん一杯に作ったカルピスをみんなに飲ませてくれた。

家では滅多に飲めなかったので、いまだにその時の情景とおいしさを憶えている。

また、近くの絵の指導をしている先生のところに、入会をお願いするのに母はカルピスを買って持って行ったのを憶えている。

頼み事をする時にも役に立ったものだったようだ。

思春期では男子校だったので、カルピスが精液の隠語となってイメージを損なってしまったので、その後ほとんど飲まなくなってしまったいた。


今は十二指腸潰瘍の痛み対策としてかなり薄めて使っているが、それでも甘く感じてしまう。

既に糖質60%オフの原液も売っているようだが、糖尿病の身としてはできるだけゼロに近づけたい。

そこで考えたのは、今食べている豆乳ヨーグルトを水に溶かすことだ。

我が家は以前からヨーグルトを家で作っていたが、牛乳から豆乳に変えることに家内は成功した。

種菌は売っている豆乳ヨーグルトで、無調整の豆乳も売っているところは限られていて手間ではあるようだ。

家内は特に牛乳をちゃんと消化できないようなので、豆乳の方が栄養価でも優れていると思った。

ただ、薄めると飲みづらくなったので、原液のカルピスを少し足して飲むとおいしかった。


100年以上の歴史があり、健康食品として旧日本軍でも使われたという優れものである。

年月に耐えているということは、それなりの効能があるということだろう。

栄養面だけでなく胃壁などを保護するために、色んな飲み方ができるかもしれない。

十二指腸潰瘍を再発した私には、救世主になって欲しいと思う。

モンゴルの知恵が、こうして現代に活かされていることが何よりも愉快だ。



2024年11月29日金曜日

安上がり長時間デスクワーク対策

 私は完全退職以来、読書をしたりものを書いたりということで、特に農閑期ではデスクワークの時間が増えてしまった。

現在は十二指腸潰瘍で苦しんでいるのだが、以前の農繁期では腰痛で苦しんでいた。

その時に買ったのが、立ったまま操作するのに使うノートパソコンスタンド パソコン台だった。

ノートPCはディスプレイを大型に拡張して使っているので、外付けのキーボードとマウスを乗せて使っていた。

慣れるのに時間がかかったうえ、やはり夜などは疲れているので、立ってしようとは思わなかった。

それで、椅子に座る時間が増えてしまって、とうとう十二指腸潰瘍を再発させてしまった。


十二指腸潰瘍は腹が空くと痛くなるのだが、食事をした後も座った姿勢でいると痛くなった。

ただ、車ではリクライニングができるので、身体を楽にさせると痛みは治まった。

また、散歩したり泳いだりすると、痛みも軽減されたり忘れることができた。

ところが、今回は用事があって、図書館で時間を潰さなくてはいけなくなった。

図書館は立ち読みする場所などないので、窓際の机が高くて椅子も使えるし、立ってでも読める場所を見つけてそこで雑誌を読んでいた。

やはり、立って読み続けると、疲れてきたので、座面の高い椅子に座ってみると、意外にも痛みが来ない。

つまり、座面の低い位置の姿勢が長く続くことで、痛みが来ていたということだった。


そこで、さっそく戻ってから、立って座れる椅子を探すと、可動式の机用の可動式椅子というのが見つかった。

要するに、座ったり立ったりしてデスクワークをする可動式デスクには可動式の椅子が必要だったのだ。

そこでそれを注文しようかと考えたが、ふと以前買ったアウトドアチェア 伸縮式 キャンプ椅子のことを思い出した。

これは農作業用に買って使っているのだが、これを椅子の上に置いて使ってみると、座り心地はすこぶる悪いが何とか使える。

また、以前にニトリで丸形の分厚いクッションを買っていて、使わずにいたのを思い出して上にのせると、座り心地も良くなった。

ずっと立ってPCを使うことを考えれば、ちょっとした休憩として使えば問題ない。


考えてみれば、動物は同じ姿勢でいられるのは横たわっている時だけだろう。

これも床ずれなどを起こして問題となるが、立ったままとか座ったままよりはましであるが仕事にはならない。

座ったままの場合、楽そうに見えるが、意外と腰やお尻、胃腸に悪い。

長時間自転車に乗る人や、車を運転する人などは、腰痛持ちが多いことはよく知られている。

机にかじりついている研究者も、痔とか腰痛、胃腸の潰瘍に苦しんでいる人もよく知られている。

また、腰をかがめてする仕事の多い農家の人も、腰や背中が曲がってしまって、その痛みに苦しんでいる人を知っている。

その点で言えば教師は立ったり座ったり、スポーツをしたりして健康面では悪くなかったはずだ。

しかし、それを打ち消すだけのストレスを受けるブラックな仕事になってしまったということだ。


一方家内のリューマチは、同じ姿勢が悪いだけで無く、動かさなければ痛みが増してくる。

だから、ドライブに行く時は、助手席にいるより運転をしたがっている。

最初は、私が違反して減点され運転免許証の停止が間近なのが理由だったが、その心配がなくなっても運転をしたがった。

私の運転が不安だというのでは無くて、どうもリューマチの痛み対策であることを、私が同じ姿勢で痛むことを言うと話してくれた。

人にはなかなか理解されない痛みがそれぞれあって、家内には十二指腸潰瘍の痛みがあまり理解できないようだ。

とにかく、人は同じ姿勢を長時間できるような身体の仕組みになっていないということは確かであり、それを意識しないと身体を壊すことになる。

ところが、小学生の頃からじっと机の前で座っていることが習慣づけられて、身体を動かすことの大切さをだんだん忘れさせられてきてしまった。

特に受験勉強などはその極めつけだろう、また大学生の論文作成などもそうだと思う。

同じ姿勢を続けることが、身体に悪いことを強く意識せねばならないと思った。