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2025年1月6日月曜日

庭のある家

ネットで「寒くなるにつれ外国人がうらやむ日本独自の「アレ」とは―香港メディア」という記事の中で、1位にこたつ、2位にコンビニ、3位に庭、4位多機能トイレが上がっていた。

とすると、我が家は4位までを満たしている。

食事はいつもこたつでして、コンビニも歩いて行ける距離にあり、庭も広く、多機能トイレも愛用している。

過疎の田舎暮らしで、どちらかというと魅力が無いと思っていたが、過密な都市に住む香港の人には魅力があることを知った。

今日も姫路のモールに買い物に出かけたが、その近くの新しい家には殆ど庭が無い。

家内の「庭が無いから、草を抜かなくて良い」という言葉には同意したが、自分はこういう家にはあまり住みたいとは思わなかった。


庭は確かに世話をするのは重労働伴うことが多い。

業者にやって貰うと、かなり高額になってしまう。

しかし、夏場の暑さは庭木によってずいぶん和らいでいるし、冬場は風よけにもなっている。

当たり前になってしまったから、そこから得られる安らぎはかけがえのないものだと思う。

これは自分の赤穂の実家ではすごく感じていた。

一番思い出すのは、大学院の受験勉強を夏休みに実家でしていたのだが、庭の見える座敷の座卓でやっていた。

というのも、かつての自分が使っていた部屋は弟に明け渡してしまっていたからだ。


実家の庭は池もあって、当時は周りに家も建っていなかった。

風通しが良いので、冷房も必要なくて落ち着いて、初めてのフランス語の論文を読む勉強をしたのを憶えている。

かつては父はこの庭の手入れで苦労していたが、今は自分が苦労している。

しかし、実は一番残したいのは、家屋ではなくて庭だ。

というのも、受験の時の想い出ともに、庭を造る時に庭材を商っていた祖父と一緒に、庭師の人を手伝ったからだ。

また、庭に面した縁側は雰囲気があったので、高校時代にギターを弾きながら歌を歌ったりしていた想い出もある。

何よりも、祖父が父に形見として、庭を残そうとしたことが分かっているからだ。


今の上郡の庭は、単に生け垣があったり、クリスマスに買った樅の木とゴールドクレストの大木になって生えているくらいだ。

そして、生け垣兼用の梅とゆずは、あまり実はならないのに手間はすごくかかっている。

実家の庭は美術作品だが、我が家の庭は実用品である。

たぶん、町家と農家の違いなのだろうが、近所の地元の農家では、立派な見栄えの良い庭を持っている家も多い。

近所に比べても見栄えの悪い我が家の庭だが、殆ど庭木や草花の無い若い人の家よりは趣があると思っている。

若い人はエアコンをがんがんかけて暮らしているし、手間がかかるので、その価値を見いださないようだ。

自然との共存は普段の生活の中にあることも、分かって欲しいとは思っている。

そして、鳥や虫たちも訪れて来てくれる。

そのせいか、いつのまにか植えてもいないシュロの木が大きくなっている。

庭はしっかりと時代と季節の移ろいを感じさせてくれる場所なのだ。

都会では一部の富裕層しか持てない庭は、田舎では普通に持てる豊かさも知って欲しい。






2025年1月2日木曜日

お年始の無い元日

私は大学院時代にリサイクルショップで買った椅子を使い続けていた。

後に自分の結婚式のお祝いに貰った机と椅子は、机だけ使い続けている。

椅子の方は、高さを調節するビスが甘くなってしまって、高さが調節できなくなったので、何年か使った後は殆ど使っていない。

院生時代からの椅子は身体にうまくフィットして、座りやすかった。

