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2025年6月8日日曜日

革命的自動音声文字起こしPLAUDの感動

 実は、私は45年ほど前は村落調査においては手書きノートはメモ程度で、マイクロカセットテープレコーダーを使って録音していた。

当時はノートに筆記していくのが普通だったが、それだと会話が途切れてしまうし、情報量も限られていたからだ。

ただ、スムーズに聞き取れて情報量も増す反面で、その後のテープ起こしには多大な労力と時間がかかった。

主に夜に話者の家に訪問して、昼間はそのテープ起こしをするのが日課となっていた。

マイクロカセットは何本か用意していたので、調査から戻ってからの文字起こしも行ったりもした。

ただ、その録音したマイクロカセットは文字起こしをすると、再び録音に再利用されて音声を保存することは殆ど無かった。


2008年に当時の文部省から奨励費をもらったのに付随して追跡調査をしたときには、ボイスレコーダーを用いて聞き取りも行っていた。

それを文字にしなくてはならないと思いながら、17年の年月が流れてしまっていた。

勤めている学校現場でも研修や講演会でボイスレコーダーなどを使って録音して、それの文字起こしをすることもしていた。

また、兵庫教育大学大学院での長期研修でも、その講義をボイスレコーダーで録音したりしたが結局は文字化しなかった。

音声録音はノートに書き残す手間は省けるが、文字化するのにそれ以上の労力と時間がかかり、本当に必要に迫られなければ放ってしまっていたのだ。


それが、自動で音声文字起こしができるPLAUDの存在を知って、すぐに購入した。

手始めに手書きで書かれた大切な手紙を文字化してみたが、かなり正確だったが言葉が途切れて聞きづらいところは文字化してくれてなかった。

こういう手書きの文章は予め読んで練習する必要がありそうだ。

一方で日記を書く代わりに言葉で録音しようと思い、ベッドで横たわったまま気楽に録音した。

その録音を文字化してみて誤字はそこそこ見られたが、少し手直しをすれば済む程度だった。

そして、念願の村落調査の録音音声の文字起こしに挑戦した。

前もって、ボイスレコーダーの録音音声はWAVやMP3に変換しておいた。

ボイスレコーダーはパナソニック製だったが、独特のファイル形式で保存するものであり、汎用性が無かったので変換しておいたのが正解だった。

ところが、最初の躓きはスマホでの保存音声データーの文字起こしはデーター利用で面倒なことになる。

そこで、パソコン用のアプリをダウンロードしてインストールしようとしたがうまくいかない。

なんのことは無い、そのアプリは個人として使っているパソコンEndeavorのwindows10では使えないのだ。

そこで、家内と共用していた中古の最新パソコンLet's Noteはwindows11なので、同じようにしてインストールしたうまくいった。


さっそく、Let's Noteで試してみたら、17年前の音声データーが見事文字化してくれた。

私は感動のあまり同じように村落調査に行った仲間がいる南山大学ゼミ同窓生LINEで報告した。

しかし、その仲間からはスルーされてしまった。

彼は大学時代当初から録音も撮影も行わず、ひたすらノートに筆記する人だったのだ。

反応があったのは、雑誌関係の仕事をしている仲間だけだった。

彼も取材や仕事のやりとりで録音を使っていたのだろう。


PLAUDの宣伝では革命的とうたわれている。

確かに私にとっては革命的で、これが40年前にあったならどんなにスムーズに聞き取り調査ができたか分からない。

しかし、当時の話者の殆どが既に亡くなられている。

当時の村落調査は伝統的な生活を経験してきた最後の語り部だったのだ。

写真に関しては残すべき記録としてデジタル化して保存しておいた。

当時の音声としては八月踊りなどはデジタル化して残して置いただけである。

しかし、聞き取りした音声は保存する意識さえなく、文字化するための一時的な参考資料でしかなかった。

