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2025年5月2日金曜日

人はカネ(賃金)のみに生きるにあらず

私は去年65歳になって、年金を満額貰えるようになったので、賃金を得るための仕事からは遠ざかっている。

仕事が生きがいで続けている人がたくさんいて、生き生きとしているのも知っている。

だけど、自分にはやりたいことや、やり残したことがあり余るほど有る。

教師をやっていた頃にやりたくても我慢していたことや、本来人が暮らしていく上で大切だと思うことを死ぬまでやり続けたいと思っている。

そもそも、そういう暮らしがおかしくないと思うのは、奄美の与路島に学生時代に研究で通っていたからだと思う。


与路島では正規雇用で働いていたのは、学校職員、郵便局員、発電所職員(後に廃止)くらいで、現金収入は畜産業や店舗で得る人が多かった。

学校の職員は外部の人が殆どであり、郵便局員も以前は与路の人が主力だったが後には外部の人が主力になったりした。

臨時に土木作業や建築作業の仕事があったり、非正規の常勤仕事も少ないがあった。

また、生活保護家庭が多かったのも確かである。

店舗が多かったのは、荒天で船が何週間も来ない時があるので、備蓄の意味もあった。

どんなに品が不足しても値段を上げることはないし、目が不自由な人が店主を務められるくらい思いやりがあった。

確かに家の作りは簡素ではあったし、風呂の無い家もあった。

しかし、食生活は決して貧しくは無かった。

なぜなら、海や山へ行けば美味しいものは簡単に手に入ったからだ。


食料も自給自足をしようと思えば可能で、何せサツマイモが寒い時期を除いて植えて収穫の繰り返しができたし、以前はソテツの実や幹が普通に食べられていた。

海へ行けば、女性でもサザエやアワビが簡単に拾えたし、タコやカニなども磯辺で捕れ、季節によってはノリも採れた。

男は漁はお手の物で、釣りをするのが普通だが、潜って捕ったり、岸辺から銛で突いたりしていた。

また、放し飼いにしている山羊を特別な日に潰して食べたり、正月には飼っている豚がご馳走となった

有る商店では豚を農家から買い入れて、自分で屠殺して処理して販売していた。

また、特別な例だが、出産で死にかけていた飼育牛を仲間を組んで屠殺して、分け合って食べたりもしていた。


古くは焼酎も造っていたが、今は店で買っており、必ず家に置いておくべきもので、夜に訪問すると必ず出されるものだった。

夜に訪れてお茶を出したら帰れという意味にとられてしまうし、私は滞在場所で切らしていて青年団に叱られこともある。

年配の人は三線を弾けたし、若い人はカラオケの機械を担いで家々を巡り歩いたりしていた。

夜は焼酎を美味しい海産物などをアテに飲んで歌うのが楽しみになっていた。

昼間でも神人やユタを中心とした神事で、太鼓を鳴らして遊ぶことがなされていた。


そんな暮らしを何ヶ月も経験していたので、貧しくても楽しく暮らしていけることを知っている。

与路島で一番学んだことは、それほど金が無くても楽しく暮らせていけることだった。

実際に、よそのシマの出身の独身連絡船乗務員は、大卒初任給が14万円だった頃に1ヶ月4万円で暮らせると言っていた。

その人は与路泊まりと古仁屋泊まりがあって、毎晩のように懇意にしている人の家へ飲みにいったり、古仁屋のスナックに行っていた。

地元の人もスナックを開いたこともあったが、店主が酔い潰れてしまうので商売にならず潰れてしまった。

民宿は奥さんがしっかりしている人がやっていた。


そんな心地良い生活はここ上郡では無理なので、せめて好きなことをしながら生活したいと思っている。

日課としては、朝から夕方にかけて、犬と散歩したり、本を読んだり文章を書いたり、農作業、水泳、そして飲みながらの歌の練習だ。

季節によって、山菜を採ったり、海に貝を拾いに行ったりするが、一番の仕事は気候に応じた農作業だ。

夜は大好きな酒を飲んでしばらくして眠った後に、また起きて本を読んだりテレビを見たりしている。

これこそ、30年間我慢して働いて手に入れた自由な生活なのである。

確かに貯蓄と年金という金があっての生活だが、賃金を得るための仕事に縛られずに済んでいる。