ところが、院生の時も十二指腸潰瘍を患ったのだが、今回の再発で同じ姿勢でのデスクワークが悪いことを身にしみて分かった。

それで、「安上がり長時間デスクワーク対策」をしていたのだが、やはり座り心地も悪いし、お尻も痛くなってしまった。

何よりも、いったん良くなってきて、椅子の対策をしなくなってしばらくすると、また調子を悪くしてしまった。

12月30日に思い切って、可動式椅子を買うことを決心した。

これからもっとデスクワークが増える可能性があるので、予防的にも立った姿勢での操作を増やす必要があると思ったからだ。

それをスムーズにするには、可動式の椅子がどうしても必要に感じた。

デスクワークのやり方を根本的に変えねばならないと、腹を括り1万円と値ははるのだが、

[山善] 昇降 チェア (スタンディングデスク対応) ガス圧昇降式をネットで注文した。


注文する時に、1月1日配送と書いてあったので、どうせ遅れるだろうと思っていた。
ところが、前日に予告があったので、宅配ボックスを指定しておいた。
当日朝、9時頃に配達業者がやって来て宅配ボックスに入りきれない大きさだったので、手渡してくれた。
さっそく組み立てて、今このブログを書くのにも使っていて、ずいぶんと姿勢を変えやすくなった。
それにしても、宅配業者は元旦から仕事とは大変だと思う。
大晦日も、散歩の途中でいつも会う警備会社に勤めている人に、「今日も仕事ですか?」と聞くと、「はい、明日もです」と答えられた。
こちらは「大変ですね」と言うしかなかったが、正月も関係ない人が多くいることに改めて考えさせられた。

実は息子も、老人ホームに勤めているので、大晦日に家にいることはこのところ無かった。
ところが、今年は大晦日どころか、元日からも休みにして貰っている。
非正規社員の息子にどうやら配慮してくれたらしい。
それには背景があって、仕事上のトラブルで失敗をして迷惑をかけたので、これを機会に私は息子に今の仕事を辞めて職業訓練を受け直すように説得した。
施設の方は、トラブルを理由に解雇してもおかしくなかったが、人手が足りないのか慰留されてしまった。
私は今後の健康面の不安(肥満)などから、宿直だけの仕事を辞めさせたかったのだが、本人が決心できない以上は仕方ないと様子をみらざるをえなかった。

去年は、母が亡くなって初めての正月だったので、祝い事は一切行わなかった。
今年は、祝い事が出来るのだが、家内の母親も入院してお年始にもいけない。
65歳にして初めて親戚と会わない元日を迎えることになった。
私は以前のように朝起きてクロと近所の神社やお寺には初詣を済ませた。
午前中は本来なら家内の母に挨拶に行くところだが、入院していけないので、私は年末にいけなかった義父の墓参りに行った。
その後で、赤穂市尾崎の八幡神社に行ったのだが、人が多くて駐車場に入るにも大変で、参拝の行列も出来ていた。
ここは子どもの頃からのなじみの神社なのだが、ここは諦めて私の生まれ故郷の鳥撫(鷆和)の神社に行くことにした。
実は私たち夫婦の本籍地は、かつて祖父母が住んでいた鷆和の住所なのだ。
誰もいない神社では、思ったより長くて急な階段を登って参拝したが、改めて様変わりした景色に驚いた。
その後で狭い路地を抜けて家内に本籍地を見せに行ったが、崖崩れで本家は別の場所に移り畑地だったのだが、今はただの更地になっていた。
声はかけられなかったが、途中で親戚のおじさん(母のいとこ)を見かけて、ほっとした。
私の縁は長く暮らした尾崎ではなくて、本籍地の鳥撫に残っていると感じざるを得なかった。
尾崎にしても鳥撫にしてもどんどん様変わりしてしまったが、子どもの頃遊んだ神社だけはそのまま残って安心させてくれる。
一方で、家内には初めての神社だったのだが、私の源点を知って貰う価値はあった。