ただ、再利用する前のカセットが残っていたので、それは亡くなった人の声で懐かしくてデジタル化した。

今となっては悔やまれるが、こういう時代が来るのなら録音したマイクロカセットも、写真同様に記録として置いておくべきだった。

こういう革命的な音声録音記録の時代が来たのに、肝心の魅力ある伝統的な暮らしを語る人はいなくなってしまっているのも皮肉なものだ。

せめて、そういう語り部を知る私の記憶が確かなうちに、どこでも録音できる音声を使ってそれを残しておこうと思う。

なぜならキーボードで打ち込むよりよほど楽で便利だからだ。

私の認知能力も劣化する一方だから、残された時間を有効に使おうと思っている。





2025年6月3日火曜日

ニューギニア式サツマイモ栽培の実践①~下準備~

 私は赤穂にある実家の畑を何年も作物を作らず、代萩(セイタカアワダチソウ)の群落にしたままであった。

ただ、1年に数回は草を刈りには来ていた。

米不足で代用食が必要と思い、今年からサツマイモやカボチャを植えることにしていた。

この四月の下旬にも背負い式の草刈り機を使って、代萩は殆ど刈りたおしておいた。

以前に農業雑誌でニューギニアでは雑草の上に土を盛って、そこにサツマイモの苗を植えることが紹介されていた。

ネットでも調べたら枯れ草の上に土を盛ることが書いてあった。

ただ、枯れ草はイネ科の植物だったようだが、うちの畑の代萩はキク科であり宿根草でもある。

実は、冬場に枯れ草を一度焼いていたので、そこには代萩は生えないだろうと思っていたが、しっかりと生えていた。


当初は筋状に刈り干した草の上に刈り跡の土を掘り起こして、それを枯れ草の上に置く予定だった。

ところが、スコップを使って掘ると代萩の地下茎が立ちはだかってなかなか掘れない。

そこで、枯れ草を一カ所に集めてその回りを掘り起こす従来のニューギニア式に戻した。

スコップで深く掘らなくても、代萩の地下茎はそれほど深くないので、備中鍬に持ち替えた。

最近ではサンボンコとここいらで言われる備中鍬を使っている人を殆ど見かけない。

大抵は小型耕運機を用いて耕している。

私も少し馬力のある小型耕運機を持っているが、今回は持ってきていない。

そこで、父親から教わった備中鍬で掘り起こして草を取るやり方を実践した。


それは深く根付いた草に鍬を打ち込んで、テコのようにして引き抜く。

そして、土のついた根の部分を、鍬3本刃の逆の部分で叩いて土を落とす。

最後に手で持って鍬の柄や刃などにぶつけて土を払い落とすやり方だ。

この時は盛り土の上にサツマイモの苗を植えることよりも、地下茎のない土の上に植えようと思ったので、掘り起こした地下茎は盛った土の上に置いておいた。

予定では40本の苗を植える予定なので、その広さを確保しようとしていた。

ところがなかなか作業が進まず、盛り土にも植える必要を感じて、地下茎も一緒にした枯れ草の山に土を被せた。

これはたぶん間違いだろう。

地下茎が芽を出すことが考えられる。

ニューギニアでは前もって地下茎のある草でも干して、発芽することを防いでいたのだと思う。

そして、やりながら気がついたのだが、こんもりとした盛り土にするのは周りの草を刈ったり、掘り起こしたりした物を集めるのに都合が良いからだ。


ニューギニアでは古くから石器が農具として用いられているので、私の今回のやり方とほぼ同じでは無いかと思われる。

ただ、北アメリカ原産の代萩のような厄介な植物は生えていなかったように思う。

イネ科の草であればもっと楽に掘り起こすことができそうである。

現に、上郡にある自宅裏の畑では、スコップで簡単に掘り上げて高畝を作ることができて、現在はジャガイモを植えている。

従来なら刈った草は燃やして焼き畑のようにして、野原になった畑を復活させる方が手間がいらないだろう。

しかし、今回の代萩のように地下茎でしぶとい草の場合はニューギニア式のやり方が有効に思えた。

ただし、小型耕運機で耕した方が労力的には楽だっただろうと思う。



2025年5月30日金曜日

雨ニモマケズ 毎日玄米四合?

