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2025年4月17日木曜日

日曜昼の細やかな幸せ

 家内とはこのところよく回転寿司に出かける。

以前は、いつも駐車場に車が溢れているのをみたり、実際入ってみて順番待ちが凄いのであまり利用していなかった。

たまに、すいている岡山児島のかっぱ寿司に行ったり、全国チェーンとは違う値段の高い回転寿司を食べたりもしていた。

最近よく行くのは東岡山にあるくら寿司だ。

ここも当初はいつも駐車場に車がいっぱいなので敬遠していたが、思い切って寄ってみると広い駐車場が奥にあった。

いつもカウンター席でもボックス席でも良いと受付すると、たいがいは待たずにカウンター席に座れる。

初めての時は混んでいたのでしばらく待たされてカウンター席になった。

時間帯にもよるが、ここはボックス席殆ど座ることができる。


家内は寿司が大好きで、たいてい二貫一皿を一つずつ分け合って食べるのだが、私と殆ど同じ数を食べている。

私はアサリの味噌汁を頼んだりするのだが、飲んでいると先に食べ進んで皿が私の方に溜まったりもする。

くら寿司は皿は投入できてうずたかく溜まらないのが良い。

家内は味噌汁を飲むと寿司があまり食べられないと言って頼まない。

その代わりガリが大根だと特別にショウガのガリを注文して多く食べている。

とにかく色んな種類のにぎり寿司が食べられてしかも手頃な値段だ。

家内は普段ため込んでいるポイントを使って、二人で2000円ほどで済ましている。

これだけリッチに食べてひとり千円で済むことは、スーパーの寿司弁当でもありえない。


家内が本当に大好きなのは、鳥取の村上水産の海鮮丼で、道の駅「きなんせ岩見」で大抵食べる。

このところ値上がりして回転寿司の支払いの二倍の値段がするが、魚介類の物が違ってしっかりと味わうことができる。

ただ、冬場は雪道が苦手なので鳥取には足が遠のく。

冬以外は月に一度ほど鳥取に出かけてここに寄るのが楽しみになっている。


子どもが成長して一緒に出かけなくなってから、家内とは日曜の昼には食事に出かけることが多い。

当初はドライブがてら道の駅で食事をすることから始まった。

私の好きなホルモンうどんは岡山の津山の道の駅「久米の里」から始まったが、最近は時間が良ければ津山のうどん専門店「千両」に行く。

家内はホルモンが苦手だし、肉そのものも好きでは無いので、普通のうどんを色々食べている。

私はホルモンうどん以外にも、そづり鍋うどんを食べるのが好きだ。

私には問題ないのだが、家内には塩辛いそうだ。

ここはいかにも昔からの古い店で、トイレも旧式である。

それでも雰囲気は親しみを感じさせてくれるので良いが、人気があって駐車場には入れそうに無い時もある。

好物のホルモンうどんは時間が無い時は近場で済ますことが多いのだが、まだ佐用には行っていないので今度行こうと思っている。


私の年金と家内の非正規の仕事の収入で楽しめるのはこの程度のことだが、いつかは海外旅行を夢見ている。

大学の同窓生は65才を過ぎても、乞われて高校教師を続けることを自慢げにラインに書いていた。

私は「新課程になって面倒なので、講師は断っています」と打ち込んだら、スルーされてしまった。

仕事に誇りと生きがいを感じている人には、私のような日曜昼に細やかな幸せを感じている生活など想像できないようだ。

私は老人仲間から演奏ボランティアやコーラスを誘われている。

ただでさえ、時間が無いのにこれ以上増やしてしまったら、肝心の研究が疎かになりそうだ。

まっ いっか~!