2024年12月30日月曜日

正月の派手な飲食が病気に

私は、大学時代に正月に帰省すると、よく身体を壊していた。

下宿でまともな物を食べていないので、正月に実家に戻るとその分を取り戻すではないが、飲み食い出来る物を貪ったからだ。

たいていは腹を壊して、食事がまともにできなくなったりした。

戦国時代に、兵糧攻めに遭って城に閉じこもっていた民衆が、解放されて食事にありついた時に、いきなり多く食べて死んでいったのにちょっと似ている。

私は兵糧攻めに近い状態にあって、親からの仕送りが月に2万円と特別奨学金の3万6千円で生活しなくてはならなかった。

家賃が1万円と水道や電気代で最低は5千円ほどかかるから、実質4万円での生活だ。

当時の大卒者の初任給が10万円ほどで今の半分ほどだったから、それほど貧しいというわけではないが、奨学金頼みの生活だった。

ただ、それを全部飲食につぎ込めるわけではなくて、春と夏の村落調査の費用も多く置いておく必要があった。

アルバイトもしたけれど、実入りの良い家庭教師や塾の仕事は見つからなかった。


夏休みには赤穂で土方の仕事をしたが、期間の短い春休みや冬休みなどは名古屋でバイトを探した。

春休みに鉄工所で働いたり、正月前は餅屋で働いたりした。

女子学生は喫茶店や飲食店のパートがあったが、男子学生が働けるパートの仕事はあまりなかった。

そもそも、自由に学生生活を謳歌したかったので、毎日バイトに縛られる生活は嫌だった。

また、当時はそういう貧しい学生など周りにいっぱいいたので、苦にならなかったし恋人もちゃんといた。

その彼女はたまに、自分の下宿の賄いの夕食をタッパに詰めて持ってきてくれたし、週末はささやかな料理を作ってくれて一緒に食べるのが楽しかった。


私の父は非常に冷徹に男4人兄弟の子どもにかける金銭を平等にしようとしたが、結果的には我を通す私より素直な弟の方が得な扱いを受けた。

私の遠距離通学浪人の失敗から、弟の浪人はちゃんと賄い付きの下宿がなされた。

うまく国立大学に行った弟は授業料が安いので、賄い付きの下宿の費用を出して貰っていた。

私は私立大学で授業料が高いので、その分仕送りが少なかったのだ。

父の考え方は、私学へ行って金のかかる息子が暮らしで苦労しても仕方ないということだった。

弟はゆとりがあったので、大学時代に運転免許を取り、赤穂に帰っても家庭教師の依頼を受けて裕福だった。

ある特、弟は運転できるので祖父に頼まれて魚屋に注文した品物を取りに行った。

弟は自分にお礼として貰うはずの寿司ではなくて、何も考えず祖父の食べようとしたトロの刺身の方を食べてしまったことがあった。

食べることに苦労していなかった弟の無頓着ぶりを示す出来事だった。


私は運転免許は取る余裕も無く、正月は親がレンタカーを借りて弟一人が運転して遠くにドライブに出かけたり、初日の出を見に行ったりした。

結局、大学院まで進学した私は4人兄弟の中で、一番遅く運転免許を取ることになった。

だから、私は青春18切符や高速バスを使って、学生時代は帰省や旅行することが殆どだった。

大晦日にまで餅屋で働いて、ボーナスだと言って2000円とのし餅だけ余分に貰った時はさすがに新幹線で帰省した。

しかし、帰った後はその疲れも出て、風邪などもひいて体調を壊してしまい、まともに飲食できなくなってしまった。

せっかくバイトでそれなりに稼いだのに、良い正月にはならなかった。


今年は年金暮らしをし始めて、初めての正月だ。

普段節制している分、正月に飲食を派手にやると学生時代の二の舞になる。

今年は物価高で兵糧攻めに遭ったような暮らしになっている。

正月だから、少しは気晴らししたいけど、身体が贅沢に慣れていないので気をつけようと思う。

無いことだが仮にクルーズ船で海外旅行などしようものなら、たぶん即病院行きだろう・・・・

このところ、秋に収穫したサツマイモをストーブの上の土鍋で焼いて食べている私は、正月に食べるご馳走?には、食べ過ぎに気をつけねばならない。









