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2025年7月31日木曜日

苦慮する我が家の宅配ボックス

 家内とドライブしているときに携帯電話が車のハンドフリーが鳴った。

宅配業者が宅配ボックスに入れた品物が傷むのを気遣って連絡してきたのだ。

実は、常温で保存できる牛乳を一箱24本注文していた。

注文するときに時間指定していなかったので、日曜の一番真昼の暑い時間帯に配達されてしまった。

それを聞いた以上は、どこにも寄らずにまっすぐ帰らなくてはならなくなった。


本来、宅配ボックスは庇のある玄関に設置するべきだろう。

ところが、郵便や新聞の受け箱を兼ねているので、玄関から少し出た駐車場の近くに設置している。

玄関に移動させても良いのだが、その近くには番犬のクロがいて人が来ると吠えるのである。

日中は問題ないのだが、新聞の配達される早朝に吠えられると、我が家も困るが近所迷惑にもなる。

そこで今までの郵便受けと同じ位置に宅配ボックスを設置した。


そうすると、雨ざらし、陽ざらしになってしまう。

去年は大きなパラソルを差し掛けたり、ベランダボックスの蓋を上にのせたりしていた。

今年もベランダボックスの蓋を置いて何とかなると思っていたのだ。

先日から電気製品などでは気になっていたのだが、傷みやすい食料品のことで対処を余儀なくさせられた。

とりあえず、長いすだれを二枚使って宅配ボックスを覆ってみた。

これから、真剣に考えて宅配ボックスのためのボックスを作らねばならないだろう。

近頃は犬を庭で飼っている人がいないので、それに応じたグッズは見当たらない。

通販で買い物をするのが当たり前になった現在、宅配ボックスを設置するのも当たり前になりつつある。

我が家のケースのように野外に設置して、風雨に耐え断熱効果のある安価な宅配ボックスやそのカバーを考案して欲しいと思う。

一方で、外出の多い休日に配達されるときは、きちっと時間指定しなければと思った。




2025年7月30日水曜日

プールに見る老女パワー

 児童生徒が夏休みになると午後からは、プールでまともに泳げなくなる。

午前は夏休みの宿題などで、自宅や塾にいるのだが、午後になると友達とプールに遊びにやってくる。

最近は学校の地区水泳も無いのが当たり前で、プールの授業自体を温水プールで行って、学校では水さえ入れていないところもある。

去年は何も考えずに、午後に泳ぎに行くと6コースの半分を遊泳に使っているので、残りのコースで泳力が違う者が同じコースで練習しづらい。

また、泳ぐコースを普段やっていたのと同じように歩行する人もいる。

それで、泳ぐ人の少ない昼休み前後に変えた。

上郡のプールでは午前のスクールが終わる11時半から13時頃までを練習時間にして、昼食は練習後の2時過ぎてからとっている。


月曜は相生のプールに行く日で、午後からは生徒児童で混雑するのが予想されたので、午前の11時から泳ぐことにした。

ちょうど、アクアビクスのレッスンが始まる時間で、3コースほどに多くのご老人が集まっている。

大半は女性だが、男性も隅っこの方で固まってそこそこいる。

プールサイドで踊るコーチの動作通りに水中でいっせいに踊り始めた。

かける音楽のリズムも速く大きく、コーチのかけ声も大きくプール全体に響き渡った。

こちらは練習に集中はしていたのだが、時折その圧巻の踊りを見て刺激を受けた。

そして、泳ぎ専用の1コースは他に泳ぐ人がいなかったので、ひとり独占して泳ぐことができた。

ところが、他のコースはやはりご老人の女性を中心に人数は多く、児童もお婆さんと一緒に楽しんでいる。

ふだん、静かな上郡のプールに親しんでいる者としては、まるでレジャーランドのプールのように思えた。


アクアビクスは1時間で終わり、私はその後30分以上泳ぎ続けていた。

そして、この圧巻の集団を指導していたコーチがどういう人か気になって、その後の様子を見てみた。

なんと、知り合いの女性だった。

彼女は全国大会にも出場した元水泳選手で、一時、上郡でコーチをしていたので私と同じマスターズチームにいた。

当時は温和しく無口で可愛くて優しい感じの人だった。

その変貌ぶりに驚いた。

これだけの老女パワーを引き出し、圧巻の踊りを繰り広げさせる技術は水泳の泳力と変わりが無いのかもしれない。

ここでは老女パワー溢れる午後の水泳レッスンの隣で練習するのを避けてきたのだが、夏休みはこの時間帯以外では混雑するので避けられない。