 一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ


これは宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の有名な一節で有る。

因みに四合は白米では600gくらいだそうで、玄米もそれくらいだろう。

そうすると1ヶ月30日で白米なら18kg食べることになる。

現在白米1kgを1000円とするなら、18000円の米代ということになる。


丈夫ナカラダヲモチ 慾ハナク


という言葉が空々しく感じてしまう。

因みに私が大学時代の45年ほど前で、親からの仕送りが2万円で奨学金が36000円、そこから家賃1万円を支払い暮らしていた。

玄米食だったら白米よりも栄養価が高いので、他のおかずが少なくても足りていたかもしれないが、当時の私としては欲どおしくおもえる。

これは昭和6年頃に書かれた詩らしいが、当時の欲の無い庶民はそんなにお米を食べていたのだろうか?

江戸時代から戦前にかけて、年間一人1石(150kg)食べるのが普通ということで、月に直すと12.5kgなので、18kgも食べた賢治は玄米の食べ過ぎである。


ただ、この詩は手帳のメモ書きだったそうで、最後に


ソウイウモノニ ワタシハナリタイ


とあるから、実際は毎日玄米四合も食べられていなかったかもしれない。

このように解釈すれば、当時の実際の貧しい生活を詩にしたのでは無く、こんな生活がしてみたいという願望とも受け止められる。

因みに私は一月に食べる玄米は四合であるので、賢治の言う1日分を1ヶ月かかって食べている。

もちろん他の穀物と混ぜた雑穀米として食べている。

我が家は夫婦二人と息子のひとりの3人暮らしで、計算すると年間150kgの玄米(22、500円)を食べている。

といいうことは3人で昔の一人分と言うことだ。


一方で、仮にこの当時の庶民が一日四合も食べるようになっていたとすれば、近代化によって食生活が変化したとも考えられる。

戦後は「貧乏人は 麦を食え」とばかり、麦への食転換が図られて米の消費も抑えられていく。

今の気候変動の激しい中で、食料の国家戦略の見直しが迫られている。

江戸時代の饑饉は気候変動だけで無く、藩の政策も誤っていたし、全国的な支援関係が築かれていなかったことが原因だと言われている。

そもそも、年貢米のために水稲一辺倒の農業を推し進めていった江戸時代の政策にも大きな問題があった。

それでも、山地の焼き畑が残っていて、米に頼らずとも生活できた人は多くいたのだ。

昔の焼き畑に戻れとは言わないが、水稲一辺倒の農業や白米一辺倒の食生活を変えていくべき時代になったということだ。

宮沢賢治の詩は「他山の石」として読み解く必要があると思う。



2025年5月28日水曜日

JAバンクからPayPay銀行へ

 私は年金はJAバンクに入るように手続きしている。

JAバンクの支店は村にもあって、ATMでの引き出しが土日でも手数料なしでできるのが魅力だった。

年金の手続きも無料でしてくれて助かった。

ところが、正式な銀行名が長くて振り込みの手続きが面倒だし、PayPayカードでクレジットカードを作るのも時間がかかる。

そもそも、普通預金は金利が低い。

それに対して、PayPay銀行は近くのコンビニのATMが使えるし、金利が高い上にクレジットカードが簡単に作れた。

JAバンクに貯まったお金をPayPay銀行に移し、これから年金が入ったら随時移していこうと思っている。


最近、店での支払いはPayPayを用いることが殆どだ。

定期的に現金を使うのは、通院している医院の支払いだけで、薬代は薬局でPayPayで支払いポイントもついている。

買い物もamazonやYahooの通販を使うことが多い。

理由は近くに大店舗が無いこともあるが、じっくり選べるし、必要なときに買えるからだ。

物によっては1時間以上かけて比較検討している。

店に行って一つの品物にそんな時間をかけることはできない。

独自のプリペイドカードを出しているイオンなどの支払いは家内に任せている。


実は現金は意外なところでよく使っている。

それはプールのロッカーだ。

週に3回温水プールに行っているが、ロッカーにコインがいる。

上郡のプールは毎回10円必要だし、相生のプールは使うときに100円を入れて終わったら戻ってくる。

それと、たまに行く神社や仏閣でのお賽銭は小銭を使っている。

財布は土日に家内とドライブに出かけるときには持参しているが、普段プールに行くときは小銭入れにコインを入れ、スマホカバーに免許証と入れている。

鉄道を利用するときもICOCAとクレジットカードを使えば現金が必要で無くなった。


実は村のJAバンクにはかつてはスーパーマーケットのAコープが併設されていた。

それは30年ほど前に閉じられ、上郡にあった唯一の大きなAコープも数年前に閉じられた。

ある意味でJAは田舎において、今のコンビニと同じ役割を果たしていたのだった。

今住んでいる近くにはコンビニはあるが、コンビニが近くに無い村は沢山ある。

私が生まれた赤穂の鳥撫がそうだが、叔母さんに聞くと移動スーパーのとくし丸を利用しているという。

かつては叔父と二人で車に乗って買い物に出かけていたのだが、老化が進んで出かけられなくなっている。

上郡近辺はコープ神戸が個配をしてくれたり、移動スーパーがやって来てくれている。

JAの残された役割は郵便局同様に金融のみということになってしまった。

しかし、ネット銀行が普及して若い世代が乗り換えていくのも時間の問題だろう。

年金をPayPay銀行で受け取るようになったら、JAバンクは必要で無くなる。

そしたらJAは農村で何の役割を果たすのだろうか?

かつて農業資材や肥料をJAで買っていたのだが、値段が高いのでホームセンターで今は買っている。

今回の米騒動もJAと農水族の癒着に大きな問題があることが分かった。

戦後の日本の農業を担ってきた農協・JAは米と選挙のためだけに残っていくのだろうか?




2025年5月26日月曜日

歩きや生きがいに役立つフィン(足ひれ)