2024年12月28日土曜日

最後の「クリスマスの約束」

小田和正のこの番組は、だいぶまえに家内が楽しそうに見ていたので、自分も見始めた。

だから、最初から見ていたわけではないが、近年は欠かさず見ている。

先日はスキマスイッチの「スキマフェス」の収録番組に登場した姿を見たのだが、ずいぶん歳をとってしまった印象を受けた。

今回もこの最後の「クリスマスの約束」でもそれを強く感じ、この番組を最後にするのが分かる気がしたが、調べたら来年も全国ツアーをするという。

現在77歳の小田和正が全国を駆けめくるというのは驚きだし、テレビの印象からして身体は大丈夫なのか気になった。

小田和正の素晴らしい高音は健在で、プロの力を見せつけてくれている。

私は50歳頃までは歌えていた高音が絡んだ曲など、もう殆ど歌えない。

小田和正の「さよならは 言わない」をカラオケで歌うのに、現在はキーをB♭からFに3音くらい下げないとサビの部分が歌えない。

このごろは高音が出ないので、低音でも気持ちが伝わる歌い方に変えている。


この番組は多くのミュージシャンとコラボして、野外フェスを超えた魅力がある。

ミュージシャン同士だけで無く、観客も映し出されて、みんなで音楽を楽しんでいる雰囲気が良く伝わっている。

しかし、ここまで仕上げるのは並大抵のことではないようで、全国ツアーはできてもこの番組はできないのが納得できる。

小田和正の音楽に対する熱い思いが、20年以上の歴史を刻んできたのだと敬服する。

私はこのところ全く年末のNHKの紅白歌合戦を観なくなってしまった。

あまりにも混在した音楽嗜好が、まるで適当に具材をぶち込まれて不味い鍋のように感じているからだ。

その点でいけば、この番組はミュージシャンの持ち歌をみんなでハーモニーをつけたりして、別の美味しい味に仕上げてくれていた。


小田和正の曲の魅力は、自分の気持ちを投影できる歌詞とメロディーだと思う。

大分昔に、「言葉にできない」をテーマ曲にして、障害を持った子どもを亡くした親のドキュメントが放送された。

私は当時そのドキュメントを録画して、授業やLHRで生徒に見せ続けていた。

この歌は本来、恋愛の歌だったのだが、まだ幼い子どもを亡くした親の切ない気持ちを表現してくれていた。

音楽は映像や記憶と重なり合って、心に伝わってくれる。

私は「緑の街」や「さよならは 言わない」など多くの歌に、自分の過去を重ねてひとり歌ったりする。

小田和正が曲を作った背景とはかけ離れているとは思うが、その曲にはそれだけ心の奥にある情感を引き出せる魅力があるのだ。

私は小田和正の曲は、文化祭や忘年会のステージで歌うことは無かったが、教室で卒業前の最後の授業にギター一本で「言葉にできない」を歌ったことがある。

その生徒たちは、教師生活の中でも忘れられない担任した学年の生徒たちであったが、彼ら彼女らとの別れの切なさを伝えることができた。

小田和正の曲の多くはこれからも、ミュージシャンだけでなく多くの人に歌い継がれていくと思う。







2024年12月27日金曜日

災害から気づく健康寿命

 能登半島の地震災害から1年目となり、その検証がテレビなどで報道されている。

その中で、災害関連死の問題は、日常の生活にも考えさせられるものがある。

高齢者の場合、普段の生活が出来なくなるだけで、簡単に亡くなってしまう場合があったということだ。

直接の地震での死者よりも、その後の関連誌の方が多いという現実を、深刻に受け止めねばならないだろう。

つまり、我々日本人の寿命支えているのは、高度な医療と豊かな文化的な生活なのだが、災害に際して緊急に補う対策を取っていないということだ。

防衛費予算を増額するのは良いが、災害に際して国民の命を守る方が先決だろう。


高度経済成長以降に、衣食住の物質的な生活が豊かになり、機械化によって過重労働が減り、皆保険制度で普通に医療を受けられる環境が整い長寿となった。