2025年4月16日水曜日

その後のHotel Californiaの人々

Radicoでアナログコネクションの聞き逃しを聞いていると、田中まこさんがEaglesのHotel California歌詞を訳して解説してくれていた。

だいたいの意味は知っていたのだが、改めて考えさせらる曲だと思った。
この曲は私が高校3年の時(1978年)に文化祭の野外ステージにメインボーカルで歌った曲だった。
弟のリードギターも完全にコピーできていた。
当時は歌詞の内容などあまり考えず、ただ当時のアメリカを表現しているくらいに思っていた。
この曲は後に、1990年頃に職員バンドを組んだ時にも、忘年会でバンド仲間と演奏して歌った曲でもある。
この時も、懐かしい名曲として披露しただけだった。

当時のアメリカは豊かな繁栄の中で踊り続けて、そこから逃れられないと思われていた。
しかし、そのアメリカの大統領が世界からむしり取られたと嘆いている。
アメリカが踊り続けている間、日本では過労死や過労自殺が広がり、若者が結婚さえしなくなっていった。
アメリカも踊り続けていられるのは一部となり、多くが忘れたはずのワインで気晴らししたり、ピストルで命を絶ったりしだした。
アメリカ全体がHotel Californiaの世界であり続けることはできなかった。

私たちはそのアメリカに憧れ、この曲に魅せられて、その真の意味も考えずに歌い続けていた。
ヨーロッパや中東で殺戮が繰り返され、アメリカと中国が貿易戦争を繰り広げているさなかに、万博という踊りが大阪で開催されている。


Some dance to remember,Some dannce to forget
この万博の中で、50年前の希望に満ちた時代を思い出し、希望の持てない今を忘れる。


You can check out any time you like, but you can never leave"