 当然、足ひれを付けて歩いているわけではない。

以前のブログで書いたように、このところフィン(足ひれ)を付けて水泳の練習をしている。

現役の水泳部顧問の時代は苦も無く付けて生徒と一緒に泳いでいたのに、最初は非常に重くて動かしづらかった。

最近になって、やっとしっかりとフィンを付けてキックが打てるようになってきた。

現役時代は水泳だけで無くランニングもしていたので、足の筋肉もしっかりついていたのだ。

ところが、最近はせいぜい歩く程度で、坂道も大して上っていなかったので、足の筋肉が衰えてしまっていたらしい。


このフィンを用いた水泳練習は思わぬ効果をもたらした。

歩くのが楽になったのである。

ちょっとした坂道でも以前のようなだる重さを感じずに済んでいる。

本当ならジムに通って、筋トレをしておくべきだったのかもしれない。

私の親戚のダイビングが好きな人は、犬の散歩以外にも毎日ジムに通って筋トレをしているという。

これは逆にダイビングに欠かせないフィンをしっかり使うのに必要であることに気がついた。

この人は60歳で完全退職して、国内はもちろん、海外の海に潜って生きがいとして楽しんでいる。

国内のダイビングでは、私たちが値段が高くて口に入れられないような魚介類を捕ってきて食べている。

海外では珊瑚礁の海などに潜って、その自然に触れるのを楽しんでいるようだ。

そういう生きがいにを得るには、普段からの体力作りが欠かせないらしい。


人は海洋適応して発展したと言われている。

船に乗るだけで無く、海で泳いだり潜ったりするのもその一つだ。

以前読んだ民族誌の中で、カナダの狩猟採集先住民はカヌーを使って漁をするのに泳げなかった事が書いてあった。

そのため、冷たい川に投げ出されたら死んでしまうことが多い。

そんな中で、ある日本人が移住していたのだが、転覆の折に多くの人を救った際に、自分は力を使い果たして死んだ事が書いてあった。

泳いだり潜水できる文化を世界中の人々が持っているわけでは無いようだ。

私は幼い頃から船乗りであった父によく海や川に連れられて、泳ぎの手ほどきを受けていた。

父は平泳ぎや立ち泳ぎは非常に堪能だったが、やはり船乗りであった祖父から学んだのだろう。


現代はゴーグルやフィンという海棲動物に近づく道具を持っている。

ゴーグルはどこのプールでも使って良いのだが、フィンは例外的なプールしか使用できない。

先日も、今まで一度も見かけたことの無い人がプールでフィンを付けて泳いでいた。

話を聞いてみると普段通っているプールではフィンは禁止なので、フィンでの練習をするために定期的に来ているという。

私の普段通っている上郡のB&Gプールは利用者が少なくて今後どうなるか分からない。

フィンを使っての練習もできるので、少し遠くからでも来て欲しいと思う。

フィンは泳ぎでは普段出せないスピードを楽しめるし泳力もアップする。

そして、歩くための足の筋肉トレーニングにもなるのでお薦めだ。

何より、イルカのように水面をバタフライで飛び跳ねる快感が得られる。


2025年5月24日土曜日

マダケとハチクの筍

 このところ忙しかったので、散歩の折に放置竹林のマダケやハチクの筍を見ても採らずにいた。

なにせ、採ってきてすぐに茹でねばならないので、面倒だと思い見過ごしていた。

実は、私はマダケとハチクの違いを分かっていなかった。

ネットで調べたら、色や艶の違いが歴然で、マダケは青っぽくて艶があり、ハチクは白っぽくて艶が無い。