たぶん、毎週この老女パワーに打ちのめされないように、頑張って泳がねばならないだろう。

かく言う私も老人の一人なので、そのうちに仲間に入ってあのコーチに従って踊る方が楽しそうだけれど・・・・




2025年7月28日月曜日

夏ごもり

 以前のブログで「今はもう夏、誰もいない田畑」を書いたのは、6月のことだった。

あれからますます暑さと日照りの猛威は収まらない。

真冬の寒いときには農作業もすることがなく、いわゆる「冬ごもり」状態が普通だが、今では夏もあまりに暑くて農作業ができずに「夏ごもり」になったいる。

このごろは朝の涼しいときにさえ、畑に出てこない近隣の家が増えた。

私は空調服でちゃんと暑さ対策をして、朝の5時前から裏の畑で農作業をする。

水やりをしながら、キュウリ、トマト、ズッキーニ、オクラの収穫をしているのだが、出会うは新聞配達の車だけである。

朝食は6時半頃から始めて、7時半頃には犬の散歩に出かける。

そこでは誰に出会うことも無く、遠くでコウノトリの親が子が餌を探している姿を見ることだけが慰めとなる。

たまには、その写真を撮りに車で来た人を見かけることもある。


昨日(7/27)は日曜だったので、いつものように家内とドライブがてら昼食を食べに出かけた。

家内は寿司が好きなので、月に数度は回転寿司を食べに行くのだが、渋滞する東岡山の店を避けて、津山まで出かけた。

まだ11時過ぎでちょっと早いかなと思ったが、店の駐車場はほぼ満車状態で、店内も殆どの席が埋まっていた。

ひょっとして朝食と昼食を兼ねているのかなと思うくらいだ。

とにかく、若い子連れの人や、中学生くらいの女子が友達と一緒に来ていたりする。

年老いた母親と来ている息子さんらしい人などは、話をしながらゆっくりと食事をしている。

私ら夫婦は回転寿司に来ると矢継ぎ早に注文して、一皿2貫の寿司を分け合って食べている。

小食の家内が多くの種類を食べたい方なので、このやり方をずっと続けている。

この方法は安上がりで良いのだが、互いに気遣って、食べるのが速くなってしまうのが欠点だ。

本当はビールでも飲みながらゆっくりと食事を楽しみたいところだ。

暑い日はこういう店でゆっくり過ごすのが安上がりで、満足いくことができる筈だが、店内の順番待ちのお客さんを呼び出す声がそうさせない。

これも、回転寿司店が客自体の回転を上げる方法なのだろうとは思う。


今の時代の我が家の夏の休日の過ごし方は、ドライブで車の中、モールでのショッピング、安上がりの外食チェーン、道の駅が多いように思う。

家の中でエアコンをかけて、テレビを見ながら冷えたビールを飲むのも悪くは無いが、休みの日は家に籠もりたくない。

家内は家に籠もる方が好きなようだが、東京の狭いアパートから休日に脱出していた私の習慣が続いているのに付き合ってもらっている。

都会の人は、住宅事情などから公共交通機関を使って外出して、どんなに暑くても街から人通りが途絶えることはあまりないだろう。

しかし、田舎では家に籠もるのが一般的で、我が家のようにドライブに出かけるのは若い子連れ夫婦だけだ。

それで家の周りには人がいなくなり、蝉の鳴き声だけが空しく村中に響き渡っている。

いずれ、夏の酷暑が当たり前になって、冬ごもり同様に夏ごもりも当たり前となるのだろうと思う。

2025年7月26日土曜日

一人籠もり暮らしの落とし穴

 私は朝五時に起きて農作業をしているが、その時に時計代わりにHNKラジオの「マイあさ」を聴いている。

ラジオの良いところは聴いている人がいろいろと投書して、意見や気持ちを公開して意見交換できることだ。

そんな中で、「高齢者は健康のために外出して人と関わった方が良いと言うが、自分にとってそれは却って苦痛だ」という投書に反響があった。

自分もそうだという意見が多かったことが今の時代を反映していると思った。

この話題では心当たりがあるので考えさせられた。

私のよく知っている知り合いのMさんから、引き籠もってしまった一人暮らしの母親に苦労した話を聞いていたからだ。

かつてそのMさんの母親はコロナの影響で外に出られなくなった。

それまでは非常に外に出て人と関わりを持つのが好きな人だった。

ところがコロナが収束しても家に閉じこもるようになってしまった。

娘であるMさんと週に一度買い物する以外はほとんど家を出ることもなく、髪も伸び放題になって浮浪者のようになってしまった。

いくらMさんが美容院に行くように話しても言うことを聞かない、理由は美容院であれこれ聞かれて話をするのが嫌だと言うことだった。