ただし、村作業が年間では最低7回ほど有って、それには必ず参加している。

おそらく、資産家は気ままな生活が若い頃から可能なのだろうが、働いて賃金を得る喜びも知っているので資産家をうらやむことは無い。

もう、そんなに長くは生きられない老齢者にとってのせめてもの心豊かな暮らしは絶対必要だと思う。

そして何より、自給自足的な農業や山野河海の恵みを得ることによって、本来の人間らしい生活に近づけるのが私の理想であり取り組みなのである。












2025年4月29日火曜日

米が高けりゃパンの耳

 私が家内が焼いてくれたパンは、パンの耳を第一に食べるというと、「奥さんに白くて美味しいところを食べて貰ってるのね」と言われる。

とんでもない話だ。

家内自身はあまりパンの耳は好きではなさそうだが、私は焼きたてのパンは耳の部分が一番美味しいと思っている。

米高騰の折に、自家製のパンを焼くことが復活した。

パンは糖尿病にはあまり良くないので、焼いて貰っていなかった。

ところが全粒粉のパンなら悪くないと言うことで、全粒粉のもち麦を手に入れてこのところずっと自動パン焼き器で焼いて貰っている。


今は米高騰の対策だが、かつて学生時代は耐乏生活で欠かせない物だった。

パンの耳を普通の食パンを買うついでに30枚ほど5円で買った。
当然、食パンよりパンの耳を買うのが目的で、パンの耳が置いてあるのを見計らってその店に入った。

恥ずかしいので食パンもついでに買ったが、パン屋さんはその目的は見透かされていた。

当時、同じようにパンの耳を買う人も他にいたので、ある意味では争奪戦だった。

毎朝、パンの耳を2枚焼いて食べるのが日課であった。

夏場はカビが生えるので、卒業生から貰った冷蔵庫で大切に保存していた。

当時は仕方なく食べていたのであって、金があるときにはフランスパンを買って食べた。

私はこのパンの耳と昼食の冷や奴とご飯で耐乏生活を乗り切っていた。


今は当時ほど倹約する必要が無い。

高い米を買わされるのが癪なのだ。

政府、JA、農家がもたらした米危機に自分なりに強かに乗り切りたいのである。

今年はもち麦を作って玄米に混ぜて食べたのだが、家内も私も腹痛を起こしてしまって、来年からは栽培をやめようと思っていた。

しかし、これから引き続きもち麦は作り続けることに決めた。

今パンに用いているのは買ったもち麦だが、これからは自家製のもち麦を使おうと思っている。

パンに必要な強力粉は今のところ買うしかないのだが、いずれ自分でも栽培してみようと思っている。





2025年4月27日日曜日

コウノトリの愛の結実と村(上郡町中野)

やっと我が村に愛の巣を築いて卵を抱き続けていたコウノトリにヒナが誕生した。 
以前に「コウノトリの愛の棲」で何度も何度も電力会社によって撤去されたり、暴風で吹きとんだりしたことを書いた。
今年は有志グループによって寄付が募られて、私が住んでいる村に巣作り用の鉄塔が建てられていた。
ところがせっかく建てられたのにそこには巣を作らず、隣村の電信柱に巣を作っていた。
しかし、結局電力会社がその巣を撤去して、巣作り用の鉄塔に木枝を移動させた。
コウノトリは移動させられても、その付近が気にいっていたのか近くの別の電信柱でまた巣を作った。
これもまたもう一度移動させられたので諦めて、巣作り用の鉄塔の方に卵を産んだのだった。

それから、しばらくその巣に卵を抱いているコウノトリが見られた。
座っているし、巣は木枝で覆われているので、頭の部分しか遠くからは見えなかった。
私はどこから一番見ることが出来るか知っているので、夕方に愚犬クロの散歩がてら覗きに行ったことがある。
その時には、鉄塔を設置するのをボラティアとして活躍して、その後も見守り続けている隣村のOさんに出会った。
実は今年はこのOさんの家の近くの電信柱に最初巣を作っていた。
彼女はスマホで動画を撮っていたが、知り合いなので声をかけた。
彼女は「そっとしてあげてね」と言っていたが、集落の人は普段通りの生活をするだけだった。
ただ、巣作り用の鉄塔を建てているところに近いJAの物置場には、立ち入り禁止の立て札があった。
私もそれっきり散歩で見に行くことはしなかった。