自由と平和が訪れると思ったのに、破滅的な欲望の中から抜け出せないでいる


そう今なら自分なりに意訳している。

2025年4月14日月曜日

水泳を通しての仲間作り

 私はこのところ、糖尿病対策として週に3回プールに通っている。

月曜は隣の市の相生市民プールで、水曜、金曜は地元の上郡町民プールだ。

土日は農業や家のことに使いたいので、週に3回なら月、水、金とならざるを得ない。

すると、月曜が上郡町民プールが休みなので、せっかく年券を買っていても使えない。

本来なら年券があれば、相生市民プールを全て泳げば良いのだが、そこは1ヶ月1万円の施設使い放題しか無い。

年金暮らしの身には、月1万円の出費は痛いし、泳ぐために金を稼ごうとも思わない。

仕方ないので、回数券を使って月曜だけ相生市民プールに通うことにした。


たかだか1回あたり500円のプール代を払うだけで、思わぬ楽しみが増えた。

練習で一緒になり話ができる水泳マスターズに出場している人ができたことだ。

この人はまだ働いていて、使い放題の会員だそうだ。

私より5歳も上だが、背泳に関しては全く歯が立たない。

子どもの頃から水泳を習っていたこともあって、クイックターンやバサロが綺麗にできるのだ。

私は相変わらずクイックターンが下手で、特に背泳の時には鼻に水が入って辛い思いをしている。

こういう人の横で泳ぐことができるのは励みになる。


何よりも嬉しかったのは、子どもが習っていた頃のコーチがまだいて話ができることだ。

私が地元の高校の水泳部顧問をしていた時の選手達が親となって、子どもが練習に来ているという。

なかには選手同士が結婚して、その子どもも親も練習を頑張っているという。

自分には孫がいないが、部活での教え子の子どもという水泳の孫がいるようで嬉しい。

そのコーチも長く水泳に携わってきて、親も子も教えることができているなんて、なんと素晴らしいことだと思う。

私は移動ばかりしていた教師なので、教え子の子どもを授業で教えた経験が無い。


また、現役の選手も練習に来ていて、その選手の選手仲間やコーチも知っていたりする。

若い世代とも話ができるし、応援もできるのだ。

そして、隣で練習している老齢の方とも、知り合った会員の人を通して話ができたりする。

老齢の方は熱心に4泳法を練習していて、私はその隣しか泳ぎ専門のコースが無い。

そのコースは時間帯が良いので独り占めして泳いでいる。

賑やかな練習する人の横で泳ぐのは、ひとりきりで泳ぐことの多い上郡町民プールに比べてずいぶんと励みになる。

本当は、小学生などの選手のそばで泳ぎたいのだが、そういう時間帯はコースを複数人で利用せねばならず、泳力が違うと泳ぎづらい。


教師にとって、クラブ指導はずいぶんと負担となるので、中学校では学校以外で行うようになってきている。

水泳などは冬場に温水プールで泳ぐ関係から、かなり前からスイミングスクールでの練習が多かった。

外部の練習スクールと学校のクラブとの連携も難しいところもあるが、努力すれば何とかやってこられた。

相生市民プールのコーチともそういう関係でもお世話になってきた。

プロ志向や進路に繋がる部活は別として、スポーツや芸術などを通しての部活は仲間作りには良い機会だと思う。

かく言う私は部活では無くて、ロックバンドで校内での仲間を作っていたのだからあまり偉そうには言えない。

でも、学校の文化祭では我々のバンドの仲間が活躍していた。

要するに、もっと柔軟に生徒達がスポーツや芸術に励むことができる機会を与えてあげれば良いと思う。

私は学生時代の部活で経験したことも無い水泳が、今は大切な仲間作りになっている。

教師にも柔軟に色んなスポーツや芸術に携われるような余裕をあげて欲しいと思う。





2025年4月11日金曜日

学童は55年前のそろばん塾以下?