認知症の症状も出て自分の身の回りのこともできなくなったきたので、Mさんは介護認定を受けさせようとしたが、自分は大丈夫だと頑として受け付けなかった。

その一方で、食欲も落ちて体重も減ってしまったのだが、意外と病気にはならなかった。

Mさんはこうなったら、病気で入院しないと改められないと腹を括ったそうだ。


その日はまもなくやって来た、昨年の夏に風邪をこじらせて肺炎になってしまった。

暑いのに自分は暑くないからとエアコンもつけずに暮らすことが多かったので、体力が落ちてしまっていたのだろうという。

Mさんは救急車を呼んで病院に連れて行こうとしたときにも、病院に行くことに抵抗して救急隊員を手こずらせたそうだ。

入院したお陰で、介護認定もできて2級と判定されたし髪も短く切ることができて、家にいるよりずいぶん安心できたという。

病気の方もは回復していったが、認知症の方がますます進んでいってしまった。

一人暮らしができる状態ではなかったのだが、退院して家に帰りたいとずっと言っていたそうだ。


肺炎の方は回復したので、認知症に関わる専門の病院に転院するときにには大変なことだったという。

入院先の病院の受付で大騒ぎになって、数人かかって看護師さんが何とか本人を入院させてくれた。

それからはMさんは病院に支払い等の用事で行っても、本人と面会がしづらくなってしまった。

面会すると騒動を起こす可能性があったからだ。

ただ、亡くなる一週間前に本人の妹とMさんは面会に行くことができた。

その時は元気そうだったし、妹さんは看護師でありその見立てもしばらくは大丈夫と言うことだった。

ところが一週間後の朝に突然危篤の電話があって、Mさん夫婦は駆けつけたが間に合わなかった。

昨年の八月に入院して亡くなったのは今年の七月で一年も持たなかった。

歳は90歳ほどなので決して若かったわけではないが、コロナ以来の周りとの関わり方に悔いが残った。

本人の息子夫婦とも一度会っただけだし、孫とも一度も会っていなかった。


もし、コロナで家に引き籠もらなかったこんなことにはなっていなかっただろうが、問題はMさんの母親が娘の言うことを全く聞かなかったことにある。

確かに家に一人でいて気楽に暮らすことの方が健康な人もいるだろう。

そういう人を無理に連れ出す必要はないと思うが、はたして本当に大丈夫なのだろうか。

私の近親者はずっと引き籠もって最近は一人暮らしだったのだが、この五月に70歳の若さでなくなってしまった。

急なことで亡くなっているのが発見されたのは二日後だった。

まだ発見が早かったのは弁当を毎日業者に届けてもらっていたからだ。

一度、入院したことがあったが、その時の病院暮らしに懲りて、足の具合などが悪くても入院治療を行おうとはしなかった。

連絡を受けて対応したのはその人の弟だったが、救急車や警察が駆けつけて大変な騒動になってしまったようだ。


一人籠もり暮らしは確かに誰にも迷惑をかけなければ問題ないとは思うが、自分がもし亡くなったときのことを考えているかと言うことだ。

Mさんの母は娘さんが定期的に訪ねていることで孤独死は真逃れた。

しかし、終活を行っていなかったので、残された親族で家を片付けるのは大変で、結局は業者に高額な費用を払って大半をやってもらわねばならなかった。

そして、年金などをしっかり貯金していたので、親族への金銭的な負担も無く、遠くに住む跡取りの息子夫婦に多くの金銭を残すことができた。

一人籠もり暮らしを自ら望んでする人は、万一に備えて終活を行っておく必要があるだろう。

高齢者が新たにアパートなどを借りることができないのがこういう孤独死との関連だという。

もし、貯金が無い場合は周りに大変な迷惑と負担を強いることになる。

お一人様で気楽に暮らす人は自分の死に対する覚悟と周りへの配慮は欠かせないと思う。


かつて奄美の与路島では、感染症の病気になって覚悟を決めたときには、自ら海岸のアダンの林の中で死を迎えたという。

京都でも古くは亡くなる前に墓場に持って行かれていたことは有名である。

姥捨て山の伝説は至る所にあるが、実際は覚悟を決めて出小屋などでひっそり暮らして死を迎えるのが多かったようだ。

「死」や「老い」は周りに迷惑をかけるものだから、覚悟せねばならない貧しい時代もあった。

近代以前は亡くなった人の遺物は川に流してそれを拾って活用する人もいたほど貧しい地域もあった。

だから、与路島では死に行く人に家を貸しても、産婦には家を貸すなと言われた。