どちらも見かけていた竹で、私は日当たりによって違っているように思い込んでいた。

筍も孟宗竹は太さで分かるが、マダケもハチクも同じような太さで、ハチクが若干細いような気がする。

だから、区別無く採ってきて同じように調理していた。



先日、山崎のJA直売所や波賀の道の駅でハチクの筍が売られているので、値段を見ると大きめが3本で600円と思ったよりも高い。

自分が例年採ってきている筍の量を考えると、何千円もの価値があったことに気がついた。

以前、私はナップサックにいっぱい採って帰るのを、毎朝数週間続けていたのだ。

旬の頃は毎日のように筍を食べて、余したら漬物にしたり干したりしていた。

ネットでも栄養価が高いことを書いてあって、健康に良いと思っていた。

なにせパンダは竹だけで生きているのだから、ちゃんと消化できれば栄養がいっぱい摂れるに決まっている。





ところが、近隣では一昨年あたりからマダケを中心に一斉に枯れ始めている。

今年は、竹林の整理事業が散歩道の山でも行われて、竹もずいぶん減らされている。

私は筍の採れる放置された竹林を何カ所も知っていて、生える時期もずれることも分かっている。

もうすでに孟宗竹の季節は終わっているし、日当たりの良いところではマダケもハチクもずいぶん大きくなってしまっている。

そこで、一番日当たりが悪くて生えるのが遅いところに採りに行った。

そこは放置されて密集しているので、筍を見つけてそこにたどり着くのも至難の業だ。

大抵は、足で踏んづけて折ってから拾う。

掘りやすいところではスコップやナイフを用いていたが、しゃがむのも難しいのでそうしたのだ。

また、その翌日には集落の外れでも、持て余している竹林があって、そこの筍は細いのだが、どうせへし折られて捨てられるので採ってきた。


以前は、持って帰った筍を半分に切ってから、皮をむいてシャトルシェフで何も入れずに茹でていた。

今回から、ちょっと皮をむいてから、シャトルシェフの鍋に入る大きさに切って皮のまま茹でた。

その方がむきやすいし、食べられる部分も多くなった。

ただ、かさ張るので鍋は二つ使った。

私が下ゆでまでして、後は家内が味付けをおこなって美味しく食べたが、しばらくは筍の煮物が続きそうである。

そして、採ってきたのだが食べ切れそうに無いので、茹でた後でナイロン袋で塩もみして、大きめの瓶容器にいれて、冷暗所に保存した。


本来竹は色んな道具や、田畑の杭や支え、家に関しては垣根だけで無く、以前は土壁の骨組みにも使われていた。

実は我が家は直接地元の大工さんに頼んで建ててもらったのだが、その人は自分で竹を採ってきてわら縄で壁の骨組みを編んでいた。

竹材は足場になったり、籠だけでなく筏や縄・箍になったり、竹炭になったりした。

また、竹は杉や檜の材木と違って、筍は食料にもなる。

スーパーなどの店では孟宗竹の筍しか出回らないが、農産物の直売所や道の駅ではハチクの筍もちゃんと売っている。

ハチクはえぐみがあまりないので、糠を入れて茹でなくても美味しく食べられる。

今はどんどん利用されなくなって、竹林は放置されて荒れたり、伐採されてしまったりしている。

竹と寄り添って生活してきた民俗文化を再評価するべきのように思っている。





2025年5月21日水曜日

食われるヘビ

 先日、犬との散歩の途中の小川沿いの道でコウノトリがヘビをくわえているのに遭遇した。