その一方で、貧しかった頃は必要だった家族や親戚、知人と支え合う力を徐々に失っていった。

それは自分のことだけで精一杯の場合もあるが、蓄えた金銭や年金を過信して、支え合う心を見失ってしまった場合もある。

身近な人の中に、「老いては子に従え」という言葉を完全に無視をして、精神科病棟に入らざるを得なかった人も知っている。

金銭的にはむしろ恵まれていたのに、コロナのパンデミックに際して人を頼ることを嫌った結果だった。

人の多い街でもこういう災害関連病も増えているのではないかと気にかかる。

一方で、能登の災害避難所で最も確保できなかったのは、助け合える環境だったのだと思う。

過疎地域では、濃密な人間関係が少子高齢化によってどんどん失われて行っている。

今後、能登半島で起こってきたことが、日本中で起こるだろう。


NHKの番組で「あしたが変わるトリセツショー」で奄美徳之島の人の長寿が取り上げられた。

その中で、「ミキ」と言われる米粉と芋を摺り下ろした飲み物が紹介された。

これは昔は行事に用いられていた飲み物で、今のように毎朝でも飲める物ではなかったはずだ。

そもそも、サツマイモが主食だった沖縄・奄美が、米を主食にするようになったのはそう古くはない。

自然の山菜は昔から食べていたようだが、かつてはそんなに豊かな食生活では無かったようだ。

だから、流行病で多くの人が亡くなった言い伝えも残っているし、長寿になったのはそう古くは無かったと思う。

今は本土より長寿なのは、「人との繋がり」だということが、番組では強調されていた。

本土では豊かになって「人の繋がり」を失っていて、自分なりに「生きがい」を見つけている人が長寿なのだと解釈できる。

ネットでは高齢者の年金の問題を取り上げる記事が多いが、農家の多い沖縄や奄美ではそんなに年金を貰っていないと思う。

老後に備えての年金や貯蓄、投資の方が都市生活者には現実的に見えても、「人との繋がり」を失ったら役に立たないことも知っておくべきのように思えた。



2024年12月24日火曜日

若かりし日の想い出を友に

 冬場は日が暮れるのが早くて、農作業など外での作業が夕方は長く出来なくなる。

家内が仕事から帰ってくるまでの時間に、私はほろ酔いカラオケや弾き語りを2階の書斎でしている。

缶ビールを1本で喉を潤わせながら、ヤマハのカラホーダイをPCにスピーカーを繋いでしている。

そのカラオケの背景に使うのは、一番若くて楽しかった大学生の頃の写真だ。

今のように、デジタルで簡単に撮れて保存できる時代と違って、残された数少ないプリント写真をスキャナーで取り込んで使っている。

一枚の写真をアップにしてトリミングしたりして、枚数も増やして飽きない工夫をしている。

また、15年ほど前に名古屋と東京で写真に撮ってきた、大学時代や大学院時代の懐かしい場所の風景も混ぜている。

以前は自分の写真はあまり見たくなかったが、この歳になると今の自分とは全く別人のような感覚で見ることが出来るようになった。

夏場は歌うことは殆どやっていなかったので、声が出なくなっていたが、最近ようやく出るようになった。

そして、以前のように大声を張り上げるような歌い方をせずに、なるべく気持ちが伝わるような歌い方の工夫をして歌っている。


カラホーダイには、自分が歌いたい曲が無い場合もあるので、U-FRETなどで探して画面を切り取りパワーポイントに貼り付けて使っている。

その場合、Youtubeにカラオケがあったり、歌がある場合は一緒に流したりもしている。

そして、ギターの練習も時々それでしているが、なかなか上達しないままだ。

それでも缶ビール二本程度で、気持ちよく歌い続けられるし、写真が当時の記憶を蘇らせて孤独を紛らせてくれている。

スポーツが身体の健康にとって必要なように、音楽も心の健康に欠かせないものだと思う。

急がし時は聴くだけでも良いし、こうやって時間が出来れば自分で歌ったり演奏するのも良いのだろうと思う。