 先日家内に頼まれて、勤めている学童の教室に家内が依頼されて買ってきた大量のおやつを運び込んだ。

教室の一室に、低い長机をたくさん並べて、40人ほどが学習したり、テレビを見たりするという。

児童達は胡座をかいたり、正座したりするが、足を伸ばすと前の人にあたって喧嘩になってしまうそうだ。

思い出したのは私が小学生の頃に通っていたそろばん塾だった。

家の近くに地域の集会所を借りて開かれたそのそろばん塾に、火・木・土の夕方通っていた。

合格した級によって時間帯が変わり、高い級になると時間が遅くなった。

そこには木製の低い長机があって、いつも正座してそろばんをはじいていた。

1時間近く正座するので、終わる頃には足が痺れてしまい、いつも立ち上がるにも苦労していた。

正座が何よりも苦痛だったが、隣の人との間は肘があたらないように広めにとられていた。

学童ではそんな余裕さえ無いようだ。


55年くらい前と同じ状況が、現代でも存在することに呆れるしか無かった。

家内に聞くと、狭い方が暴れずに済んで良いのだそうだ。

元気な児童を温和しくするには狭いところに閉じ込めるのが一番と言うことだ。

学年も異なる40人を3人の職員で面倒見るのだからやむを得ないのだろう。

私が特別支援学校で指導していたのは、学童より少し狭い部屋で児童や生徒は4~5人ほどで教師も3人ほどついていた。

よく、特別支援学校の児童・生徒の一人あたりの経費を事務長から言われたが、20年前当時で年間700万円ほどかかっていた。

また、放課後デイサービスも充実していて、多く利用されていた。

はたして、学童一人あたりの経費はいくらかかっているか、ネットで調べたら東京の中間帯で年間6万円の税負担だそうだ。

放課後の子どもの面倒は親が見るという考えで行くと、こういうことになるのだろう。


学童に来る児童は必ずしも貧しい家庭では無い。

両親が教員であったり、公務員や病院、施設関連とかで働いている人もけっこういる。

問題なのは高学年になると塾へ行ったりするのでやめていく児童と、そのまま残ってしまう児童がいることだ。

そこで明らかに学力の差がついてしまう。

学童でも職員が勉強をする手助けをするが、塾のようにはいかない。

そろばん塾はせいぜい1時間だが、学童は普段は3時間ほどだが、長期休暇になると長いと9時間にもなる。

これが先進国日本の実情だとしたら本当に憂うべき実態だ。

老人や障害者を手厚くするのは選挙権や支援団体の影響が大きいだろう。

学童の保護者は人数の少なさや、そういう組織力をもつことができずらいので、改善できないのだろうか。

これから社会を担うべき人材の育成が、このようであって良いのだろうか。

2025年4月8日火曜日

狂った性欲

 文化人類学では性の問題は重要とされながら、そんなに研究は多くない。

私が大学院で学んだことで、一番記憶に残っているのは「近親相姦」に関しての松園万亀雄先生のゼミだった。

松園万亀雄先生は後に、『性の民族誌』*1でも執筆されているが、当時はエロティシズムを含めてこの分野の研究が必要なことは述べておられた。

この時に論文として読んだのは古代エジプトにおける兄妹婚の問題だった。

人類普遍に禁じられていると考えられている近親相姦が、古代エジプトでは王家を中心に一般にも広まっていた。

人類に普遍的な文化など無いように思えたのもその時だった。


性の問題は、サルとヒトを比較するとよく分かる*2。

私が大学生の頃は、デズモンド・モリスの『裸のサル-動物学的人間像』を読んで、その考え方に染まっていた。

霊長類の研究が進んで、ヒトとサルの類似性と違いがよく分かるようになっている。

特に高畑由起夫氏の研究*2には、目を覚まされる思いだった。


  動物とヒトの「性」をわかつものの一つに「時間」がある。哺乳類の雌の多くは排卵前後のわずかな時間だけ、ふだんと異なる形質的な特徴や行動を示して、雄と交尾する。発情とよばれるこの状態は排卵を知らせる信号にほかならず、「性」は繁殖に直結するものと見なされる。無駄を厭い、効率を追い求めれば、すばやく排卵を示して妊娠することこそ重要なのだ。かたやヒトの女性は発情を失い、途切れることなく「性」を受け容れ、いつ排卵するのかさえもわからないとされている。われわれの「性」は時間の制約から解き放されて、いつのまにか過剰になり、無駄に満ちているというわけだ。*3