今の時代は死者の持ち物を当てにする人などいない、遺物の片付けに労力と金銭がかなり必要となる。

周りのアドバイスや子どもの言うことを聞かないのであれば、それなりの覚悟と準備が必要だということだ。

おそらく、ラジオに投書した人は覚悟と準備ができているとは思う。

しかし、現実にはそういう覚悟と準備ができていないまま一人籠もり暮らしをする人が多くいることも事実だと思う。

近年は若い人でも孤独死を考えて、ネットなどで業者に依頼して対策を行っている人もいるという。

一人籠もり暮らしを正当化することができるのは覚悟と準備ができている人で、お一人様と気楽に言えるのは資産を多く持っている人だけだろう。

また、そのお一人様は決して家に籠もるような危険を冒してはいないように思える。




2025年7月24日木曜日

トヨッさんとコウノトリ

 近所で仲良くしてもらった人がいた。

私より一回り上の人で、他の村から婿入りしてきた人である。

私は家族と村に転入してきたので、男性では婿入りした人の方が気安かった。

どうしても村育ちの人は、昔話をよくするのでそこで育っていない者はついて行けない同じ立場だからだ。

トヨッさんとは趣味が重なるところも多くて、一緒に海に行って魚介類を潜ってとったり、たまに誘われて家に行ったりしていた。

彼は必ず家でなる柿をいっぱいくれたので、お返しに私の作ったサツマイモなどの作物をあげたりした。

村作業や村行事では話す機会も多く、彼のセミプロの腕前の写真のことが多かったが、写真を通してよく勉強していて、教えられることが多かった。


例えばジャコウアゲハが近くで見られることも教えてもらったし、珍しい昆虫の写真から鳥の写真まで色々と見せてもらった。

ただ、私は自分の研究で手一杯だったので、深い関心を抱くことは無かった。

鉄道に関しては、彼は撮り鉄で私は乗り鉄という大きな違いがあった。

彼は運行される車両や走行時の背景が重要だったが、鈍行や夜行に乗って過ごすことが好きだった私は関心はわかなかった。

関心も持ち方は違うことが多かったが話題に事欠かなかった。

そんな中で一番の話題はコウノトリのことだった。


トヨッさんは初めて上郡の高田地区にコウノトリが来てからずっと写真を撮り続けていた。

初めて見つかったのが2012年頃だったからかれこれ13年も続いていた。

ただ、最初1羽しか来なくて、年によっては2羽になったり、ちょっと立ち寄ったりするだけの年もあった。

コウノトリを見かけると必ず望遠カメラを片手に愛車に乗って出かけていた。

彼は10年ほど前から癌を患い、それを私が本人から聞いた時にはステージ4の段階で、薬事治療を続けていた。

村作業も調子の良いときには出てきていたが、悪いときには奥さんが出てきていた。

それでも、コウノトリがやってくると元気になって、いつものように愛車で出かけるので、私はコウノトリがトヨッさんの命を支えていると思っていた。


そんな彼も癌には勝てずに、この5月に亡くなってしまった。

やっとコウノトリが設置された鉄塔に営巣して、抱卵している頃だった。

彼は旅立ってしまったが、コウノトリのヒナはちゃんとかえって、今も3羽とも元気で田んぼの中で餌を探している。

田んぼの中を犬と散歩をしていると、たまに白い車に出会うことがあるのだが、いつものようにトヨッさんと思ってしまう。

散歩の時に撮影する彼に出会っては、挨拶したり話をすることが多かったからだ。

散歩の途中でトヨッさんを見かけて元気であることを確認してもいた。

今はコウノトリの姿を見ると彼のことを思い出す。


トヨッさんが亡くなったすぐ後で、こうして新しいコウノトリの命が誕生したことになにか因縁めいたことを感じる。

人の命は子や孫に普通は繋がっていくのであり、彼にも孫は確かにいる。

しかし、遠く離れて滅多に会うことのできない孫よりも、毎年やって来たコウノトリをずっと気にかけていた。

人の命を単にDNAだけで繋がりを表すのは心貧しく感じる。

人はタマシイという言葉で、人以外の生き物やあらゆる物に対してもその繋がりを感じたり表現してきた。

そのタマシイの繋がりを感じられるのは、その人と関わりを持ってその人の心を汲むことができた場合だと思う。

その点で言えば、彼がコウノトリを思い続けていたのは、村の多くの人が知っている。

村だけでは無くて、上郡町でも上郡民報に掲載されたコウノトリの写真でも知られていた。

実は私のブログでも彼の写真を使わせてもらっていた。(鳥の楽園と愚犬騒動)