我々に気づいたコウノトリは、少し飛んで田んぼの中で一生懸命飲み込んでいた。

長いクチバシで長いヘビを飲み込むのも大変そうで、何度も下から跳ね上げてやっと上を向いて飲み込んだ。

コウノトリにとってヘビは大切な食料である。

ちょうど、ヒナも誕生しているので吐き戻して与えねばならないのだが、このヘビは相当消化されていないとヒナの餌には無理だと思った。

ヘビはコウノトリだけで無く、トンビやカラスやイノシシなどの雑食系野生動物にとっても大事な食料となっているようだ。


ヘビのそういう弱い面はあまり語られることは無い。

「ヘビににらまれたカエル」のように強い方が強調される。

動物番組でもネズミや小鳥などの小動物や卵を襲う場面がよく出てくるが、ヘビ自体が食べられている場面はたまにしか出てこない。

アナコンダのような大蛇になれば、イノシシや人でさえも飲み込まれてしまうし、毒蛇は咬まれただけで死んでしまうこともある。

私は奄美に村落調査によく行っていた関係で、ハブに一番警戒して必ず調査には長い皮ブーツを履いていった。

当時でも、ハブに噛まれた人がいたが、ある人は咬まれた膝から下を切り落としていた。

その人を見ることだけで、ハブの恐怖を感じざるを得なかった。

ところが、そのハブも捕獲すると買い取ってくれるようになって、良い収入源になるので多く捕られていったようだ。

恐ろしい反面、実はサトウキビや農作物に被害を与えるネズミを捕ってくれて役に立つこともシマの人は語っていた。


ハブは本土から来た画学生が、シマの人に殺されて捨ててある大きなハブを皮をむいて焼いていたので、一度だけ食べさせてもらったことがある。

シマの人は食べたり焼酎漬けにする人は殆どいなかったようだ。

ハブは見つけたら殺すのが原則だったが、神の遣いとしての信仰の対象にもなっていた。

安全のためにやむなく殺すけれど、あえて食料にはしなかったのだと思う。

本土ではマムシが焼酎に漬けられて薬用酒になった。

祖父が捕まえてきて生きたままのマムシを、焼酎の入った一升瓶に入れていたのを見たことがある。

山間部の人は皮をむいて干して食料にもしたと聞いたこともある。


ところが、私が今住んでいる村の人は、嫌がったり恐がったりする人が多い。

山から大雨になるとマムシが流れてきて、道路でひかれていると近く棲んでいることを非常に恐がる。

また、村の草刈り作業で遭遇したら、すぐに草刈り機で退治される。

確かにマムシに噛まれて入院した人もいて危険ではあるが、ネズミやモグラを捕ってくれたりして役にも立っている。

何よりも、ヘビ自体は村にいるコウノトリの大切な食料となっているのだ。

昔はしょっちゅう見かけたヘビもあまり見かけなくなった。

以前は、庭はもちろんのこと、二階のベランダにもいたことがある。

隣の竹藪が無くなった影響が大きいが、家の周りの田畑で餌となる小動物や蛙などが減ってしまったからだろう。

ヘビになじみが無くなったこともあって、近所の小学生が毒を持つヤマカガシをペットにしているのを知って驚いた。

ヘビはむやみに恐がる必要は無いが、用心するに越したことは無い。

ヘビは食う立場でもあり、食われる立場でもあるという大切な食物連鎖の真ん中にある。

そして、あらゆる所に現れ生命力が強いから、昔からヘビを信仰の対象としてきたように思う。

ヘビを毛嫌いする人が最近は多いが、共存すべき大切な生き物であることも確かだと思う。