コウノトリが抱卵し始めてから、近くの道路や公園で車が停められたり、ハイキング姿の年配女性を見かけることが増えた。
そんな折り、それと関係しているかどうか不明だが、その近くの村の公園の水洗便所が流れっぱなしになり村の自治会は12万円の出費を強いられてしまった。
そして、その負担として各家は2000円の負担を強いられてしまった。
その水洗便所を使わせないためにその公園には車侵入防止の障害物とロープが張られ、結局は便所は使えないように水道を止めてしまった。
本来は公園なので車を入れること自体おかしいのだが、そうすることで路上駐車が増えて通行の邪魔になってしまう可能性もある。
見通しの良い場所なのだけど、これから田植えの季節だからトラブルにならなければ良いと思う。
とにかく、色々とマスコミ等で報道されて以来、週末には車で来た見物客が増えて、狭い村の中にも入り込んできている。

この村周辺は過疎が進んで、子どもの数も減る一方である。
私の子どもが通った幼稚園も民間に払い下げられて、カラフルな工場に変身した。
閉園してからそこで開業していた「モリンガの里」は、幹線道路沿いのもと酒店跡に引っ越してそこそこ人気がある。
ただ、金、土、日だけの営業で、昼食時は開いていない。
こういう有志の企画やボランティアに頼るしか無いのが村の実情だ。
このコウノトリのヒナの誕生をきっかけとして、上郡町全体で村を盛り上げて欲しいと思う。
それは派手な観光化によってではなく、コウノトリの棲む自然豊かな場所として、ゆっくりその自然を味わってもらったり、子育てに住んでもらいたい。
それには、前回のブログで書いたように、春は春らしい景色が失われるようじゃ、コウノトリの棲む場所としては情けない。
また、産業廃棄物の最終処分場の設置やゴミの不法投棄問題を抱えている実情を多くの人に知ってもらって、自然豊かな上郡町を維持する応援をして貰いたいと思う。





2025年4月25日金曜日

春なのに冬景色

 

除草剤で枯れた畦と緑の田んぼ

田んぼは青々と草に覆われ、場所によってはレンゲの紫色がきれいだ。

それなのに、畦は茶色の枯れ草に覆われて、冬に逆戻りしている。

先日大型のトラクターに噴霧装置を付けて、除草剤を撒いているところ出くわした。

人手をかけずに畦の草を抑えるには除草剤が一番コストに見合うようだ。

この頃は、稲を自分で作る農家が減って、大規模経営の会社に委託している人が多い。

経営者によっては草刈り機を使って自分で刈ったり、シルバー人材に委託する人もいる。

この景色は扇状地になった集落の田んぼに限られてはいる。

しかし、つい最近までコウノトリが餌を取りに来ていたところでもある。


やがて、田んぼも耕され、水が張られてくると稲の苗が植えられるまで、全くの冬景色になる。

ちゃんと調べたわけではないので、専門家に調べて貰いたいが、除草剤で畦を枯らした水田とそうでない水田の生物棲息状態の違いを調査すべきだろう。

みんなに寄付を募って、営巣できる鉄塔を建てて、そこに実際にコウノトリは抱卵している。

その一方で、餌となる生物の数を減らしていくのはどうかと思う。

除草剤で蛙や蛇は死なないと思うが、食物連鎖で一番弱い立場にある昆虫類の生息場所が失われることは確かだろう。

それは結果的に強い立場にある動物の死にも繋がっていく。

別の場所のコウノトリ(2025/04/25)

これから外国から米を輸入すべきかどうか、議論がなされていくのだろう。
これまで安い野菜が中国から入ってきても、人気はさほど無かった。
アメリカの米が安全であるかどうか検討する必要があると思う。
以前から小麦に関しても農薬やポストハーベストの問題で、国産の小麦に拘る人もいる。
アメリカと同じような大規模経営の方式なら、規模において絶対太刀打ちできないだろう。
それに対抗できるのは安全で安心できて、美味しい米だと思う。
春に冬をもたらすやり方はそれにはなじまないように思う。









2025年4月23日水曜日

海豚の如く海へ!