彼は、時間を厭わずコウノトリの羽ばたいている姿など、素晴らしい一瞬を捉えていた。


私は村落調査では記録のために写真を撮り続けていたが、彼のような芸術作品とはかけ離れていて写真そのものにのめり込むことは無かった。

彼と違って、私は犬と散歩していてもコウノトリが気にせずに餌を探していること自体が嬉しく思い滅多に写真は撮らない。

それは彼が自分の命が限りあるものと常に思いながら、シャッターを切り続けていたのとはまるで違うのだろう。

私は今のところは、消えゆく自分の命を感じなくて済んでいる。

その分、命が消えた後に残されたタマシイをコウノトリの姿で感じ続けていたいと思っている。







2025年7月22日火曜日

心身を癒やしてくれる花や作物

 人が一番植物と話をしたがるのは花が咲いたときだと思う。

私は先日、やっとハイビスカスの花が咲いて「ありがとう」と小声で語りかけた。

ハイビスカスは学生時代の特別な思い出がこもった花で、買ってきてから5年間も咲き続けている。

去年の冬には思い切って刈り込んだ。

枝葉が茂りすぎて、部屋の中で冬を越させるのに邪魔になってきたからだ。

ネットで調べると越冬させるのに半分ほどにした方が良いとあったので試してみた。

貧弱になった上に、葉が全部落ちてしまったので、今年は咲くか不安だった。

ようやく葉も多く茂りだして、やっと一輪咲いたのだった。

私は多くの鉢物を育てているが、このハイビスカスとガジュマル、ソテツはかつて村落調査で通い続けた奄美を家で再現して懐かしんで癒やされている。


残念ながら今年は畑が忙しかったので、ひまわりなどの夏の花を植えていない。

そのかわり、畑ではいろんな花が咲いて関わりが多くなる。

一番気がかりなのはズッキーニの黄色い花だが、雌花が咲くと必ず受粉させてやらねばならない。

ところが今年は雄花ばかりが咲いて、雌花は咲かずに腐ってしまう。

たぶん、雨が少ないので水不足だからだと思う。

近所の知り合いはキュウリがそんなふうになってとれないという。

私はキュウリにはしっかり水をあげていたので、たくさんなっているがズッキーニへの水やりはいい加減だったのが悪かったらしい。

その後、水やりをしっかりしても改善しなかったが、寒冷紗をかけてやると改善してきた。

どうも、高温が応えていたらしい。


トマトの花はみすぼらしいのだが、オクラの花は飾りたいくらい美しい。

オクラも水不足で生長が悪いのだが、30cmほどの丈でも花を咲かせて実をつけてくれた。

オクラは毎朝納豆に生で刻んで入れるので、我が家には欠かせない野菜だ。

ほかに咲いているのはカボチャなのだが、こちらも雄花ばかり咲いているように思う。

カボチャは受粉しなくても良いので、花に気をとられることはない。

もう時期は過ぎたが、かわいそうな花はジャガイモやニンニクで、実をつけたりすると栄養をとられるので取ってしまう。

ジャガイモはかわいらしくて、色も紫と黄色できれいなのだが、見つけると取るしかないのだ。


花以外にも水をあげたりして、関わりが多いのはサツマイモや高黍だ。

サツマイモも水が少ない上に、雑草が茂ってしまったので、少々貧相なのでせっせと水をあげた。

水や液肥をあげることも、作物とのコミュニケーションになる。

ポリマルチをすれば楽なのだが、酷暑では使わない方が良いと思って使っていない。

ポリマルチを使って作っている近所の人はサツマイモでさえ失敗している。