若かりし日の想い出に浸るのは、後ろ向きのように思われるかもしれないが、心を若返らせる力であることも確かだ。

そして、いつまで寄り添ってくれているイメージされた友なのである。


時空を超えて蘇る光景は、いろんなことで自由を失った心に「力」を与えてくれる。

以前なら盆や正月に親戚や家族、友達が集まって普通に出来たことだが、それが難しくなった今はその代わりにもなるだろう。

こういう輪がもっとネットをつなげて行うことが出来たら楽しいだろうと思う。




2024年12月21日土曜日

年金暮らしには水泳

 私は上郡町の温水プール(6コース)で、今は週に2回ほど水泳をしている。

年券を25000円ほどで購入しているが、月に直すと2000円ほどになる。

週一回泳ぐと元が取れるので、十分得をしている計算だ。

水泳仲間には毎日来ている人もいる。

午前中は老人を中心に水泳教室があって混雑するので、午後の12時から16時までの時間帯を利用している。

午後からの水泳教室では15時からは1コースだけだが、16時から4コースがふさがり、1コースが泳ぎでもう1コースが歩行用になる。

泳ぐ人が多くなると、1コースだけなので泳力が違う場合はかなり難しい泳ぎ方になる。

だから、その混雑を避けているのだが、それが出来るのは年金暮らしだからだ。


この時間帯はやはり年配の人が中心で、ちゃんとスクールで基本を身につけた人は少数である。

たいていの人は我流で、自分のペースで泳いだり歩いたりしている。

時々困るのは、25m以上泳ぐ人のコースで、泳いでいるそばで歩かれることだ。

ご本人は歩いたり泳いだりと、自分の都合でコースを使っている。

そういう時は仕方ないので、迂回したり、途中でターンをしたりして回避する。

中には、ずっと自己流のクロールで泳ぎ続ける元気な方もいて、励みになる。

私は自分のメニューで泳いでいるが、一緒に競うように泳ぎたがる仲間もいて、70歳を超えているのに息を切らしながら泳いでいる。

以前のようにマスターズに出ようと誘われるが、以前にマスターズで頑張った人がプールで亡くなったことを引き合いに断っている。


スポーツは観光と並んで近代において創出されたものだ。

昔は祭りや行事の中に、娯楽や運動が組み込まれていて、けっこう体力もいった。

そもそも普段の仕事が農作業なので身体をよく動かしていた。

奄美の与路島では舟漕ぎ競争や相撲をするのに、男性は普段から体力作りが欠かせなかった。

男性に限らず、八月踊りを踊り通すには、体力が必要だったことも確かだ。

本土でも一晩中踊り続ける夏の踊りや、秋のだんじりや神輿を担ぐのに普段から鍛える必要があるだろう。

そういう機会を失った多くの日本人で、デスクワークの人や年金暮らしの人は、健康スポーツが必要だと思う。

特に年金暮らしの男性はやることがなくて、ギャンブル、投資、酒で生活を破綻させてしまう人もいるという。

毎日歩くことも大切だが、雨の日や暑さ寒さに関係なくできるのが温水プールでの水泳だ。

水泳は、同じ所を行ったり来たりして単調になってしまうので、練習メニュー自分なりの目標を持てば、レースに出なくても楽しめる。

何より体型が露出するので、体重管理もしっかりしようというモチベーションも上がる。


田舎では水泳をする人が少なくて、プールの維持管理費用が負担になっているので、是非、町民の方や周辺の人に活用して頂きたい。

中には、隣の岡山県から通っている人もいるが、肝心の町民はまだまだ少人数だと思う。

そして、子どもが少ないので幼児コースの人数の少なさは将来のプール維持に不安を感じる。

水泳は年会費と安い水着で費用においては、ゴルフなんかよりもよっぽど安く済む。

こういう田舎では、年金暮らしでお金に余裕の無い人にもお勧めのスポーツでもある。

また、お金の余裕がある人は、やはり水泳教室をお勧めする。

私はコーチの経験があるが、色々と種目が泳げるようになって熱心に取り組んで楽しそうであった。

残念ながら、中心は年配の女性だったが、男性も加わって欲しいと思う。