 昨日からプールでフィン(足ひれ)を付けて泳いでいる。

予め使用の確認をとってあるが、都会のプールでは普通は使用禁止だろう。

以前は、学校のプールで生徒と一緒に泳ぐ時に、クラブで買っておいたフィンを付けて泳いだ。

生徒は滅多にフィンは付けないが、キックの強化にたまに使っていた。

自分は生徒のスピードについていくために用いた。

特にバタフライや背泳では役に立った。


実際に今回フィンを使ってみると、クロールではそれほど早いタイムで泳げていない。

むしろ、足に負担がかかって、重く感じられた。

やはり、バタフライの練習を始めてから、フィンの威力を感じ始めた。

キックにしろ片手バタフライにしろ、普段回すタイムよりも10秒ほど早く回せた。

そして、何よりもバタフライのスイムは50mを50秒をきって泳ぐことができた。

普段は軽く1分はかかってしまう。

しかも、それほど辛くは無い。

25mも20秒ほどで泳げてしまうし、楽だ。

背泳に関してもキックがしっかりと打てるので、早い回しで泳げるし楽に泳げた。


このフィンを練習で使えることによって、練習が楽しくなった。

先日は別のプールで隣の若い現役選手が練習に使っていて、その迫力に魅せられたが。

今度は私も彼の横で彼の泳ぎに少しでも近づけたらと思う。

これまでは糖尿病治療のために義務的に泳いでいたが、これからは楽しみでも泳げそうだ。

週3回といわず、週4回や5回もできるかもしれない。

そして、何よりも海で使うこともできる。

今まではSUPで泳ぐことはやっていなかったが、これからはオープンウォーターとしても楽しみで使えるし、シュノーケリングをしても良さそうだ。


これで、私は文字通り海豚に一歩近づいたことになる。

どうしても水泳は孤独で周りの変化に乏しい運動になってしまう。

水族館のイルカは芸をしているときは楽しげに見えるが、狭い水槽を泳いでいる様子は哀れにさえ見える。

深さはあるが広さでは人のプールに劣っている。

ただ、人もコースロープで仕切られたコースの中を行ったり来たりするだけだ。

水族館のイルカとあまり変わりは無いかもしれない。

海に出て初めて自然に生きる海豚に近づけそうだ。


















2025年4月20日日曜日

連れ添ってきたギターへの思い

 私が今も使っているフォークギターは中学校3年生の時に、友人と一緒に店に行って、彼に勧められて買ったヤマキのギターである。

因みに彼はベーシストで、高校卒業までバンドを組み続けた相棒だ。

彼は音楽性に優れていて、いつも彼の指導を受けていたのが実情だった。
1976年の高校文化祭で私のギターは、彼が完全コピーした"Here Come the Sun"で奏でられて、私が歌った。
その後は、私も志望したが落ちて彼だけが早稲田大の軽音楽部に入ったが、結局は研究者になった。
彼に勧められて買ったギターだが、他のアコギは触ったことが無かったのでその良さはよく分からなかった。
ネックが細くて弾きやすいギターだったにも関わらず、ボーカルに力が入っていたのでちゃんと練習しなかった。
だから、いつまでも上達しないままであった。
それでも、糸巻きを途中で換えた以外は、大切に使ってきた。

たまたま、知り合いの先生に見せたら、実は彼もヤマキのギターを大切持っているという。
しかも、彼のは当時でも10万円以上もする物で、今ではプレミアがついて何十万円もするという。
私のは23、000円で初心者向けだったので、大した値段はつかないと思うが、それなりに価値があるとは思う。
かつてはヤマハと並ぶくらいのメーカーだったらしいが、今は殆ど見かけなくなった。

私は前々から上級者向けのアコギが欲しかった。
というのも、以前に一緒に高校の文化祭でユニットを組んだ先生が、自分のギブソンのエレアコを使ったのでその音の素晴らしさを実感したからだ。
Martin、Gibson、Taylorなど海外の物も良いが、日本のK.Yairiが良いと思って、ずっと調べていた。
このところ、ギターの練習も頑張りだしたのだが、どうも音が悪い。
それもそのはずで、かれこれ5年以上も弦を張り替えていないのだ。
家内には音が悪くなったので、良いやつを買いたいと言っていた。
家内はピアノの調律で弾きもしないのにお金をかけていた負い目もあって、良いよとは言われていた。
しかし、いざ弦を張り替えて、元の良い音が出ると「これで良いか」と思ってしまう。
大してうまくも無いので、高品質のギターには申し訳ないように思う。