黒色のポリマルチは草押さえになって便利なのだが、後始末が面倒だし、このところの酷暑には作物には悪いように思える。

私は草マルチを基本に、作物に影響が少なそうなところの雑草は抜かずに、大きくなりすぎたら刈るだけにしている。

雑草を極端に嫌って根絶やしにしてしまう人も近隣では多いが、温暖化の時代は雑草を利用する方が良いように思う。

酷暑で地面の温度が上がりすぎるので、むき出しの土にしない方が良いように思うからだ。

またこのところ、作物を害虫から守ってくれていたカエルやカマキリ、クモが減ってしまって、ネットで防除するしか無くなっている。

適度な雑草はそういう生き物にとっても大切な住処にもなるようだ。


先日も都会育ちの娘の婿が、細やかな家庭菜園をしているというので、話題にして話をすることができた。

私は「野菜作りは癒やされるやろ?」と聞くと頷いていた。

娘夫婦は共稼ぎで二人ともデスクワークである。

心身の健康のためにはちょっとした菜園も役に立つ。

そういえば亡くなった森永卓郎さんもずっと続けていた。

ペットが飼えない人も、家庭菜園なら作物と触れ合って癒やされると思う。

庭が無ければプランターで室内でも栽培できる。

できれば、上郡のような過疎地には週末休日に楽しめる市民農園がもっと増えれば良いと思う。





2025年7月19日土曜日

ブランドとしての学校と学歴

 堀江貴文が東洋大学をFランクの大学とネットで言ったのが物議を醸している。

確か、彼は東大の文化人類学の船曳さんのゼミ生だったように記憶している。

結局、東大は中退したのだから学歴は高卒なのだが、在学中に起業して東大合格ブランドで十分で学歴を必要としなかったのだろう。

私の同級生は多く東大に行ったがみんな卒業しているのは、卒業して学歴を活かす必要があったからだろう。


一方で、早稲田大学に行った同級生や近縁者、知人にはどういうわけか中退が多い。

同級生などは指定校を利用して入学したのに中退したものだから、指定校を取り消されてしまった。

彼は入学した学科と全く関係の無い家業を継いで立派に社長を務めて、商工会の会長になったりもした。

近縁者などは九州大学を合格したのに「都落ちだと」すぐ辞めて、早稲田大学に入り直したが、結局中退して専攻学科と無関係の会社勤務をしている。

二人とも、中退なので高卒なのだが、仕事に学歴は必要なく早大入学ブランドで十分だったのだ。


そもそも、私たちの同世代の女子大生は、結婚すると退職してしまうことが多かったので、教師になった人以外はあまり学歴を活かしていない。

当時女性は就職よりも結婚やそれに伴う子どもの教育に大学ブランドや経験を使っていたようにも思える。

家内は結婚のことは考えず、女性でも一生働ける教師を志して大学に入り、教育学部で小学校や障害児教育の免許を取得した。

しかし、採用試験で不合格になって、結婚するまで臨時の市の事務職員を務めた後は結婚後にしばらくして専業主婦となった。

子どもが高校を卒業してから臨時職員として学童の仕事に就いたが、当時は教員免許も必要でやっと大学の資格を活かせた。

ただし、現在は学童の指導員は教員免許も大卒資格を必ずしも必要としていない。


私自身も学歴よりも大学のブランドが欲しかった。

夢はミュージシャンだったので、早大のブランドでプロになったら中退しても良いと思ったが合格さえできなかった。

南山大学は中部圏ではそこそこのブランドだが、全国的にはほとんど無名だったし、名古屋ではバンド仲間も作れなかったのでプロは諦めた。