ヒトが発情期を失ったが故に、自由な性を日常化することができた。

そして、それが家族形成に利用されたり、商売になったり、権力を誇示するのに利用されたりした。

このところ、芸能人や政治家のセクハラ問題が大きく報道されている。

ヒトは自由に性を用いながらも色々なタブーを課してきた。

その根底にあるのは、本人の同意なしでの性交を強いることの禁止だろう。

たとえその場で同意があっても、同意せざるを得ない状況に追い込むことも罪となる。

本来は恋愛と結びついて、子育てに必要な安定した家族を築くための文化が狂ってしまった。

これは、近親相姦が原因で滅んだとは思えないが、高度な文明によって古代エジプトも狂って行ったことに通じるかもしれない。

現代においては、自らの権力によって狂った性欲を弄んだ者は、それなりに報いを受けさせねば文明の崩壊を招くということだ。

それは戦争や戦闘によって、性の秩序が踏みにじられる状態と同じことを意味するからだ。

ただ、ヒトは自由な恋愛と性欲を結びつけて、経済格差や生まれ育ちのちがいを超えた絆を築くことができていることも忘れてはいけないと思う。


*1 須藤健一杉島敬志編 1993 『性の民族誌』 人文書院

*2 高畑由起夫編 1994 『性の人類学―サルとヒトの頂点を求めて―』 世界思想社

*3 高畑由起夫「「性」と時間―交尾季、月経、発情をめぐるいくつかの話題」*2:68p


2025年4月4日金曜日

教師として初任の頃

先日、特別支援学校(以下特支)で一緒に働いていた、元同僚に近所の100円ショップで会った。

その人は今年度は異動して今までよりも遠い特支で働くという。

因みに、この元同僚は今年で65歳になる。

私は特支で10年以上働いていたので、どれだけ体力を要する仕事か知っている。

この元同僚は私より2歳下だけなのだが若々しくて、とても元気そうだ。

昨年度から完全退職して、年金暮らしの自分とは大きく違うと思った。

この人は、元々民間で働いていて私立高校に転職したが、その私立高校でリストラに遭って臨時で特支に勤め始めた。

退職金の問題や年金の問題もあって、働き続けているようだった。


私は大学院の修士課程を修了した後、教師を目指した。

その時の経緯は「30年前の繰り返し」に詳しく書いてある。

それまで横浜で、机にかじりついて論文を書いていて、その後は塾の講師をしたりしていた。

そして赤穂に戻ってから、採用されるまでの半年あまりは中学校や高校の臨時の常勤講師を務めていた。

それが、採用されて初任は知的障害の特別支援学校だったが、当時は精神薄弱養護学校と言っていた。

そこで、いきなり試練にさらされた。

というのは、当時は小学校の免許も無いのに、公簿上は中学部の担当にして小学部の担任をさせられた。

そこで待っていたのは、リトミックを中心としたダンスであった。


おかあさんと一緒の体操「ぞうさんのあくび」はまだ良かった。

「アブラハムの子」は、頭でっかちの当時の私には恥ずかしくて、ぎこちなく踊っていた。

子どもができて一緒に遊ぶようになってからは何の抵抗もなくなったが、当時独身の私には最大の苦行だった。

何もかもが初めての経験で、今までの自分の考え方を根底から覆された。

毎年のように亡くなっていく児童の通夜にも立ち会ったりした。

私の教師人生の原点となった。


近年は障害児教育の免許の取得が重要なので、免許を持たなかった私のような初任者はいないかもしれない。

確かにしっかりとした知識や経験が必要だろう。

家内は大学で障害児教育の免許を持ちながら、現場で携わることは無かったのは皮肉なものである。

現場に携わりながら免許をとる手もあったが、ずっと障害児教育に携わる覚悟は無かったし、当時の校長も普通校に行って経験を積むことを奨めていた。

結局、免許も無いまま知的障害、肢体不自由の学校を合計で3校経験しながら、全日制職業校・定時制や全日制普通科、定時制、総合科学校などを経験した。

そして、今でも連絡を取り合っているのは、初任で一緒になった同期の仲間だ。

ただ、特支で失敗したり問題を起こした教師や心を病む人が多いのも知っているので、手放しに良い職場とは思ってはいない。

それでも、尊敬できる先輩教員に巡り会えたことも確かだった。

自分が尊敬される教師になれなかったのが、一番悔やまれることだが・・・・・




2025年4月1日火曜日

近代化=欧米化の崩壊の始まり

 アメリカのトランプ大統領によって世界が混乱しているのは、あらゆるところで聞かれる。

あそこまでアメリカが誇りを捨てて、好き勝手やり出すことを見たり、貧困白人出身のバンス副大統領の言動から、アメリカの没落を感じさせられる。

私は以前にも書いたように、核兵器や無差別爆撃によって大量の日本人を殺戮したアメリカに追随しなくてはならない我々を哀れに思っていた。

ただ、追随の恩恵で経済的発展を遂げて、多くの国民が物質的に豊かさを享受できたのだから、全く酷い話では無かった。

島津藩が琉球王国をうまく間接統治したのと同じ方法を、アメリカが行っていると思っていた。

しかし、今は高齢少子化が進み、若者の自殺も増え、過干渉の親に子どもが苦しみ、大規模な地震災害に怯えながら暮らしている。

何よりも、アメリカに追随して推し進めた原発の脅威を解決しないし、アメリカの温暖化を無視した政策に対抗することもできない。


そして、学問や思想でも欧米を追随するのが当たり前だった。

英語で書かれた文献を使わないと、一人前に見なされていない。

それによって、環境破壊が進み、戦争を抑制することもできなかった。

この救いがたい状況で、私は欧米の中心であるアメリカが没落すれば、日本も変わると思っていた。

しかし、ただでは没落しないことが今回よく分かった

世界を巻き添えにして、まるで巨艦が周りの小さな船や人を巻き添えにして沈んでいくのと同じようだ。

戦争犯罪とも言える核攻撃で日本を服従させた国家は、罪を問われないように消滅するまで世界を脅し続けねばならない。

おそらく、没落時の姿はソ連が崩壊したのと同じようになるだろう。

巻き添えにならないためにはどうすれば良いのか?

沈む巨艦に近づかないのが一番だし、そもそも同じ艦隊で進むのは無謀なのだ。

しかし、傀儡政権・官僚は簡単には換えることはできないだろう。

我々庶民は、アメリカに追随する政府とも一線画して生活することも考えておかねばならないと思う。


太平洋戦争時であっても、その被害を間逃れたのは田舎だった。

多くの都市市民や学童が疎開して命を守った。

少子高齢化が深刻な田舎に、疎開のつもりで移住しても良いのではないかと思う。

米不足や食糧難の時代が現実化していて、田舎の若い人も農作物を作り出した。

その点で言えば、これからは田舎の時代なのだと思う。