今は、昔ギターをやっていたが、若い頃は欲しくても良いギターを買えなかった世代が良いギターを買っているという。
その気持ちは凄く分かるのだが、良い楽器はそれなりに演奏できる人が、それなりの場で演奏ができてこそ活きる物だと思う。
同僚の先生も1000人近くの生徒の前で演奏したから、Gibsonの音質を活かすことができた。
今の自分にはそういう場は無い。
だから、古女房と同じで、自分相応の安いギターで良いのだ。
と言うと、上さんに「私は安いギターか」と怒られそうだが、それだけ想い出と思い入れがあるということだ。
上達して多くの人に聞いて貰える機会ができれば、特別にそれ用として買うことにして、これからもずっとそばに置いて弾いていくつもりだ。
1976年高校文化祭にて





今でも中学校から40年近くも大切に使っているのはこのギターくらいだろう。

2025年4月18日金曜日

全て「負ける」戦争が悪い?

このところ、東京大空襲などの無差別爆撃による市民虐殺の報道がなされた。

あたかも、戦争という天災であったかのように、悪いのは戦争であって無差別に爆撃したアメリカ軍では無かったかのようだ。

日本が先に真珠湾攻撃したので、何十万人もの市民が亡くなっても仕方無かったのだろうか?

だったら、ガザで行われているイスラエルの爆撃も戦争が悪くて、イスラエル軍が悪いのでは無い。

パレスティナのハマスがしかけて始まったのだから、ガザ市民が4万人以上も亡くなっても仕方ないのだろうか?

ウクライナで行われているロシアの都市部への攻撃も、ロシア軍が悪いのでは無くて戦争が悪い。

ロシア軍が勝手に攻めてきて、ウクライナ市民を殺戮しても、戦争したから悪いのでロシア軍は悪くないのだろうか?


戦争は負けなければ、戦争犯罪と呼べることをしても、責任を問われない。

何度も言ってきたが、日清戦争も日露戦争も日本人は悪い戦争などとは言わない。

近代日本をもたらした幕府軍と薩長土肥軍との内戦も悪い戦争とは言わない。

それによって築かれた政権は国体維持という形で残存している。

要するに戦争は悪いとか、しては絶対駄目と言っているのは、前に「負ける」が隠されている。

つまり、「負ける」戦争は絶対してはいけないのだ。

トランプ大統領はアメリカは命がけで日本を守るのに、日本はアメリカを守る必要が無くて不公平だと言っている。

では、「勝てる」戦争ができる国になって、アメリカを守ってあげられる国になって欲しいのか?

場合によって、広島長崎の借りを返されても仕方ないと思うのか?

「負ける」戦争反対の弱い国のまま、温和しく金を出せば良いだけなのだろう?


日本人は原爆や焼夷弾によって大虐殺を受けた国として、真に勝てる戦争にも負ける戦争にも反対しなくてはならない。

毎年繰り返される太平洋戦争の悲劇を伝える報道のあり方も変えるべきでは無いのだろうか。

まるで、戦争という天災のような悲劇が襲ってきたかのように報道するのは、本質を隠したままでいる。

そして、それは太平洋戦争で亡くなった多くのアジアの人々にも、同じことを強いることをも意味する。

全て戦争が悪いのであって、国家や軍隊では無い。

戦争に負けたから戦争被害の賠償金を払い続けただけだ。

ベトナム戦争ではアメリカ軍は勝てなかったが、負けなかったから賠償金を払っていない。

そういう現実もきちっと報道するべきだと思う。


そして、戦争で闘って亡くなった兵士には遺族年金が払われ続けた。

原爆は別として、無差別爆撃で殺戮された人の遺族には何の保障も無かった。

何よりも悲惨だったのは戦争孤児達だった。

戦死者の関係者に遺族年金を払うのは、こんどまた戦争が起こったら国民に兵士になって貰わないと困るからだけだろう。

戦争孤児の悲惨さだけを報道するだけで無く、元兵士の保障や遺族年金と民間人犠牲者の違いをしっかりと報道するべきだと思う。