たまたま、専攻した人類学科と関連する村落調査サークルの活動にのめり込んで、大学院を志した。

ただし、研究者になれる自信も無かったので、教員免許だけはとっておいた。

その当時は、研究者になるブランドとして東京都立大学大学院の入学を果たしたのだが、実力が伴わず博士課程には進学できなかったので研究者のブランドにならなかった。

ありがたいことに、この大学院修士修了のブランドと教員の1級免許は教員採用に少しは役に立ったように思える。

当時は公立の高校教員も人気があって、特に社会科は多くの大学生が免許を持っていたのでなりづらかった。

高校時代の同級生の中には京大や九大を出たのに兵庫県で高校社会科教員になった者もいた。

だから、私は学歴ロンダリングで教師になれたと言っても良いだろうと思う。

ただし、地方では大卒は身近に働いている者が少ないので、大学ブランドは公務員は別として、評価の対象になりづらい。

むしろ、卒業した高校のブランドが活かされるので、当時は西播では有名な私学を卒業したブランドを、私は私的に活かすこともできたことも確かだ。

大学にしろ高校にしろ、そこに入るのに学力やスポーツの特別な能力があったと保障されれば良いブランドとして活きる。


しかし、教師を続けながらも、大学院時代に抱いた研究者になる夢は諦めきれなかった。

夢を果たすという意味では、結局は学校ブランドも学歴も活かせてはいない。

それでも退職して年金暮らしの今は、学歴を基に働いた教員時代の給料は活かされてはいる。

政治家は昔は田中角栄のように小学校しか出ていない総理大臣もいたのだが、学校や学歴は立派なブランドとして使われている。

最近は芸能界でも大学のブランドを売り物にしているのだから、大きい意味を持つのだろう。

その場合の多くは、大学での専門が活かされていないので、大学を卒業した学歴より、入学したことのブランドが活かされている。

ただし、政治家は卒業による学歴も重要な能力保障になっている。

だから、今の東京都知事は関西学院入学ブランドは中退したので使えず、それを表にあまり出さないのだろう。


反面、学歴は必ずしもプラスにならないこともある。

公務員採用には高卒資格の枠があって、大卒なのに高卒と偽って採用されて辞めさせられてしまった例もあった。

一流企業なども、大卒で入れるのは東大・京大レベルでも、高卒なら現場の労働者として採用されたりする。

介護施設でも大卒で採用されると給料は高いが、ケアマネージャーなどの役割を果たすことを求められるので、高卒の方が気が楽なところがある。

また、日本では修士や博士の学位は研究職にならねば、役に立たないどころか邪魔になることもある。

ある国立大学の博士学位を取ったばかりに、専門性が限られて採用が少なく、コンビニの店長をしなければならなくなった話も聞いた。


今回の静岡県伊東市の市長の学歴詐称問題は、東洋大学ブランドの問題だったのだろう。

上郡町長選挙では落選はしたが、早大中退とはっきり名乗って選挙戦を戦った候補(高校の先輩)もいたし、今回の参議院選挙にも早大中退で立候補した人もいる。

伊東市市長選では東洋大学中退ではブランド力が弱かったのだろう。

その点では、東京都知事も関学中退ではブランドが弱いので、海外大学のブランド利用を上手く使ったのだと思う。

政治家の実力は分かりづらいし、大学などを通した人脈とも関連するので、ブランドや学歴が重要とされるのだろうと思う。

ただ、そのブランドを使ったことで却って大学のブランドを下げてしまった総理大臣もいたのも皮肉なことだ。